空虚な実家に少しの温もり

 みかんゼリーは一口で満足したのか香織は再びりんごゼリーに手を伸ばす。

 残ったみかんゼリーは透夜が食べた。


 食べて落ち着いた香織は買ってきたスポーツドリンクを飲み、ソファに寄りかかる。


「熱はどうだ?」

「まだ、ある気がします。ぼーっとするので」

「市販薬とか置いてあるか?」

「あそこの押し入れに薬箱があります」

「わかった」


 押し入れの奥の方に仕舞ってあった薬箱から市販薬を取り出す。


「コップ借りていいか?」


 こくりと頷いたのを見てキッチンの引き出しからコップを一つ取り、水を注いで市販薬と一緒に香織に手渡した。

 市販薬を飲んだ香織が眠そうに半目になっている。


「寝るならベッドの方がいい。ソファで寝てもいいが体がずれたりといい事はないよ」

「でも、ねむたくて……」

「あれだけ興奮したら体も休みたくなるか。香織の部屋はどこだ?」

「片付けられていなければ、二階の奥です、けど」

「んじゃ、ちょっと我慢してろよ」


 香織の背中に手を回して脚を持ちあげる。急に体が浮いたことに驚いた香織が透夜の首に手を回して掴まった。

 思っていた以上に香織は軽く本当に食べているのか、少し心配になった。


「ひゃっ」

「壁に擦らないように極力注意するけどもし当たったら叩いていいからな」


 香織の腕に力が入り、顔を透夜の胸に埋めて身構えている。

 体力がなくなる前に引っ越し屋さんのように細心の注意をはらって階段を上っていく。二階の奥の部屋の扉まで行き、香織にドアノブを引いてもらってベッドへお届けした。

 ベッドで横になった香織は透夜に背を向ける。


「いきなりでびっくりしました……」

「ここで寝るよりはベッドの方がいいし、眠った隙に運ぶなんてしたらどう思われるかわからなかったから意識あるうちにと思いました」

「その心遣いは嬉しいですけど、恥ずかしいです。おかげで眠くなくなりました」

「それはごめん」

「ずるいです、もうドキドキが……」

「何か言ったか?」


 ブンブンと首を振り、髪がばさばさと音を立てる。

 これなら案外体力の回復は早そうで安心した。


「それならいいけど。とりあえず俺はもう帰るね、寝ようとしてる人の邪魔したら悪いし」

「嫌です」

「嫌……?」

「嫌です、もう少しここに居てください」


 香織のお願いに断るわけにもいかず、近くにあるカーペットに腰を下ろす。

 目の前にある机に手を置き、頭を伏せる。

 周りをよく見たが、透夜が想像していてたよりもものすごい質素な部屋だった。

 最低限のもので構成された1人部屋で、ベッドに無地のカーペット、目の前の机のみ。唯一女の子っぽいものは香織のベッドにある桃色の丸いクッションのみだった。


「あの時、『無理していませんか?』なんて送ったんですか」

「辛そうだったから。俺にはあれ以上踏み込むのはいけないと思った、だけどそれでも香織のために何かできることがあるとしたら話を聞くことぐらいだと思ったから」

「辛そう。確かに辛いです、ね。今は」

「母親に何か言われたのか」

「……前々からわかってはいたんです。こうなるというのは、そのためにこうして準備してきたのにいざ、目の前にしたら辛くて」


 音のない静かな部屋で香織の消え入りそうな声が聞こえてくる。


「改めて、しかも面と向かって、『あなたは要らない子、どうして産んでしまったんでしょうね?』と言われて、耐えられなかった」


 義理の親ならまだ認められなかったと、逃げることが出来たであろう言葉を実の親に面と向かって言われた。

 その言葉を聞いて透夜は動揺した。耐えられるはずがない。自分を産んでくれた存在から「要らない」なんて言葉を聞いて右から左へ流せるような事実じゃない。


「私は黙ることしかできませんでした。もうすぐこの家からは出て、あのマンションで暮らすようになり、高校生活が終わったら縁を切るつもりだそうです。大学からは自分で頑張るか、父に頼れと」

「……だから部屋がこんな」

「はい、なので私物は今は殆どマンションの方に移してあります」


 透夜の知っている実家は暖かいもののはずなのに、ここはまるで空虚で何もない。筒抜けで冷たく、家というただの集合場所でしかない。

 透夜の体が震え上がった。

 さっきまでは特に何も感じなかったのが、寒気を感じている。


「それで父親の方は」

「音信不通です。逃げたんじゃないのでしょうか」

「逃げたって……」


 最後に頼れるかもしれない綱もボロボロで無いも同然のもの。つまり、香織はこれから先ひとりで暮らしていかなくてはいけないことになる。

 ひとりで何とかしてみせると意気込んでいたあの時の透夜がばかばかしいと思った。


 香織の方がもっと、大変じゃないか。


「ひとつ聞いてもいいか」

「なんでしょう」

「香織は、どうしてそこまで、天使様と呼ばれるほどに努力していたんだ」

「認めて欲しかったかもしれません。ただ自分の価値を示すものが成績しかなくて、一年生でも頑張ってはみましたが、無駄でした」


 やっとあの儚い顔の意味がわかった。

 中学では褒められていたものが、高校では避けられるようになり、実の親からは見捨てられる。

 そんなの辛くて堪らないはずなのに、耐えようとしてぐっとこらえていた。

 壊れてもおかしくないのに、耐えて、そして今、現実を叩きつけられて本当に壊れそうにボロボロになっている。


 透夜はその場から立ち上がる。香織の顔の向きは変わらず透夜に背を向けているが、気にせずベッドを背もたれにして寄りかかって座り直す。

 香織に声が届くように。


「俺は、香織の努力が無駄だったとは思わないし、そう思わないで欲しい。香織が今まで頑張ってきたおかげで救われた。自分を見つめ直せた。だから俺は感謝してる」

「それは看病だけですよね」

「違う、看病だけじゃない。俺はひとりで生きていこうとして友達なんてほぼ作らずに過ごしてきて、もうどうでもいいと思っていたのに。また純粋に友達が欲しいと思えるようになった。だから、感謝してる」


 確実に今の透夜があるのは香織の存在があったから。


 透夜は膝立ちになり、背を向けて横になっている香織の頭に優しく手を置いた。

 香織がぴくりと体を跳ねらせる。


「俺は、香織と友達になれてよかった。この気持ちはもう隠せない」

「それは私もです」


 香織の頭に乗せていた透夜の手を香織が両手で包んだ。


「友達ができるわけないとわかっていながら隣の席にはいいように見せて、そんな偽っていても透夜は私を見てくれた。嬉しかった、嬉しくてでもわからなくてどうしてと、余計な一言が纏わりついてて怖かった」

「あれには流石に困ったな」

「ごめんなさい、純粋に思ってくれていたのに」

「いきなり理由もなしに側にいてくれる人が現れるのは、やっぱり怖いと思う。今でも、俺のことは怖い?」

「怖いわけないです。こんな話をちゃんと聞いてくれる人なんていません」


 包んでいた手を頭から離して透夜の手を強く握り、透夜の方に向き変わる。


「透夜と居ると弱くなってしまいそうです」

「それでもいいと思う。友達として手助けするよ」


 あの時の透夜のようにひとりで抱え込んで壊れてしまうくらいなら、頼って欲しいと思った。


「ひとつわがままを言ってもいいですか」

「俺のできる範囲なら」

「もう少しこうしていてもいいですか」

「それくらいなら」


 透夜は返事の代わりに優しく握り返し、空いた片手で香織の頭を撫でる。

 安心しきった笑顔を見せて、香織はそのまま「すぅすぅ」と小さな寝息を立てて眠りについた。


 これで少しはお返しになっていたらいいな。


 頭を撫でていた手を香織の額に手を当てる。透夜のと比べて大差がなく、熱は順調に下がっていそうで安心した。

 撫でていた手を頭から離すと「んっ……」と不満そうな寝息に変わって、再び頭に手を置くと小さな寝息に戻る。


 一体どんな夢を見ているのだろうか。

 猫ならゴロゴロと喉を鳴らしそうな寝方で面白い。


 柔らかい手のひらに握られた手を動かそうと試みるがしっかりと捕まえられていて離れそうにない。

 指先のぬくもりが透夜の手に伝わり、眠気を誘われる。

 抗えない暖かさに瞼は落ちていき、ベッドに突っ伏してしまう。

 こんなことをしてはいけないと残った意識で動かそうとしても、もう手遅れだった。


 頭に乗せていた手を香織の手を包むように添えて、誘われた眠気に身を任せた。




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