やってやられてやりやられ

 地図にある住所まで歩いていくと一般的な一軒家より一回り大きく庭付きの家が見えてきた。

 画像と見比べても同じなので、間違ってはいないが電気は一階の一部屋にしかついておらず、生活感を感じられない雰囲気で不安になる。

 念のため玄関の名札を見るが、そこにはしっかりと「天野」の文字が入っている。

 今日は二度目の天野家の呼び鈴を鳴らす。

 今度はぱたぱたと足音が聞こえてきて思わず安堵のため息が出た。

 ドアがガチャリと開き、紺色の寝間着を着た香織が出てくる。


「わざわざこっちまでありがとうございます」

「いやいいって。まさか家に居ないとは思ってなかったけど、というかお隣同士なんて知らなかったし……」

「仕方ないかもしれません。去年はどちらかというとこの家での活動が多くて、今年から本格的にあちらで過ごし始めたものなので。私もまさかお隣同士だったとは思いもしませんでしたから」

「そうだったのか」


 透夜が休んで届けに来てくれた時に香織も透夜とお隣だったことを知ったらしい。

 お隣、といっても必ずしも隣の部屋に香織が居るわけではない。この部分が引っかかったが、複雑な事情があると思い詮索はやめた。


 いつまでも玄関に突っ立っているわけにはいかない。

 香織に今日の分のプリントをまとめて手渡す。


 香織のプリントを持った手は震え、目を逸らして俯いている。


「体調はどうなんだ?」

「体調はちょっと熱があるくらいで、問題はありません」

「熱あったのかよ。どれくらいだ」

「7度8分くらい……? です」


 よく見ると頬はほんのりどころか赤く染まっていて、息も少し荒い。


「こんな時に親はどうしてるんだよ」

「仕事じゃないでしょうか。ここに戻ってくることは殆どないので」


 3ヶ月に一度戻ってくるということは前に聞いたので、知っている。知っていても聞きたかった。


「それならなんで、俺のメッセージを無視したんだ」

「……迷惑かけたくありませんでした。時間も遅いですし、大丈夫だと思っていました」

「俺より体調管理が上手い香織がそう思ったことにとやかく言うつもりはないけど、俺は別に友達に助けてって言われて迷惑には思わない」

「どうして、ですか」


 香織が力強くどうしてと疑問を投げかけてくる。


「俺はこの関係が嫌いじゃないし、むしろいいとまで思っている。そして、その相手が倒れているのに助けられなかった方が俺は嫌だから」


 香織に助けられた時のことを思い出して、言葉を繋げる。


「それは俺がやりたいことだから」

「その言葉前にも聞いた気がします」

「俺も目の前で聞いた気がするな」


 どうやら似たもの同士みたいで、透夜と香織は笑みがこぼれる。

 だが、香織が笑って油断したのか足元がふらつく。それを透夜は見逃さず倒れる方に寄り、壁になる。


「おっと、大丈夫……なわけないな」

「あ、あのごめんなさい」

「さっきから立ちっぱなしにしてた俺が悪いから謝るなら俺だって。歩けるか?」

「馬鹿にしないで欲しいです」

「こんな状況で馬鹿にしてない。俺は本気で心配なんだ」

「……少し歩きにくい気がします」

「わかった。肩と手どっちか貸そうか? それとも、抱っこの方がいいか?」


 抱っこは子供っぽいと思ったが、馬鹿にしているわけではい。

 歩きにくいといっているし、もしかしたら強がっている気がしたからだ。


「からかっているのですか。手で充分です」

「そんなつもりはないよ、はい」


 透夜が差し出した手を香織が取り、腕に寄りかかる体勢で歩き出す。

 触れた手は熱く、けれど華奢な指で強く握ったら壊れてしまいそうだと思った。


 とりあえずリビングにあるソファに座ってもらうことにした。


「お腹は空いてるか?」

「いえ、一応作れる内に作って食べたので問題ありません」

「流石だ。それじゃあ他に何か欲しいものとかある? コンビニ近いし買ってくるけど」

「冷たいものが欲しいです。出来たら食べ物で」

「わかった、ちょっと待ってろ」


 玄関を駆け足で飛び出し、近くのコンビニに入る。

 冷たい食べ物でかつ、食べやすいもので思いついたものはゼリーだったので、コーナーを探すと色々な果物ゼリーがある中、珍しいりんごのゼリーに惹かれて1つ、隣にあったみかんゼリーを1つ取る。

 水分補給用にスポーツドリンクを買って戻ってきた。


「はい、どうぞ」

「言っていなかったスポーツドリンクまで、ありがとうございます」

「水分補給は大事だからね、特にこの時期だし」


 今は大体6月の頭くらい。それでも、暑い日は暑いので気が抜けない。


「私はみかんゼリーで、透夜はりんごゼリーですか。珍しいですね」

「だよね、あんまり見ないよね。だから買っちゃった」

「透夜はりんごが好きなんですか?」

「果物全般好きかな。その中だと特にりんごが好きかもしれない。無意識で選んでるから」


 香織が子供のようにキラキラとした目でりんごゼリーを見つめている。


「食べるか?」

「悪いですよ、買ってきてもらっているのにましてや人のものを取ろうとするなんて」

「別に全部食べなくてもいいだろ。一口だけという意味で」

「それなら、頂きます」


 謙虚に対応しても、食べたい欲は抑えられないらしい。

 透夜はりんごゼリーの蓋を開けて、コンビニで買ってきた時に付いてきたプラスチック製のスプーンを使ってひとすくいして、香織の前に持ってくる。


「あの、食べられますけど」

「ご飯を食べられたんだからそうだろうね」

「じゃあ、これは……」

「あの時俺だけやられてばっかなのは不公平だと思うから」


 昨日の昼休みに不意にやられたことを透夜はまだ覚えている。これはそのやり返しだ。

 ずいっとスプーンに乗ったゼリーを香織に近づける。


「うぅ……確かにそうかもしれませんが……」

「やられる方も結構恥ずかしいだろ?」

「反省します、ので許してください……!」

「それじゃあこれはお預けということで」


 香織に近づけていたスプーンを透夜の方に戻すと、香織は目で追いかける。


「病人にこんな事させて楽しいですか」

「うっ、痛いところついてくるな。でも、病人なら無理しちゃいけないよ」

「もしかして墓穴を掘りましたか」

「もしかしなくてもだね」


 香織が顔を手で覆い、悔しがっている。


 これでやられた側の気持ちもわかってもらえると有難い。


 はぁと深呼吸をして香織が透夜に目を向ける。


「食べますのでください」

「はい、どうぞ」


 香織が髪を両手で抑えて、口を開け両目を閉じて待機する。透夜は口の中に向けて吸い込まれるようにスプーンを入れた。


「んっ!」

「ん? 美味しい?」

「みずみずしくて美味しいです! りんごがそのままゼリーになったみたいにジューシーです!」


 あまりの美味しさに感動した香織が興奮気味で味の感想を伝えてくる。

 味の感動のせいで、本来の目的を達成出来なかったが、香織の笑顔が見れただけでもうどうでも良くなってしまった。


「透夜も食べてください」

「どれどれ〜。うおっ、これ美味い、中に入ってるナタデココや果肉もあって美味しい」

「ですよね。……それ私食べられてないです」

「掬い方下手くそだったか。ここの部分にあるから食べてみて」


 りんごゼリーを香織に手渡し、ナタデココやりんごの果肉が埋まっている部分を指さす。

 香織がその部分をスプーンで掬い、口に運ぶ。また目がキラキラと輝き始める。


「ここすごく美味しいです。ナタデココの食感と果肉のシャキッとした食感がゼリーとのアクセントになっていて……!」

「買ってきて良かったよ。そんなに気に入ったなら全部あげる」

「でもこれは透夜が自分のために」

「そういうのは考えてなかったよ。ただ俺が気になったものと無難なものを選んだだけだから。それにみかんゼリーでも美味しいからね」


 コンビニの袋に入っていたみかんゼリーとスプーンを取り出し、食べ始める。


「このゼリー結構酸っぱいな。果実がそのまま入ってるのもあるけどゼリー自体も酸っぱい」

「美味しいそうです」

「美味しいけど、酸っぱいのは大丈夫か?」

「一応大丈夫です。酢漬けまでいくと少し厳しいくらいです」


 みかんゼリーを香織に手渡そうと思い、目を向けるが、またあーんの体勢で待っている。


(あれ? これは恥ずかしがってない?)


 あーんに乗り気な香織に戸惑いみかんゼリーをテーブルに置く。


「病人なら無理しちゃいけないんですよね?」


 香織が片目だけ開けて透夜をちらりと見る。


 やり返しているつもりがいつの間にかやり返されている。

 口を開けて待機している香織を放っておくことは出来ず、開けた口に今度はみかんゼリーを掬って口へ入れる。


「本当ですね、味がしっかりしていて、ちょっと酸っぱい」


 香織の顔が眉間にしわが寄っていて、酸っぱいのを我慢していた。

 その後、今度は何かに気づいたのかはっとした顔で透夜の顔を見つめてくる。


「これ、透夜使いましたよね」

「使ったね」

「……これは、噂の、関節キスでは」

「あっ」


 全く意識していなかった。

 りんごゼリー用とみかんゼリー用のスプーンとしか考えてなく、自然と同じスプーンをお互い使いあっていた。


「本当にごめん」

「大丈夫ですよ、これはと思っただけなので。直接じゃないですし……」


 目を逸らしながら言われても、全然説得力がない。


「ここまでやるつもりはなかったんだ。こんな事言って信じてもらえないだろうけど」

「じゃあその分お返しさせてください」

「ああ、もうそれで割に合うなら」

「後ろ向いてください」


 香織の呼吸が後ろから聞こえてくる。

 顔が見えないだけなのに、緊張してくる。

 香織は一切動く気配がなく何をしてくるのだろうかと身構える。


「透夜の、ばか」


 後ろから罵倒されただけなのに背筋がむずむずするような恥ずかしさにやられ、体が縮こまった。

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