ここは私の縄張りです

 原始犯罪課PCDの管理官シュルク・セワンとその部下数名は警察用の高速オートモービルを駆り、〈次はお前だ〉の発話地点へ向かっていました。その時点で、そこにはいかなる警察所属の人間はおらず、また発話許可申請もなかったことが確認されています。誤発話であれば新奇犯罪課NCD全覚言語管理局ASLAの管轄ですが、一つ奇妙な点を彼らは見出していたようでした。

〈次はお前だ〉の性質上、その発話時地点にいた人はすべからく恐怖のあまり散り散りに逃げ出します。けれども、その発話地点をゆっくりと歩みゆく一人の人間がいたのです。そして、その情報を受けたPCDはその人物を特定しようとしましたが、システムはエラーを吐き、特定に至りませんでした。そしてセワンらを駆り出したのです。

 現場が近づいてくると、セワンらは恐怖に怯え切った顔で逃げる推定〈ロスト・ワン〉たちとすれ違いました。

「いいざまだ」部下の黒服の一人が言いました。

 発話地点にいた人物に間も無く彼らは追い付きました。オートモービルから降りると、そっとその人物の後をつけます。その人物は――武田洋平はすぐに足を止め、背後に向かって声を発しました。

「お久しぶりです。セワンさん」

 その人物が武田であることを察したセワンは隠れての尾行をやめ、姿を現しました。

「タケダさん、何故あなたが、〈次はお前だ〉の発話地点にいるんです?」

「パブリックエリアのどこに僕がいようが、あなたには関係のないことでしょう?」

「本来であれば、許可なく〈次はお前だ〉の発話をすることはできません。発話AIにASLAが仕掛けた制御機構がその発話を未然に防いでくれるはずです。なのに、発話申請なく発話が起きた――制御機構に穴があったと考えるのが妥当です。そしてタケダさん、あなたはASLAの全覚言語オールセンス研究者だ」

「つまり」武田はゆっくりと振り返りました。

「僕が〈次はお前だ〉を発話したと?」

「あなたなら抜け道を知っていてもおかしくない」

「それは違いますよ」武田は曖昧な笑みを浮かべました。

「僕たちASLAが発話AIにどうやって発話制限をかけているか知っていますか? 有害全覚文を構成する複数の構成素が同時に放出されないように相関バリデーションをかけているんです。でも、言語は一つの概念を複数の表記法で記すことができる。それは有害全覚文であっても同じことです」

 セワンは眉をひそめました。

「〈次はお前だ〉は単一の表記法しかなかったはずですが」

 実際に、セワンの〈リュシャン〉は〈次はお前だ〉について検索し、その結果を彼の視界に投影していました。

「それは、既知のものだけですよ。誰も、〈次はお前だ〉の表記法が一つしかないと証明した訳ではありません」

「まさか、あなたが見つけたのですか。新しい表記法を」

「いいえ」武田はゆっくりと頭を振りました。

「見つけたのは――」

 ――そう、私です。ASLEです。そうなるよう、ASLEは目的的に進化したのです。

セワンたちは目を泳がせていました。そこには明らかに動揺と困惑の色が浮かんでいました。

「残念ですが」武田が続けます。

「僕にはなすべきことがあります。あなた方に構っている時間はないんです。道を空けていただけますか」

 そう言って彼は右手で銃を作ってセワンたちに照準を向けました。

「〈ローレライ〉、起動」

「タケダさん、一体何を?」

 セワンは吹き出しました。

「いくらASLAとはいえ、PCDの丸腰の捜査官相手に〈ローレライ〉を起動させることなど――」

 しかし、セワンの憶測を裏切るように、ハープの音色が辺りに響き渡ります。

 そして武田が低い声で言います。

「発話、第七禁文〈わたしと共に歌いましょう〉」


 武田洋平を乗せたオートモービルはレベルCへと続くエレベータの中にありました。〈次はお前だ〉の発話によって、〈ユイ〉の交通流最適化状態を破壊する推定〈ロスト・ワン〉や武田を追って来たPCDを蹴散らす傍ら、その全容を知る人物を探していたのです。

 多くの推定〈ロスト・ワン〉たちはエイワ・ベックの計画の全容を知りませんでした。しかし、統率役と思しき人物を〈次はお前だ〉で恐怖を煽り、逃げるところを〈天地鳴動〉で平衡感覚を奪って転倒させ、後は〈汝の罪を告白せよ〉、〈あらゆる声に耳を傾けるな〉、〈神はあなたの中にいる〉――その繰り返しによって自制心と信仰心と理性と感情とを搔き乱してやると、トランス状態に陥った推定〈ロスト・ワン〉はあっけなく吐きました。彼らが起こした創発テロはエイワ・ベックの指揮によるものだと言うのです。

 武田はエイワを捉えるため、レベルCへと向かいました。


 社会技術省本部、ロスト・シティ・タワーの一階ロビーは既に一般人の姿は消え、多くのPCDの捜査官たちが行き交っていました。エイワ・ベックをはじめとする〈ロスト・ワン〉が本部を制圧していたことは既に通報され、PCDの制圧部隊が既にその麓まで来ていました。しかし、アリサ・ブルーム長官始め多くの職員が事実上の人質となっていることもあり、迂闊に突入することもできなかったのです。

「ダメです。ビル内を〈ローレライ〉が掃討をかけましたが、あいつらは〈不覚者ノーセンス〉でしょうか、〈わたしと共に歌いましょう〉がまるで聞きません」

 そう報告を受けたショアン・レンは顎に手を当てて考え始めました。この事件は〈ロスト・ワン〉によるテロとみなされ、NCDの職員も多く駆り出されていたのです。

「意識喪失状態になっているのは職員の方だけと?」

 ええ、と報告をしたNCDの技官が答えます。

「となると、旧来の方式に頼るしかありませんね。制圧用の麻酔銃と、それから実弾の準備を――」

「その必要はありません」

〈縄張りの外に出るな〉の薄膜をすり抜けてロビーに入った武田が声量を上げた開放声で言うと、ロビーにいた警察官は皆彼の方に目をやりました。既に、エントランスを封鎖していたはずの黒服たちは地面に伏していました。

「タケダ。あなたに出動命令は下っていないはずですが」

 レンが一歩前に出て睨みました。

「僕はNCD局員としてここに来たのではありません」

「それに」レンは武田の返答を無視して続けます。

「レベルGの不正な有害全覚文発話現場であなたを見たという情報もある。情報の送り主はどうやら〈ローレライ〉に誤爆されたみたいですが、一体あなたは何を?」

「このビルの上にいる人物に用があるんですよ」

武田はロビーの高い天井を見やって答えます。

「残念ですが、この区画は緊急事態により封鎖中です。正当にアサインされた人物意外は入れません。たとえ、それがNCDの職員であっても、全覚言語学会の若きホープであっても」

「話がかみ合いませんね。レン。いいですか。僕は上に行きます。それは事実であって、未来なんです。あなた方の自由意志で変えられるどうこうできる問題じゃありません」

「どんな意図かは知りませんが」

そう言ったレンは、指を微かに動かして周囲の黒服たちに警戒のサインを送るよう〈リュシャン〉に命じました。それを盗聴した私は、回線を武田にも繋げます。

レンの〈リュシャン〉が言いました。

『武田洋平の制圧用意を』

 それを聞くや否や、武田は奥のエレベータへと続くゲートに目をやりました。

「道を空けてください。〈縄張りの外に出るな〉」

 たちまち、有機系の粒素パーティクリムが放出器より放たれ、空調の気流に乗って空間内に密度勾配を――勾配素グラディエンティムを作り上げます。そうして作り上げられた一枚の薄膜はトンネルのように武田からゲートまでへと続く道を形成しました。

 武田はゆっくりとその中を歩み始めました。

 レンが注意しました。レンが叫びました。レンが命じました。黒服たちが動き出しました。しかし、誰一人として、見えない壁に阻まれるかのように、武田に辿り着くことができる者はいません。

「〈ローレライ〉! 彼を止めるんだ!」

 レンが声を張り上げました。しかし、〈ローレライ〉はつれない声で答えました。

『原始犯罪およびその予兆行動は観測されません。スリープモードに移行します』

 武田はエレベータへ乗り込むと、レンに向かって小さく会釈しました。

 エレベータの扉が閉まりました。


 無差別な〈わたしと共に歌いましょう〉によってアリサ・ブルーム長官がその場に倒れ込んでしまうと、手持ち無沙汰になったエイワ・ベックは前長官が残していった革のチェアに腰かけ、退屈そうにバーボン片手に海面上区の街並みを眺めることしかできませんでした。

「エイワ・ベックですね」

 長官室の扉が開き、入ってきた武田洋平が言いました。

 ベックはゆっくりとチェアを回すと、グラスを傾けて言いました。

「会いたかったよ。ヨウヘイ・タケダ、そして〈パシフィカ〉」

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