第七話 椿の散る頃


…倒れたツバキは苦い顔をせず、むしろ何事も無かったかのような静かな表情で、確かに倒れている。


「え……?どうしちゃったのツバキ…。」


状況が分からない。ツバキは安らかに横たわり、息をしていない。



「ねぇ…嘘…。」


私は授業で習ったように両肩を叩いた。応答はない。



「ねぇ、ツバキ……起きて。



起きてよ…



ねぇ、起きてよぉ!!!」




応答はない。



たまたま廊下にいた看護師さんがこちらに気づいてくれて、部屋の中に入ってきた。



「ツバキさん、大丈夫ですか。…ツバキさん。」



応答はない。



「ナースコール押してください。」



私はベッドの枕上にあるナースコールを押した。その発信機を握る私の手は震えていた。



…数十秒でツバキの担当医が息を切らして入ってきた。




「息してない…。おい、緊急手術室2番にまわすぞ、急げ。」


「『はい。』」


担当医の号令に合わせてここにいる人六人がツバキの体を素早くベッドに乗せた。そして六人がかりでベッドを押し、部屋を出てどこかへ運んで行った。


担当医は部屋に備え付けられていた内線電話で誰かと話している。担当医の会話からは「コードブルー」と聞こえた。



──



気づいたら部屋には私一人だけ。



15分と経たないうちにツバキは姿を消した。



──『突如として悪化してもおかしくない』



いつの日か担当医に言われたことを思い出した。



ついに今日、現実となってしまった。



私の意識は浮いていた。



焦点も合わず、頭脳は機能しない。



…震える。怯える。戦く。怖い。



私のツバキともう話すことができない。



もう触れられない。



もう…笑った顔を拝むことができない…。



床に膝を打ち、しばらくの間私はツバキのいた場所に存在していた。


私中の水分が抜け、どうしたらいいのか、何となく残っている私の意識は目的を失った。気が抜けて、もはや悲しむことを超えている。




運ばれるのを追いかけることが怖くて、


ついに私のツバキが失われてしまったと分かりたくなくて、



まだ、ツバキにまだここにいて欲しくて。



───


難病の河野椿を手術室に運んできた。担当医である私は彼女の精密検査を始めた。



「…脊髄炎症…やはり……時は来たか…。」



脳に細胞異常が回っていることがわかった。


ただ、発症してから一年たっており、ここまで耐えるとは思っていなかった。



…ミズキ、というやつのおかげか。


自分の苦労を気にもせず、毎日のように、かかさずツバキの顔を見に来てくれた。


友達…いや、親友と会えて、椿は幸せだったのだろう。


彼女の一年はミズキとあった。




「櫻井さん、大変です。患者の自発呼吸が戻りました。」


「なんだと!?」



──


ビニール手袋を付け、手術室へ踏み入れた。



…っ、これは…



モニターを見て、彼女が心拍と自発呼吸をしていることがわかった。


脳に病が至り、致死と思われたが、



…これはまだ生きたいという彼女の意思か。



──



私が手術室から出ると、壁に即したベンチに彼女の親友、ミズキが項垂れていた座っていた。鋼鉄のような真顔で下を向き、なにか悟りを開いているようにも見えていた。


ミズキが私に気づいた。



「あの……み、ツバキは…。」



ミズキは私にそう言った。ミズキにとって、ツバキの容態を聞くのは苦よりも苦であろう。



「奇跡が起きて、何とか一命を取り留めたので安心していただきたい。」



「本当ですか…!よかっ…た。」



「では私はこれで。」



私はこの後別の患者との面談が入っていたので、ミズキのもとをすぐに去らねばならなかった。

去り際に見たミズキの姿は、確かに項垂れていたが、悲しみは見受けられなかった。祈るように合わせた両手を握り、東京大学に受かったかのように、誰かに感謝しているように見えた。

神に感謝しているのか、医師に感謝しているのか、椿に感謝しているのか。



私はミズキに感謝せねばならない。



──



三年。部活は5月に引退済。


あの日からも私は変わらず病院に通い続けた。決して来ない、ツバキが目を覚ます日を求めて。


秋を迎え、今日は文化祭当日。



最後の文化祭でほかの人たちは去年よりもはしゃぐ中、私は楽しくもないし悲しくもない。

平坦な心境で、この祭りを終わらせることを目的とした。


出し物を回るのにも、誰も私を誘おうとしない。それが気遣いなのは知っている。


一人で出し物に賑わう廊下を、人々にもまれながら通った。


──ねね、お化け屋敷いこ!


──軽音楽部のライブ見に行こ!



周りから聞こえてくるのは誰かと誰かの会話。


私の孤独を印象づけるかのよう。




人混みから出た。ここは円テーブル一つの置かれている広間。



…ふと右をみると私とツバキが二人手を繋いで自撮りしている姿が見えた。


…ふと左を見ると私とツバキがフランクフルトを食べていた。


…視界を正面に戻すと、ツバキが私の手を引っ張ってどこかへ連れて行く姿が見えた。




気持ちの整理は着いたはずなのに、私の視界にはいつもツバキの姿が写った。



『河野椿は意識は無いが、確かに体は生きている。いわゆる植物状態になった。』



あの日の担当医の言葉を思い出した。


生きている…でも、もう話せないんだよね…。


ツバキに言いたいことは、あの日以来あまた見つかった。


それに後悔してもしきれなかった。時間が戻ったら、去年の冬、あの日まで戻ったらいいのに…。



──



三学期、今日はバレンタインデー。


私はいつも通り病院に来た。ベッドに寝ているのはツバキ。


表情安らかに、目を閉じて微動だにしない。


ただ、ツバキの上にある機械は生きていることを表している。



私はツバキの手を握った。



その時だった、運命の時は。




♯♯♯♯♯ーーーー!!!!!!



突然の機械音、輝く赤色のランプ。



ミズキが目を開いた。



「ミズキ!!」



握る手の力が強くなった。



「……み…ミズキ…。」



ツバキの声はかすれ、震え、今にも消えそうな蝋燭の灯火のようだった。



「……ミズキ…これを…。」



そう言われて手渡されたのは一通の手紙。ずっとツバキの体のもとにあったようで、少し温かかった。




******ーーーーー!!!!!



別の機械音に変わった。


するとツバキは目を閉じた。



「ツバキ? ねぇ、ツバキ。ツバキ!!!」



私の大声に、廊下から看護師が次々と部屋に入ってきた。



「ちょっと、あなた、落ち着いて。」



一人の看護師にそう言われたが、私は親友の名を呼び続けた。



「ねぇ!!起きてってばぁ!!ツバキ!!」



ついに私は看護師二人に抑えられてしまった。嗚咽する私は拘束を必死に解こうとした。



するとツバキの担当医が部屋に入ってきた。



「ちょっとどいて?」



そう言って集まる人をかき分け、ツバキの目にライトを当てた。



「…16時34分



───死亡を確認。」




──



今日は卒業式。


ツバキの遺影は家族に頼まれて私が持って行く。

ツバキはそれを望んでいて、前に家族に伝えていたらしい。


桜の花びらが遺影に付いた。それを取るのと同時に、遺影のツバキと目を合わせた。


「高校、終わっちゃったね。」


結局ツバキは卒業を待たず旅立ってしまった。

彼女の最後を看取ったのは私だけ、つまりツバキの最後の言葉を聞いたのは私だけ。



校門の前に立つ。

心も落ち着き、進路活動で見る機会がなかったツバキの手紙の封をついに解いた。

 


──…手紙は悔いのないように読んだ後、捨ててください。手紙なんて無くったって、私を思い出してくれると信じてる。──




その手紙にツバキの字で書いてある指示通り、私は手紙を八つ裂きにして野へ投げ捨てた。

近くの道路に走る車が起こした風でその紙切れはどこが遠くへ飛んで行ってしまった。


手紙を読んで、ツバキがもうこの世にいないことに涙を流した。ただ、悲しくはなかった。私は笑顔であった。笑顔で涙を流していた。


──



その日の夜、卒業式から帰ってきた私は進路先の書類を握りながら、宙を見上げてツバキに言葉を投げかける。

 

───

 

その時、ツバキから返事が返ってきた。

 

───




ピンポーン



うちのインターホンが鳴った。



後にお母さんが私の部屋に入ってきた。


「ねぇ、届け物、あなた宛よ。それにしても大きいねぇこれ。」



そう言われて正方形のボックスを渡された。確かに私宛だ。誰からだろ…。下の欄に目を移した。



[河野 椿]



え、ツバキから?



…カッターで丁寧に開けてみると、中には一枚の額が入っていた。


取り出すと裏面であった。


そこにはこう書いてあった。



『私の花』



表に返した。


そこには、押し花が一枚挟まれていた。



─────白いアサガオ



なぜアサガオが…?私はてっきり自分の名前にかけて、椿の花だと思っていた。



アサガオの花言葉を調べてみた。





……



────「ツバキ…ありがとう。」

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椿の散る頃 リペア(純文学) @experiences_tie

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