第49話 議場に現れた男

 ······天界の世界には九つの大陸が縦に並び浮遊している。上から二つ目のニ等区大陸以下の空は霧に覆われている。


 その霧は下層の大陸になる程濃くなって行く。太陽が遮られた下層の大陸は貧しく、民衆は貧困に喘いでいる。


 アメリフェスは民衆扇動の演説を九等区大陸。八等区大陸。七等区大陸で行った。九等区大陸ではウラフ軍団が蜂起し、八、七等区大陸でも散発的に民衆蜂起が発生していた。


 最高議会から召喚の知らせを受けていたアメリフェスは、七等区大陸で演説を終えた後突如として姿を消した。


 民衆扇動の張本人が行方不明になると言う事態に、カーサント穏健派代表は不愉快な表情を隠さなかったが、彼はアメリフェスが見つかるまで手をこまねいて待つつもりは無かった。 


 この九つの大陸の治安維持を担う憲兵組織の総指揮者、バニラス一等区大将は最高議会から出頭命令を受け、腸が煮えくり返る思いだった。


 新設された最下層の十等区の島で起きたウラフの反乱。この事実を口外しない代わりに、バニラスはアメリフェスに弱みを握られた。


 故にアメリフェスが下層の大陸で演説を行う事も黙認する様にホルモス達部下に指示した。


 だが、アメリフェスの過激な演説が民衆を

蜂起させる事態になる事はバニラスの想像の外だった。


 カーサント達最高議会代表議員はアメリフェスの民衆扇動の罪を問う為に彼の行方を追っているが、バニラスこそアメリフェスの首根っこを掴みたい気分だった。


「······あの若造めが。ふざけた事をしでかしおって」


 バニラスは憤怒の表情で最高議会の中の廊下を歩いていた。バニラスは下層大陸の反乱に対して、上層大陸、中層大陸の憲兵を総動員して当たらせる準備をしている最中だった。


「バニラス一等区大将。九等区大陸憲兵総指揮者、ホルモス三等区中将が戦死したそうだ」


 カーサント最高議会代表議員の執務室で、バニラスは執務室の主から開口一番に驚愕の事実を知らされた。


「バニラス一等区大将。君は下層大陸を封鎖し、情報を隠蔽しようとした。我々は軍を使い内情を調べさせて貰った。この罪は軽くないぞ」


 最高議会穏健派代表の突然の最後通告に、バニラスは必死に抗弁を試みる。


「す、全てはアメリフェスの仕業です! 奴が民衆扇動の演説を行い、民衆反乱の誘発の原因を作った! あの若造こそ今すぐ逮捕するべきです!!」


 最高議会代表議員への敬称もどこかに放り投げ、バニラスは怒りのままに声を荒げる。


「アメリフェス最高議会代表議員の罪と君の罪は別だ。今を以って君の任を解く。憲兵組織は軍の指揮下に入る。これは最高議会の総意だ」


 カーサントは反論を許さぬといった表情でバニラスを睨みつける。天界の最高議会は、アメリフェス率いる強硬派が過半数を握っていた。


 だが、天界の歴史上初となる民衆反乱の事態に強硬派も顔色を失い、カーサント率いる穏健派の言に大人しく従っていた。


 これまで積み上げて来た地位を一瞬にして失った元一等区大将は、震える両足で必死に自分の体重を支えていた。


 カーサントの背後でその光景を眺めていたフォルダンは、満足に食事が摂れた影響か大分血色の良くなった表情を曇らせていた。


『······カーサント議員はこの天界の平和を願っている。だが、その平和とはこの天界の厳格な身分制度の維持する事だ。彼は決して貧しい民衆達に温かい手を差し伸べる事はしないだろう』


 そのカーサントに協力する形になったフォルダンは、自分の行動が正しいのか正直分からなかった。


 だが、民衆反乱が成功する事態だけは避けねばならなかった。さもなくば、天界は弱肉強食の世になるとフォルダンは懸念していた。


 その時、一人の秘書官が執務室の扉を乱暴に開けて慌てて入室して来た。


「カ、カーサント最高議会代表議員! 今知らせがありました! アメリフェス最高議会代表議員が出頭したとの事です!!」


 秘書官のこの報告に、事態は急展開を見せた。議会場には直ちに三百人の最高議会代表議員が招集された。


 議会場内は不穏な空気に包まれていた。議会場中央に白い官服を着た長身の男が涼しい顔をして姿勢良く立っていた。


 天界の歴史上、初となる民衆反乱。そのきっかけを演出したアメリフェスの立つ場所は、本来議事進行を行う議長席がある場所だった。


 その議長席を囲むように何列もある席に、二百九十九人の最高議会代表議員が着席していた。


 カーサントは勢い良く席を立ち、アメリフェスの立つ場所に歩み寄る。最高議会穏健派代表は、強硬派代表に弁明を許すつもりは無かった。


「アメリフェス最高議会代表議員。いや。最早君にはその資格は無いな。アメリフェス。君を民衆扇動の罪で拘束する。大人しく罪に服すのだ」


 議会場内は静まり返った。最高議会の過半数を占める強硬派代表に登りつめた男の転落の瞬間を、議員達は固唾をのんで見守っていた。


「罪とは何だ。カーサントよ。私の行動はこの天界を新しく生まれ変わらせる。その尊い仕業を称賛される事があっても非難される覚えは無いな」


 ふてぶてしく。アメリフェスの言い様は正にそうだった。カーサントは苛立ちが顔に出たが、この時の穏健派代表には余裕があった。


「アメリフェス。君は下層大陸で行った演説で妙な事を口にしたそうだな。この天界の大陸を覆う霧が人為的に。それも六大一族の闇の精霊一族が造り出していると」


 カーサントの尋問する様な口調に、アメリフェスは意外そうな表情を見せた。


「ほう。カーサント。演説内容を君が知っているとは驚いたな。バニラス一等大将が必死に情報が漏れない様に下層大陸を封鎖していたと思っていたが」


「証人がいたからだ。アメリフェス。君が九等区大陸で行った演説をその耳で聞いた証人がな」


 カーサントがそう言い終えた後、議会場に一人の小柄な男が入室して来た。男は議員達からの注目を浴びながら、アメリフェスの前に立った。


「彼の名はフォルダン。九等区大陸出身者で今は私の部下だ。アメリフェス。彼に見覚えはあるか?」


 アメリフェスは勝ち誇った表情のカーサントの言葉を聞いていなかった。重罪を犯し今正に逮捕されようとしている強硬派代表は、フォルダンと紹介されていた茶色い髪の男を凝視していた。


「······アメリフェス。サシュラの行方を知っているか?」


 二十四年振りに再会したかつての友に、フォルダンは悲しげな表情で質問する。サシュラと言う固有名詞を聞いた時、アメリフェスの顔は一瞬凍りついた様に固まった。


 アメリフェスの脳裏に。否。彼の頭の中は一瞬だけ二十四年前の記憶を呼び起こした。


 


 ······二十四年前。当時十五歳だったアメリフェスは九等区大陸の港に立っていた。空は一面の黒い雲。目の前には奴隷商人の輸送船。


 アメリフェスは自分自身を奴隷に売る事で九等区大陸からの脱出を選択した。


 輸送船の階段に足をかけたアメリフェスは視線を横に移す。そこには、唯一の友人が痩せこけた姿で自分を見送る為に立っていた。


 迷い無く階段を登る貧困街で生き残ったただ一人の仲間を、フォルダンは虚ろな表情で眺めていた。共に行こうとアメリフェスに誘われたが、フォルダンには自身の未来を変える気力も覇気も残っていなかった。


 その無気力なフォルダンを驚愕させる光景が目の前に起こった。一人の黒髪の少女がアメリフェスに駆け寄り抱きついた。


 アメリフェスは迷わず少女を抱きしめる。黒髪の少女の名はサシュラ。貧困街に住むアメリフェスとフォルダンに何かと世話を焼いてくれた心優しい少女だった。


 この九等区大陸に住んでいる以上、サシュラも生活に余裕がある筈も無かった。だが、自分達に慈悲の心を注いでくれる少女に、アメリフェスとフォルダンは自然に惹かれた。


 アメリフェスとサシュラはいつしか心を通わせ合った。フォルダンは心の痛みを隠して二人を祝福した。


 だが、サシュラがアメリフェスに付いて行く事はフォルダンにも想像出来なかった。二人は自身を奴隷商人に売り九等区大陸を後にした。


 だが、サシュラに待っていたのは無惨な未来だった。アメリフェスとは別の奴隷商人に買われ、売られた先で身も心も玩具にされサシュラは自ら命を絶った。


 サシュラの死も知らずアメリフェスは五年後に主人である地方領主からその立場と財産を奪う事に成功した。


 奴隷だったアメリフェスの顔と過去を知る領主とその周囲の者達は全て皆殺しにし、役人に莫大な賄賂を渡しその立場を揺るぎない物にした。


 意気揚々とアメリフェスはサシュラを迎えに行った。そこでサシュラの最期を知り、アメリフェスの精神は崩壊寸前になる。


 サシュラを死追いやった主人を破滅させた後も、アメリフェスの気は一向に晴れなかった。むしろ絶望感は更に深くなった。


「······世界だ。この天界の世界そのものがおかしいのだ。狂っているのだ」


 恋人を失った若者は、その深い悲しみを許容出来ず原因を別の物に求めた。


「······壊してやる。全て! 跡形も無く!!」


 アメリフェスは誓った。亡き恋人に。己自身に。それは、アメリフェスにとっての生涯を賭けた復讐の始まりだった。


 

 

 ·····強硬派代表は顔を下に向け、その表情は誰にも伺い知れなかった。だが、アメリフェスは直ぐに顔を上げ自信に満ちた両目を議会場の議員達に向ける。


「議員の諸君。そしてカーサント。私が演説で話した内容は事実だ。大陸を覆う霧は人為的に、闇の精霊一族が造り出している。この天界の闇は根深く。そして大陸を覆う霧の様に濃い。君達は何も真実を知らぬのだ。何一つな」


 窮地に立たされたアメリフェスは盲言を口にし始めた。カーサントはそう判断した。

 

「アメリフェス。先程君が言った天界を生まれ変わらせる方法とやらは本にでもまとめるといい。極刑が執行されるまでの時間、獄中で充分にその暇はあるだろう」


 カーサントはそう通告すると、直ちに議会内で採決を取る事を提案した。内容はアメリフェスの最高議会代表議員の罷免。


 そして逮捕投獄の為の採決たった。議会内で慌ただしくも事務的な作業が行われようとした時だった。


「······そう言えば、今日は新月だったな。天界軍が地上を攻めてから丁度二ヶ月が経過した」


 アメリフェスは側にあった議長専用の机に片手を置き、独語するように呟く。


「無用な戦だった。アメリフェス。君は強硬派代表としてその原因を作った張本人だと言う事を忘れるな」


 カーサントは侮蔑する様な視線をかつての政敵に向ける。その穏健派代表の後ろで、フォルダンが何かに気付いた様に青ざめる。


「······! アメリフェス。君はまさか? 天界と地上を結ぶ「門」を利用する気か!?」


 フォルダンは冷たい汗を流しながらアメリフェスに向かって叫ぶ。罪人となった元強硬派代表は、白い歯を剥き出しにして笑った。それは、狂気を含んだ笑みだった。


 カーサント達最高議会議員達は失念していた。一度戦争が起きれば、自軍の兵士が敵軍の捕虜になると言う事を。その捕虜が地上の民に寝返り情報を流す可能性を。


 更に気付きもしなかった。天界軍の地上から撤退する際、数十隻の軍船を地上に置き去りにして来た事を。


 そして想像も出来なかった。一月に一度。新月の日に天界と地上を結ぶ「門」を通じて地上の民がその軍船を利用して天界に逆侵攻してくる事など。


 二百九十九人の議員達が投票を行っている最中にその報はもたらされた。一人の衛兵が大汗を流しながら議場内に駆け込んで来た。


「も、申し上げます! 天界と地上を結ぶ「門」の地上側から数十隻の軍船が出現しました! 軍船は哨戒中の我が軍船を破壊し、真っ直ぐこの街に向かって飛行しています!!」


 絶叫する衛兵の報告に議場内は静まり返り、二百九十九人の最高議会代表議員は思考が停止した。


 フォルダンはその時確かに見た。元強硬派代表アメリフェスが静かに冷笑していた姿を。

 

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天上と地上の虜囚達 @tosa

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