第22話 きみが幸せになりますように

 ぐつぐつと煮立てたスープの鍋の中では、具材と共にゾンビが踊る。


 フライパンはオリヴァルで満たして火にかけており、俺は叩いて塩を振ったゾンビ肉を卵液代わりの樹液にくぐらせ、細かく刻んだ香草をまぶしたのちにその油の中へとそいつを投入した。


 じゅわじゅわ、気泡が弾けて油が跳ねる。そんな良い香りが漂う中、気を失ったままだったリシェは目を覚ました。



「……んん……いい匂いする……お父さん~、ご飯……」



 起き上がり、目をこするリシェ。完全に寝惚けている彼女に「誰がお父さんだ」と声をかければ、彼女はきょとんと目を丸くした。



「……はれ? イドリス……」


「おはよ、捜査官。よく寝た?」


「……」



 状況がまだ分かっていないのか、リシェはぽかんとしたまま黙り込む。しかし俺の手元で揚げられているゾンビの肉を見た途端、彼女は目を見開いて立ち上がった。



「ほ、ほあああっ!? ちょ、ちょっとぉ!? アンタ何料理してんのォ!?」


「ゾンカツ揚げてます」


「いやそうじゃなくて──ゾンカツって何!?」



 起き抜け早々に騒ぎ始めたリシェは、どうやら怪我もなく元気そうである。「そんなん見りゃ分かんだろ、ゾンビのカツだよ」と俺は素っ気なく答え、キツネ色に揚がったゾンカツを取り出してまな板の上に寝かせた。


 その様子を眺めていたリシェは、やはり不服げに頬を膨らませる。



「もおお! 私が料理するって言ったのに! どうして起こしてくれなかったの!」


「ゾンビにビビった誰かさんが、立ったまま器用に気絶しちまったもんでさァ」


「き、気絶とかじゃないもん! ちょっと目を瞑ったら寝ちゃっただけで……っ、……あれ?」



 早口で言い訳を口にしていた彼女だったが、不意に言葉を切って眉をひそめた。次いで、「イドリス、利き手ってそっちだったっけ……?」と俺に問い掛ける。


 ……あーあ、なんでこういうとこだけ無駄に鋭いかな。



「……? イドリス……なんか、また怪我増えてない? もしかして、何かあった……?」


「そんなん気にしなくていーから、早くメシにしようぜ。色々作ったし。腹減った」


「で、でも、怪我してるなら先にちゃんと治療した方が──」


「気にすんなって言ってんだろ。アンタには関係ない」



 ぴしゃり、低い声で釘を刺す。

 途端に彼女は肩を震わせ、張り詰めた空気の中で「い、イドリス……?」と怯えるように俺を見つめた。


 ……ああ、アンタにそういう顔されると、案外堪えるな。


 でも、ダメだ。


 アンタは、俺の肩を持っちゃいけない。



「前にも言ったろ? 軍人が罪人に情けなんかかけんなって。そもそも『罪人なんか嫌いだ』って言ってたのはアンタだろうが。放っとけよ俺の事なんて」


「……で、でも……」


「だいたいさァ、治療なんてロクに出来た事ねーのに何言ってんの? 何も出来ねーポンコツのくせに、逐一しゃしゃり出てくんじゃねーよ。いい加減うんざりするんだわ、アンタのおりすんのも」


「……え……」


「ああ、そういや……軍の連中、今この島に向かってるらしいぜ? って事は、明日にでもアンタの迎えが来るってわけだ。良かったなァ、捜査官。アンタと俺は、今夜でお別れ」



 清々するね、と付け加えながら、俺は揚げたてのカツに刃を通す。

 サクッ、と音を立てて切り分けられたそれを皿替わりの葉の上に乗せ、テーブルに見立てた切り株の上へと並べた頃、一瞥したリシェは力なく俯いてしまっていた。


 俺は彼女と一度たりとも視線を合わせず、出来たてホヤホヤのゾンカツに塩をつけるとそのまま口へ運ぶ。


 パン粉の代わりに刻んだ香草をまぶして揚げたゾンカツは、それなりにトンカツっぽい仕上がりで、きっと満足出来る味だったんだと思う。


 だが、なぜだか俺には、随分と味気のないものに感じてしまって。



「……ほんと、これでやっとお荷物捜査官とオサラバだと思うと、開放感しかねーわ。今までごくろーさんでした。さよなら」


「……」


「本土に帰ったら、大好きなお父様と一緒に高級ディナーでも食べて、広い風呂に浸かって、金髪碧眼の王子様みたいな彼氏作って、結婚して……この島での事なんか、全部忘れちまえよ」



 突き放すように口にした言葉が、舌の上で苦く広がる。俺は目を合わせないまま更に肉を噛み砕き、喉の奥へと飲み込んだ。


 今日の肉の味は、豚だろうか。牛だろうか。

 そんな事も、なんかもうどうでもいい。


 そう考えた頃、ずっと黙っていたリシェが不意に立ち上がった。

 ゆっくりと俺に近付き、程なくして隣へとやって来た彼女は、拳を強く握り込み──それを俺に振り降ろす。



 ──ぽこん。



 弱々しい力で、肩を殴られて。

 ぽたり、落ちてきた雫。


 ようやく顔を上げた俺の視界が捉えたその瞳からは、今まで幾度となく見た彼女の涙の粒が、ぽろぽろとこぼれ落ちていて。



「…………ばか」



 消え去りそうな声がそれだけを告げ、リシェはその身をひるがえす。


 何も食べずにテントの中へと消えてしまった華奢な背中を目で追いかけた俺は、やがて彼女が手を付けなかった料理の品々を見下ろし、ぐしゃりと前髪を握り込んだ。


 アイツの泣いてる顔なんて、今まで、何度も見てきたはずなのに。



「……今のが、一番効いたわ……」



 嘲笑混じりに呟いた言葉の味ですらも、苦いのか、しょっぱいのか、よく分からなかった。




 *




 火の始末を済ませ、俺がテントに入った頃には、夜もだいぶ深くなっていて。


 狭いテント内の端では、頬に涙の跡を残したリシェが、膝を曲げて丸くなりながらすやすやと眠っていた。



(……気絶した後あんだけ寝てた癖に、まだ寝れんのかよ。すげえなァ)



 は、と短く笑い、彼女の横に腰を下ろす。そのまま、俺は穏やかな寝息を繰り返すリシェの柔い髪を優しく撫でた。


 普段であれば、『手を繋いでくれないと眠れない!!』と騒いで俺が手を握るまでは決して眠らない彼女。だが、今日は俺の手を握っていなくても眠れたようだ。


 俺の手の代わりに、リシェが大事そうに握り締めていたもの──それは、先日俺が編んで手首に結び付けておいた、赤い毛糸のミサンガで。


 切ないような、歯がゆいような。

 何とも言えない感情が胸に満ちる。



「……リシェ」



 あまり直接口にする事はなかった彼女の名前を耳元で囁き、その手が握る赤いミサンガに小指を絡めた。


 いつかこの糸が切れた時、俺の分の願いも、一緒に叶えてもらえるように。



「……アンタは、ちゃんと幸せになれよ」




 けれど、そんな儚い願いなど無意味なものでしかなかったのだと──次の日、俺は思い知る事になる。




 .

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