抜けがけの休憩

 保健室の扉を軽く2回ノックしてから失礼しますといいながら保健室へ入る。

 まだ一時間目の途中だからか、保健室には担当の先生以外誰もいなかった。

 担当の先生は透夜と香織を見て意外そうな顔で驚きながらも椅子に座るよう誘導している。それもそのはず、一応透夜は去年の保健委員であり、香織は噂の人で有名でまだこの学校で一度しか休んでいない人が保健室に来るのは驚くだろう。

 そもそも透夜が保健委員になりたかったのは保健室にいる先生と仲良くなりたかったからである。決して、やましい気持ちでというよりはもっと酷い理由で、ただずる休みをしやすくしたかっただけだった。それが、逆に休めるどころか働くことが多くそんなことする余裕さえなかった。だが、今回のためにあったと思えば、少し報われた気がして内心は嬉しかった。

 先生から体温計を渡されそうになって、流石に止めた。

 今回の用事は保健室で休みたいわけではなく、早退したいからだ。廊下を歩いている間に自分の熱を確認したが平熱だったので、ここでわざわざ体温を見せても意味がないとわかっていた。

 どうしようかと考えたけれど事を拗らせても混乱されるだけだと思い、正直に伝える。


「今から早退していいですか」


 一瞬固まってからふふっと先生から笑い声が聞こえる。

 やはり、正直に伝えるのは馬鹿馬鹿しいと。


「君は素直でいい子だね。いいよ」

「えっ?」

「聞こえなかったかな。早退していいよしたいなら」

「そんなあっさりなんですね」

「まぁ、君が休むことってあまりなかったし、早退したいのにこの学校に居座られる方が返って迷惑だから」

「あのこっちも一緒になんですけど」

「そうだよね、やっぱり。でも、うん、念のために体温と理由をここのボードにある紙に書き込んで」


 透夜は紙に自分の平熱の体温と早退理由に体調不良と書いて、香織に手渡す。

 香織も透夜と同じ内容を書き込み、先生に返した。


「よし、これで証言とった。はい、早退票。これを担任に見せて」


 信用してるからできるんだからね、特別だからねと付け口されてそのまま保健室から出させようという雰囲気が言葉からも伝わってくる。

 本当は行きたい、だけど……。


「先生、俺ら多分このまま行ったら嘘なのばれると思うんですけど……あの」

「頑張れない?」

「頑張りたいですけど、ひとりじゃないので誤魔化しきれるか……」

「応援ください。先生このまま責任を受け持つのは胃が痛い」


 透夜が先生の立場だったら既に逃げ出していると思うから痛いほど気持ちはわかる。自分の責任ならまだしも、他人の責任でしかもそれがばれると怒られることがほぼ不可避でやってくるのは怖いだろう。でも、無理を承知でお願いするしかない。


「先生はその場と耳元どっちがいいですか?」

「耳元…… ? それってどういう」

「耳元ですね。わかりました」

「いやあのまだそうとは――」


 頑張ってください。

 先生に近寄りひっそりと言った。

 応援をするなんて性に合わないと思い、さっさと終わらせたいと半分やけくそじみながらやった。

 それでも満足していただけたらしく、その場を後にする透夜たちに手を振ってくれた。


 教室へ戻ると誰も居なくて移動教室かと思ったが、男子の制服が置かれていることから体育の時間だったことを思い出した。

 流石に脱がれて置かれていた制服だらけの教室へ入っていくのは異性なら気が引けるだろう。


「今日は鞄だけであってるか?」


 振り返って香織に聞くとこくりと頷いたのを見てから、そこで待ってろと止めてから透夜がひとり教室へ入り、自分の鞄と香織の鞄を持って廊下へ出た。


「はい鞄。さっさと外へ行くぞ」

「ありがとうございます」

「礼は後でいいからとりあえず動く。一応俺らは抜け出してるんだから」


 あっと口を抑えてそこからは一切喋らず、昇降口で靴を置くのにゆっくりと音を立てずに履き替えて、正門を出て一息ついた。


「とりあえずここまで行けば大丈夫か」

「そうでも無いみたいです、ここから少し見えそうですよ」


 あそこと香織が指を指す先に透夜たちの方を見ながら首を傾げているような人が確かに見える。校庭からは相当な距離があるので、顔まではばれないだろうが、時間を特定されてしまえば抜け出しも時期にあからさまになってしまう。


「どんだけ目がいいんだよ……こうなったら香織、走る」

「駅までですか?」

「そうだよ、見られること自体がまずいからな!」


 痛む胸を抑えながら、今走れる力で動いた。

 そのつもりだったが、香織は息を切らさずに透夜の現状の全力に追いついている。


「ちょっ、香織はそんなに速いのか」

「透夜が怪我して遅くなってるからだと思います。私はこれでもまだまだ出せますがこれ以上は少し疲れてしまいそうです」

「速度上げられても俺は香織の少し疲れる程度にしか出来ないのか。悔しいな!」


 ぜぇぜぇと息が切れてしまいそうなくらい荒い息遣いで空に向けて大きく声を放った。

 駅に着いた時にはもうへとへとで、駅ホームにある椅子に思わず座り込んでしまうほど疲れているのに対し、香織は深呼吸して息を整え、身だしなみを整えるくらいで全然疲れている様子は見えなかった。


「嘘をついたつもりだったが……走りすぎた気がする。肺が痛いし、ちょっと気持ち悪い」

「脚は大丈夫なんですね」

「体力がないだけだから。一応家で暇な時に、少し筋トレはするけど、流石に長距離で体力伸ばしはしてないから、結構疲れた」

「それでは帰りますか」

「まさか。抜け出して時間もあるんだし。それにここは帰る方向と逆の電車しか来ないよ。あと行きたいところもある」


 当ててみてもいいですかと聞いてきたので、当てられるものならどうぞと問題にした。


「行きたいところ……。ここから逆なので、海、とか」

「正解。ちょっと海の風に当たりたいからでした」

「あ、電車が」

「もう来たのか。席は、空いてる空いてる良かった」


 先に電車に入った透夜は空いていた端の席に座り、香織はその隣に空いている席には座らずに吊革に掴まっている。

 座らなくていいのかと聞いても頑なに席には座ろうとせずに外の景色を眺めている。

 人が少ない電車は子供が自分の領地のように走り回っている。

 忙しい朝だったら多少怒りそうにもなるが、今はゆったりと大らかな気持ちでいられる。

 こんなにだらけた午前の平日は初めてで緩んでいる気を引き締めようと顔を叩く。

 ぱちんぱちんと音が鳴っても周りは誰も気にすることなく自分の世界に入り込んでいるようだった。


「兄ちゃんなにしてるの?」


 電車の中を走り回っていた子供がいつの間にか透夜の前に立っていた。


「疲れちゃったから眠くならないように体を起こしてたんだよ」

「へぇーへんなの」

「そうだね、俺も変だと思うよ。まだこんな明るいのに」


 共感すると子供は喜んですぐに透夜からは興味をなくした。目移りが激しく、今度は香織に話しかけている。

 他人の子なのに思わず可愛いと思ってしまいそうだった。


「お姉ちゃんはここに座らないの?」

「あの、えっと、と、透夜」


 対応出来ないのか透夜に助け舟を求めて慌てている。


「どうして俺とお姉ちゃんが一緒に座ると思うんだ?」

「だって、その制服確か同じ学校のだもん。近くにいるのに座らないから不思議だなって」

「不思議、か。もしかしたら俺が汗で臭いからかもしれない。さっきまで走ってたんだ」

「ほんと? うわ、臭い」

「だろ? だからじゃないかな」

「お姉ちゃんむりぢいしてごめんなさい。じゃあね」

「気をつけろよ〜」


 手を振って見送ると子供はまた走って別の車両へ行ってしまった。


「子供相手は慣れてないんだな」

「攻められるのは少し苦手で」

「攻められるというほどではないよ。子供は好奇心が強くて抑えられないからそのままぶつけてるだけ。ちゃんと答えてあげれば子供もそれなりに応えてくれる」

「手馴れてますね」

「昔の自分がそうだっただけだよ」

「あれが昔の……」

「あの子供とは違うからな! 一般的な子供はだいたいそんなもんで――」

「そんなに慌ててどうしました?」

「あいや……なんでもない」


 また可愛いといわれる気がして必死に誤魔化そうとしたが、香織にその気はなかったみたいで意識してしまった透夜が無駄に恥ずかしい気持ちになった。


「透夜の隣に座らないのは外の景色が見たいからです」

「なるほど。確かに座ってると海は見えないからな」

「……別に隣に座っても見えるだろとは言わないんですね」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も。それより海が綺麗です」


 ため息混じりになにかを言ったようだが、聞き取れず香織の視線は窓に見える海に移り、透夜もつられて背に見える海を窓越しに眺めた。

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