約束の答え

 亮からもらったアドバイスのおかげで、午前中はモヤモヤしていて集中できなかった分、午後の授業は頭にすっと入ってきた。


「なぁ、ここわかるか?」

「ここは……」


 最近ようやくこのクラスに馴染み始められたのか、透夜は授業後に質問されることがあった。

 ひとりで出来ることを目標にしているので、勉強面はある程度できる方だった透夜にとってそう難しい事じゃない。毎日とはいかないが、この日には予習をするといった癖をつけているため、勉強の先取りは一学期分くらいある。

 去年も、こういう事があったから今は難なく説明できるが、最初の方は今でも酷かったと思う。

 自分に理解はできて、他人には理解できない。この境界線が難しい。

 相手を置いてけぼりにすると、もうよくわからないと逃げだされることはよくあった。事細かくわざわざ説明するのを面倒に思う教師たちの気持ちが少しわかり、嫌になった。けれど、これも復習になると考えると案外やり直しになっていて、これが出来るようになった頃には点数が10点ほど上がり、しめた、そう思った。


「うわ、すっげ。わかりやすかった、ありがとう」

「これは基礎だからそんな大したことでもないよ」

「雨宮って順位どれくらいなんだ?」

「俺は……まぁ、二桁ってところ」

「これ絶対上位二桁の人だ……強者の余裕を感じる」


 強者の余裕を感じるで思わず、笑ってしまう。

 強者かどうかはさておき、努力していてその分しっかり点となって返ってきているので、不安な要素は何もない。

 話しかけてきた男子生徒は満足して立ち去った後、誰も座っていない隣の席を見る。


(こっちはむしろ不安ありなんだけどな……)


 香織へ伝える答え。はいorいいえではない、答えはいつも一つな問題でもない。

 透夜としては、どうせならこのまま一年は一緒に過ごせたらいいなと思っている。けれども、それが香織にとっていい答えになるのか、それはわからない。

 だからこそ、亮に香織はもう、寄り添うことを、誰かと仲良くなることを諦めているのかと聞いた。面識のある亮でも、わからないと答えられてしまい、透夜の答えがあやふやになっている。

 この答えを伝えた時、今のこの関係はどうなってしまうのか。それが怖くて伝えようと思っても飲み込んでしまう。

 人間関係なんてどうとでもなると思っていたのに、ここまで臆病になるのはどうしてか透夜にはわからなかった。

 わからないけれど、真剣に考えている自分が居る。そんな変化に気づいた透夜は荷物を整理して、教室を後にした。



「ずっと待ってたのか」

「約束したので……」


 ため息がひとつ大きく零れた。

 透夜が帰ってくる間、ずっと透夜の住んでいるマンションの前で立ち尽くしている香織が居た。


「それはそうだが、そんなことしてたら怪しまれるし、変な人にしか見えない。早く行くぞ」


 エレベーターで透夜の部屋がある階層まで行き、鍵を開けて入る。

 それに続いて香織が入り、荷物を足元に置いてソファへ座った。

 いつもの癖で掃除をしようと思ったが香織がいるので、手短に済ませ香織の隣に座った。


「それでお昼休みに何かわかりましたか?」

「うん、まぁある程度は。というより知らなさ過ぎた自分に驚いた」

「でしょうね。あそこまであっけからんとしている人は初めてかもしれません」

「はは、すまん」


 元気のない笑いが静かな部屋にこだました。

 香織が聞きたいことはわかっている。今のだってそれの誘導だということも。それでも、口が言うことを聞こうとせず噤んでしまう。

 目を合わせられず、震える手をもう片方で必死に抑え込もうとする。

 駄目だ、全然止まる気配がない。

 透夜の震える手に香織の手が重なる。


「そんなに怖がらなくても大丈夫です。私は透夜くんの考えたことなら、たとえそれがどんなものでも、真剣なものだとわかりますからちゃんと受け止めます」

「我儘な答えだったとしてもか」

「それは極力。そうしたいと思います」


 香織の返事を聞き、透夜は意を決して口を開く。


「俺は理由をどうしようって思って、それで天野さんの事を聞いてより今のこのまま一緒に居られたらいい。天野さんと何かしたいかと言われると分かんない。けど、ずっと天野さんの近くに居られたらって思った」


 この言葉は多分、香織にとって必要なものだろう。

 透夜は深呼吸をして、言葉を続ける。


「だから、俺と友達になってください」


 ずっと誰かに近づきたくて、でも周りからは拒否され続けられた香織にはきっと必要な言葉。知らない誰かとなんていつの間にか友達になっていることが多く、口にするのは本当に恥ずかしかった。


「ほ、本当に。私といいのですか」


 透夜の言葉を聞いた香織は目を見張り、固まっている。


「香織のことは悪いなんて思ってないし、むしろずっと良い人でこの言葉を伝えたらこの関係は崩れてしまうかと思ったら口にしづらかった」

「でも、私は周りから嫌われていて……そうしたら雨宮くんが」

「そんなの気にしないよ、前にも言った慣れるようにするって。それに天野さんが原因で俺が嫌われるくらいなら天野さんが今のクラスに馴染めるようにしてみせる」


 優しくて、一生懸命で、努力している。不幸になる必要がないはずの香織をクラスに溶け込ませられるのなら、透夜が嫌われてもいいと思う。


「思っていた以上に答えが大きくて少し困ってしまいます」

「期待はずれだったか?」

「いいえ、もう充分です」


 香織が目を瞑って俯く。頬には一筋の涙が流れる。

 透夜は指で涙を拭い、頭を撫でる。


「あ、頭は」

「嫌だったか、ごめん」


 嫌がられたと思い、香織の頭から手を離す。

 けれど、香織は不満げにむっとした顔をしている。


「なんでそう不満げに……」

「いきなりで驚いただけで、続けてください」

「それならいいんだけど」

「たまには人を頼っていいんですよね?」

「それはもちろん、俺でよければ」


 再び香織の頭を優しく撫でる。

 わかりやすく、香織の顔が緩み、目が細くなる。

 よく手入れが行き届いた髪は指をすき通り、撫でている方が気持ちいい。


 いつまでも撫でていていいのだろうかと口にはせず、香織が満足するのを静かに待った。


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