第三章 / 軍人、襲来する
第19話 お前の仕業だったってわけかよ
リシェの動向を疑うようになって、今日でちょうど一週間。
あれから七日が経ち、リシェへの疑念は晴れたのかと言うと全くそういうわけではないが──普通に、彼女は本日も元気である。
「ふおお!! 出来た!! ねえ見てイドリス、戸棚の奥で見つけた毛糸で編んでた手袋が出来たの!!」
「んあ?」
大きな瞳を爛々と輝かせてすっ飛んできたリシェは、自信満々の表情で「ほら!」と真っ赤な毛糸で編まれた手袋を見せつける。ここ数日、拾ってきたらしい糸と編み棒で何かを作っているなとは思っていたが、どうやら手袋を編んでいたようだった。
指の長さも編み目もかなり滅茶苦茶ではあるが、一応形にはなっている。
「おおー、すげえじゃん捜査官」
「でしょ、でしょ!? えへへ、これイドリス用だよ! いつも上半身裸で寒そうだから!」
「えっ、これ俺の? 小さくね?」
「あれ? そう?」
きょとんと目を丸めた彼女は俺の手を取り、持っていた手袋と重ね合わせた。すると、やはりだいぶ小さい。
「はわっ、サイズ間違えた! こんなにイドリスの手が大きいなんて予想外だったわ!!」
「いやサイズ確かめてから作れよ」
「しょうがない、私のにしちゃおっと」
「切り替え早いな」
あまりにもあっさりと切り替えたリシェに些か呆れた俺だったが、彼女が不格好な赤い手袋に指を突っ込んだ瞬間、ブチッ!! と不吉な音が響いた事で「あっ」とつい声を漏らす。
直後、案の定どこかが千切れたらしい手袋の編み目は次々と解け、手袋の形が崩れ始めた。
「はっ……おあぁぁーーッ!? わ、私の努力の結晶がーー!!」
リシェは叫んだが、一度綻び始めた手袋の破錠が止まる事はなく──それどころか、焦って糸を引っ張ってしまったリシェの手の中で崩壊の速度はどんどん増して行き──やがてついに、ただの糸へと戻ってしまったのだった。
「あああああ!!」
「あーらま」
「うわあああん!! 三日も頑張ったのにーー!!」
「いや逆にすげえよ捜査官、どんな編み方したら一瞬でこんなぶっ壊れんの? 才能あるわ~」
「そんな才能いらないわよぉぉっ!! もおおっ、何で壊れたのよイドリスのばかー!!」
「え、俺何も悪くなくね?」
心が折れたらしいリシェは理不尽に俺をぽかぽかと殴り、手の中の糸を放り投げると「もういい、やめる!」と吠えて奥の書斎へと消えていく。
あーあ、拗ねちまったなこりゃ……と俺は嘆息しつつ腰を曲げ、彼女が放り投げた糸を拾い上げた。
三日間、リシェがこの糸をせっせと編み込んでいた姿は俺も見ていた。なんか頑張ってんな~、とも思っていた。あの頑張りのどこまでが、彼女の本心なのかは分からないが。
(……この一連の流れも全部、アイツの演技だってんなら、マジですげえ才能だけどなァ……)
しかしどうにも、あれが演技だとは思えない。否、演技であって欲しくないと思っている。
どうしちまったんだ俺……とらしくもない自分の考えに心底辟易とした頃、俺は拾い集めた糸をくるりと指の先で結び始めた。
結んで、開いて、繋げて、また結ぶ。
赤い毛糸を次々と指だけで結び編んで行き、数十分間その作業に没頭した後、ようやく丁度いい長さに編まれたそれの端を強く結び留めた。
そして、俺は書斎に篭もりっぱなしのリシェの元へと赴く。
「捜査官~」
「……なあに」
古びた机の上で何かの作業をしていたらしいリシェは仏頂面で顔を上げた。あー、こりゃまだ拗ねてんな、と肩を竦め、俺は彼女の手を取る。
「壊れちまったもんは仕方ねえよ。機嫌直せって」
「……イドリス……あなたもしかして、私を元気づけてくれようと……?」
「もちろんさ捜査官~。俺はうまく出来てたと思うぜ? あの
「雑巾じゃないわァ!!」
「あれ、違ったっけ?」
やっべ、素で間違えたわ。
案の定リシェは更に怒ってしまい、「もおお! 馬鹿にしに来たんなら帰れー!!」と両手を豪快に振り回す。その手をどうにか捕まえて、俺は先程編んだものを彼女の手首に括りつけた。
「まあまあ、落ち着けよ捜査官。そんな怒んなって、これあげるからさ」
「……? 何よこれ」
「あー、ミサンガ的なやつ? のつもり。アンタがさっきバラバラにした糸で急いで作ったから、クオリティは低いけど」
「ミサンガって何?」
「んー、お守りみたいな……?」
ポリポリと頬を掻きながら告げれば、リシェは「ふぅん……」と俺の渡したシンプルなミサンガを見つめた。
赤い毛糸で編んだそれは、前世でも妹に作ってやったものだ。本来は刺繍糸で作るのが一般的なのだが、そんなもんないしとりあえず毛糸で。ミサンガは切れたら願い事が叶うと言われているが、実際叶うのかどうかは知らない。
俺が前世で妹に手渡したミサンガは、結局最後まで切れる事はなかったし──と、そこまで考えたところで俺は目を伏せ、思い出す事をやめた。
「……ま、テキトーに作ったやつだし、要らないんだったら別に捨ててもいいぜ」
「え、やだよ! なんか可愛いし、腕につけとく!」
「え、可愛いか? それ」
「可愛いよ、ブレスレットみたい! ふへへ、ありがとうイドリス。嬉しい」
にへ、と笑うリシェ。素直に喜ぶ彼女の様子にどこかむず痒さを覚えつつ、「あっそ……」と一言だけを素っ気なく返した。
そしてすぐにこのむず痒さを誤魔化そうと、俺は彼女に問い掛ける。
「……で、捜査官はずっとこの書斎で何してたわけ?」
「手紙を書いてたわ!」
「は? 手紙? 誰に?」
「分かんない! 誰かに!」
「はァ?」
何言ってんだこいつ、と思わず眉をひそめた俺だったが、リシェはどこからともなく見つけ出したらしい羽根ペンとインクで書いた手紙の文字を見せ付けた。
まあ、俺には読めないので何が書いてあるのかは分からないわけだが。
「……これ何? なんて書いてあんの?」
「“誰か助けてください! バケモノのいる島に取り残されてます! 救助求む!”って。小瓶に詰めて海に流すの!」
「あー、なるほど……」
いわゆるボトルメールというやつだ。リシェは得意げに胸を張っている。
……つっても、ここがどこなのか明確な場所を示さねーと救助なんて期待できないんじゃねーの? ──とは思ったが、野暮な考えは口に出さず、俺は「いいと思う~」とテキトーに返事をして埃だらけの本棚に何気なく手を伸ばした。
手に取った本の文字は、やはり俺には読めない。
(手紙ねえ……。そういや俺、前世では、妹とよく手紙のやり取りをした気がするな……)
不意にそんな事を思い出し、俺は閉ざされていた記憶の蓋を強引にこじ開ける。
体の弱かった璃世は幼い頃から入院してばかりいたため、なかなか会えない俺たち家族に手紙を送ってくる事がよくあった。
その際、彼女からの手紙の中には、俺にしか分からない『暗号』が隠されていたのを覚えている。
暗号と言っても大袈裟なものではなく、当時小学生だった璃世が作った至極シンプルなものだ。
手紙に書かれた文章を特別な読み方で読めば、別のメッセージが見える──みたいな、そんな仕組みだったような気がするのだが……。
(どんな暗号だったっけ……? えーと、確か……)
寸前まで出ている、閉ざされた記憶の先端。その答えがようやく顔を覗かせた頃──ふと、リシェが「ねえねえイドリス~」と立ち上がる。
しかし、その瞬間。
俺は外から放たれた鋭い殺気を機敏に感知し、即座に目を見開いた。
「──っ! 伏せろ捜査官!!」
「へ?」
声を張り上げ、俺はすぐさま床を蹴る。すると凄まじい勢いで窓が割れ、瞬く間にリシェの元へと何かが一直線に向かってきた。
俺はリシェを抱き込み、飛んできた何かを回避して床に伏せる。悲鳴を上げた彼女を飛散する硝子片から庇った俺は、熱にも似た鋭い痛みに顔を顰めた。
「……っ」
「な、何!? 何が起きたの!?」
「……捜査官、怪我は?」
「た、多分ないよ、大丈夫──って、イドリス!? 腕からすごい血が出てるよ!?」
「あー、ちょっと刺さったわ……」
カンが鈍ってんなァ、と自嘲した直後、リシェは涙目で「あわわわ……!」とテンパり始めた。彼女は俺の怪我を悲痛な表情で見つめ、泣きそうな顔で口を開く。
「ご、ごめんねイドリス、大丈夫!? 痛い!? 死ぬ!? ど、どうしよう、救護室にっ……! ああっ、ここ無人島だったぁ!! どうしようイドリスが死んじゃうう!!」
「いやいや落ち着け、マジでちょっと怪我しただけだし。死なねーわ」
「でもでも血がいっぱい……っ、うわああん!!」
「いいから落ち着けよ……。つーか、俺より自分を心配しろ。明らかにアンタに向けて投げられたぞ、アレ」
「へ?」
きょとん、と丸くなる瞳。その視線を背後の壁へと誘導すれば、そこには深々と突き刺さる複数のナイフが残されていた。
そこでようやくリシェは危機感を覚えたようで、元々青白かった顔が一層
「え!? な、ななな投げナイフ……!? 外から!? 誰が!? まだいる!?」
「いや、もう気配消えたし多分大丈夫……、って言っても、元々人の気配は全然なかったから、相手が気配殺してるだけでまだ近くには居るかもしんねーけど……」
「えええ!? や、やだ! 私ちょっと様子見てく──ぐえっ!?」
「バカか、向こうがアンタを狙ってるかもしんねーのにノコノコ出ていくなこのポンコツ」
「ふぐぅ……そ、そっか……」
考え無しに飛び出そうとするリシェを捕まえ、俺は割れた窓の外を睨んだ。だがやはり人の気配はなく、殺気ももう感じない。
リシェは俺の腕の中でもぞりと動き、不安げに顔を上げた。
「こ、ここ、無人島じゃなかったの……? もしかして他に誰かいる……? こ、この家の人とか……? 私が勝手にインク使ったから怒ってるのかな……?」
「……そんな可愛い理由ならいいけどなァ」
警戒しつつ立ち上がり、腕に刺さっていた硝子片を引き抜く。途端に溢れ出した赤い血に怖気付いたのか、リシェは再び涙を浮かべて俺の顔を見つめた。
「て、手当しよう、イドリス……! 治療出来そうなもの探してみるから……」
「え、いや別にこれくらい慣れてるし大丈──」
「だめだよぉ、ばかぁ……! これは捜査官命令よ、言う事聞きなさい……」
弱々しく訴え、ぐにゃりと今にも泣き出しそうな顔で見上げられてしまい──俺はらしくもなくたじろいだ。
涙の溜まるオッドアイ。片方だけ黒いその瞳が、
「……分かったよ」
俺は溜息混じりに立ち上がり、リシェの手を引きながら書斎を出る。そのまま扉を閉めようとした際、壁に深く突き刺さったナイフの形状を、最後にもう一度だけ一瞥した。
通常よりも小型なそれは、軍の使うナイフではない。
一般に流通している代物でもない。
風の摩擦を極力減らし、音や気配を遮断したまま高速で相手へと放つ事が出来る──“敵の息の根を止める事だけ”を目的とした暗器である。
つまり、今この武器を投げたのは、おそらく暗殺業に携わる人物。簡単に言えば、元同僚だという事だ。
俺は再び嘆息し、リシェには聞こえない声量で小さく呟いた。
「……なるほど。全部、お前の仕業だったってわけかよ」
──ラムナ。
再び吐き出した溜息と共に、紡いだ名前は狭い室内にこぼれ落ちた。
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