第13話 バカもどうやら風邪をひく

 昨晩から降り続いている雨は一夜明けても尚、しとしととボロ小屋の窓を濡らしている。


 結局昨夜はゾンビと鉢合わせる事がなかったため、もちろん食材も調達出来なかった。俺は仕方なく、先日狩ったゾンビで作った干し肉の僅かな残りを齧って空腹を凌ぐ。


 ……そう。



「捜査官さー、そろそろなんか食った方がいいんじゃねえの? なんかげっそりしてるし、虚ろな目してんぜ」


「むり……食欲ない……」



 けほ、と咳き込むリシェは、頬を真っ赤に火照らせてすっかり寝込んでしまっている。一晩で完全に熱が上がってしまったらしい彼女は、水以外のものを口にする事すらもままならず、ただぼんやりと天井を見つめているばかりだった。


 何か食わせてやりたいとは思うのだが、生憎俺の手元にはゾンビ肉しかなく。果実を摘みにいこうかとも提案したが、「やだやだ、離れちゃやだー!」としがみつかれてしまい、こうして小屋から一歩も動けずにいるのであった。



「バカは風邪ひかねーって言うのに、不思議な事もあるもんだな」


「誰がバカよぉ……」



 いつもの調子でからかえば、伸ばされた手が腰巻を掴んでポコンと弱々しいパンチがお見舞いされる。


 揶揄やゆに対する反応も、さすがに今日ばかりは覇気がない。彼女はハア、ハア、と辛そうに呼吸を荒らげ、俺の腰巻を掴んだまま涙目でこちらを見上げた。



「うぅ……寒い……頭痛い……。イドリス、助けて……死んじゃうよ……」


「さよなら捜査官。アンタの事は忘れないよ」


「くそぉぉ、諦めんなぁぁ……!」



 冗談交じりに返せば、また普段以上に弱い力でぽこぽこと殴られる。「はいはい、暴れなさんな」と彼女を宥めつつ、俺は昨晩と同様に彼女の前髪を上げ、己のひたいをぴたりと押し当てて体温を測った。



「ひえっ!?」


「……あー、まだ熱いな」


「い、い、イドリス! 近いっ……顔近い!」


「んあ? そう?」


「そそそそうだよ! 離れて!」


「何だよ捜査官、俺の顔が近いと緊張すんの? 可愛いとこあんじゃん」


「ち、違うもん! 風邪うつっちゃうから離れてほしいだけですぅ! ばーかばーか!」



 真っ赤な顔で吠える捜査官に胸元を押し返され、俺は肩を竦めながらも大人しく離れる。大きな声を出したせいか彼女の意識は更に朦朧としてしまい、もはや目を開けるのも辛そうだった。



「けほ……っ、うぅ、きつい……」


「でっけー声で騒ぐからだろ。もうすぐ薬が出来るから、それ飲んだらさっさと寝な」


「え~……お薬、苦い……?」


「激マズで激ニガ」


「やだぁぁ……」



 泣きそうな顔をするリシェの頭をよしよしと撫で、特殊な配合ですり潰して混ぜ合わせた薬草を擂鉢すりばちから取り出して団子状に丸める。


 青臭さの際立つその丸薬を見つめ、リシェは顔を顰めた。



「ほら、薬が出来たぜ捜査官。あーん」


「う、うええっ、何これ!? くっさ! や、やだやだ、何なのこの薬! どう見ても泥団子じゃん! 変な葉っぱとかいっぱい混ざってるし!」


「大丈夫だって、安心しな。これは暗殺組織に伝わる伝説の秘薬……と同じような配合で作った俺のスペシャル丸薬だから。効果は抜群。多分」


「それもう暗殺組織に伝わる秘薬とかじゃなくてアンタのオリジナル創作物じゃん!? あとアンタ、いつも根拠が曖昧だから私すごい嫌なんっ──もごぉっ!?」


「はーい召し上がれ~」



 にこにこと微笑みを浮かべ、嫌がるリシェの口に無理矢理丸薬を突っ込む。「むぐー!!」「もごごー!!」と涙目で激しく抵抗されたが、長い攻防の末に何とかそれを飲み込ませた。


 おそらくとてつもなく苦いであろう丸薬を口にし、じたばたと藻掻くリシェ。やがてあまりにも不味すぎたのか、彼女は白目を剥いて完全に意識を手放してしまう。


 ぐったりと力なく倒れたリシェの顔を覗き込み、「あ、やっべ。死んじまったか?」と俺は首を傾げた。が、一応呼吸はある。


 よし、とりあえず生きてんな。

 完全に白目剥いちまったけど、生きてりゃひとまずおっけーおっけー。



「……まあ、ドブ飲んだ方が百倍マシって思う程度にはクソ不味いからな、これ。意識飛ぶのも無理はねーか」



 すっかり顔を青ざめて眠ってしまったリシェに毛布をかけ直し、「よしよし、頑張ったなー」と乱雑に頭を撫ぜる。


 その時、ふと──青白い顔で眠るリシェの姿が、同じく体が弱かった“彼女”の姿と重なって見えた。



「……!」



 思わず息を呑み、俺はリシェの頭を撫でていた手をつい引っ込める。


 脳裏に浮かぶのはやはり、病室のベッドの上で目を閉じ、か細い体に何本もの点滴のチューブが繋げられた──前世の俺の、“妹”の姿。



(……璃世りせ……)



 窓際に時折遊びに来る野良猫をいつも心待ちにしていた彼女の事を、今ならばはっきりと思い出せる。


 俺より四つ歳下の、可愛い妹。幼い頃から入退院を繰り返していたせいで、一緒の家で過ごした記憶はほとんどない。


 病室でずっと過ごしていた彼女の体力は日毎に落ち、徐々に衰弱していって──俺が高校を卒業する頃になると、見舞いに訪れても、璃世はただ眠っているばかりで。


 目覚めない璃世のそばに座り、日が暮れるまで、黙ってその顔を見つめる日々。そんな俺を現実に引き戻すのは、いつも決まって“アイツ”の声だった。



『──逢人』


『……』


『帰るぞ。……今日はもう、璃世は起きない』



 暗い病室に電気を灯し、俺の腕を引く男。俺と同じような顔立ちで、黒縁のメガネを掛けている。


 記憶の中の俺は渋々と椅子から立ち上がり、男の手を振り払った。



『……わーったよ、帰りゃいいんだろ。いちいち迎えに来んなよ。


『その呼び方やめろ。鳥肌が立つ』


『あー、はいはい。もう呼ばねーからさっさと帰んぞ。──海人かいと



 低く告げた、彼の名前。カイト──ああ、そうだ。思い出した。


 こいつの名前は、相川あいかわ 海人かいと


 前世の俺の、二つ年上の兄だった男だ。



「……相川……海人……」



 ぽつりとその名を呟き、俺は目を細める。


 なぜだか、彼の記憶はあまり良いものではないような気がした。詳細には思い出せないが、何となく。



(実の兄なのに、良い記憶じゃないって……何だ? 仲悪かったのか?)



 考えるが、その先はモヤがかかったかのように何も思い出せない。だが、今ならハッキリと断言出来る事はある。


 前世の俺は、二つ上の兄と四つ下の妹がいる、三人兄弟の次男だった。


 入院している妹の元にしょっちゅう通っていて、高校を卒業したら料理の専門学校に通う事になっていた気がする。料理の道へ進もうと思ったのも、確か妹のためだったような。


 妹に、いつかうまいもんをたらふく食わせてやりたいと思って、その道を選んだような──。



(……でも、俺、結局……前世では、多分料理人にはならなかった気がする)



 そう思い至り、俺は再びリシェの薄桃色の髪を撫でた。指先で彼女の髪を梳きながら、俺はそっと呟く。



「……アンタは、ちゃんと元気になれよ」



 深い夢の中にいるリシェには届かないであろうその言葉は、まだ外で降り続く雨の音に容易く掻き消されてしまうほど、小さくこぼれて消えていった。




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