第26話 夢か亡霊か幻か

 ──二ヶ月前。


 暗殺者として裏社会を生きていた俺の元へ突然舞い込んできた依頼しごとは、国王のの任務だった。


 暗殺者を名乗っているとはいえ、別に暗殺だけが仕事ではない。金さえ積まれれば護衛ボティーガード諜報員スパイまがいの仕事だって引き受ける。それが俺達の生き方だった。


 二ヶ月前のその日は、王が極秘で街へ出掛けるという話だったために正規の護衛が雇えず、それで俺に声が掛かったのだという。貴族相手にもよくある話であり、何ら不思議には思わなかった。


 お忍びで愛人に会うためだとか、良からぬ賭博とばくを楽しむためだとか。やましい理由がある場合には、暗殺者が護衛として秘密裏に雇われる事がままある。今回もそのパターンだろうと俺は考えていた。

 王族なだけあって金払いもいいし、護衛仕事は楽。まさに一石二鳥。何の問題もない依頼だった。


 違和感があったとすれば、王がわざわざ俺をしてきたという事だろうか。

 闇社会では「最強」の名を馳せていると言えど、国王が直々に暗殺者である俺を護衛として指名するなんて些か不自然な話である。だが、その時の俺はあまり深く考えていなかった。むしろ好奇心の方が大きかったからだ。


 王家の一族は、古代に魔術を用いて国を支えた偉大な“呪術師”の血を受け継ぐという。

 彼らは陽の光を嫌い、顔を常に隠して、ほとんど人前に姿を現さない。


 まだ前世の記憶を一切取り戻していなかった俺は、国民の一人として単純に興味を持っていたのだ。呪術師の血を引く王族とはどんなものなのか。一体どんな容姿をしているのか。滅多にお目見え出来ない王が、暗殺者とどんな会話をするのか。


 ──だが、それこそが大きな罠だった。


 いざ護衛として王と対面した途端、俺は顔を隠した王に毒針を吹き付けられたのだ。否、正しくは王に扮したに。


 普段ならば容易く避けられただろう。だが、俺は慢心し油断していた。楽な護衛仕事に加え、滅多にお目にかかれない王族との対面。

 完全に気を抜いていた俺は、嗤うラムナと目が合った直後、不覚にも意識を失ってしまい──目覚めた時には、俺の手に握られたナイフが玉座に腰掛ける本物の王の胸を穿つらぬいていたのだ。


 返り血に塗れた己の上半身に刻まれていたのは、いくつもの赤黒いタトゥー。王の血を浴びた者の体に刻まれる、一生消えない罪の証なのだという。


 俺は、王を殺していない。

 だが、この身に刻まれた罪の証によって誰もが俺の犯行だと疑わなかった。


 王殺しの罪を着せられ、軍の連中に囲まれた俺は、盛られた毒のせいで抵抗する事もできず──そのまま、地下深くへと投獄される事になったのだった。




 *




「ぐ、う、ううぅ、あァ……ッ!」



 時間と共に正常な思考が奪われ、神経ごと焼け切れそうな痛みと熱を帯びた感覚が全身を駆け巡る。俺は獣のように唸り、今にも暴れ出しそうな衝動を抑えながら、広がり続けるタトゥーに侵食された体で力無く膝をついた。


 レナードは自身の銃を構え、砂利を踏み締めながら俺へと近寄る。



「醜いものだな、王殺しのイドリス。そのタトゥーは負の感情によって広がり、いずれ自我をも奪い去ると聞いているが……まさかこの短時間でそこまで蝕まれてしまうとは。愚かな男だ」


「……っ、はァッ……! う、ぐ……」



 焼け付く痛みに耐えながら視線を上げ、僅かに残っている理性を引っ張り出して正気を保った。荒らぐ呼吸を乱しながら、俺は途切れ途切れに声を紡ぐ。



「……海人……っ、お前、何も、覚えてないのか……! 俺や、璃世の事も……!」


「……何度言わせる気だ。カイトなど知らん、俺はレナードだ」


「……は……っ、覚えて、ねーんだなァ……」



 自我も思考も薄れていく中──ふと、脳裏でバチッ! と弾けるように閃光が走る。


 記憶の蓋をこじ開けて蘇ったのは、視線の先で立ち尽くす、前世の海人の姿。


 錆びたフェンスに囲まれた廃ビルの中、血の滴るカッターナイフを片手に、静かに涙を落としながら狂気的な笑みを描いていた兄の姿──。



「──レナード少佐! 連れてきました!」


「……っ!」



 しかし不意に別の声が耳に届き、俺の意識は再び現実へと引き戻される。声のした方へと振り返れば、そこに立つ兵の肩にはリシェの遺体が担がれていた。


 途端に繋ぎとめていた理性がぶつりと途切れ、俺は即座に駆け出す。しかし、直後に銃声が鳴り響いた事で俺はぴたりと足を止めた。


 銃弾は担がれているリシェの脚を貫通し、どろりと赤い血が流れ落ちる。



「勝手に動くなよ、罪人。大事な女の死体が蜂の巣になるぞ」


「……っ、てめえ……!」


「くく、滑稽だな。慈悲のない暗殺者だと聞いていたが、そんな出来損ないの女を大事にしているとは。その女とデキていたのか? 罪人に体を差し出すとは、安い売女ばいただ」



 嘲笑と共にリシェを貶し、レナードは更に発砲する。その銃弾を刃で弾き返せば、流れ弾が兵の一人に当たって呻き声と共に倒れた。


 それでも表情ひとつ変わらないレナードは、やはり海人と同じ顔で狂気的な笑みを描いている。ああ、本当にこいつは、俺の事も妹の事も覚えていないのだ。そうまざまざと思い知らされた。



「これ以上その女の死体を傷付けて欲しくはないだろう? さっさと降伏して大人しく死ね、イドリス。国が手を下すまでもなく、俺が裁きを与えてやる」



 ピキ、ピキ。残り僅かだった自我にヒビが入り始め、広がり続けるタトゥーが俺の体を乗っ取ろうとする。


 おそらく、もうダメだ。憎しみばかりが頭を支配して、何も考えられない。

 だが、こんなにもレナードを憎いと思っているのに、海人と同じ顔をした彼を殺す事に躊躇ためらいが生まれてしまう。俺の中にまだ“逢人前世の自分”が残っているせいだろうか。



(……こんな事なら、前世なんか、思い出さなきゃよかった……)



 ささやかな幸せを願い、大切だと思えた物を目の前で奪われるぐらいなら。

 それを奪った相手をこの手で殺す事に、こんなにも躊躇うぐらいなら。


 海人の事も、璃世の事も、逢人オレの事も。

 何も、思い出さなきゃよかったのに。


 そんなどうしようもない後悔を抱えたまま、僅かに残っていた自我でさえも、ついにタトゥーの中に飲み込まれていく。憎悪と怒りによって渦巻いた醜い感情に支配され、とうとう意識も手放しかけた──が、その時。


 緊迫した海岸には、「ふあぁ~……」と間の抜けた欠伸がこぼれ落ちた。



「──もおぉ、うるさいなぁ……イドリス、何騒いでるの~……?」



 直後、俺の耳には信じられない声が届く。


 むくり、視界の端で動く影。

 ワンサイドアップに言われた髪が、二度目の欠伸と共にさらりと揺れる。


 俺は目を見開き、その場に硬直した。



「……!?」


「──って、いっったぁぁーっ!? え、何!? なんかすっごい脚痛い!! もおお、何なのよぉ!?」


「……は……?」



 聞き慣れた喚き声が、今にも潰れそうだった俺の意識を再び蘇らせる。目を見開いたまま顔を上げれば、兵に担がれていたリシェが──なんと起き上がって騒いでいた。


 そう、それはもう、めっちゃ元気に。



「うわああんっ、痛いぃ!! 何よこれ、痛すぎて死んじゃうよぉぉ!!」



 わんわんと泣き喚く、いつもと変わらぬリシェの声。俺はその場で一歩も動けぬまま、ぽかんと呆気に取られて彼女を凝視するしかなかった。

 それまで侵食が進んでいたタトゥーの広がりも止まり、刃と同化していた手も元に戻っていく。


 からん──握っていたナイフが音を立てて地面に落ちた頃、ついぞ機能していない頭をフル回転させ、俺は現状を把握しようと努めた。


 いや、待て。何だこれ、おかしいぞ。



「……リ、シェ……?」



 紡ぎ出した名前は、酷く掠れてこぼれ落ちる。リシェはその声に気付く様子もなく、ぴいぴいと泣きわめいているばかりだったが──いや、ちょっと待て、待て待て待て。



(え、アイツ、さっきまで死んで……え? あれ? 死んでたよな?)



 一度切り離してしまった思考回路を再び繋ぎ合わせながら考えたが、やはり何度考えても理解が追いつかない。俺もレナードもその他の兵も、全員が同じような表情で愕然と目を見開いていた。


 そんな俺達の困惑も厭わず、リシェは当たり前のように声を張り上げる。



「……え!? っていうか、アンタ誰!? き、気安く触んないでよ、えっちー!!」



 ──ばっちーんっ!!


 見知らぬ男に担がれている事に気付いて驚いたのか、彼女は自身を担いでいた兵の頬に豪快な平手打ちを放つ。その瞬間リシェを支えていた手が離れ、ぐらりと傾いた彼女の体は地面に急降下した。


 俺はすぐさま我に返り、即座に駆け出すと男の手から離れたリシェの身柄を奪取する。彼女は悲鳴を上げて俺にしがみついた。



「きゃっ……イドリス!?」


「はあっ、一旦逃げるぞ……!」


「え!? ちょ、ちょっとどうしたのその体……!」


「いいから逃げるぞ、捕まってろ!!」



 落下する直前で素早くリシェを受け止めた俺は、そのまま地を蹴って走り続ける。背後の兵達はまだ正気に戻っていないのか、追ってくる気配はない。


 足場の悪い道を駆け抜ける俺の脳内では、様々な言葉が飛び交っていた。


 一体何が起こってる?

 なぜ、彼女が生きている?

 夢か? 亡霊か? 幻か?


 でも、確かに、人の温もりを感じる。


 俺は腕の中のリシェを強く抱き締めたまま、軍の連中に背を向けて、森の奥深くへと駆けていったのであった。




 .

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る