要介護者、大人しくする

 あれからどれくらい経ったのだろうか。


 締め切った部屋には光が一切なく、ただ暗いだけ。その中で透夜の体調の悪さはまだ回復せずベッドに倒れ伏しているままだった。


 台所の方から物音がするので、まだお粥は完成していないのだろう。さっきまでの余裕は消えていっきに疲れが肩にのしかかってきた気がした。すごく体が重い。


 外の景色が気になり、カーテンを開けてみる。外はすっかり夕方の橙色の空から夜空に変わっていた。


 なんでこんなにお世話されているのだろう。


 訳がわからず考えたくなくても勝手にどうしてと理由を探してしまう。


 コンコンと2回ノックが向かい側から聞こえてくる。


「お粥出来ました。入ってもいいですか?」

「んあ……ああ、いいよ」


 間抜けな声で反応したことには気にせず「失礼します」と言い、香織が入ってくる。


「意外と整理整頓出来ているんですね」

「当たり前だろ。ひとり暮らしなんだし誰かがやる訳じゃない。全部自分でやらなきゃだしそうしたいって決めたのは俺だ」

「そうは言っても継続が出来る人はそう居ませんから、偉いです」


 香織は思ったままに言ったのだろうが、透夜にはそれが気恥ずかしくて顔を俯いて頭をかいた。


「とりあえずはい、お粥です。自分で食べられますか?」

「食べれるわ、高校生だし」

「ですよね。それなら早く食べてください」

「……もし、無理だと言ったらどうした」

「え、食べさせますよ?」


 平然と真顔で答えてみせる香織に透夜は戸惑う。


「ついさっきまで、1人でどうにか出来る状態じゃなかったんですよ。無理なら無理で手伝います。あなたは今は病人、いや要介護者と言ってもいいくらいです」

「そこまで言わなくたっていいじゃないか……」

「この現状を他人から見たら多分そうにしか見えないと思います」

「はぁ……じゃあ恥ずかしいのはこっちだけかよ」


 差し出されたお粥に手を伸ばす。ほかほかと蒸気がのぼり、顔に当たって暖かい。口に運ぶと質素な味で物足りないと思うも、卵と米の甘みが今は濃く感じた。


「うん、美味しい」

「なら、作ってよかった。味は薄めにしたんですけど」

「いや、むしろ今はこっちの方が助かる。口の中が甘く感じるから」


 甘いものを入れた覚えがない香織は小首を傾げる。

 食欲はないと思っていたが、体はエネルギーを求めていたようで気がついたら完食していた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした。食べ終わった皿片付けてくるから貸してください」

「悪いよ、もう動けるから」

「駄目です。今日一日無理したら私は許しません。片付けたついでに薬と水を持ってきますから気にしないでください」

「欲しいものなんでもお見通しされてるみたい。怒られるのは嫌だから任せてもいいかな?」

「はい、もう頼られてるものなので」


 確かにとあまりにも無様な現状に自嘲気味な笑いが出る。


「別に雨宮さんの事を笑ってはいないです。ひとり暮らしをすれば全部が全部1人でできる訳じゃないですし、雨宮さんを否定するわけじゃないですがたまには頼ることも必要ですよ」

「そっか、やっぱ天使様ってすごいな」

「その呼び名やめてください嫌いなんです」

「素敵だと思うんだけど……いや、ごめん。天野さん、ならいい?」

「それなら問題ありません。雨宮さん」

「あー、その雨宮さんやめて欲しいな。去年さん付けされた時、女の子と間違えてた人が居たから」

「そうだったんですか。えと、それなら雨宮くんで」

「うん、それならいいよ」

「では、雨宮くん。私は片付けてくるので」


 お粥の入った器をおぼんに乗せて、香織はそのおぼんを持って部屋から出て行った。


 ほっとため息が出る。疲れたからというよりどこか安心した気分になったからだった。今なら確かにぐっすり眠れそうなくらい良い感じに体がだるい。


 たまには人を、他人を頼ることも必要、そんなこと考えたこと無かった。


 他人の考えに流される自分が嫌いで、流された結果その人は傷ついて、どうしてあの人の味方になれなかったんだって酷く後悔した。

 だからこそ、誰かの意見に賛同して誰かに任せるようなことはしたくなかった。


 人は確かに1人で生きていくのは困難だと聞く。実際今この時だって困難な事に当てはまるはず。ここを1人で超えていくことが正しい事じゃないのか……。


「何をそんな難しそうな顔をしてるの、もしかして迷惑だった?」


 薬と水を持ってきた香織がまた部屋に入ってきた。


「いやそれは感謝してる。……天野さんってやけに俺の状況に詳しいけど天野さんもそういう事があったのか?」

「私の場合はそうするしか無かっただけです。誰かに頼れるなら頼った方が絶対いいってわかってただけでして、雨宮くんは1人で全部やる事が偉いとか凄いこととか思ってるんですか?」

「まさか、俺はただこのままの自分が嫌だった。他人に流されるのが嫌いで自分の考えを持って動きたいって思った。だから1人で考えてやればもうそんな事はないと思って1人で頑張ろうと思った」


 透夜が香織の目を見て真剣に伝えると、香織はうんうんと首を縦に振る。


「雨宮くんはすごいです。私なんかよりちゃんと考えています」

「でも、天野さん程じゃないよ。まだまだ今もこうやって駄目な部分だってある」

「それでもいいと思います。それこそ駄目な時は頼って一緒に何とかすればいいかと」

「それって、ひとり暮らしじゃなくない?」

「んっ……確かに贅沢なひとり暮らしかもしれません。でも、誰かに頼るっていうのは悪いことじゃないはず、それだけは覚えておいて欲しいです」

「ああ……うん」


 任せるんじゃなくて、頼る。つまり、助けてもらうことは悪いことなんかじゃない。

 そう思うと自然と心が軽くなった気がした。


「そういえば帰らなくていいのか? 外、結構暗くなり始めてたけど」

「帰る必要はないかな。私の親はどうせ家には帰ってこないし」

「それって家出……?」

「親が家出しないよ。仕事とかが忙しくて年に6回、つまり2ヶ月に1回帰ってくるか来ないかぐらい。だから今帰ってもあんまり意味は無いよ」

「そう、なんだ」

「そう言っても明日は学校あるから帰らないと」


 香織が立ち上がってスカートを1、2回払う。

 薬を飲んで余計に眠かった透夜は頭を振って眠気を誤魔化し、玄関まで見送る。


「今日は色々とありがとう」

「いえ、私がしてあげたかった、だけなので。また明日」

「また明日、学校で」


 別れの挨拶を済ませ扉を閉じようとした時、去り際の香織の顔がもの寂しそうな顔をしていた気がした。

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