第20話 暗殺者失格

「イドリス、ごめんね……痛かったら言ってね……! 大丈夫だよ、すぐ治療してあげるからね……!」


「……捜査官」


「うう、痛い……? 痛いよね……ほんとにごめんなさい……」


「ちょ……捜査官? ストップストップ」


「何!? どうしたの!? まさか具合が悪い!? 血液不足かも!? 輸血しなくちゃ!!」


「ちっっげえよ、アホ! 落ち着け!! テンパって包帯巻きすぎてんだよアンタ! サイボーグみたいになってんぞ俺の腕!」



 思わず大声を発し、テンパったリシェがぐるぐると俺の腕に巻きまくった包帯を指さす。

 もはや巨大なトイレットペーパーのようになってしまったその惨状にようやく気が付いたのか、リシェは「あれっ!?」と目を丸めた。



「ご、ごめん……! つい焦っちゃって……」


「いや焦りすぎだろ、どうやったらこうなんの? つーか大丈夫だっつってんじゃん、心配しすぎ」


「でもあんなに血が出たらビックリするよぉぉ!!」


「あー、はいはい。怖かったな、よしよし」



 ぽんぽんと頭を撫でてやれば、リシェは不安そうな顔で俺の胸に擦り寄ってくる。あの程度の怪我でここまで大騒ぎするとは、今までさぞ恵まれた環境で育てられたのだろう。ほんと幸せなヤツだわァ~。


 彼女は誰かに命を狙われているかもしれないという今の状況に臆しているのか──もしくは俺の身を案じているのか──ずっと表情を曇らせたまま、俺に引っ付いて離れようとしない。

 確かに、今の状況は些か不気味だ。だが、俺はこの状況下で一つだけ安堵している事があった。


 それは、あのナイフの投擲があったおかげで、リシェが俺を騙している可能性が著しく低くなった──という事である。



(……俺の監視をしていたのは、おそらくリシェじゃない)



 まだ完全に疑念が晴れたわけではないが、ほとんど確信に近い形でそう言いきれる。なぜなら俺の監視をしていたのが元同僚ラムナなのであれば、これまでの不可解な点もすとんと腑に落ちるからだ。


 ラムナは俺と同じく、幼い頃から暗殺術を叩き込まれた腕利きの暗殺者アサシン。夜だろうが濃霧の中だろうが風の中だろうが、小舟の上にいる男の腕を俺に悟られないよう傷付ける事など容易い。


 そしてラムナには、俺を追跡する明確な理由がある。


 それは、“俺が生きている”というこの現状──、罪をなすりつけられる形で軍に投獄され、そのまま死ぬ手筈だったであろう俺が、予期せぬ形で処刑を免れてしまったという事実だ。



(全ては憶測に過ぎないとは言え、十分過ぎる動機だな。ラムナは元々俺の事を嫌ってる上に、情報収集のプロだ。ゾンビやゾン魚の存在どころか、血を好むという性質の情報まで得ていても不思議じゃない)



 ──だが、ラムナが本当に俺を付け狙っている場合、不可解な点もいくつかある。


 まず、三週間も俺を放置しているという事。

 殺す事が目的ならば、いつまでもこんな島で泳がせておく必要などない。むしろさっさと始末して帰りたいはずだが、なぜかアイツは、姿どころか気配すらも今まで俺に気取らせなかった。目的が読めない。


 次に、アイツがまず最初に狙って攻撃してきたのがだったという事。

 先程の投げナイフは明らかにリシェの急所を狙い、正確な位置に投擲されていた。しかもあんなに分かりやすく暗器を投げられては、まるで「あなたを狙っているのは暗殺者わたしです」と自己紹介でもされているかのようだ。

 ただの挑発のつもりか? それなら、まあいいけど……。


 最後に、リシェだ。

 彼女が潔白シロだった場合、リシェは本当に軍から何も知らされないままこの島に置いてきぼりにされたという事になる。

 何も知らない彼女を、軍は何の目的でこの島に連れてきた? そして何故、そのまま置いていったんだ? そもそも、捜査官という立場にいながら危険生物ゾンビの存在を知らされずに任務に派遣されるなんて事が、まず有り得るのか……?



(リシェは瞳の色と例のポンコツぶりのせいで同僚から疎まれ、軍での肩身は狭かったって話だったが……ただのイジメにしちゃあ、度が過ぎてる気がするよなァ)



 眉をひそめ、俺はリシェの柔い髪を指の間に滑らせた。そのまま視線を落とし、未だに不安げな表情で俺に引っ付いているリシェに問う。



「……なあ、アンタさァ、ここに来るまで本当にゾンビの事は何も知らなかったんだよな?」


「……? あ、当たり前でしょ、知るわけないじゃん……知ってたらこんな島になんて来ないわよぉ……」


「まあ、そりゃそーか……。で、こんなバケモノだらけの島にアンタを派遣した張本人は誰なわけ?」


「そんなの決まってるじゃない、上官の命令よ。レナード少佐っていう……もう、それはそれは悪魔みたいな……」



 答えつつ、リシェはぶるりと体を震わせた。



「私、あの人苦手なの……上の立場の人には良い顔するくせに、私みたいな准士官にはすごい冷たいんだもん……」


「へえ?」


「レナード少佐も元々私と同じ孤児でね、戦場で死にかけていたのを私のお父さんが助けたんですって。だからお父さんはレナード少佐の事を気にかけてるみたいだけど……あんなの外面に騙されてるだけよ! あの男、恩人の娘である私の事はいつもゴミみたいな目で見てくるもの! むかつくー!!」


「はいはい、怒んない怒んない」



 激昂し始めたリシェを宥め、俺は顎に手を当てる。


 なるほど、レナード少佐……そいつがリシェをこの島に置き去りにした主犯格のようなものなのだろうか。



(つっても、リシェの親父には何らかの恩があるみたいだし……恩人の養女であるコイツを島に置き去りにする理由なんて、妬み嫉みぐらいしか思いつかねーな。けど、それはさすがに安直すぎるか? “少佐”って事は、そこそこいい歳だろうしなァ)



 大の大人が、恩人に寵愛されている養女に嫉妬して軍の一個隊を動かした挙句、バケモノのいる島に置き去り──なんてバカみたいな真似するか? まあ、絶対ないとは言いきれねーけど……。


 そう考えを巡らせていると、不意に俺の腹が「ぐうぅ……」と豪快に音を立てた。すると、リシェはすぐに反応して立ち上がる。



「あ、イドリス! お腹空いたのね? ちょっと待っててね、すぐにご飯用意するわ!」


「……は?」



 唐突なリシェの言葉に、俺は思わず間の抜けた声を発した。硬直したまま訝しむ俺の表情を察したのか、リシェは小首を傾げる。



「あれ? どうかした? お腹減ってない?」


「え、いや……確かに腹は減ったけど……飯の用意するって、誰が?」


「私がよ」


「何ですと」



 さも当然と言わんばかりに即答した彼女。俺は頬を引きつらせたが、リシェは拳を握り込んで胸を張り、更に続ける。



「ふふん! 心配しなくても大丈夫よ、訓練生の頃に山で仲間が仕留めた鹿の解体とかした事あるし! きっとゾンビでも出来るわ!」


「うわ~、失敗する未来しか見えねえ~……つーか、そもそも仕留めんのはどうすんだよ。ゾンビ苦手だろ?」


「だ、大丈夫! もう慣れた! 出来るわ!」


「あんなヘナチョコなナイフさばきで?」



 俺は更に訝しんだが、リシェは頑なに「できる!」「大丈夫!」と言い張る。

 何をそんなにムキになっているのかと一瞬思ったが、彼女がチラチラと俺の腕を盗み見ている様子を見るに、どうやら先ほど俺が負った怪我を心配しているらしい。


 なるほど、それで自ら料理当番を申し出てきたわけか。



(……軍人なら、罪人に情はかけんなって、前に言ったはずなんだけどなァ……)



 ──ほんと、どこまでも軍人向いてねえよ、アンタ。


 そう密かに呆れつつも、俺を気遣って行動しようとする彼女が、なぜだか少しだけ眩しく見えてしまって。


 つい、「じゃあ、今日は料理当番よろしく」なんて言葉をかけてしまった俺も──大概、暗殺者アサシン失格……なのかもしれない。




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