第21話 腕、落ちてるわよ

「と、いうわけで! ゾンビを仕留めるわ!」



 日が沈んでしばらくした頃、ナイフ片手に外へ飛び出したリシェは堂々と宣言した。しかし俺は周囲を警戒し、危機感の欠片もない彼女に呆れながら警告する。



「……やる気満々なのはいいけどさァ、捜査官。アンタ、一応周りに気をつけろよ? もしかしたら誰かがアンタを狙ってるかもしれな──」


「さあ! どこからでもかかってきなさい、このゾンビめ!」


「いや聞いてねえ~。おい聞けや、人が忠告してやってんのに。このポンコツ」


「ポンコツじゃない!!」


「そこは聞いてんだよなァ~」



 ふう、と息を吐きつつ、無駄に張り切っている捜査官の背中を見つめた。

 口では強気な言葉を吐いているリシェだが、その一方で足は面白いぐらいに震えている。お前は産まれたての小鹿か。



「怖いなら下がってろって。俺がやってやるから」


「だめ! イドリスは安静にしてて! 怪我が悪化したらどうするの!」


「いや大した怪我じゃねーし……」


「だめだってば! 私に任せなさい!」


「アンタに任せる方が不安なんですけど……」



 がくがくと震えるリシェに心底呆れたが、頑なに彼女は首を縦に振らない。まったく頑固なもんだ、と俺が肩を竦めた頃、不意に森の中からは「ウー……ァー……」と早速低い呻き声が届いた。


 途端にリシェは飛び上がり、ぴたりと俺に引っ付く。



「ひっ……!」


「ほらほら捜査官殿、食材様のお出ましだぞ。やるならさっさと仕留めてこいよ」


「も、ももももちろんよ……! わわわ私の華麗なナイフさばきで息の根止めてみせせせるるるる……!」


「やばい壊れたラジオみたいになった」



 ゾンビより顔を真っ青にしたリシェは両手でナイフを握り込み、かちこちとぎこちない動きでゾンビの声がする方へと歩き出す。


 しかしいざゾンビが目の前へとその姿を現した途端、彼女の動きはぴたりと止まる。



「……」


「おい、捜査官、ゾンビそこまで来てんぞ」


「……」


「……? 捜査官?」


「……」


「え? もしかして立ったまま気絶してない?」



 俺は訝り、彼女の顔を覗き込んだ。するとやはり、リシェは白目を剥いて意識を手放している。


 いやマジか、器用すぎるだろ。



「は~、すげえな捜査官。完全に気ィ失ってら。だから無理すんなっつったのに」


「ウウァ……ァー……」


「うっせーな、お前は黙ってろ」



 両手を突き出して襲いかかろうとするゾンビの頭を容易くね、どしゃりと倒れたそいつを蹴りつけて斜面に転がす。そのまま血抜きの作業に入った俺は、輝く月の下で大きく欠伸をこぼした。



「ったく、結局こうなるんだよなァ。まあでも、頑張ったと思うぜ捜査官。えらいえらい」



 ふ、と微笑み、未だに立ったまま気を失っているリシェを一瞥する。


 しかしその瞬間──ピン、と何かの線を抜く音が耳に届いた事で──俺は即座に目を見開いた。


 顔を上げた先で視界に入ったのは、月光を浴びて煌めく黒い手榴弾。それが、真っ直ぐとリシェに向かって投げ落とされる様で──。



「っ……! リシェ!!」



 思わず彼女の名を叫び、無防備な体を抱き込んで地面を蹴る。一瞬で岩陰へと隠れた俺は、リシェに覆いかぶさってその耳を塞ぎ、爆風に備えて身を屈めた。


 しかし爆音と共にその場を包み込んだのは、熱風ではなく大量の煙。くゆる匂いは良く知るもので、俺は苛立ちをあらわに舌を打つ。



「チッ、催涙性の煙幕か……!」



 つんと目に染みる白煙はくえんが立ち込め、瞬く間に視界を奪われた俺はすぐにリシェの鼻と口元を手で覆った。直後、どこからともなく投擲された無数のナイフが俺達の元へと迫る。


 機敏に反応した俺は自身のナイフでそれを弾き返し、リシェを抱いたままその場を離れた。だが刃の雨は休まる事なく煙を裂いて襲いかかる。

 それらを全て避け、時折弾き返しながら走る俺だったが、煙に含まれる催涙効果で両目が染みて視界は狭まっていくばかり。



「ゲホッ、ゲホッ……! くそ、ラムナ……! アイツマジで殺す……!」



 咳の混じる恨み言をこぼしつつ、俺は何とか煙の外へと飛び出した。催涙ガスによって誘発された涙を手の甲で拭い、再び投擲されたナイフの進路を睨みながら、見えない敵の居場所を突き止めて自身のナイフを投げ返す。


 すると、煙の奥でどさりと何かが地面に落ちる音がした。



(……ったか?)



 眉根を寄せ、薄れていく煙の奥を睨む。


 程なくして晴れ始めた視界の中に映り込んだのは、巨木の下に倒れる一人の女の姿。

 肩まで伸びたサイドの髪を三つ編みに結った彼女は、俺が予測した人物と相違ない。俺はリシェをその場に降ろし、倒れているそいつの元へと歩み寄った。


 彼女の腹には俺の投げたナイフが突き刺さり、端正な顔をこちらに向けたまま目を閉じているが──こんな簡単に死ぬわけねえよなァ、この女が。



「生きてんだろ、ラムナ」



 冷淡に告げる。すると閉じ切っていた瞼が開き、翠玉のような眼球がギョロりと動いた。同時に彼女──ラムナは腹に刺さったナイフを引き抜き、俺へと斬りかかる。



(腹に板でも仕込んでやがったか)



 全く出血していない腹部を一瞥しつつ、俺は彼女の攻撃を避けて蹴り飛ばした。しかしラムナはすぐに空中で回転しながら体勢を整え、巨木を蹴ると瞬く間に距離を詰めて俺の首を刎ねようと迫る。


 近距離で繰り出される怒涛の攻撃を避けた俺は僅かな隙を見て後方転回バク転し、爪先でナイフの柄を蹴り上げて彼女の武器を奪った。だが彼女は焦る様子もなく手に魔力を込めて次なる武器を生成すると、素早い動きで俺に斬り込んでくる。


 俺の目を潰そうと横に一閃した彼女の刃は難なく避けてくうを切るが、その直後に今度はもも穿うがとうと鈍色にびいろの切っ先が振り下ろされた。俺はそれを指の間に挟み込んでひるがえし、至近距離にあるラムナの瞳を睨みながら遠くへと投棄する。


 カラン──音を立て、ナイフは地面に落ちた。



「腕落ちたわねぇ、イドリス」



 やがて、楽しげに告げられた言葉。俺は彼女から一時たりとも目を逸らさぬまま、「そりゃどーも」と低い声で応えた。


 ラムナは嘲るように笑い、俺の首につうと指を滑らせる。



「ふふ、相変わらず良いカラダしてる……この喉仏とか、肌ごと噛み砕いて食いちぎってあげたくなっちゃう。してあげましょうか? 可愛いイドリス」


「そっちは相変わらず変態こじらせてるみてーだなァ、安心したわ。テメーが死ね」


「やだあ、怖ぁい。死体になるのはイドリスの方が似合うと思うんだけどなぁ……あ、でも、こんな腑抜けに成り下がったあなたを殺しても、あんまり面白くないかも~?」



 ニタ、と上がる口角。ラムナは妖艶に舌舐めずりをし、俺の下唇を指先でなぞった。



「ず~っと観察させてもらったけど、私が後をつけてた事にも気付いていなかったでしょう? あなた。“最強”と謳われた冷酷で無慈悲な暗殺者アサシン様はどこに行っちゃったのぉ? 哀しくなるわぁ~。そんなに王都軍の拷問は辛かった? ふふっ」


「黙れよクソ女。誰のせいで牢獄ブタバコん中でドブみてーなメシ食わされながら拷問受けたと思ってんだ、あ? テメーの歯にもでけー穴開けてやろうか」


「うふふふっ! 虫歯でもないのに拷問具で奥歯に穴開けられるんですってねぇ、歯を折られるよりも痛いんでしょ? こわーい! そのせいで腕がなまったのね? 可哀想~」


「テメェ……」


「あ! それともそれとも~」



 ラムナはぱっと明るく声のトーンを上げ、俺の背後に視線を移す。その目が捉えたものを察し、俺は一層眉根を寄せた。



「──のせいかしらぁ」



 ──ガキィンッ!!


 その言葉が紡がれた瞬間、俺はラムナの首目掛けて魔力で生成したナイフを振り上げる。が、その刃はラムナの武器に阻まれた。

 ぎりぎりと刃同士の交わる金属質な音が互いの鼓膜を震わせる中で、瞳孔が開き切った俺にラムナは楽しげな声を発する。



「あらあらぁ~、やだ~! すっごい怒ってるじゃなーい、珍し~! いつの間に他人と仲良くなる事覚えたのよぉ、イドリス。そんなにあの子が大事? あの子は軍人で、あなたは人殺しのくせにぃ? 笑っちゃ~う!」


「……ラムナ、お前何考えてる。何でアイツを殺そうとしてんだ。俺を殺しに来たわけじゃねーのか」


「あなたを殺したいのは山々なんだけどねえ~、それより優先する事があるのよぉ、私~」


依頼しごとか? アイツを殺せって? ……そんなもん、誰から請けた」


「うふふ、それは秘密ぅ~。でも、あなたにな男だったわよぉ~? 親戚かしらぁ」


「はァ……? 俺にそっくり……?」


「ええ、目元なんて特にそーっくり! っていうか、イドリスぅ~、あなた、やっぱり──」



 ──腕、落ちてるわよ。



 夜空の三日月さながらに弧を描く口元。俺はハッと我に返り、弾かれたように背後へと視線を向けた。


 刹那、ラムナは指で何らかの仕掛けを作動し、どこからともなく発射された矢がリシェの元へと飛んでいく。



「チィッ……!」



 俺は即座にラムナを突き飛ばし、身をひるがえして足に魔力を込めると風を切るやじりに飛び込んだ。リシェへと差し迫るそれが彼女の体を貫く前に、俺は自身の腕を最大限に伸ばす。



 ──ドッ!



「っ、ぐ……!」



 直後にその矢が射抜いたのは、俺の右腕。間一髪でリシェの身を守った俺は、「あらあらぁ、お見事~! 脚が速いわね~」と拍手するラムナを睨み付けた。



「テメェ、ラムナ……っ!」


「うふふ……ねえイドリス、軍のかわい子ちゃんと仲良しこよしするのもいいけど、あなたそろそろ気を付けた方がいいわぁ。王都軍の船がこの島に向かってるみたいだもの~」


「……!」


「そのかわい子ちゃんを迎えに来たんじゃなぁい? 明日には上陸するかもねえ~? ふふ、良かったわねぇ! その子、無事に本土まで帰れるわよ~! あなたと一緒にいるのがバレたら処刑されちゃうけどね~、あはははっ!」



 けたけたと高笑いする彼女の言葉に歯噛みし、自身の腕に深く突き刺さった矢を強引に引き抜く。そのまま左手でラムナ目掛けて矢を投擲すれば、彼女はその場から飛び退いて容易くそれを避けた。



「ばぁいばーい、愛しのイドリス~。仲良し捜査官ちゃんが海の藻屑にされない事を祈ってるわ~」



 そんな言葉を残し、やがて忽然と姿を消してしまったラムナ。


 俺は腕から溢れ出す血を手で押さえ、力の入らない右拳を握り込んで苛立ちを抑えながら、意識のないリシェの安否を確認する。


 どうやら、どこにも怪我はしていない。

 それを確認してひとまず胸を撫で下ろしたその時、俺の脳裏にはラムナの言葉が蘇った。



 ──良かったわねぇ! その子、無事に本土まで帰れるわよ~!


 ──あなたと一緒にいるのがバレたら処刑されちゃうけどね~。



「……分かってんだよ、そんな事……」



 力なく呟いた直後、触れたリシェの頬に流れ落ちた俺の血が、白い肌の上を伝って滑り落ちて行った。




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