海は案外涼しくない
電車から降りて駅から出て少し先に砂浜が見えた。
白い砂浜たちは太陽の光を反射して目を刺激してくる。どうせならサングラスを持ってくれば良かったかもしれないと思わせてくる。
ざくりざくりと音を立てながら、歩いていく。光は暑いけれど風は涼しく、いつかは行ってみたいと思っていたこの場所に行けて本当に良かった。
香織は透夜の隣に並んでゆっくりと歩幅を合わせて歩いている。
身長の差のせいで透夜より小幅に歩いて追いついているように見えるのが少し面白くて笑いたくなるのを腕で口を抑えて留めた。
しばらく歩くとコツンとなにかが革靴に当たり、なにかと拾い上げると貝殻だった。
香織もそれに気づいてひとつ拾い、耳元に当てていた。
「なにしてんだ」
「こうすると海の声が聞こえるらしいです」
「それ、多分だけど二枚貝じゃ意味ないぞ」
「そうだったんですか」
「そ、そうだよ?」
笑いを堪えていたのに香織の不思議な行動に耐えきれず、おかしな返答になってしまった。
「正しいのはこっちの巻貝。海の声は……夢を壊すようで悪いけど風の音なんだ」
「風が集まって音が響くのが海の声ということですか?」
「そう。だから貝を耳元に近づけて風がする方に向けば自然と聞こえるはず。俺はやったことがないからそれであってるかわからないけど」
巻貝を耳元に持ってきて目を閉じ、音に集中する。
波の音が頭の中を埋めつくす前にほんの一瞬だけ風の音が耳の中に入り込んだ。
法螺貝のような振動する音とは少し違う、心地よい音が耳から伝わり、不思議と安心するような音だった。
「香織は聞こえたか」
「聞こえはしたのですが、言葉にしづらいといいますか」
「俺もそうだった。安心出来るような音で気持ちよかったよ」
「私は、とても寂しい音。波が泣いてるというのはおかしいはずなんですがそう思いました」
「波が泣く……面白いな」
どんな音か気になり、香織の持っている貝と交換してまた耳元に近づけてみる。
さっきとは違って風が一気に入り込み、寒気を感じる。冷たい風とは違って勢い任せに力強く押し寄せてくる。そんな風が香織には寂しい音に聞こえたのかもしれない。
「どうでしたか?」
「感情任せにぶつけられた気がした。なんか俺にとっては……痛い音だった」
「痛いのは嫌ですね」
「そうだな」
巻貝をそっと元の場所に戻して、今度は海を触る。
思っていたよりもひんやり冷たく暑苦しくぼんやりしていた頭がすっきりとした。
おおと感嘆の声が漏れるくらいに感動していたら隣で香織も海に手を入れようと指が触れたところで引っ込めている。
指先と海を交互に見てからはぁと息を吹いて海に触れた指先を温めている。
水は好きだけど、入るのが苦手な猫みたいで可愛いと思ってしまう。
「冷たい……です」
「最初はな。でも、案外慣れてくるものだよ。プールの時みたいに最初だけひやっとするだけでさ」
「んっ……」
もう一度チャレンジして今度は一気に手を海に入れている。
冷たいのを我慢して体が震えているが、徐々に慣れ始めていきぴしゃぴしゃと水面を叩いている。
「お、おい、跳ねてるからやめろ」
「濡れてもいいじゃないですか。タオルは持ってきてますし」
「いや、それはそうだけどだからといって制服まで濡れるのはマズッ――」
止めようとする前に顔に水が飛んでくる。
咄嗟に腕で防いだが、制服は濡れに濡れシャツからは肌色が見えそうになっていた。
「もう遅かったか……冷たい」
「そんなにやるつもりでは……ごめんなさい」
「海ではしゃぎたくなるのはわかるからいいよ。俺はそもそも息抜きでここに行きたかったからそれくらいが丁度いい」
「怒らないんですね」
「……」
「黙り込むのはやめてください! こ、怖いです」
「少し、いや、かなり、冷たかったから我慢しようかと思ったけど懲りてなさそうだからこれでもくらえ」
顔には直接かからないように片手でぱしんと水面を叩いて水しぶきを立てた。
くらえとは言ったが、当てるつもりはなく盛大な音だけが二人の間には響いた。
「そんなに身構えてもかけるつもりは無いよ」
「滅多に言わないので本当にやるかと思いました……」
「これに懲りたら制服に水かけはやめろよ?」
「制服でなければいいんですか」
「それは大丈夫だな。別に俺は濡れることが嫌なわけではないし」
「わかりました」
寒気がして思い出し鞄からタオルを取り出して、濡れた部分を軽く拭き取る。
念の為に香織に必要か聞いたが、要らないと返されたので、タオルは首にぶら下げておいた。
「乾きそうですか?」
「乾くだろうけど……お昼近くになるかもしれないから飽きたら先に帰っていいよ」
「家にひとり居てもつまらないのでここにいます」
「無理しなくていいんだが」
「無理ではなく、私がそうしたいからなので気にしないでください」
透夜は楽な姿勢になろうとあぐらをかいて、隣に三角座りで香織が座った。
濡れた部分を太陽に掲げて乾かすのはいいが、それだけだと手持ち無沙汰でこのまま待ち続けるのは退屈である。
「もう帰ろうか」
「乾くの早くないですか?」
「乾いてないけどよくよく考えれば上着で隠せるし濡れてるといっても湿ってるだけである程度乾いてるから」
「透夜がそれでいいのであればなにもいいませんが……」
一緒にいてくれるのは嬉しかったが、やはり待たせていることがどうしても心に引っかかりあまり乾いていないけど嘘をついて帰る支度をした。
「今日はありがとう。付き合ってもらって」
「いえいえ、元はといえば私のせいです。でも、透夜のそういうところは嫌いじゃ……好き、ですよ」
「なんで言い直した?」
「言葉にしないと伝わらないのだと思いました」
背を向いて俯きながらいっている様子は照れ隠ししているように見えた。
透夜のそういうところが好きと言い直されて、仕草を褒められているはずなのに勘違いしてしまいそうになる。
そんなわけがない。当たり前のことを当たり前にやってきていただけで、好きになるのはおかしいと思う。
いや、そもそも香織とは友達であって、落ち込んでいたから助けたかっただけだ。
だから違う、違うはず……。
そう思い込みたいと考えても、もしかしたらという期待のような膨らんだ妄想が止まらない。
「香織」
「なんでしょうか?」
「香織のお気に入りはさ、俺だろ」
「はいそうです」
「即答なんだな」
「迷う必要はありませんから」
わかっているはずの答えを聞いて心底安心してしまう。
でも、今はこの返答がくることはわかっていても聞きたかった。
「もし、そのお気に入りがそういう意味だっとすれば、今度こそ俺はそれに答えられる自信がないな……」
きっとまだ香織のことを友達だと思って踏みとどまっているから。
浜辺に向けて一言つぶやき、その場を後にした。
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