第28話 大事なものをその手の中に


「え……イドリス、知り合い?」



 突如現れたラムナの姿に、直接的な面識のないリシェが不安げな視線を向ける。するとラムナは優しく笑みを描き、彼女に手を振った。



「ふふふっ、こんにちはぁ捜査官ちゃん、はじめましてぇ~。イドリスの愛人で~す」


「愛人っ!?」


「堂々と嘘ついてんじゃねえぞコラ」



 タチの悪い冗談を繰り出すラムナに俺はナイフを投げ付ける。しかし彼女は容易くかわし、軽い身のこなしで別の木へと飛び移った。



「あーんっ! 激しく愛してくれるのねぇ、イドリスったらぁ」


「……ラムナ。お前、さては知ってたな」


「んー? 何をぉ?」


「とぼけんな。コイツが死なないの知ってたんだろ」



 魔力を固めて生成した次なるナイフを構え、俺は声を低める。


 先日、ラムナはリシェを殺そうと、わざと俺の傍で彼女に向かって不可解な攻撃を繰り返していた。だが、あれはただ単に俺への当て付けや絶望を与えるための演出などではなく──“リシェが死んでも生き返る”という事実を、俺に見せつけようとしていたんじゃないのか。


 訝る俺に、ラムナはにこりと柔く微笑んだまま何も答えない。



「……何も言わないって事は、肯定だな」


「ふふ、どうかしらぁ」


「お前、何が目的だ。監視の依頼者は俺に似てるって言ってたよなァ、つまりレナードアイツだろ? どんな依頼を請けた」


「あははっ、しーらなーいっ」



 ラムナは楽しげに笑い、くるんと身軽に回転しながら地面へと降りてくる。華麗に着地すると同時に、長い睫毛の向こうで上向うわむいた瞳が俺を映した。



「そんな怖い顔しないでぇ? 良い事教えに来たのよぉ、私~」


「……お前の言う“良い事”なんて、どうせロクな事じゃねーだろ」


「ひっどぉい、今度はちゃんと良い事よぉ」



 わざとらしく唇を尖らせたラムナは、そっと俺の肩に手を乗せると目を細めて密着する。まるで抱きつくかのように身を寄せた彼女は、妖艶に弧を描く口元を俺の耳に近付け、「あのね──」と言葉を紡いだ。


 が、しかし。


 直後、ぼすっ、ともう一人の女が俺の背中に密着した事で、その言葉は遮られる。



「え」



 ぽかん。呆気に取られた俺が振り向けば、それこそフグのように頬をパンパンに膨らませたリシェが、涙目で俺の背中に抱きついていた。


 彼女は涙の溜まる瞳でラムナを睨み、俺の体をぐいぐいと引っ張る。



「ひ、人の目の前でイチャイチャするなんて、非常識よ! ばか!」


「いやイチャイチャしてねーけど」


「イチャイチャしてるもん!! い、イドリスから離れなさいっ! この破廉恥なひと!」


「あらぁ、片方おっぱい丸出しの人に言われたくないわねえ〜」


「はうっ!?」



 未だに左胸がさらけ出されたままの格好を指摘されたリシェは、顔を真っ赤に染めて「ひゃああ!?」と絶叫するとすぐさま乱れた衣服を正した。


 程なくして再び俺に抱きつき、彼女は威嚇するように牙を剥く。



「こ、これで文句ないでしょ! 早くイドリスから離れて!」


「うふふ、ヤキモチ妬いちゃって可愛いわねえ、丸出しちゃん」


「は、はあ!? や、ヤキモチとかじゃないし!! あと“丸出しちゃん”って言うなぁ!!」



 真っ赤な顔でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるリシェ。俺は肩を竦めつつ、密着するラムナを引き剥がしてリシェを担ぎ上げた。



「ふひゃあっ!?」


「おい、あんま暴れんなよ。アンタさっき脚撃たれたんだから……」



 と、そこまで言いさした俺だったが、担いだ彼女の脚には傷跡が見当たらない。眉を顰めながら目を凝らしたが、何度見てもそこにあったはずの弾痕は跡形もなく綺麗に消えていたのだった。



(……まさか、傷が塞がった? こんな短時間で?)



 リシェが脚を撃ち抜かれたのは、ほんの数十分前だ。本人も目が覚めた時に「脚が痛い」と騒いでいたというのに。


 俺が言葉を詰まらせていると、不意にラムナが小声で耳打ちする。



「その子は“不死アナトス”よ」


「……!」


「本人は気付いてないけどね。もう彼女、何回もしてるわ」



 ──不死。居眠り。


 彼女の口が語る言葉が、これまで不可解だったリシェの言動と結びつく。


 彼女は最初に出会った時、「居眠りしてる間に仲間とはぐれた」と主張していたのだ。そんなバカな事があるだろうかと訝っていたが、その“居眠り”というのは、つまり。



(この島に来て、すぐ……リシェは殺されたって事か……?)



 思えば、レナードも『あの時死んだと思っていた』『既に死んだと報告している』『まさか生きているとは微塵にも思わなかった』などと口にしていた。


 あれは、“島で生き延びているとは思わなかった”という意味ではなく、“既に殺したつもりだった”という意味なのではないか。


 俺は歯噛みし、ラムナを睨む。



「……どうしてお前がそんな事知ってる」



 低く問いかけ、返答を待った。先程のレナードの様子ではリシェが不死である事は知らないように見えたというのに、ラムナだけが知っているだなんて些か不自然ではないだろうか。


 俺に王殺しの罪を着せたのもラムナ。

 島流しにされた俺を監視していたのもラムナ。

 俺や軍の連中ですら知らなかった、リシェの秘密を知っていたのもラムナ。


 ──何かがおかしい。



「お前、いつからこの依頼を請けてた? 二ヶ月前の王殺しの一件から今日まで、全部お前に仕組まれてた事なのか?」



 鋭く睨んで問うが、ラムナは何も答えない。怯む様子もない。俺は更に続けた。



「元々死罪になるはずだった俺の刑は、誰かに書き換えられてたって話だ。それもお前か? 俺に王殺しの罪を着せてこの島に辿り着かせるために、お前が“流刑”に書き換えたのか」


「……」


「それで? 次の目的は? 俺を処刑台送りにするのかよ。お前、俺に何をさせようとしてる? この島の化け物もお前が仕込んだのか? そもそも、この島は何だ?」


「やぁだー、質問攻めにしないでちょうだいよぉ。良い事教えてあげるから、ね?」



 うふふ、と笑ったラムナはちらりとリシェに視線を移す。俺達の会話がよく分かっていないリシェは肩を震わせ、俺にきゅっとしがみついた。



「……さっきの軍の連中、あなたの処刑は一旦諦めて、船に乗って引き上げるみたいよぉ? で、今度は大きい軍艦が来るみた~い」


「……んだと?」


「ふふふっ、今度こそ迎えに来て貰えるわねえ、捜査官ちゃん! 良かったじゃなーい、パパも来てくれるかもよぉ?」


「……!」



 パパ、という単語にリシェは一瞬瞳を輝かせたが、すぐにその表情が曇る。「わ、私……イドリスと一緒にいるとこ、レナード少佐に見られちゃった……」と俯いた彼女の言葉を耳に流し込みつつ、俺は抱えているリシェの言葉に答えた。



「心配すんな、俺が一方的にさらった事にすりゃいい」


「えっ!? で、でも、そしたらイドリスが……」


「いいんだよ俺は。王殺しの大罪人なんだから」



 淡々と告げ、俺はリシェを抱えたままラムナに背を向ける。「ラムナ」と低く呼びかければ、彼女は柔らかな微笑みを返した。



「どうせお前、何も答える気ないだろ。さっさと消えろよ」



 冷たく吐き捨て、俺は拠点へと戻り始める。

 ラムナは一層楽しげに笑った後、音もなくどこかへ消えていった。その姿を見送り、リシェはきゅっと俺に身を寄せる。



「あ、あの人、何なの……? 実はほんとに愛人なんじゃ……」


「んなわけあるか。ただの元同僚。幼なじみみたいなもん」


「ふ、ふーん……」



 煮え切らないような声を発するリシェを担いだまま、鬱蒼とした森の中を進む。


 彼女はしばらく俯いて黙り込んでいたが、やがて「ねえ、イドリス、降ろして……」と口を開いた。俺は眉根を寄せ、視線だけを彼女へ向ける。



「何で? 怖い?」


「怖くないけど……私、歩けるから……」


「さっき脚怪我したばっかだし、まだ一応安静にしとけよ。別に落とさねーし」


「……でも、私……いつもみたいに、イドリスと手繋いで帰りたいなって……」


「!」



 か細い声で紡がれた言葉に、つい足が歩みを止める。

 立ち止まったままリシェの顔を確認すれば、耳が赤く染まっていた。


 程なくして「い、嫌なら別に……」と続いた言葉を言い切らせる前に、俺は彼女の体を地面に降ろす。



「!」


「はい、手」



 リシェに手を差し出し、向かい合う。

 暫しぽかんと見上げられたが、やがておずおずと手のひらが重ねられた。


 それをしっかりと握り取れば、彼女は安堵したように表情を緩める。



「これで満足?」


「……うん、大満足!」


「あっそ。じゃー腹減ったし、早く帰んぞ。──リシェ」



 滅多に口にしない名前を紡げば、リシェは一瞬驚いた顔をしながらも、ややあって強く手を握ると嬉しそうに頷いた。



「うん! ……でも、先にお風呂入りなよイドリス。血まみれだよ?」


「えー、どうせゾンビ仕留める時汚れるからいいじゃん。めんどい」


「だめ! 先にお風呂に入りなさい! 捜査官命令です!」


「あー……はいはい」



 いつもと変わらない、どこか耳心地のいい小言。


 足場の悪い道を二人で並んで歩きながら、俺は薄く微笑み、隣にいる彼女の手を大事に握り締めたのだった。




〈第三章 / 軍人、襲来する …… 完〉

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