第25話 己が罪

 * * *




 暗い、暗い。何も見えない。

 まるで闇の中に居るようだ。


 前世の俺が死んだ時もそうだった。

 真っ暗で何も見えない。

 胸の奥では深い悲しみと後悔と憎しみが渦巻いて、夢も希望も大切な物も、全ての光を見失ってしまった。


 ああ、そうだ……俺が死んだあの日は、確か璃世の葬式の日だったんだよな。


 海人は、璃世の死が受け入れられずに葬式には現れなかった。俺と両親で、彼女に最後の別れを告げたんだ。


 式も、火葬も、全て終わらせて。

 大事な妹が世界から消滅した、その直後に──俺は、お前に出会ったんだ。


 でも、ごめんな。

 俺、ちゃんと抱き締めたのに。

 お前は約束通り、俺に会いに来てくれたのに。


 守ってあげられなかった。


 守ってやりたかった。



 お前を、幸せにしてやりたかった。




 * * *




「うっ、あ、あぁぁッ!!」



 断末魔の叫びが耳元で響き、俺の意識は現実へと引き戻される。声のした方へぎょろりと眼球を動かしたが、視界は赤く染まっていて世界の全てが血の色で塗り潰されていた。


 俺の足元には既に事切れた兵の死体が無数に転がっており、おそらく今しがた叫んだであろう目の前の若い男もほとんど抵抗できる力が残されていない。

 禍々しい魔力と憎悪の感情によって武器と腕が同化し、漆黒のやいばと化した俺の手が彼の右肩を深く穿つらぬいているからだ。


 こちらへ向けていたであろう銃を取り落とし、情けなく「たすけて」と泣き縋る男。そんな陳腐で薄っぺらな命乞いなど、俺の耳には届かない。



「死ね」



 冷徹に告げ、肩を穿うがっていた刃で顔ごと真っ二つに斬り裂いた。肉片が飛び、血飛沫が散って、また俺の視界が赤く染まる。


 広がる血溜まりの中に映る俺の姿は、島を徘徊するゾンビなんかよりも遥かに化け物じみていた。怒りと憎悪によって広がったタトゥーに全身が侵食されつつある肌は青白く、血管が浮き立つ腕は黒炭さながらの色に濁り、手先は漆黒の刃と化している。髪や顎からは穢らわしい返り血が滴り落ち、もはや人間の姿とは程遠い。


 鉄錆の味がする唾を吐き捨て、俺は真っ赤な視界の端にチラつく残り僅かな兵を睨んだ。彼らは一様に畏怖いふの表情を浮かべ、手足を小刻みに震わせている。



「ば、化け物……」


「殺される……っ」


「──何をグズグズしている貴様ら!! 敵は一人だろう、さっさと殺せこの役立たず共が!! アーウィン司令官を失望させる気か!!」



 竦み上がる彼らの最後尾では、指揮を執るレナードの怒号が響き渡った。海人と同じ顔をした彼は蒼玉そうぎょくのような目尻を吊り上げ、苛立ちをあらわに仲間の死体を蹴り飛ばす。



「分かっているのか!? これでようやくアーウィン司令官の目を覚ます事が出来るんだぞ! 凛々しく猛々しかった司令官が、あの使えないリシェのせいで軍人の誇りを捨てて腑抜けた『父』に成り下がるなどあってはならない!! あの女が死んだ今、アーウィン司令官は再び軍人として戦場に返り咲く事が出来るのだ!! その顔に泥を塗る気か、貴様らは!!」



 がなり立てる声がびりびりと大気を震わす中、俺の思考は再び黒く濁り始めた。


 アーウィン司令官──おそらく、リシェの話していた養父の名前だろう。孤児だったリシェを拾って育てたという、彼女にとって唯一の家族。


 リシェはいつも嬉しそうに、誇らしそうに、血の繋がらない父の話をしていた。

 きっと心から愛されて育ったのだろうと伝わる、幸せそうな顔をしていた。


 それを。



「……それを、そんなくだらねえ理由で……引き剥がしたってのか……? お前にとっての“妹”の幸せを奪って、殺したってのかよ……!」



 ゆらり、上体を起こし、血の滴る長い髪の隙間から忌々しいその男を睨み付ける。レナードは眉根を寄せると鼻で笑った。



「……妹だと? 笑わせるな。あの女を身内と思った事など一度たりとない。あの女も俺を兄だと思った事はないだろう。愚妹ぐまいなど要らん、ただの他人だ」



 ぶつり、ぶつり。彼の発言のひとつひとつが、正常な思考回路を次々と断ち切っていく。憎しみばかりが大きく膨らみ、全身を蝕むように広がり続ける赤黒い烙印タトゥーは、あの日俺が犯したとされる大罪と現在の醜い感情を責め立てているようだ。


 俺は即座に地を蹴り、瞬足でレナードへ迫ると漆黒の刃を振り下ろす。しかし彼が海人と同じ容姿であるばかりに、憎しみで染まる俺の殺戮衝動はなけなしの理性に抑えつけられた。


 ぴたり、彼を穿く直前で、俺の刃は動きを止める。



「……っ」


「どうした? 斬らないのか、イドリス」


「……黙れ!」



 俺は怒鳴り、弾かれたようにレナードから距離を取った。


 憎悪の念に飲み込まれていく俺をあざけるようにわらったレナードは、周りで怖気付く兵を突き飛ばしながら困惑する俺の元へと近寄って来る。



「ほう、それがを浴びて刻まれたという“罪人の烙印”か? 怨念によって広がり続け、最終的に自我を奪うという“呪い”のタトゥー……くくく、随分と醜い有様だな、滑稽で傑作だ!」


「……テメェ……海人……!」


「カイト? 誰だそれは。俺の名はレナード・デズモンド。崇高なるアーウィン司令官に救われ、厳しい鍛錬の末に彼の部下として恩を返す事が出来るこの素晴らしい地位を確立した、“神に選ばれし者”なのだ!!」



 レナードは誇らしげに宣言したが、すぐさまその表情に影がさした。「だが、アーウィン司令官は変わってしまった……」と彼は続ける。



「あの娘を拾って以来、司令官はそれまでの冷酷さも厳しさも捨てた。彼女のために生きるようになってしまった」


「……」


「しかも、あの女は愚図で役立たずにも関わらず、司令官が彼女を愛するあまりに有り得ない速度で捜査官にまで昇格させたのだ。司令官はあの女に毒されている。このままでは軍の尊厳にも関わる。軍を立て直すためには、司令官とあの娘を引き離すしかない」



 レナードは鋭い眼光で俺を射抜き、軍服の内側へと手を忍ばせる。



「だから殺したまでだ。そもそもあの娘が生きているとは微塵にも思っていなかったがな」


「……っ」


「それから一つ言っておくが、我々が今日この島に来たのは断じてあの娘を殺すためなどではない。──俺達の目的は貴様だ、イドリス」


「……あ?」



 威圧する俺に臆する様子も見せないレナードは、嘲笑を浮かべる顔を崩す事なく俺へと迫ってきた。



「誰が偽造したのか知らないが、貴様の処される予定だった刑が何者かによってようでな」


「……!?」


「手違いで“流刑”にされたようだが──正しくはそうではない。貴様は“極刑死刑”だ、イドリス」



 ばさり、軍服の内側から取り出された何らかの紙が俺の目の前に突き付けられる。読解は出来ないが、おそらく『死罪』と明記されているのだろう。


 俺に字は読めないと分かっているのか、レナードはその紙に視線を落として淡々と読み上げる。



「“大罪人、イドリス・ダスティ。この者の犯した罪は王国の存続をも脅かす、残忍で非道極まりない悪質なものである。故に、この者を死罪とす”」


「……」


「“罪状──」



 レナードは紙面から視線を上げ、その蒼い瞳に冷たく俺の顔を映した。




「──偉大なる国王陛下の惨殺”」




 全身を飲み込まんとする赤黒い王の血タトゥーは、また俺の罪を責めて蝕んでいく。




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