悪戯と噂
「私と別れてください」
「えっ?」
鳩が豆鉄砲を食らったかのような、それくらい驚いてしまった。
放課後の他に誰もいない教室で、突然言われた一言に動揺を隠せない。
「何かあったのか……?」
「それは私より透夜の方です。私がそばにいると、透夜が傷つくから」
声が震えていてなにかを恐れているようだった。
「透夜は知らないんですか。ここ最近では透夜が様変わりしたと表面ではいいように聞こえて、裏では邪魔者扱いされていること。私が透夜の近くにいることで忌み嫌われているんです」
「そうだったのか……でも、俺は」
「「気にしない」」
透夜の言葉に香織の声が重なった。
「気にしてください。私は、私が傷ついても構いません。でも、透夜が傷つくのは嫌です」
「それは俺もそうだ。だから!」
「もっと自分を大切にしてください」
だからの後に香織の声を被せられた。
「お願いします。数日でもいいので、離れましょう。友達を大切にしたい、です」
「………わかった。とりあえず3日様子を見るでいいか」
香織がその場でゆっくりと頷く。
静かな教室に風が吹き込み、額に滲んだ汗を乾かした。
■■■
次の日、透夜は亮と昼休みに話し合った。
「それで、今日は食堂と」
「悪いな。こうなって」
「ううん大丈夫。というかまぁ、あの天野だからきっと考えての結論だろうし、そんな絶対の別れ話って訳じゃないんでしょ?」
「とりあえず3日様子見と。それ以上長引いたらもしかしたらあるかもな」
「ぼくの予想が間違いじゃないならそれはないと思う。だってぼくはこの噂知らないもん」
各クラスの情報をそこそこ持ち合わせている亮が知らないのは珍しい。
意外だなと思っていたが、そこが重要なところだと言われた。
「これは多分嘘の噂を誰かがでっち上げて流したじゃなくて、香織に直接それを伝えた、が正しいと思う。そのうち相手が動き出すと思うから透夜は相手の思うツボにはまっていればわかるはず」
「これ、なにが目的とかわかるか?」
「うーん、難しいね。ただ天野との仲を気に入らない悪戯か。それとも縁を切って欲しいほど誰かが透夜をどうにかしたいと思っているとか」
「前者はともかく後者はちょっときつい」
それはそうだね、と共感される。
「でも、透夜は切るつもりないでしょ」
「ないけど相手がどう出てくるか怖いな」
「透夜の気持ちをぶつければなんとかなるなる」
ぶつけてなんとかなるならどれだけ楽なのだろうか。
透夜は連絡を取らないようにしていた香織のメッセージを見て文字を打とうとしてやめた。
別れ話から3日後、直斗に呼び出され昼休みに体育館付近の階段へ来て欲しい人がいるという伝言を受け取った。
昼休みになって早速そこへ向かうと誰かわからない後ろ姿が見える。
「やっと離れたと思ったら妙にあっさり過ぎない?」
「なんの話だ」
「とぼけないでよ。君と天野の話」
後ろ向きのまま声を通わせてくる。
階段を背にしているから姿をはっきり捉えられないが、透き通るような高い声だから多分女性だ。
「俺と天野がなんだっていうんだよ」
「はっきり言うとね、天野が邪魔なの」
「邪魔、か。なら、目的はなんだ」
「目的は君の隣が欲しい。覚えてる? 私が誰だか」
「お前は――」
ゆっくりと階段から離れて姿が見え始める。
ショートヘアに腕時計をした女性。
去年に同じクラスになった人で同じような人がいたような……。
そう、確かあれは。
「
「正解。去年、助けてくれたから覚えてくれてて嬉しいな」
「去年、助けた。いや、あれはお前、わざとだっただろ」
去年、一緒のクラスになった
唯一あるとすれば、透夜が保健委員だった時に、朱音がわざと倒れるふりをして保健室へ連れて行った事だった。
その事について後日確かに感謝されたが、特に思うことはなく軽く受けとっていた。
「でも、あれ嬉しかったんだ。あんなに一生懸命にやってくれて」
「そう。それだけなら俺は帰るけど」
「待って、私は君の隣が欲しいの。だから、天野とは別れてよ」
「そもそも俺と天野はそういう関係じゃない」
「うん、知ってる。そうじゃなくて縁を切ってよ。今なら、それが簡単に出来るでしょ?」
「……俺が傷つくような噂を聞かせたのは」
そうだけど、と朱音は自分で指をさして答えた。
話が見えてきた気がする。
透夜と天野の仲が嫌だから、天野に嫌な思いをさせ、別れさせるために透夜の嘘の噂を流していたということだろう。
胸の中がぐしゃぐしゃに気持ち悪くなる。
「俺は天野とは別れない。友達でいると決めたから」
「ならせめて私と付き合って」
「それはお断りだ」
「どうして……」
「じゃあどうして、正々堂々と正面からそれを話さない。それが悪い事だと自覚しているからだろ。俺は俺が傷つくのは構わない。だけど、俺の周りの人を傷つけるのは許さない。皆から遠ざけられている存在だとしてもそれは同じだ」
息を大きく吸って言葉を繋げる。
「そうやって人に嫌な思いをさせる人はそもそも好きになれないし、これは嘘なんだろどうせ」
朱音の性格を考えると悪戯の可能性も捨てきれなかった。
「あーあ。ばれちゃった。気づかれちゃったかー」
「やっぱりな……ひやひやさせやがって」
「ごめんね。でもこれはやれって他の男子に脅されてさ、逆らえなかったの、ほんとごめん」
「その男子は同級生か」
「うん、一応ね。多分、雨宮は知らないからわかんないと思うけど。ねぇ、ひとつさ言ってもいい?」
「なんだよ」
「もし、もしね、天野香織を好きなら。早めに取らないと取られちゃうかもね」
「周りはまるで無視してるような態度をしているのにか」
透夜に背を向けて朱音は頷いた。
「みんなね、天野さんの雰囲気が変わったって気づいてから近づこうと頑張ってるらしいよ。私は助けてくれた雨宮を応援してるだから、頑張って。それじゃ」
言いたいことだけいわれて、朱音は階段をのぼって食堂の方へと駆けて行った。
確かに香織の雰囲気は最初の方に比べて大分変わったと思う。
そのおかげか同じクラスの人と話す機会があったと思っているが、まさかそれが他クラスにまで影響しているとは思っていなかった。
――早めに取らないと取られちゃうかもね。
この言葉が透夜の頭の中で響いて、しばらく動けなかった。
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