第12話 なんか熱くね?
「──はっくしゅいっ!!」
ようやく戻ってきた小屋の暖炉に火を灯し、ぷるぷると体を震わせたリシェが豪快なくしゃみを放つ。クローゼットらしきスペースの奥から引っ張り出した毛布を持った俺は、縮こまっているリシェにそれを投げ渡した。
「ほい、捜査官。それ羽織ってあったまれよ」
「はわ……! 毛布……!」
「カビてるけどな」
「ぎゃー!! 無理!!」
「わがまま言うなよ〜、無人島に毛布あるだけでもありがたく思えって」
「ぶえっくしっ!」
「ほら、言わんこっちゃない」
溜息をこぼしつつ、逃げようとするリシェを捕まえてカビた毛布の中に包み込む。「わああん!! やだやだ汚い! 埃臭い〜!」と最初こそ暴れていた彼女だったが、しばらく抱き込んでいるうちにぱたりと動きを止め、やがて大人しくなった。
そっと毛布の中を覗き込めば、すやすやと間の抜けた顔で眠りこけている。
「……秒殺だな、さすが俺。いや、コイツが寝んの早すぎんのか?」
「ぐー」
ぶに、と頬をつつくが、起きる気配はない。完全に寝入ってしまったリシェに半ば呆れつつ、俺は彼女を暖炉の前に寝かせて丁寧に毛布をかけた。
穏やかな寝息を立てるリシェの寝顔を暫し眺めた後、俺は身を
「……さーて。うるせーのが寝てる間に、俺はもう一仕事しねーとなァ」
大きな欠伸をひとつこぼし、小屋の前に転がしておいたゾンビを担ぎ直して空を仰ぐ。相も変わらず空は厚い雲で覆われ、しとしとと大粒の雨が降り注いでいた。
(今は昼……時間的には三時ぐらいか? 太陽が見えねーと時間がよく分かんねえな)
眉を顰める俺だったが、昼間であっても太陽が隠れていればゾンビの体が干からびる事はない──という発見はあった。ひとまずそれは今回の収穫とする。
「今が三時だとして、日暮れまであと三時間弱ってとこか……。まあ、急ぎで作業すればゾンビ共が動き回るまでに色々終わらせられるんじゃねーかな」
コキッ、コキッ。
首の関節を鳴らしてゾンビを乱雑に地面に転がした俺は、昼間のうちにクワやスコップと共に見つけ出しておいた“斧”を手に取った。それを肩に担いで口角を上げ、目の前に茂る木々を見据える。
「さーて、と。いっちょ仕事しますか」
とん、とん、と斧の柄で肩を叩き、真っ赤な己の
*
──数時間後。
冷たい雨が降りしきる中、俺は斧で切り倒した木で作成した
「……ふう。ざっとこんなもんか」
たった今打ち込んだ最後の杭を足で蹴り、ようやく出来上がった“囲い”の壁の強度を入念に確認する。
やがて問題なさそうだと判断した俺は、それまで地面に転がしていたゾンビを抱えると今しがた作り上げた囲いの中にそいつを放り込んだ。
どしゃり、地面に落ちたゾンビ。
まだ動かないそれを一瞥し、俺は顔を上げて空模様を確かめる。
(雨は小降りになったみてーだが、雲は相変わらず厚いなァ。もう辺りも真っ暗だし、そろそろ太陽は沈んだ頃だと思うけど)
頬を掻き、微動だにしないゾンビを再び見下ろした。時間的にはぼちぼち動き始める頃合なのだが、雨に打たれるそいつは全く動き出す気配がない。
木を打ち付けて作った囲いの中は、だいたい十匹程度のゾンビならばギリギリ収容出来そうな広さとなっている。
数日間ゾンビの動きを観察してみて分かった事は、ヤツらの知能レベルでは例え低い柵であったとしても、障害物をよじ登るという芸当はおそらく出来ないという事だった。
その憶測を確信へと変えるため、わざわざゾンビを一匹連れ帰って来て実験する事にしたのだ。……全然動いてくんねーけど。
「……ま、気長に待つとするか」
呟き、俺は欠伸をこぼして頬杖をつく。
しかし、それから何十分待っても、雨の中でゾンビが動き出す事はなかった──。
*
「……結局動かねーじゃん。何なんだよ」
あーあ、と落胆し、諦めてゾンビを土に埋めて戻ってきた俺は、ズブ濡れの長い髪の水気を絞りつつ小屋の中へと入った。暖炉の前では相変わらずリシェが眠りこけており、俺もその隣にいそいそと腰を下ろす。
結局、あの後何十分待ってもゾンビは動かなかった。念のために再び森へと入って他のゾンビも探してみたが、普段は腐るほど徘徊しているはずのゾンビ達の姿も一切見当たらなかった。
何の成果も得られずにのこのこ戻ってきた俺は、暖炉の前であぐらをかきつつ揺らめく炎を黙って見つめる。
奴らが活動しなかった原因は、正直よくわからない。
だが、やはり雨が関係しているような気がする。
(水が苦手……それとも、湿気に弱いとか? でも、雨ん中に放置してても別に腐敗が進行したり、変色したりする事はなかったんだよな……)
俺が囲いを制作している間、あのゾンビは何時間も雨の中に放置していたわけだが、特に見た目の変化や異常は見られなかった。
そもそも土の中に居たところで雨の日には土の内部にまで水が浸透してくるだろうし、完全に遮断する事は難しいはずだ。“水が苦手”だと断定するには、まだ確証が足りない。
(水が苦手なわけじゃない……としたら、何だ? 風か? いや、風は海の近くの方が強いしな。あいつら、海沿いでも平気そうにしてたような……)
──と、そこまで考えを巡らせた時。不意に、俺の小指に何かが触れる。
「!」
「……つめたい……」
ぽつり。俺の小指を握りながら呟いたのは、寝ぼけ眼を眠たげに瞬くリシェだった。
彼女は探るように俺の手に指を絡め、また眠そうな声で「冷たい……」と呟く。
俺はそっとリシェの隣で横になり、彼女の顔を正面から見つめた。
「しょーがねーだろ、俺ずっと雨ん中で作業してたんだから。そら冷え切っとるわ」
「……やだ……あったかい手がいい……」
「贅沢言いなさんな」
「……でも、冷たいの、ちょっと気持ちいい……」
ふにゃ、と柔く微笑み、リシェは俺の小指を握って頬を擦り寄せる。その頬がやたらと熱を帯びているように感じて、俺は眉を顰めた。
「……捜査官、なんか熱くね?」
「んー……? 暑くないよぅ……寒い……」
「待て待て、アンタちょっとデコ出せ」
即座に俺は上体を起こし、身を乗り出して嫌がるリシェの前髪を上げる。そのまま額同士をぴたりと合わせれば、明らかに高熱を帯びた体温が伝わってきた。
いや、完全に熱出してんじゃんこいつ。
「おいおい捜査官、アンタ熱あるって。意外と体よえーな、態度は図太ェのに」
「うぅ……なんかムカつく事言われた気がするけど、怠くて全然怒る気になれないぃ……」
「あらま、こりゃ重症だわ」
赤らんで火照ったリシェの頬を撫で、控えめに握られていた手をぎゅっと握り返す。「手繋いでてやるから、もう寝な」と囁けば、彼女は安心したように力を抜いて再び目を閉じた。
「……イドリス……」
「んー?」
「……罪人のくせに……生意気……むかつく……」
「おーおー、相変わらず可愛げねえな〜、捜査官は」
態度だけはやはりブレないリシェに思わずくすりと笑ってしまいつつ、そっと身を寄せて来た彼女を腕の中に迎え入れる。こうして寝ぼけて擦り寄ってくるのもいつもの事で、なんかもう慣れた。
「……イドリス、なんか泥みたいな匂いする……」
「だってさっき泥ん中にゾンビ埋めてきたもん。嫌なら離れるけど」
「やだぁ……一緒に寝て……」
きゅう、と抱きつく細腕が背中に回される。
ひねくれてるようで素直なんだよな、コイツ。ずっと素直なら可愛げあんのに。
「雨の日ってきらい……体調崩しやすくなるもの……。こんな時にゾンビがきたらどうしよう……やだよぉ、怖いよぉ……。一緒にいて、イドリス……」
「はいはい、一緒にいるから。もう寝ろ、オヤスミ」
言い聞かせ、とんとんと背中を小刻みに叩いた。すると程なくして、彼女の意識は再び微睡みの中に溶けていく。
いやいや、相変わらず寝るのはえーよ。赤ちゃんかよ。
そう考えて呆れながらも、穏やかな寝息を繰り返すリシェの寝顔を眺めていると、俺もつい安堵してしまうのだった。
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