家族の雑談

 香織が透夜の部屋を出てからだいたい三十分後、無地のスウェットにパンツスタイルというラフな格好で戻ってきた。

 香織の私服を見るのは今日が初めてで、女子高生にはスカートというイメージが定着していた透夜だったが、パンツスタイルでの香織も制服の時とそう違わないくらいに似合っている。

 流石だと言うべきだろうか。でも、スウェットのサイズは少し合っていないようなオーバーサイズっぽいものだ。部屋着だからかもれない。


「少し早すぎました」

「いや、多分あともうちょっとしたらという所かな。あと、俺のパーカーは……」

「洗って返そうと思いまして。私の匂いが付いてたら嫌でしょうし」

「俺は気にしないけど」

「昨日、顔を隠した人がそれを言えませんよ?」

「あの時は、俺の顔が変になってたからで……匂いは大丈夫だ」


 きっと誰にも見られたことの無い歪んだ顔。それを見られることが理由はないけど嫌だったし、自分がしたことの無い顔が恥ずかしかった。

 香織の実家に入った時は切羽詰まっていたから匂いは感じていなかったが、ベッドから寝起きでもそこまで気にした覚えがないから大丈夫だと言える。


「なになに〜その話気になる〜」

「ちょっと黙っててくれ。俺は無視したい」

「息子に冷たくされてちょっとショック」


 美紀が大袈裟に肩をすくめる。

 冗談のつもりだと分かっているので、透夜も美紀も笑顔のままでいる。

 それに不思議そうな顔で香織が見つめていた。


「怒らないんですね」

「怒らないよ。嫌だ、って言われてるのに追求したって仕方ない。透夜はこう言うけどなんだかんだ最後には教えてくれたりするからかわいいの」

「一対一対応型みたいですね」

「なにその面談得意みたいな言い方」


 美紀の息子自慢を止めるためにツッコミを入れる。

 こういう気楽な話を家族とするのは久しぶりで、懐かしい感覚に浸った。


 しばらくして、ポトフが出来上がる。

 相変わらずスープの味は濃いめだが、具材の味がしっかりスープと絡み合いつつ無駄にしていない。

 体にスープの熱が染み渡り、ほっと息が出る。

 自動追加注文された卵焼きはもちろん美味しい。ふわとろかつ甘い。これだけで充分。


「言葉は不要だ……やっぱり美味しい」

「美味しいだけ?」

「いや、もう修飾語が邪魔くさいから」

「透夜からはまだ美味しいしか聞けてないなぁ……でも、顔を見てると安心するからいっか」

「俺の顔そんなに変になってる」

「思い出に浸っている顔。だから変じゃないよ」

「それならいいけど」


 顔の話をしたばっかなので、「顔」という単語だけで過敏に反応してしまう。


「香織はどうだ?」

「私と少し方向性は違いますが、美味しいです。パンが欲しくなります」

「パンはいま置いてないな。ごめん、諦めてくれ」

「贅沢は言いませんから大丈夫です。こっちの卵焼きも美味しい。もしかしたら私のより美味しいかもしれません」

「いやそれはない」


 私のよりと聞こえた時、頭に疑問符が浮かび上がり咄嗟に否定した。

 自分でも驚くほど自然と声に出していた。


「透夜の舌が唸るほどとは。気になる」

「母さんのはどちらかというとスクランブルエッグよりなんだけど香織のはちゃんとした卵焼きって感じで厚みがあるんだよ」

「苦手な部分をしっかり出来ていてかつ透夜好みに作れるなんて……! 羨ましい、作って」

「今は病み上がりだからまた今度な」

「えーっと言いたいけど透夜の言い分がもっともなので我慢する」

「ごめんなさい」


 香織が頭を下げてめいいっぱい謝る。


「ううん。いいんだよ、ただ少し残念だなって思っただけだから気にしないで。次の機会にして」

「それじゃあ次に透夜の部屋に来たらご馳走します」

「ありがとう……お手伝いする」


 今度は美紀が頭を下げて謝る。

 謝られている香織は手に負えず、慌てていた。


「母さんそんなに大袈裟にしなくていいから。香織が困ってる」

「こういうのはまだ早かった? ごめんなさい」

「いえ、それよりも頭を下げるほどではないと思いましたので……」

「透夜が絶賛するの中々ない事だからすごいのよ?」


 そんなことはないと思う。しっかりと美味しいものは美味しい、美味しくないものは美味しくないと言ってきたつもりだったのだが。


「ご苦労なされてるんですね」

「それはもう。でも、正直に言ってくれるおかげで夫に前より美味しくなったっていってもらえて、感謝してるわ」

「おい、自慢話しにきたんだったら今回のお話はキャンセルにするぞ」

「透夜が楽しみにしてるっていうから張り切ってきたのに!」

「ならそういう話は今しないでくれ、頼む」

「……そういうことね。はーい」


 美紀は香織の顔をちら見して、透夜の考えを察してくれたようで納得した。

 この話は自慢話であり、透夜に対して感謝している面の方が大きい。それを香織がいるときにして欲しくはなかった。嬉しいけどいたたまれなくなる。



 昼食を食べ終えて食器洗いをする。

 透夜がどんどん洗っていき、美紀がテーブルの上におやつの煎餅を置いた。

 味が濃くよく染みたしょうゆ味の煎餅。このマンションに移り住んでからは長らく食べる機会がなかったため、この時が楽しみだった。

 煎餅には緑茶を飲みたい透夜は棚に仕舞ってある籠を探りだすが、コーヒー用のフィルターとコーヒー粉しか入っていない。

 他の籠を見ても、茶葉は入っておらず補充することを忘れていたようだ。


「母さん、俺、茶葉補充忘れた……」

「茶葉? ここにあるけど、はい」

「助かる、これこのままうちで使ってていいか?」

「もちろん。念のために買い出しに行っててよかったわ」


 茶葉までしっかりと用意していて、本当に今日は張り切ってきているみたいだ。

 茶葉を受け取り、急須に食器を洗っている間に沸かしておいたお湯と一緒に入れて、二分ほど待つ。

 湯呑にそれぞれ熱々の緑茶を入れて、テーブルに置いた。


「透夜、これちょっと熱い」

「そうか? 俺はこれくらいでも飲める」

「これは……熱いです。手に持っているのがやっとで口に運びたくなれません」

「猫舌の母さんはともかく香織が飲めないのは流石に沸かしすぎたか……」


 緑茶を飲むのはよく休日でゆっくりしている父さんと飲むことが多く、なので父さんの要望に合わせていた。そのせいか大体熱い状態になることが多い。

 この状態でも、恐らく父さんは熱いのと少し冷めたのを半分ずつ飲み切るだろう。


「まぁ、それはともかく母さんそろそろ今日の話は何?」


 透夜の失態を誤魔化すために別の話題に切り替える。


「もう今の透夜を見ただけで充分よ、ちゃんと見て確かめられて良かった」


 美紀がほっと胸をなでおろすように透夜へ向けて呟いた。



 緑茶を飲みきった美紀はそろそろ帰ると切り出し、透夜は玄関まで見送りする。


「それじゃあまた一ヶ月後に」

「多分一ヶ月後にはならないと思う。これから少し忙しくなりそうだから」

「……父さんのこと?」

「いや、まだ大丈夫。何かあったらちゃんと連絡するから安心して」

「うん」


 美紀の目が泳いでいるように見えて本当はそんなに猶予はないのではないかと思った。



 美紀が透夜の部屋を去ったあと、透夜はソファへダイブした。

 美紀と話すことは嫌いではないが、終わったあと非常に疲れるのが難点だ。今回は更に香織のこともあったため余計に疲れが体にのしかかったような感覚になった。


「お疲れ様です」

「香織もな。唐突で本当にごめん」

「いえいえ、透夜の母はどのような方なのか少し気になっていましたので」

「うちの母は疲れるしめんどくさいでしょ」

「そんなことは無いですよ。ちゃんと距離を見計らったり、透夜のことをしっかり気にしていましたし。これがちゃんとした家族、なんですね」

「……多分な」

「羨ましい、なんて思ってしまいます」


 ソファに顔を埋めている透夜には香織の顔が見えなかったが、明らかにか細い声に変わって悲しくなる。

 

「また話してみたいか?」

「ぜひ。機会があればですが」

「機会はあればじゃなくて作るものだ。一ヶ月後は無理らしいから……もしかしたらお盆の日になるかもしれない。それでもいいか?」

「私は構いませんが、お盆の日だとここより透夜の実家が相応しいと思いますよ」

「ああ、そうだ。つまり、その日に俺の実家に行くか?」


 年に一回は帰ってきて顔を見せて欲しいといわれているお盆の日。

 その日ならば、香織の願いを叶えてあげられると思った。


「いいんでしょうか……? 私みたいな余所者は邪魔になりそうですし、何よりお盆に行くのは透夜のことが気にしているからで」

「そこは別に大丈夫だと思う。最悪責任は俺が持つから香織が行きたくないならまた今度こっちに来ることがあったら連絡する」

「行ってみたいです」

「じゃあ連絡入れちゃうぞ」


 スマホでメッセージを書こうとしたが、香織に腕を掴まれ止められる。


「私がしますので、大丈夫です」

「するって連絡先は」

「透夜がお茶を淹れてくれている間にいただきました」


 小さな紙切れを渡され、そこに書いてあったのは確かに美紀の連絡先であった。


「なんだよ、母さん思いっきり香織のこと気に入ってるじゃん」

「そうなのですか」

「母さんは基本あまりメッセージを使わないというか使えないんだよ。苦手意識があって極力連絡は電話か直接が多い。それでも、香織と連絡先を交換したってことは気に入られたということだと思うよ」

「ちょっと安心しました。いきなりこれを渡してきたので」

「母さんはやる時は突拍子もなく始めるから」


 初めて透夜の部屋に来た時も何の連絡もなく突然やってきて驚いたのを思い出す。

 その時のことを懐かしむようにひとり笑った。



 




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