第24話 捜査官、死す

 * * *




『今日は何の絵描いてんの、璃世』


『んーとね! 璃世とね、アイちゃんとね、カイちゃん!』


『おー、すげー。何かこう、勢いあるー。めちゃめちゃ派手な色してるし。あと璃世、この字、多分“おひめちま”じゃなくて“おひめさま”じゃない?』


『あー、また間違えちゃったー』



 えへへ、とはにかむ愛らしい顔。

 まだ幼い頃、学校にあまり行けなかった璃世はすぐに字を間違えていた。


 ゆえに、璃世は文字を読み書きする事よりも絵を描く事の方が多い。

 お世辞にも上手とは言えない絵だったが、クレヨンを使って描かれた家族の絵はどれも貰うと嬉しかった。


 なぜか俺の絵はいつも黒髪で赤眼、海人の絵は金髪に碧眼。

 ピンクが好きだった璃世の絵は、髪が淡い桃色で塗り潰されていたのを覚えている。


 片方の髪だけ結い上げられて、目の色は紫。

 足元には、いつも猫らしき生物の絵も添えられていた。



『なー、俺の目、なんでいつも赤いの? 海人が金髪に碧眼で王子様みたいなのに、俺だけなんか悪役っぽくね?』


『えー、かっこいいでしょ? 日曜日にやってるアニメのヒーローと同じにしたんだよ! 目からビームも出るの!』


『マジか』


『璃世はねえ、ピンク色で可愛くて元気なお姫様になりたいからねえ、ピンク! でもね、猫ちゃんにもなりたいからねえ、猫も!』


『あー、そっかあー。どっちもなれるよ、璃世なら』


『えへへー』



 にこにこと微笑む璃世は、髪がピンクじゃなくても、元気ではなくても──いつだって、俺のお姫様だった。


 きっと、それは海人にとっても同じ。


 俺達が、兄として、家族として、璃世を守ってやりたかったんだ。



 ……ああ、でも、そう言えば……


 璃世の描いてた絵の『お姫様』って……



 リシェに、似てたような──。




 * * *




「──リシェ・ロドリー捜査官は死亡しました」



 その言葉が残酷に告げられた後、前世の実兄・海人と同じ顔をした男──レナード少佐は、ふんと興味なさげに鼻を鳴らした。彼は冷たくリシェの屍を見下ろし、眉根を寄せる。



「ようやく死んだか、使えんゴミめ。三週間前にてっきり死んだと思っていたが、まさか生きていたとはな。しぶとい女だ」


「少佐、死体はどうされますか」


「そのまま捨て置いておけ。夜になれば血に反応した屍人魚マーデッドが寄ってきて勝手に食らう。上への報告もナシだ、先日既に死亡したと報告書を提出しているからな」


「はっ!」



 冷淡に指示を出したレナード少佐は辟易した表情で舌打ちし、返り血の付着した銃をその場に投げ捨てる。「ゴミの汚ねえ血で汚れちまっただろうが」とリシェの死体に唾を吐いた彼は、そのまま踵を返して嘆息した。


 周りの兵も彼女をあざけるように笑い、動かないリシェの体を足蹴にして岩場の隙間へと乱雑に蹴り落とす。俺は奥歯を軋ませ、無意識に握り込んだ拳の爪を手のひらに食い込ませた。



「アーウィン司令官もお気の毒にな。権力を使ってこんな使えん娘を捜査官に昇格させたばっかりに、可愛い愛娘がゴミのように死ぬ事になったんだ」


「ええ、全くです。アーウィン司令官は娘に甘すぎる。リシェ捜査官の異例の昇進には、同期の訓練生も皆驚いていましたよ。明らかに実力が伴っていないと」


「……しかもこの俺に、血の繋がりもないこんな出来損ないを“妹だと思って仲良くしろ”だのと……反吐が出る。愚鈍な妹など俺には必要ない」



 うんざりしたように放たれたレナード少佐の言葉。

 海人と同じツラをしていながら『妹など必要ない』とのたまう彼に、ついに俺の中では何かが音を立てて切れる。


 やがて「総員に告ぐ!」とレナード少佐が声を張り上げると、兵はその場で姿勢を正し、彼の指示に耳を傾けた。



「この島には凶悪な大罪人、イドリス・ダスティが潜伏している可能性が高い! 彼奴を探し出して即刻殺せ! イドリスの首を刎ねた者には、無条件に昇進の権利が与えられる!」


「はっ!」


「ただし、捜索のタイムリミットは午後六時までだ! それ以降は化け物共が目を覚ます! それまでにイドリスを探し出──」



 ──ドシャッ。



「……!?」



 鋭利な刃が風を切り、遮られる声と、穏やかな波のつづみ


 彼の言葉を最後まで待たずに岩陰から飛び出した俺は、音もなく兵の間を駆け抜けてその首を一閃した。海岸に整列していた兵達はドミノでも倒すかのように次々と膝を折って連なり、地面に力無く横たわる。

 レナード少佐は目を見張り、言いさしていた言葉の続きを飲み込んでしまったようだった。


 直後、俊足で地を蹴った俺は別の集団の背後に回り込む。彼らの首もまた一瞬で切り付け、声を上げる事すらも許さぬまま命を奪った。



「な、何だ!? 何が起きてる!?」


「おい、あれ……!」



 ざわめく兵の声も耳に届かぬまま、俺は返り血に塗れた体でふらりと砂利を踏み締める。岩場の陰を見下ろした俺の暗い瞳が映したのは、事切れて動かないリシェの屍。



「……リシェ……」



 小さく紡いだ声は、誰の耳にも届かない。あんなにうるさいと思っていた彼女の喚き声も、もう二度とこの耳で拾う事はない。


 力なく投げ出されたリシェの腕には、『きみが幸せになるように』と密やかな願いを込めて結んでいたミサンガが、まだ繋がっている。


 ……でも、何が幸せだよ。



『イドリス、ちゃんとご飯食べてね!』


『風邪ひかないようにね』


『怪我もしちゃだめだよ』



 馬鹿なのかよ。罪人の心配なんかすんなよ。



『……死んじゃ、だめだよ』



 ──アンタが死んで、どうすんだよ。


 行き場のない怒りと憎悪が渦巻き、ひび割れた心の隙間から入り込んだ感情が醜くうごめいて思考を黒く塗り潰していく。見下ろしたリシェの左胸は撃ち抜かれ、呼吸も止まり、生きている可能性など微塵にも存在していない。


 立ち尽くす俺の背後からは、わずらわしい虫共のざわめきが耳にまとわりついた。



「イドリス……っ、イドリス・ダスティだ!!」


「襲われた兵に生存者はなし! 全員死んでいます!」



 うるさい。



「少佐! 兵の一部が殺害されました!」


「総員、奴の首を取れ!!」



 黙れ。


 やかましく騒ぐ声に憎しみが募り、膨れ上がる憎悪が魔力となって体内を巡る。濁りきった感情のままに魔力を付与されたナイフは禍々しく変形して俺の手と同化し始めた。


 上半身に刻まれたタトゥーは熱を帯びて範囲を広げ、瞳孔の開き切った己の真っ赤な双眸が、こちらに銃口を向ける軍の連中をまっすぐと射抜く。



「……お前ら、全員殺してやる……」



 形を変貌させた漆黒の刃を携え、底冷えするほど低く放たれた憎しみに溢れる一言が、その場の兵士たちを凍り付かせた。




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