傷つけた後悔

 花火パーティーを抜け出してから数日経った水曜日の夕方時に透夜は頭を抱えていた。 

 友達以上の存在はずっと要らないと思っていた。あっても親友止まりで、決してこれ以上は望まないと、望まないようにしようと思っているはずなのに、相手からまさかその気持ちがあるとは思いたくなくてもあるかもしれないと考えてしまう。

 きっとまた同じ後悔をすることになるかもしれない。

 透夜が選択したのは客観的に見れば間違ってはいないけれど、結果としてその選択はどちらも間違いで第三の選択が正解だった。

 それでも、透夜は初恋の人を裏切ってしまった。他人の意見に流されて少しでも、もしかしたらという疑念があって人が少ないところへは勇気を出して踏み込めなかった。

 あの時、勇気を振り絞っていれば彼女は傷つくことなく、学校を卒業出来たかもしれない。

 だから、必要以上に仲良くすることを避けていた。

 なのに、香織は放っておけない気持ちが前に出て、いつの間にか亮の関係と差ほど違いがないどころかそれさえ越そうとしている気がする。

 胸がずきりと痛む。

 抑えて留めたい気持ちとは裏腹に鼓動は早く加速していく。

 うるさい。

 息を深く吸って止める。

 鼓動がゆっくりになったと思い、息を吐くがまた元に戻る。

 それを繰り返しているうちに疲れてきて机にうつ伏せになっていた。


『信じていたのにな……』


 頭の中に別れ際にいわれた一言が気持ちに呼応するかのように反響してくる。

 あのか細い声がまた。

 やめてくれ。

 どうすればいいんだ、これから。

 気づかない振りをして、ずっと助けられる人になっていればいいのか。

 そんなの都合が良すぎる。

 じゃあどうすればいいんだよ。


「『別れよ』」


 そうだよな、やっぱりそうするしかないよな。

 相手を傷つけずに終わらせるなら後悔する前に関係を切ればいい。

 もう靄がかかって顔ははっきりと見えない記憶の中で彼女に最後にいわれた言葉。

 自分との答えが合致してしまい、思わず笑うしかなかった。笑わないとどうにかなりそうだった。

 身勝手な自分の答えを香織は許してくれるだろうか。いや、違う、許してもらう必要は無い。許されるわけないから。

 透夜の考えを尊重して、そして手伝ってくれた香織は今でも素敵な人だと思う。

 でも、だからこそ傷つけたくない。

 自分のせいで泣いて欲しくない。

 逃げる自分を想像すると惨めで醜いなと思ってしまう。

 それが香織のためだと分かっていても透夜から見ても酷い人だと思う。


『雨宮くんはいい人で、私なんかでもちゃんと向き合ってくれて、不思議なくらい近くに居たのが上手く表現出来ないですが……安心しました』


 今はこんな考えをしている人が安心出来るわけない。そんなに強い人じゃないんだ。

 香織と別れようと考えると香織にいわれたことを思い出して、否定して、また胸が苦しくなる。

 我慢していた涙はとうに零れている。

 別れても後悔するのか。でも、傷つくのがひとりだけになるならそれで構わない。

 弱い人でごめん。


 ■■■


 香織を家に呼び入れて、事の経緯を伝えた。


「事情はわかりました。名残惜しいですけどそう決めたのでしたら別れます」

「怒らないのか……」

「怒って欲しいですか?」

「いやそうじゃなくてその、こんな身勝手な考えを」

「私は透夜がしっかり考えていることを知っています。後悔している人がそうだったのは知りませんでしたが、その人みたいに私を傷つけたくないと大切にしてくれていることが何より嬉しいです。そして、私は透夜の行動を信じています。ですから、怒ったりはしません」


 そうかと話を切ろうとする前にひとつだけ言うことがあるとすればと言葉を繋げられる。


「透夜のことが好きです。過去ではなく今もしっかり好きだと言えます」

「ごめん……」

「謝らないでください。頼りに出来ないのは寂しいですが元通りに戻るだけなので大丈夫です」


 用事はそれだけだと話を終わらせて、玄関まで見送る。

 扉を出ていく背中が見えた時、手が伸びそうになってくうを握ってやめた。

 香織からはっきりと伝えられた「好き」という言葉に同じだと返そうとしてしまう自分がいた。

 それをしてしまえば傷つけたくない一心でやっているのに相手に余計に傷つけてしまう。

 身勝手な考えを大切にしてくれて嬉しいと受け取ってくれた香織を悲しませたくない。

 扉がガチャりと閉まり、ドアノブを握ったまま動けない。

 まだ香織が確かにいた時間の余韻に浸りたかった。

 もう帰っただろうと思い口が開く。


「俺も、好きだ……好きです……」


 終わりにしたくない気持ちで言い直し、溢れ出る思いに身を任せて泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る