第一章 / 罪人、上陸する

第2話 何言ってんだコイツ

 * * *



『……何だ、今日も寝てんのかよ』



 ぽた、ぽた。

 落ちていく点滴の雫が、彼女の内側に流れていく。


 眠る彼女は、今日も目覚めない。

 面会に来る時間帯が悪いのか、最近の彼女は眠るばかりで、もう随分と笑顔を見ていないような気がした。


 痩せ細った手首に触れ、俺は隣にいる“誰か”に向かって言葉を続ける。



『せっかく料理作ってきたけど、起きねーなあ。待ってたら起きねーかなあ』


『今日はもう無理だろう。大人しく帰るぞ』



 そう提案されたところで、不意に俺は疑問を抱いた。


 ……あれ? コイツ、誰だっけ。


 そう考えて硬直した俺に、黒縁の眼鏡をかけた短髪の青年が振り返る。



『……どうした? ほら、帰るぞ。逢人あいと



 逢人──そう呼ばれて、俺はふと思い出した。


 ああ、前世の俺の名前だ。

 相川あいかわ 逢人あいと。通称アイアイ。いや猿かよ。



(……何だこれ、夢? 前世の俺の記憶か?)



 多分そうだろうと結論を出した俺は、再びベッドの上で眠る彼女に目を向ける。



 ──じゃあ、この女は、誰だ?



 色素の薄い髪、閉じきったまつ毛。

 その姿を知っている。確かに覚えている。


 たしか、彼女の名前は……。




「──この悪党! 私が来たからには、もう悪いことはさせないわよ! 大人しくしなさい!」




 と、その時。


 やけにはっきりした高い声が、俺の沈みきっていた意識を一気に浮上させた。




 * * *




「……んえ?」



 ぎち、と手首を締め付ける縄の感触。俺は寝ぼけた目をゆっくりと開き、静かに瞬きを繰り返す。


 ……あれ? ここどこだ? 寝てる間に島に着いたのか?


 そう思案して顔をもたげた。

 すると視界に入ったのは、ワンサイドアップに結われた薄桃色の長い髪。次いで硝子玉のようなすみれ色の瞳と至近距離で視線が交わる。


 やがて朧気おぼろげだった意識がようやくハッキリし始めた頃には、長い前髪で片目を隠した女が俺に鋭い視線を向けながら銃口を押し当てていて──。



「──え、誰」



 状況が理解出来ず、ぽかんとしながら問いかけた。

 直後、女は片方しか窺えない目を更に険しく吊り上げる。



「凶悪な暗殺者、イドリス・ダスティ! 此処で会ったが百年目! あなたを捕捉します!」



 程なくして堂々と放たれた声は、先ほど夢の中で最後に聞いた声と同じ。しかし彼女の発したその発言に、何言ってんだコイツ、と俺は思わず目を細めた。



「いや、捕捉も何も……俺もうとっくに捕まってんだけど。何なら刑も執行済ですけど」


「さあ! 大人しくしなさい!」


「おーい、聞いてる? つーか俺ずっと大人しくしてるよね? むしろアンタが寝てる俺を起こしたよね?」


「むむ……! この縄、なかなか結べない……! ちょ、ちょっと待ってね。今結んでるから。動いちゃだめよ!」


「……」



 ……何だ、この女。


 うんうんと唸りながら手縄の結び目を固めようとしている女に呆れつつ、俺はするりと華麗な縄抜けを披露して彼女の拘束を容易く脱した。途端に女は「ああー!!」と声を上げ、眉根を寄せて俺に詰め寄る。



「もおお! 動くなって言ったでしょ! せっかくもう少しで結べそうだったのに!」


「やだよ、縛られんの飽きたし……つーか、こんなん大人しく待つわけなくない? バカなの?」


「バカって言うな! 怒らせると怖いわよ! 私は王都から派遣された捜査官なんだからね! ほら!」



 びしっ、と背筋を伸ばし、左腕の腕章を見せつける。そこには王都軍の紋章と、俺には読めない何らかの文字が記されていた。


 ああ、なるほど。こいつ王都の軍人イヌなのか。


 そりゃあ、俺の事を目の敵にするはずだわな。



「さあ、大人しく捕まりなさい! イドリス・ダスティ! 私があなたに法の裁きを受けさせてやるわ!」


「だからァ、俺もう捕まったんだって。むしろ裁き受けた後なんだって。……つーか、王都軍の捜査官様がこんなとこで何してんの? 女一人なわけじゃないだろ? 仲間は?」


「うっかり居眠りしてたら見事にはぐれたわ!」


「うわあ、すんごいポンコツ」



 清々しいほど潔くのたまった女は、よく見ればぷるぷると小刻みに震えている。


「うわあん! なんで一人の時に限って暗殺者とか見つけちゃうのよぉ! これが初任務なのにぃ!!」


 と涙目で嘆き始めたその様子を見るに、どうやら他の仲間に置いていかれた新米捜査官らしい。


 まあ、こんだけポンコツなら置いていかれるわな、と納得していれば──不意に、背後の茂みがガサガサと揺れる。ついでに「ウゥゥ……」と不気味な唸り声のようなものまで耳に届き、途端に女は飛び上がった。



「ひいっ!? な、何っ、おばけ……!?」



 彼女はすぐさま俺を盾にして背後に隠れ、ぴたりと背中に密着する。むにいっ、と押し付けられた豊満な膨らみおっぱいの感触に、「おお、意外と良いサイズしてんじゃん」と俺は密かに感心していた。



「い、い、イドリス・ダスティ! こ、こ、この状況は何!? 説明しなさい!」


「いやあ〜、背中に見事なおっぱいが当たってますね」


「ちっがう!! そうじゃなくてこの島の現状について説明しろって言ってんのよぶん殴るわよ!! 変な生き物とか居ないでしょうね!?」


「さあ? この島の事なんか知らねーよ、アンタに起こされるまで俺ずっと海の上だったし。どうせイノシシとか鹿とか、よくいる獣の仲間じゃん?」


「で、で、でも、さっきから、何か変な視線を感じるというか、妙な気配がして……!」



 ──ガサガサガサッ!


 そこまで彼女が言いさしたところで、更に大きく茂みが揺れる。「ひやぁ!?」と素っ頓狂な声を上げて抱きついてきた女の胸の感触を背中で楽しみつつ、俺は揺れる茂みの奥をじっと見据えた。


 やがてそこから現れたのは──人間でも、獣でもなく。



「……ァ……ア……ァア……」



 溶け落ちたかのようなただれた皮膚、剥き出しの眼球、もはや性別すらも判断出来ぬ程に腐乱した体。


 不気味な唸り声を発してゆっくりと近付くその姿を──俺は、よく知っていた。



「──あ、ゾンビだ」


「ぎゃああああ!? 化け物ぉぉ!!」



 女は俺にしがみついて絶叫し、目の前の歩く腐乱死体に戦慄してパニックになっている。


 まあ、そりゃそうか。

 俺が転生したこの世界に、ゾンビなんてもんは本来存在していないはずなのだから。



「な、な、何なのアレ!? アレ何なの!? 答えなさいイドリス!」


「えーと、腐った死体が歩いてるみたいな……生き物? とりあえずゾンビという」


「何それ!? 死体なの!? 生き物なの!? どっち!?」


「あ~、俺の中ではギリ生き物カテゴリかな~」


「アァ……ァァァ」



 そうこう言い合っている間に、周りはいつの間にか複数のゾンビに包囲されていた。背後の女はすっかり震え上がり、構えている銃の狙いも全く定まっていない。


 その一方で、俺は興味深く周囲の状況を観察し、この島の現状を冷静に紐解いていく。


 鬱蒼と生い茂る木々の隙間から次々と湧き出す歩行死体ウォーキングデッド。他に動物の気配はない。


 ──なるほど、俺の追放先はゾンビ島だったってわけだ。



(罪人の流刑地としてはうってつけだな)



 溜息混じりに頬を掻く。

 刑が決まった時から、わざわざ処刑じゃなくて島流しにするなんて妙だな〜とは思ってたんだよ。



(結構デカい罪で捕まったし、てっきり処刑一直線だと思ってたけど……なるほど、そういう感じねえ)



 はあ、と再び漏れる溜息。


 大方、王都軍がこの島で極秘に生体兵器でも作ってるってとこだろう。で、罪人おれたちはその餌ってわけだ。



「……にしても、ゲームじゃなくて実物見るとゾンビも印象変わるわ〜。意外に肉付きいいし。もっと骨と皮しかねえのかと思ってた」


「ちょっとぉ! ブツブツ言ってないで、さっさとどうにかしなさいイドリス! 早く!」


「めちゃくちゃ人の事こき使うじゃんアンタ……。あ、気を付けろよ。アイツら人間食うから」


「食べられっ……!? や、やだぁぁ! まだ死にたくない! 本土に帰りたいよおぉ!! お父さんに会いたい!!」


「分かる〜、俺もゾンビに食われて死ぬのやだわァ……むしろ俺の方が腹減ってるし。逆に俺が食いたい──」



 ──と、そこまで言葉を続けた時。


 俺の脳裏にはある考えが過ぎった。

 まさに天啓にうたれるが如く、鮮明に、その思考に達した。


 徐々に近寄ってくるゾンビ達を見つめ、俺は口を開く。



「……なあ」


「……へ?」


「ゾンビってさあ──」



 ──食ったら、うまいのかな?



 そう問い掛けた瞬間に視線が交わった彼女の、「何言ってんだコイツ……」と言わんばかりに歪曲わいきょくしてドン引きしたあの顔を、俺は一生忘れないかもしれない。




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