第18話 しあわせの羽

「ん~……おはよ、イドリス……」


「……」


「……? イドリス?」



 ぽや、と眠たげな目を瞬き、口を開いたリシェが寝ぼけた声で俺の名を紡ぐ。彼女の言葉に答えてやる事もせず、暫く黙り込んでいた俺だったが──やがて、いつもと同じように振り返った。



「おー。おはよ、捜査官」


「……あ、なんだ、いつものイドリスだ。良かったぁ」


「んだよ、何か変だった?」


「んー、なんか、いつもより反応薄い気がしたから……それに珍しく私の胸も触ってないし、もしかして怒ってるのかと思っちゃった」


「あー、何? おっぱい揉んで欲しかったわけ? しょうがねえなァ」


「ちっがう! ばか! あほ! 変態!!」


「いだだだ髪引っ張んな!」



 ぐいぐいと俺の長い髪を引っ張るその手を掴み取り、どうにか緩めて離れさせる。するとリシェは「ふん!」と顔を逸らし、「顔洗ってくる!」と言い残してテントを出て行ってしまった。


 残された俺はその背を見送り、目を細めて小さく息を吐く。



(リシェの様子はいつも通り。何ら不自然な点はない……と)



 冷静に分析し、俺もテントから出て周囲を見渡した。


 やはり周囲に生き物の姿はなく、人の気配もない。カメラや盗聴器なんてもんがこの世界にあるかどうかは定かでないが、それといった風貌の物も見当たらない。


 至って普段通りの、穏やかな昼下がりの光景。だが、俺の警戒心が解かれる事はなかった。



(監視されてる疑惑がある以上、発言や行動には用心しねえと……ぶっちゃけ、リシェアイツが一番信用ならない)



 何者かに監視されているかもしれない──その疑惑に辿り着いた時、俺が真っ先に疑ったのは、リシェだ。


 昼夜を問わず俺と行動を共にし、監視できる存在は今のところアイツしかいない。思えば、出会った時からリシェには不審な点が多かったようにも思える。


 俺が監視官の男と共に小舟に乗っている時、あの男はこの島の事を「地獄の孤島だ」と言っていた。つまり、ゾンビの居る島だと知っていたのだ。

 その時点での俺は、リシェとはまだ出会っていない。という事は、あの時舟の後をつけていたのがリシェである可能性も十分に有り得る。


 その後オッサンは例の怪我を負って海に落ち、俺は浜辺に打ち上げられていた。そして目が覚めた時には既にリシェが目の前に居たわけで、更にはすぐにゾンビ共が俺達の元に現れたのだ。


 その場に現れたゾンビにリシェは恐れおののき、未知の生物に戸惑う素振りを見せていたが──それもおかしな話だと思う。



(あの監視官がゾンビの存在を知っていたという事は、少なくとも軍はゾンビの存在を認知していたという事だ……。だったら、リシェも本当はゾンビの存在を知っていたんじゃないか? 危険生物が居るってのに、何も知らされずこの島へ任務で派遣されるなんて事はまず有り得ないだろ)



 俺は険しい表情で眉根を寄せる。


 元より、アイツは軍の人間だ。上からの命令で俺の監視を任されている可能性は高い。


 ──ただ、この仮説によってネックとなってくるのは、これまで散々見てきた彼女のポンコツさである。



(夜の濃霧の中で不安定な小舟に乗ってるオッサンの腕を、遠距離から正確に傷付るなんて高度な真似……あのポンコツに出来んのか……?)



 それがどうしても引っ掛かり、俺は更に深く考え込んだ。


 出会った時、アイツが所持していた武器といえば、どっかに落としちまった拳銃の一丁のみだ。射撃の腕前がどれほどのもんなのかは知らねえが、俺が貸しているナイフの扱いなんかはそりゃあもう酷いもんで、到底器用とは思えない。


 そもそも、拳銃を撃てば音が出るのだからいくら波の音に紛れてもさすがに気が付く。つまり拳銃は使われていないという事だ。


 人一倍殺気に敏感だと自負するこの俺ですら気付かぬ間にあのオッサンの腕は傷付いていたのだから、相当気配を殺すのがうまい人物によって、小型の武器が使われた可能性が高い。尚且つ風の吹く中で小型の武器をコントロールするには、かなり高度な技術が必要とされる。


 そんな小難しい芸当が、あのリシェに出来るのだろうか?



(アイツのポンコツぶり自体が嘘で、実はめちゃくちゃ動けるし何でも器用に出来る──とかだったら、逆に褒めてやるけどな。見事な演技力だわ、敵ながらアッパレ)



 そう考えて鼻で笑ったが──すぐに視線が落ちる。


 “敵”……そうだよな、敵だ。

 元々俺達、対立する立場なんだよな。



「……何ちょっとヘコんでんの俺。しょーもな」



 ──俺は罪人で、アイツは軍人。


 本来いがみ合うはずの俺達が相容れる事など、決してない。そんなの最初から分かっていた事だ。


 でも、『このまま変わらないでいて欲しい』とすら思っていたアイツの全てが、本当は嘘なのかもしれないと思うと──思っていたよりも、だいぶキツい。



(……らしくねーなァ。暗殺者アサシンたる者、余計な感情は不要だろ。何も考えず、他人の事情に肩入れするな。踏み込む必要もない。邪魔なようなら、リシェの事だって殺しちまえばいい……)



 胸の内だけで言い聞かせ、また小さく息を吐く。

 するとその時、顔を洗いに行っていたらしいリシェが走って戻ってきた。やかましい声と共に。



「ねえー!! ねえイドリス、見て見てー!!」


「……ん?」


「ほら! 八ツ羽やつば! さっき川辺で見つけたの! 良いことあるかも! いいでしょ!」



 きらきらと瞳を輝かせ、リシェは手に持った花を俺に見せつける。それはこの世界によくある野草の一種で、鳥の羽のような花弁を広げる白い花だった。


 本来の花弁の数は四枚で、“四ツ羽よつば”と呼ばれるのが一般的なのだが、稀に倍の数の花弁を広げる“八ツ羽やつば”と呼ばれるものもある。


 なかなか見れるものではなく、“と八になる”という理由も相まって、花言葉は『四合わせ幸せ』。この世界では縁起のいい花だと言われている。



「ふふふっ、嬉しいなあ。すっごい幸運を呼び寄せてくれそう! あとで押し花にしよーっと!」


「……」



 ……あの花の花言葉は、実は『幸せ』じゃなくて『死遭わせ』という意味であり、幸福ではなく凶兆の表れだ──って一説もあるけど……。


 まあ、言わねー方がいいだろうな。どうせ「夢壊すな!」って怒るだろうし。


 そう考えたまま黙っていると、不意にリシェが眉尻を下げて俺の顔を覗き込んだ。



「……ねえ、イドリス。やっぱり元気なくない? 体調悪い?」


「……!」


「ちょっとおでこ貸してみなさい! 私が体温チェックしてあげるわ!」


「いってえ!?」



 ゴツンッ!! と頭突きをかます勢いで盛大に額を押し付けて来たリシェに思わず声を上げたが、彼女は真剣に俺の体温を測っている。この前俺がやった時は『顔近い!』って大騒ぎしたくせに、自分はいいのかよ。


 そう呆れていると、やがて彼女は神妙な顔で頷き、「ふむふむ、なるほど……」と何かを悟った様子でゆっくりと閉じていた目を開いた。



「──全然わからん。でもこれは熱がある気がするわ」


「ド適当な事言うなよアンタ」


「いーや、これは熱よ! 安静にしないと! さあ来なさいイドリス!」


「いだだだ!! 髪引っ張っんなって!! あと安静にさせたいなら走らせんな!!」



 強引に俺の髪を引いて走り出したリシェに反抗しつつも大人しくついて行けば、彼女は木陰に腰を下ろして「さあどうぞ!」と俺を見上げた。


 いや、何がどうぞなのかさっぱり分からん。



「え、何……?」


「膝枕! このリシェ捜査官が、特別に看病してあげるわ! 眠るのが一番よね、やっぱり」


「え~、いやいや別にそういうのいいわ、捜査官の膝とかなんか硬そう……」


「失礼ね!! ちゃんと柔いもん! いいから寝なさいっ!」


「痛たたた!!」



 だから髪引っ張んな! と声を荒らげつつ、俺は渋々と彼女の膝に頭を乗せる。リシェは満足げに微笑み、俺の髪を撫でた。



「ふふ、大丈夫よイドリス、私に任せて! 必ずこの病気を治してみせるわ!」


「そもそも俺、まず熱ないんですけど」


「えへへ、看病って一度してみたかったの~」


「やばいこれ普通にオモチャにされるだけだ」



 興味本位の看病ごっこに付き合わされるのだろうと察知した直後、早速リシェは俺の前髪を上げて額に触れ、医者気取りの診断を始める。



「ふむふむ、これは高熱ですね~。毎日半裸で過ごしてるからこうなるんですよ~、改めましょうね~イドリスさん」


「あー……そりゃすみません、ドクター」


「とりあえず、お薬出しましょうね~。体調悪い時は薬草かしら、この辺の草かな?」


「うゎぶッ!?」



 ボゴッ! と根っこごと引っこ抜いた雑草を突如額の上に乗せられ、顔面に大量の泥が落ちてくる。「うっわ、泥くさっ!」と顔を顰める俺だったが、リシェは更に雑草を引っこ抜いた。



「首にも巻いておくわね、なんかそれで治るって本で見た事あるような気がするし」


「はあ!? いやそんなわけな──ぐえっ!?」


「ついでに鼻にも突っ込んどくわ!」


「いだだだ!! 無理無理!! 待って捜査官、死ぬ!! 死ぬってこれ!!」



 両鼻に雑草を詰め込み、ぐいぐいと奥へ突っ込んで来ようとするリシェを必死に止める俺だったが──結局のところ彼女が満足するまで、俺はオモチャにされ続けたのであった。




 *




「……やっと終わった……」



 げっそり。ようやく飽きて眠ってしまったリシェの膝の上で、俺は疲労困憊の表情を浮かべているであろう顔に乗せられた泥と雑草を払い落とす。

 鼻に突き刺された雑草も取り除き、謎に髪に飾られた花々ももぎ取って、それら全てを遠くにブン投げた頃。俺は深い溜息と共に、“幸せの八ツ羽”を持ったまま眠るリシェの寝顔を見上げた。



「人で散々遊んだ挙句、幸せそうに寝こけやがって……何が看病だよ、死ぬかと思ったわこの平和ボケ能天気め……」



 恨み言を呟き、彼女の柔い頬を軽く引っ張る。何か良い夢でも見ているのか、眠ったまま「ふひひ……」と笑ったリシェに殊更ことさら呆れた。それと同時に、切なくも思う。


 この顔も、態度も──どこまで本当の彼女なのか分からない。もしかしたらこの寝顔ですらも演技で、俺の反応を密かに窺っているのかもしれない。


 そう考えるとどこか胸が痛む気がして、俺はごろりと寝返りを打つとリシェの腰に両腕を回した。そのまま彼女の腹部に顔を埋め、細い腰を抱き寄せたまま目を閉じる。



「……アンタの全部が嘘だったら、やだなァ、俺……」



 呟いた声は小さくこぼれて、リシェの手の中から飛び立った“しあわせ”の羽と共に、風の中へと消えて行った。




〈第二章 / 孤島、謎に満ちる …… 完〉

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