#プラットちゃん

日回

#プラットちゃん

 それはSNS上で起きた、小さなネットムーヴメント。


「#プラットちゃん」


 このハッシュタグをつけ、「#プラットちゃん」に関する何かを呟くだけ。

 しかし、「#プラットちゃん」というキャラクター、あるいはアカウントはどこにも存在しない。存在しないものを本当に存在しているかのように取り扱う、ある種のジョーク遊び。唯一のルールは不文律。あくまで、どこまでも、存在しているように扱うこと。


 くだらないネットミーム。それでも、最初期にこのムーヴメントを作り出した約100個程度のアカウントが秀逸だった。


 彼らはSNS上で何か明確な意思疎通を図ることなく、「#プラットちゃん」は16歳の少女であること、眼鏡をかけていること、控えめに見えて活発であること、よく何かをやらかすこと、ゲームが好きであること、等々の『事実』を共有した。


 次第に、約5個程度のアカウントが、「#プラットちゃん」の容姿をイラストに描き始めた。髪の毛は栗茶色、背は16という年齢にしては小さめ。一見控えめに見えて、よく笑い、よく表情が変わる。これらの『事実』が、「#プラットちゃん」が描かれるたびに、共有されていく。


「#プラットちゃん」が楽しく日常を過ごす、という漫画が小さな界隈で共有され出したうちに、ムーヴメントは大きさを増していった。

 1つ、また1つと新たなアカウントが「#プラットちゃん」のことを知り、「#プラットちゃん」について彼らがことを語りだしていく。

 ムーヴメントは段々と体長を伸ばしていった。


「#プラットちゃん」がSNS上に姿を現してから約3か月。彼女を知る者は着実に増えていた。

 そんな折、最初期を作った約100個のアカウントではない、とあるアカウントが「#プラットちゃん」の漫画をアップロードした。

 その内容は、“アカウントユーザーと同級生である”「#プラットちゃん」に、ユーザーが遠まわしに好意を伝えるも、「#プラットちゃん」には伝わらず、むしろ話が転じて脈無しであることがはっきりとわかってしまう、というもの。


 こそばゆい共感を誘うこの漫画はSNS上で大きく拡散され、「#プラットちゃん」の存在は多くのSNSユーザーに知れ渡った。

 その後、多くの他ユーザーが同じような『体験』をイラストにし、発信した。様々なシチュエーションでユーザーが「#プラットちゃん」に悪意なく、こっぴどく振られる、という内容の漫画は流行となり、イラストサイトのランキングにも登場するようになった。


 されど、流行は長く続かない。

 同じ内容の『体験』は次第に飽きられ、拡散されなくなっていった。されど、「#プラットちゃん」は依然。今度は、ある女性ユーザーが発信した『体験』。いわゆる“女性らしさ”の乏しい自身に悩みを持つユーザーが、同級生である「#プラットちゃん」の、個性的な奔放さを見て女性らしさとの向き合い方を見つめなおす、という内容。

 これがまた大きく拡散され、今度は“ふと憧れてしまうような友人”たる「#プラットちゃん」が流行となった。

 この流行が終わるころには、「#プラットちゃん」の知名度は大変なものになっていた。


 それからというもの、毎日のように「#プラットちゃん」に関する『体験』『目撃』『遭遇』が泡沫の様に生れては消えていった。様相は初期と大きく変わっていた。「#プラットちゃん」の『事実』は共有されるものではなく、認知されなければならないものとなっていた。


 母数が大きくなった以上『事実』自体にも知名度が要されるようになり、また『事実』同士が矛盾することもあった。「#プラットちゃん」に彼氏がいる、等はもとより、バスケ部である、いや図書委員である、いやいや駆け出しアイドルである、など木っ端な『事実』はSNS上で普及する前に多くが見逃され、あるいは嫌悪され、あるいは忘却され、そして消失していく。


 集団認知という篩の中で、「#プラットちゃん」の『事実』は研磨され、洗練され、精製されていった。「#プラットちゃん」は愛すべき理想的友人であり、人生を謳歌する小市民であった。その容姿は、数多の有名イラストレーターが個人的にしたためたイラストによって、最初期からやや身長は低くなって小動物的に、服装はより普遍的好感をもたれるなものに『成長』した。


 それから、また数カ月。


 とあるイラストサイト運営が「プラットプロジェクト」なるものを立ち上げた。確固たる認知度を得た「#プラットちゃん」に声優をつけ、キャラクターソングとオリジナルアニメを制作、発表するとしたのだ。


 最初、SNS上では大きなバッシングが起きた。「#プラットちゃん」は「#プラットちゃん」であり、声優をつけるなど「#プラットちゃん」のことを。そして「#プラットちゃん」の著作権保有者は定かではなく、また定かではないからこそ「#プラットちゃん」というコンテンツはここまで愛されてきたのではないか、という批判がSNS上で多大な賛同を伴って溢れた。


 しかし、運営はプロジェクトを強引に決行した。

 プラットプロジェクトはスタート時こそ、賛否両論。賛成派、反対派、両サイドが「#プラットちゃん」の『事実』を巡って争った。


 だが、運営は多く反対派の意見を覆すほど「#プラットちゃん」を誠実に扱おうとする態度を見せた。キャラクターソング、オリジナルショートアニメともに予想以上のクオリティで発表され、またそれらは動画サイトで無料配信と、次第に論調は運営賛成派に傾いていった。


 特に起用声優の尽力が大きかった。彼女の演じる「#プラットちゃん」はまさしく「#プラットちゃん」そのものだった。その声質、声色、しゃべり方、抑揚全てが「#プラットちゃん」を知るものに『彼女らしい』と思わせたのだ。起用前から現在に至るまで、声優の名前が伏せられていることもあり、今後3Ⅾモデルを制作してのヴァーチャルキャラクター化されるのではないかという期待が、SNS上では湧き上がっている。




 ────────────────────────────────




 とある病室。頭髪のない女が一人、白いベッドに横たわっている。ベッドから、隣の心電図につながるケーブルがだらんと伸びている。

 女は目が据えていた。酷くやつれているため老いて見えるが、齢はまだ二十代後半だった。


 サイドテーブルのテレビが、午後のニュースを垂れ流していた。


『深刻化する核家族化……────子どもの自宅待機が多く……────』

『出生率、今年度も減少……────』

『社会的孤立……────どう解決するか……────若年層多く……────』


 気が滅入るような内容ばかりだ。

 女は緩慢にリモコンを取って、テレビを消した。


「────さん、御具合いかがですか」


 若く美人の看護師が入室してきた。その表情はどこか物憂げだ。


「ええ、今日は、調子がいいかも。吐き気もないわ」


 か細い声。女は末期癌だった。死期は近いが、天涯孤独で恋人もない。

 若年癌であり、見つかった数年前こそまだ進行しておらず、通院治療が行われたが、病状はゆっくりと悪化していき、数カ月前入院となった。入院して以来ずっと寡黙で、スマートフォンばかり見続けている。

 それでも、どれくらい前だったか、一度だけ女が自ら話し出したことがあった。看護師はせめて安らぎになればと、ベッドの隣の椅子に腰を下ろし「聞きますよ」という態度を示した。

 内容はこんなだった。


「生殖という行為は汚らしいわ。酷く醜い。死んでも行いたくない」

「それでも、子どもを作るという行為は尊いわ。一つの人格が、この世界に新しく生れるんですもの。神様って、気持ち悪いわね。この二つを結び付けるんですもの」

「だからね、私、生殖をせずに、子どもを作ったの」


 まさしく『事実』を語るような、滔々とした口調だった。看護師は、一目散に逃げ出したいような気持ちで、その話を聞き遂げた。

 彼女に子どもはない。カルテを見れば一目でわかる。


 あの日以来、看護師と女は一言以上の会話を交わしていない。


 けれど、今日は違った。


「────さん、依然伺った子どもさんのことなんですが」


 子どもという言葉に反応してか、女はふと目を看護師の方に向けた。


「その子どもさんについて、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。どういう、お子さんなんでしょう……。その……ここに来てもらったりは、できないんでしょうか」


 看護師は、いたたまれなかった。恐らく、誰にも看取られず死んでいくであろう、この女が。だからこそ、その「子ども」と呼ぶ誰かが、どんな正体であれ、存在しているならなんとか一目でも合わせてやれないだろうかと。


 けれど、女は小さく首を振った。


「残念だけど、できないわね。あの子は、ここに来れないの」


「そう、ですか……」


 看護師もさすがに落胆した。そしてせめて最期にと、彼女の話に付き合うことにした。


「あの、お子さんの名前は、なんておっしゃるんですか?」


「……『プラット』」


「プラット……?」


「ええ。御存じない?」


「はい……」


「……そう……」


 女は少しだけ語尾を下げた。そして気が向いたのか、また彼女は、『事実』を、滔々と語りだした。


「あの子はね……幸せ者なの。こんな時代に、あれほど愛されて。いえ、むしろ、こんな時代だからこそ、愛されるのかも……」


 看護師は、居心地の悪さに表情が歪んでしまいそうになるも、こらえて、話に聞き入る。


「あの子を生むのには苦労した……。それでも、出産の苦労と比べてみれば軽いものなのかもね……。けれど、あの子は生殖を経ずに生れたから、尊いの。歪んでいないから……何者でもなれるから……愛される」


 女は、満足そうに目を瞑った。


「いいの。あの子が来てくれなくても。あの子は存在し続けるし、成長し続ける。これからも、ずぅっと」


 そう言い遂げて、女は話を終えた。弱々しくも毅然としたその姿に、どこにも悲壮の色はなかった。そして、眠ったように沈黙する。

 心電図は正常に動いていた。本当に眠ったのか、彼女の言う「プラット」に一人思いを馳せているのか……。


 看護師は部屋の手入れを静かに終え、病室を去った。


 ──その二日後、女は息を引き取った。


「#プラットちゃん」を最初に語りだした約100個のアカウント。その全てが、かつて女が住んでいた家から『事実』を発信していた。この事実を、今や知る者はいない。

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