羨ましい

「落ち着いたか?」

「まだ少しこのままがいいです」

「わかった」


 屋上にはチャイムが鳴り響いた。

 下から聞こえてきた騒がしい声は静まり、教師の声がそれぞれの教室から音として聞こえてくる。

 不思議と居心地は悪くなく、教室へ戻らなければと思う気持ちはあっても体は動こうとしない。

 まだ透夜の太腿の上にいる香織が寝返りをうって透夜にタオルを渡した。


「ありがとうございました。少し汗臭かったですが」

「それはごめん……」

「ほんの冗談です」

「なんだよ、本気にしたじゃないか。でも、冗談をいえるくらいには落ち着いたか」


 はいと返事をしているが、その場からは動こうとしない。


「そろそろ戻らないか」

「嫌です。もう少しここにいたいです」

「授業はどうするんだよ」

「一緒にサボりませんか?」

「どんな口説き文句だよ……俺はいいけどさ」

「なんだかんだいってもそばにいてくれるから透夜は嫌いじゃないです」

「誉め言葉として受け取っておく」


 香織の頭をぽんぽんと叩いて空を見上げる。

 雲がゆっくりと動き、風が頬をくすぐってくる。

 思わずため息が出そうなほど静かで落ち着く空間だと思った。

 でも、少し脚が痺れてきたような間隔がある。


「……なぁ、そろそろそこから動いてくれないか。脚が痺れてきて辛い」

「こんなに居心地がいいのに動きたくはありません」

「男の膝枕なんて全然いいとは思えないけどな」

「そうでもありません。安定感があっていいと思います」

「そういってくれるのは嬉しいんだけど今はごろごろしないで欲しい。痺れが、あっ、ちょっと本当にお願いだから動くなって」


 それでも言う事を聞かない香織は両耳を手で塞いでごろごろ転がっている。

 手で香織を抑えることはできたが、楽しそうな表情を目の前にして止めることはできず、透夜の脚は痺れる感覚を存分に味あわされた。


「私は透夜が羨ましいです。誰とでもなんとなく仲良くなれてしまう透夜が」

「そうでもない。俺は確かになんとなくで仲良くなったりして、距離でのいざこざは起こしたことないけど、友達になった後での衝突はあったからさ」


 香織が転がるのをぴたりと止めて透夜の方を見る。


「その人、今はどうしてるんですか」

「どうしてるんだろう。縁を切られたからもうわかんないや」

「……ごめんなさい」

「もう気にしてないといったら嘘になるけど。でも、大丈夫。香織のおかげでさ、またこう向き合えるようになった。それに俺は香織が羨ましいよ」

「どうして」


 香織がハッとした顔で口を塞いだ。


「どうかしたか」

「いえ、口にしてはいけないと思ったのに出してしまって」

「理由を聞くのはいいことだと思うけど」

「その、私は疑い深く、どうしてと聞いてしまうから。それを直して、透夜をちゃんと信じたくて」

「そういうことか。俺は別にどっちでも構わない。何故かわからないよりはよっぽどいいと思うし、納得できないなら反論して欲しい。俺も自分が言ってること全部が全部正しいとは思っていないから」


 香織が寝返りをうって顔が透夜の腹で隠れてしまう。


「反論していいなんて言われたの初めてです」

「わからないことを無理やり受け入れても苦しいだけだと思うからな」

「ありがとうございます」

「おう」


 香織がふぅと深呼吸して透夜に向き直る。


「どうして、私が羨ましいんですか」

「前にも言ったかもしれないけど、ひとりで判断できるから。しっかり自分と向き合って大体のことはひとりで何でもできて、他人任せにしていた俺にとって理想だった」

「でも友達は、無理でした」

「そうだな。それでも、自分から逃げずに努力した結果だ。俺はそもそも行動に移せないからそこが羨ましい」


 今まで結局誰かに頼っていた透夜にとってひとり逞しく進んで努力をする香織が羨ましくて仕方なかった。

 自分から逃げてばかりでいた透夜にとって本当に天使のように高い理想であった。

 けれど、香織は首を横に振って反論する。


「それは違います。私は弱くて誰かに頼れなかっただけです。ひとりでどうにかすることしかできなかった。透夜に背中を押されたのに結果にできなかった弱い人です」

「俺は行動できた強い人だと思う」

「物は言いようみたいですね」

「屁理屈でごめん」


 香織はいいえと否定して、透夜に手を伸ばす。


「強いと励ましてくれるのは嬉しいです。とっても」

「事実なだけ。俺の方がむしろ弱いよ」

「透夜は私に向き合っています。充分強いです」


 香織の手が頭を撫でようと伸ばしてくるが透夜は身を引いた。


「自分のことになると逃げるんですね」

「いや逃げてない。俺の頭を撫でる必要はないだろ」

「ありがとうと思って手が出ました」

「スキンシップで感謝を伝えるやつか。遠慮した――」


 狼狽えている間にいつの間にか手が頭にあり、ぐいっと引き寄せられてから撫でられた。

 むずがゆい感覚が体に走り動けない。


「すごい震えていますけど大丈夫ですか」

「嫌じゃないんだけど、くすぐったい感覚が」

「でも安心しませんか」

「本来ならそうなるんだろうけど。この体勢でやられているせいかこんな感じで」


 透夜も香織の頭に同じように撫で返すと体が震えた。


「くすぐったいというか、かゆくなるというか」

「そう。だから全然香織が思っているようにはなれない」

「い、今すぐやめますから撫でないでください……」


 さっと手が引いたところで透夜も撫でるのをやめてお互いに頭をくしゃくしゃと掻きまわした。

 鏡合わせのようでおかしくなって笑いそうになる。


「なにやってるんだろ」

「私にもわからなくなってしまいました」

「俺、ここに居すぎたせいかちょっと体調悪くなってきたかもしれない」

「それは本当ですか!?」


 驚いて香織が太腿から起き上がり、透夜の額に手を乗せるが、異常が無いことに気づき首を傾げる。


「一緒にぬけだ、早退しないか」

「透夜はそれでいいんですか」


 ハッとして言葉の意味を理解した香織が不安そうに語りかける。


「俺は力になると言ったはずだ。教室以外の場所で暇つぶしだ」

「本音が盛れてます」

「おっと伝わってないかとつい」

「ちゃんと伝わってます。その優しさも」


 行こうと透夜は香織に呼びかけ手を引っ張り、香織はそれに応えるように手を握り返した。

 授業中で静かな廊下をばれないように静かに降りていった。

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