生きた霊廟

沼の底

第1話 邂逅

 通された部屋は大層薄暗い。微かな太陽の日差しが照らす、奥深い森のようだ。その人……彼女は窓辺にあるシングルソファに腰掛けている。レースカーテン越しに外を見ていた。僕は静かに彼女の前にある小さな椅子に腰かけて、自分の手帳と万年筆を取り出した。彼女は静かに手帳に目配せをして、小さな溜息を吐いた。あからさまに怪訝そうで、僕は嫌気を帯びて唾をのみ込んでしまった。それに気付いたようで、彼女は微かに笑みをこぼしながら、口を開けた。唾液が糸を引いていた。


 あれは、いつの事だったでしょうか。私にとって、それは産まれる前から語り継がれるかのような、私自身が体験したような記憶ではなく、遠い先祖が語り継いできたような記憶なのです。到底、あなたにお話するような事ではありません。ですから、どうかご理解頂きたいのです。このお話は、あなたにとって苦痛以外のなにものでもないのですよ。ただ、ご希望とのことですから、私はお話をいたします。よろしいですね。


 僕は、彼女を見ずに、手帳を相手に静かに頷いた。嫌気よりも、好奇心のほうが勝るからだ。

 

 辺境の地に住まう貴族、アズール家。歴史は長く、由緒ある家柄といえば聞こえがいいですが、他の貴族と比べれば裕福といえるほどではありません。なので、細々と町の人々と生きてきていたようです。ただ、私の旦那であるアムシェルは歴代最高と言われる商才……商才というよりも、強運と言ったほうがいいのでしょうか。アズール家の領地にあった荒れた山で偶然にも金を掘り当てて、財を成し、それを皮切りに材木業を手掛け、大規模な造船業を営みました。当時、他の貴族たちからは貴族がブルジョワジーになったと馬鹿にされたものでした。私は、アズール家とは雲泥の差。貴族というのは名ばかりで、没落しておりました。そんな中で、偶然にも港町でアムシェルと出会いました。あれは、今思えば奇跡だったのかもしれません。

 そして、月日が流れて、彼といる事が当たり前になった時、私は家柄で散々悩んでおりましたが、彼の兼ねてからの誘いを受領いたしました。

 「君が、私の傍にいてくれるなんて夢のようだ」

その日の事はよく覚えております。端正な顔立ちだけではない。彼の芯から滲み出る気品溢れる姿を見て私は心底、溜息が出ました。それほどに幸せなのです。すぐに婚礼の儀をするために家路に急ぎました…………。


 彼女の言葉が詰まるのを感じた。僕は手帳から目をはなして、彼女を見た。そこには目を見開いて僕を凝視する姿が映った。思わず僕は手帳に万年筆で揺れる線を引いてしまった。彼女は肩で息をして、少し歪んだ口元から漏れる息の音が聞こえていた。僕は何も言わずに、手帳に目線を落とした。


 失礼いたしました。どうしても……遠い先祖が語り継いできたような、自身の体験ではないようなお話ですから。私も困っているのです。続きをお話いたします。


 僕は彼女の声が微かに震えつつも、恍惚さを感じる吐息を手帳を見ながら感じていた。


 私の家族としては、由緒正しい貴族であるアズール家との婚姻は喜ばしいことで、彼は持参金に関しても免除でいいと告げ、逆に私の家にお金を入れてくれました。当時ではありえないことで、私自身、なんて奇特な人なのだろうと驚きました。そして、アズール家へ嫁ぐ朝、私は家族とお別れをしました。アズール家からは沢山の使用人が迎えにきており、何方も身なりが整い、気品ある佇まいでした。実は、この時にアズール家の大邸宅に行くのは初めてでした。彼は別荘にばかり私を招待しておりましたので、どのような場所なのだろうと、少し心が高鳴っておりました。道中はとても長かった記憶がありますが、今となってはよく覚えておりません。ただ、到着したのは三日後の夕刻でした。日が沈みかけて、空は赤く染めあがっておりました。薄暗いながらも、手入れの整った薔薇園。木々。そして、白い石造りの大邸宅。まるで小国の王様が住んでいそうな上品なお城……邸宅でした。彼は玄関口で待っていて、私を迎えてくれました。大きな玄関口を超えると、金織りの紅色の絨毯が敷かれて、吹き抜けの玄関ホールには、立派な大理石の両階段がありました。左右には若いメイドたちが控えており、私に礼をしておりました。

 「はじめての我が家はどうかな。これからは、ここは君の家になるのだから、今日はお祝いをしようとおもって、いつもより豪華なお出迎えをしたんだ」

彼はそういいながら、私の肩を擦りました。ただ、私はその言葉よりも、このホールでどんな豪華な装飾よりも、一層に目立つ存在に目をやっておりました。中央の階段の突き当りにある、ホールの天井から下まである巨大な絵画です。その絵画は両脇にビロードのカーテンがかかっており、下のほうは見れますが、顔部分はカーテンで隠されていました。藍色のドレスに、指輪をしている手が見えるところから、おそらく描かれているのは女性なのでしょう。ただ、なぜこのような目立つ場所に女性の絵画が飾ってあるのだろうと、疑問を抱きました。


——コツン、コツン


 左側の階段を、静かに下りてくる女性がおりました。彼女は漆黒のドレスを身に着けて、帯には大量の鍵束をぶら下げておりました。薄っすらと白髪が混じる短めの頭髪に、綺麗に歳を重ねているシワ。ただ、誰よりも背筋を伸ばしており、絵画の横で一度足を止め、絵画に一度礼をした後に、私を見据えながら、中央階段を下りてきました。他の使用人たちは、私にした礼よりも深く、彼女に対して礼をしました。彼の前に立つと、彼は静かな声で私に語りかけました。

 「家政婦長のサマンサだ。私の祖母の代からこの家に仕えており、今は亡き母の代から家政婦長をしている。私が不在の時はサマンサに何でもきくといい。」

私は彼の顔が少し硬直しているのを感じましたが、彼女……サマンサは、にこやかに私を見て、浅く礼をしました。

 「はじめまして、奥様。サマンサでございます。アズール家の家政婦長を、偉大なるマダムクローリー様の代より、させて頂いております。どうぞ、何なりとご用命ください」

 「…………ああ、マダムクローリー……私の母だよ。ほら、あそこの絵画の……」

彼は少しだけ言葉に詰まりながら、私が気にしていた巨大な絵画に手を向けました。気付けば、周辺にいる使用人たちは全員、顔が隠れている巨大な絵画を一心に見つめていました。少しの沈黙の間に、私が周辺を見渡していると、サマンサが静かに語りかけました。

 「奥様。長旅でお疲れでございましょう。お食事をご用意しておりますから、旦那様もご一緒にお食事を……」

そう言いながら、サマンサは私の手に静かに触れて、手を引きました。少し驚きましたが、彼はにこやかな顔をしながら、手を引くサマンサと私の後をついてきました。手を引かれながら階段をのぼる最中、私は、顔の見えないマダムクローリーの絵画を、じっと見つめておりました。


 いつの間にか落ち着いて、淡々と彼女は話している。だが、僕は彼女を見ることに、どうしても抵抗があった。なので僕は手帳を眺めながら、徐々に日が沈んでいく室内と、インクが切れそうな万年筆の調子を探っていた。

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