第23話 さよならポンコツ捜査官
翌朝、目が覚めるとリシェは俺に引っ付いて眠っていた。大方、いつものように寝ぼけて俺に抱きついてきたのだろう。
普段ならそのまま受け入れて腕枕でもしてやる俺だが、今日は黙ってテントを出る。そういや、最近アイツのおっぱい揉む事もめっきりなくなったな、とぼんやり考えて朝日を見つめた。
(あんま眠れなかったし……らしくねえ〜)
ぐしゃぐしゃと自身の後頭部を乱雑に掻き混ぜ、深い溜息をひとつこぼす。同時に、普段とは違う匂いが風に乗って運ばれてきた。
いつもは静寂に満ちている孤島。しかし今日の風の音の中には僅かな喧騒も混じっていて、俺は静かに目を細める。
「……来たか」
呟いた直後、不意にテントの出入口が開いた。そこからのそりと現れたリシェは寝惚けた顔で目を擦っていたが、俺の顔を見た途端にその表情が強張る。
何か言いたげに目を泳がせる彼女。しかしそれも無視して、俺は切り株の上にどかりと腰を下ろした。
「行けよ、捜査官。迎えが来たぞ」
「……え……」
「普段と違う匂いがする。おそらくだが、アンタの仲間の船が島に上陸したんだろ。良かったな、これでもうこの島とも大嫌いな罪人ともオサラバだぜ」
──さよーなら、ポンコツ捜査官。
俺は目を合わせず、皮肉を混じえて突き放す。
リシェは現在の状況をようやく認識したらしく、やがて表情を歪め──悲しいのか、悔しいのか──はっきりとは断言しづらい顔で俯いた後、その顔を曇らせたままゆっくりとこちらに近寄って来た。
俺は表情ひとつ変えず、彼女を見上げる。
「何? 最後に罪人の顔でも殴っとく?」
「……イドリスは……」
「ん?」
「イドリスは、罪人だったのかな……」
ぽつり、問われ、俺は眉を顰めた。
……何言ってんだよ、今更。
「罪人だろ、どう考えても。仲間から濡れ衣着せられて捕まったとはいえ、これまで仕事で何人も人を殺したんだぞ? 裁かれて当然、処刑されてないのが不思議なレベル」
「……でも……」
「余計な情はかけんなって言ってんだろ。アンタはさっさとこの島から出て行きゃいい」
渋るリシェを冷たく突き放す。彼女はまた泣き出しそうな顔をしたが、それも見ないように目を逸らした。
自身の肌に残る赤黒いタトゥーを見つめ、俺は続ける。
「アンタが俺をどう買い被ってんのか知らねーが、俺はあの国にとっちゃ最悪の大悪党だ。俺が何した事になってんのか、アンタも知ってんだろ」
「……でも、それは濡れ衣だって……」
「ああそうだよ、濡れ衣だ。でも真実はどうあれ、世間は俺を許さない。どうせこの島から出られない。あの国にゃ俺を受け入れてくれる場所なんてない」
早口で捲し立て、リシェの肩をとんと押し返した。一瞬交わった視線の先には涙の粒が溜まっていて、やはり俺は目を逸らしてしまう。
「一人が寂しいなら途中まで見送ってやるから、行くぞ捜査官」
「……」
「この島での出来事は全部忘れろよ。……俺の事も含めて」
立ち上がり、背を向けて歩き出す。
元々、リシェが仲間と無事に合流するまではきちんと見届けてやるつもりだった。
その後の俺は、一人で気ままにのんびりと、この島で過ごしていくのだろう。
(本来は一人で生きる予定だったんだ。余計な荷物が減ってくれると思えば、むしろ万々歳だろ)
じゃり、じゃり、じゃり。
耳に届くのは、小石や砂を踏み締めて歩く二人分の足音。その足取りは重く、会話もない。
拠点から海岸までの道のりは、普通に歩けばだいたい十五分程度のものだ。ビビって腰元に縋り付くやかましい彼女を引きずって、これまで何度も往復した道。出会った日も、ゾン魚を釣った日も、昨日の夜も。
無駄に時間をかけてその道を歩きながら、俺は奥歯を軋ませた。
……あー、なんだろうな。ムカつくよな。
何いっちょまえに、離れがたいとか、考えちまってんだろうな。
(らしくねーよ、ほんと……)
様々な思いを巡らせ、前を歩く俺が密やかに広がる苦味を噛んだ頃。ふと、俺の腰巻をリシェの手がくいっと引っ張った。
「……ここまででいいよ、イドリス」
「……!」
「これ以上二人で先に進んだら、誰かに見つかっちゃうかもしれないもの」
リシェは小さく告げ、腰巻から手を離して俺の横を通り過ぎる。けれど途中で足を止めた彼女は、くるりと振り返って再び俺に近寄って来た。
続いて俺の手を取り、リシェはまっすぐと俺を見上げて強引に笑う。
「イドリス、ちゃんとご飯食べてね!」
「……は?」
「風邪ひかないようにね。怪我もしちゃだめだよ」
「……」
「……死んじゃ、だめだよ」
最後は尻すぼみになりながら、潤んだ瞳でそれだけを告げた彼女は一層強く手を握った。「ばいばい……」と弱々しく紡がれた涙声を最後に、彼女の手の温もりが離れる。
身を
足音は遠ざかり、華奢な背中が離れていく。
「……」
黙り込み、俺は行き場をなくした手を握り込んで俯いた。
──そうだ。これでいい。
足元を見つめたまま、自分自身に言い聞かせる。
アイツは軍の連中に引き取られ、これから本土に戻る。大好きなお父様と感動の再会を果たして、うまいモンたらふく食って、ゾンビに怯える事なくふかふかの布団で寝て──まあ、ポンコツだから昇進はちょっと難しいだろうけど──どっかのお偉いお坊っちゃんと、結婚ぐらいは出来るんじゃねえの。
そう考えると、どうにも胸の奥がざわついた。
『イドリス、ちゃんとご飯食べてね!』
『風邪ひかないようにね』
『怪我もしちゃだめだよ』
『……死んじゃ、だめだよ』
脳裏に蘇る下手くそな笑顔が、まとわりついて消えてくれない。それが罪人に語りかける最後の言葉かよ、と皮肉が漏れそうになりながらも、俺は唇を噛んで踵を返した。
その時ふと、足元で揺れる白い花が視界に入る。それは先日、リシェが嬉しそうに見せびらかしていた八枚の花弁が広がる『しあわせ』の花。
「……
足元に咲く花を見下ろし、目を細めた直後──不意に、くすくすと笑う女の声が耳に届いた事で俺はじろりと視線を上げる。
「あらあら、やだぁ~、泣けちゃうわぁ。可愛い捜査官ちゃんとお別れ、悲しいわねえ~」
「……ラムナ」
見上げた木の枝に腰掛けて声を紡いだのは、わざとらしく涙を拭う素振りをするラムナだった。警戒を強めながら彼女を睨むが、くすくすと笑うばかりで怯む様子もない。
俺は嘆息し、指先で頬を掻く。
「何しに来た。アイツを殺しに来たか?」
「うふふ、やだぁ、警戒しないで~。もうあの子には何もしないわよぉ」
「だろうなァ」
淡々と返せば、ラムナは「あら」と意外そうに目を丸めた。次いでぶらりと木の枝にぶら下がり、楽しげに口角を上げる。
「随分余裕ねえ、イドリス~」
「……お前、『リシェを殺す事』が目的なわけじゃないだろ」
「ふふ、どうして言いきれるのよぉ」
「よく考えたら、どうも
静かに睨み、彼女に告げる。笑うラムナと視線を交えたまま、俺は更に続けた。
「俺達の仕事は“暗殺”だ。相手に死を悟らせる事すらさせず、努めて隠密に殺しを遂行するのが鉄則」
「……」
「けど、お前のやり方は違和感だらけだ。暗殺が目的にしては全てが派手で、
ラムナは頬笑みを浮かべたまま、黙って俺の話に耳を傾ける。その瞳をじろりと鋭く睨むが、彼女の表情が崩れる様子は無い。
「お前の目的は、“リシェを暗殺する事”じゃない」
「……」
「“リシェが死ぬところを、
低い声で続ければ、ラムナは楽しそうに「さすがイドリス、名推理~」と表情を綻ばせた。俺は険しい表情のまま更に問う。
「……何のためにそんな事した?
「ふふ~、本当はあなたの経過観察だけが依頼の内容だったんだけどね~。退屈しのぎに嫌がらせしたくなっただけよぉ」
「……リシェがこの島に取り残されたのも、お前のせいか? ラムナ」
睨む眼光を強め、一層低く尋ねた。
ラムナは頬を緩め、妖艶に舌なめずりをしながら答える。
「……さあ? どうかしら」
「お前──」
──パァンッ!!
「……っ!?」
直後、俺の言葉を遮るように放たれた音。島に響き渡ったその乾いた音によって、俺の目は見開かれた。
(銃声……!?)
思わず振り向いた俺に、「いい事教えてあげるわぁ、イドリス」とラムナが口火を切る。彼女は目を細め、くるりと軽快な身のこなしで再び木の枝に腰掛けると長い脚を組んだ。
「私にあなたの経過観察を依頼したのは、
「……!?」
「──可愛い捜査官を殺す許可をくれたのもね」
にんまり、狂気的な笑みを描く口元。ラムナの発言に目を見張った俺は即座に地面を蹴り、リシェの向かった海岸へと走る。
嫌な予感が胸に満ち、脳裏には警笛が鳴り響いていた。どういう事だ、と眉根を寄せる。
軍人が
しかもリシェを殺す許可を出した?
……待て。だとしたら今、アイツが軍の連中と接触しちまうのはまずい。
「くそ……っ!!」
最悪の想定が脳裏をよぎる中、俺はざわめきの広がる海岸へとすぐさま駆け込んだ。岩場に身を潜め、気配を殺し、軍の連中が群がっているその場所を覗く。
視界に入ったのは、武装した軍人共の姿。停泊している小型艇はおそらく彼らが乗ってきたものだろう。
(リシェはどこだ……!)
物々しい雰囲気の漂う海岸に目を凝らしていると、不意に武装した兵の一人が上官らしき男の元へと駆け寄った。
「レナード少佐! 確認が終わりました!」
敬礼と共に紡がれた名前。
レナード少佐──その名前には聞き覚えがある。
(アイツ、リシェの言ってた上官か……?)
先日、リシェが「苦手」だと言っていた上官の名前が、確かレナード少佐という名前だった。武装しているせいで顔の見えないその上官を黙って睨んでいると、程なくして彼は顔を隠していた装備を外し始める。
「……そうか。報告しろ」
低い声と共に、
その瞬間、心臓がどくりと重く脈打つ感覚に俺は息を呑んだ。
(……は……?)
風に揺れる短い金髪。
青い瞳。
聞き覚えのない声色。
髪色や声は以前と違えど、俺は確かに、その顔を知っていた。
『──帰るぞ、逢人』
それは、前世の俺を毎日のように病室まで迎えに来ていた男の顔。妹の璃世の病を誰よりも恨み、彼女の事を誰よりも愛していた、俺とよく似た実の兄──。
「……海人……!?」
思わずその名を呟いた、刹那。
ふと、俺の視線は彼の足元で横たわる見慣れたブーツと細い脚を捉える。
次いで視界に入ったのは、砂浜に広がる真っ赤な血溜まり。人の姿が徐々に減っていく中で、倒れているその人物の全貌も少しずつ明らかになって行った。
薄桃色の、ワンサイドアップに結われた長い髪。
生気をなくして見開かれた、紫と黒のオッドアイ。
赤く広がる血の海の中──横たわっていたのは、紛れもなく──左胸を撃ち抜かれた、リシェの姿で。
「……え……」
その光景を見た瞬間、俺の思考は真っ白に染まった。
硬直する俺を差し置いて、倒れたリシェの状態を確認していた軍の男は淡々と声を紡ぐ。
「──銃弾は心臓を貫通。脈も呼吸もありません」
「そうか。間違いないな」
「はい、レナード少佐。間違いありません」
冷たく響く声が、ただただ残酷に、俺の耳の奥へと届いていた。
「──リシェ・ロドリー捜査官は、死亡しました」
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