第14話 雨上がりの道しるべ

「やっばい。すんごい治った」



 日が沈み、夜がとっぷりと更けた頃。ようやく目を覚まして起き上がったリシェは、瞳をきらきらと輝かせて言い放った。


 顔色も健康的な血色けっしょくを取り戻し、掠れていた声も元に戻っている。たった半日眠っただけだが、例の丸薬の効果もあってかすっかり元気になっていた。



「どうしよ、すんごい調子いい! あの薬、マジでこの世のものとは思えないぐらいめちゃくちゃ不味かったけど、効果は確かなのね……!!」


「おー、確かに熱も下がってんな」



 こつり、額同士を軽く合わせて体温を確かめる。するとリシェは顔を真っ赤に染めて俺を押し返した。



「だ、だから近いってばあ!!」


「んだよ、しょーがねーだろー? 体温チェックしてやってんだから我慢しろ」


「そ、それにしても近すぎるの! ちゅ、ちゅーする人の距離感だもんこれ!」


「ん? してやろうか? 熱烈キッス」


「ばっかじゃないの!!」



 わざと顔を近付ければ、べちいっ!! と両頬を挟むように強く叩かれる。茹でたタコさながらに真っ赤になったリシェに引き剥がされた俺は、パキパキと首の関節を鳴らして大人しく彼女から離れた。



「キスぐらいで真っ赤になってんじゃねえよ~、純粋なんですねえ捜査官は」


「か、簡単に、キスとかしちゃだめなの! 好きな人とじゃないと嫌だもん、私!!」


「はいはい、すみませんでした。ちなみに、どんな男だったらキッスOKなわけ?」


「金髪で~、碧眼で~、髪の毛がサラサラで~、笑顔が素敵で爽やかな、白馬に乗った王子様みたいに誠実でキラキラしてる……」


「わー、いかにも裏で女殴ってそうな男じゃん」


「どんな偏見!? 夢壊すような事言わないでっ!」



 げしっ! と勢いよく蹴りつけてくるリシェ。そんな彼女の攻撃を受け流しつつ、どうやら体調は完全に回復したらしいな、と俺は密かに安堵の息を漏らした。



「いやー、元気そうで良かったわ捜査官~。俺の作った丸薬のおかげだなァ。有り合わせの材料でテキトーに作ったわりには効いたじゃん」


「やっぱあれテキトーに作ったんかい!! めちゃくちゃ不味かったわよあの薬!!」


「でも治ったろ?」


「治ったけどね! すごいね!? どうやって作ったの?」


「モギの葉とシロホウゲ、エリー草の根とイムの実をすり潰して、そこに水も加えて粘り気が出るまで混ぜる」


「ふむふむ」


「本来なら、その中に干して粉にした“万年亀まんねんがめ睾丸こうがん”を混ぜんのが大事なんだけど……勿論そんなモンねえから、代わりのモンで代用して混ぜた」


「……は?」



 そこまで続けた途端、リシェはぴしりと表情を強張らせた。やがて「だ、代用って……何を?」と震える声で問い掛けた彼女に、俺は頬を掻きながら答える。



「何って……干して粉にしたの睾丸だけど?」


「うぉぎゃあああああッ!!」



 刹那、リシェの絶叫と共に飛んできた拳。

 俺はそれを容易く掴んで難なく殴打おうだを免れるが、リシェは更に逆の手で俺に手刀を放つ。しかしそれもすぐに捕まえた。



「なんっちゅうモン食わせてくれてんのよおお!? バカじゃないの!? ほんとバカじゃないの!? 一発殴らせろこのやろォ!!」


「怒んなよ~、元気になったんだからいいじゃん。ゾンビもよーく観察すりゃオスだかメスだか判別できる事が判明したわけだし? ついでに薬にもなるときた、良い発見だったな!」


「良くない!! 良くない!! アンタ、さては私で実験したわね!? うわあああん!! イドリスのばかー!! 大っ嫌い!!」



 激昂して泣きわめくリシェは、捕まえられた両腕をじたばたと振り回しながら騒ぐ。


 彼女の攻撃を完全に封じ、頬を膨らませて怒っているリシェの怒号をものともせずに「ほんとフグみてーだなー」と微笑ましく見守っていた俺だったが──ふと、外から不気味な唸り声が耳に届いた事で俺は振り返った。



 ──アァ……ウゥゥ……アァァ……。



「!」


「ひいっ!? 何!?」



 不気味な声にリシェもすぐさま敏感に反応し、飛び上がって俺にしがみつく。

 耳が拾い上げるその呻き声は、おそらくゾンビのもので間違いない。



「……雨、やんだのか? 土の中に埋めてた奴が出てきたっぽいな」


「ね、ねえ! なんかゾンビの声近くない!? すぐそこから聞こえるんですけど……」


「そりゃそうだろ、だって家の横の畑に一匹埋めといたし」


「いやアンタ何してくれてんのォ!?」



 リシェは困惑した様子で俺の肩に掴みかかる。「馬鹿なんじゃないの!? あんなもん家のそばに埋めたら危ないじゃん!!」と俺の体を揺さぶる彼女に、俺はへらりと笑って答えた。



「だーいじょーぶだって、心配しなくてもここに乗り込んで来たりしねーよ。木で壁作って囲ってあるから」


「それでもやだー!! 早く逃がしてきてよ!!」


「まあまあ、落ち着けって捜査官。ほら、昨日からほとんど何も食ってなくて腹減ってるだろ? ちゃちゃっと畑でゾンビ刈り取って料理してくるから待ってな」


「稲刈りみたいな感じで言うな!! あんな不気味な穀物あるかっ!!」



 病み上がりにも関わらず大声で騒ぐリシェを引き剥がし、俺は笑顔で片手を振る。相変わらずリシェは何かをずっと喚いていたが、俺は背を向けて外へと出て行った。


 やはり昨日から降り続いていた雨は上がったようで、うっすらと残る雲間からは青白い月明かりが覗いている。だが地面はぬかるみ、家ののきや木々の枝葉を伝う雫も、まだぽたぽたとしたたり落ちて辺りを濡らしていた。


 無気味な呻き声の正体は、やはり俺が昨晩埋めておいたゾンビが発したものらしい。泥水によってその身を濡らしながらも、ゾンビは確かに起き上がり、柵の内側をふらふらと跛行はこうしている。



(……ゾンビに対して思うのもおかしな話だが、コイツ、まだ生きてたのか。あんだけ濡らしても大丈夫だったって事は、やっぱ“雨”が活動停止の原因ってわけじゃなさそうだな)



 黙ったまま考え、俺はそっと顎に手を当てた。


 今は風も雨もないが……おそらく、どちらもゾンビの活動条件としての直接的な関係はない。海水や塩が原因である線も疑ったが、普段ゾンビの肉に塩を振りかけても特に変化はないためその可能性も薄いだろう。


 ゾンビの活動に何らかの形で雨が関係しているのは間違いないと思うが、“雨”自体が直接的なトリガーではないとしたら、一体何が起因となっているんだ?



(温度……地質……そんな細かい話なのか? 雨の時にしか存在しないもの……っつったら、他に何がある? いや、そもそもこの考え方自体が間違ってるんじゃねーのか? その逆って可能性は? たとえば、晴れている時にはあって、雨の時にはないもの……)



 そう考えた時、ふと──俺は足元の水溜まりに視線を奪われた。


 そしてその水面に映っていたものが、散らばって纏まらなかった俺の思考をたちまちひとつに結び付ける。



「……!」



 ──まさか……コレが原因か?



 ようやく確信に近しい可能性に辿り着き、すぐさま顔を上げて空を仰いだ。足元の水溜まりに映り込んでいたそれを見つめながら、俺はつい口角を上げる。


 真っ赤な双眸が真っ直ぐと捉えているそれは、晴れている時にだけ現れ、雨が降ると雲に隠れてしまうもの──。



「……“月”か」



 ゾンビは太陽の光を嫌い、月の光を好む──その日、俺はそんな結論へと辿り着いたのだった。




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