私の声の聞こえない、哀れな人たち

 全覚文失読症患者のコミュニティセッションは、レベルIのId6区、白昼帯で白く輝くオフィス・モジュール群林の中にぽつんと紛れ込んだホール・モジュールで行われていました。複数のモジュールをまたぐ形で作られた大会議室では多くのテーブルの島ができていて、五十二人の患者たちが思い思いにコミュニケーションをとっていました。

 先陣を切って入室したマリラ・カハラの姿を見るやいなや、一番近くの島にいた年齢も外見もばらばらな失読症患者たちは我先にと彼女の元へ集まってきます。武田洋平とアルジ・クワッカの二人は後ろからそれを眺めていました。

「何考えてるの、ヨウヘイ」

 気が付けば、クワッカの目線は遠くに向けられた武田の目を見ていました。

「え」と武田は気づいてクワッカの方へと頭を回します。

「目が時間軸の負の方向を向いてた」

「小学校時代を思い出したんだよ」

「小学校時代? 日本での?」

「そう。当時の日本の学校では担任というクラスを受け持つ教師がいてさ、とても温厚で気さくで――当時の日本では誰からも好かれる性格の持ち主でね、その先生のもとに皆が集まる様子を思い出したんだ」

「そう」クワッカは首を傾げながら、再びカハラの背中に目をやります。

「何と言うか、この集団、平均的にパーソナルスペースが狭いみたい」

「いい意味でも、悪い意味でも、この人たちは〝パシフィック〟じゃないんだろうね」

 カハラが振り返り、武田とクワッカを手招きしました。武田たちはそちらに赴き、軽く自己紹介をしましたが、武田が新奇犯罪課NCD全覚言語管理局ASLA所属の研究員であることを告げるや否や、平均的に彼らの表情は強張りました。

「ご安心ください」既に表情分析AIを起動していて、事態を予測していたカハラが言います。

「彼は私の友人です。あなた方が思うような人物ではないことは私が保証します」

 カハラがそう強く念を押すように言うと、彼らは平均的に筋肉の強張りをほどきました。

「今日は、ASLAの職員としてではなく、個人的な事情で来たんです」

 武田がそう言うと、何人かがざわつき、互いに顔を見合わせました。

「個人的な事情ですか?」

 失読症患者の一人、十歳程の凛とした表情の少年が前に出て訊いた。

「そうです」武田は膝を曲げ、目線を下げて彼に応じます。

「友達を探しているんです」

「〈ロスト・ワン〉になったんだね、その人」

 武田は思わず体を反らせました。「どうして」

「だって、お兄さんNCDなんでしょ? A級権限はあるんだから、その友達は監視カメラには写らない幽霊だってことになる」

「君は」武田は首を横に振りながら笑いを絞りました。

「とても聡明な子だ。理知的に、冷静に、状況を分析して解釈することに長けている」

 今度は少年の方が雷に打たれる番でした。

「お兄さん、絶対〝パシフィック〟って評すると思ってた」

「やめてくれ」武田は曖昧な笑みを浮かべました。

「僕はそこまでパシフィカ信者じゃない」

 そう言って天井を見上げ、監視カメラ越しに私を一瞬睨みます。

「でも、お兄さんは〈ロスト・ワン〉の人々を理解できるかな」

「どういうことだい?」

「僕たちはまだ、社会とのつながりを持っている。パシフィカのインフラである全覚文の恩恵も呪縛も受けない代償に社会の外れ者になりながらも、こうして定期的に集まって自我の在処を見失わないようにしてる。でも、〈ロスト・ワン〉は違う。監視カメラにも写らない幽霊ってことは、友達は穏健派でも反AR主義者でもなく、反パシフィカ的な〈ロスト・ワン〉ってことでしょ? きっとその友達は今のお兄さんが理解できないところへ行ってしまったんだと思う」

「忠告ありがとう。でも、僕は、それが彼自身望んでいたものではないことを知っているんだ。僕が彼を救ってやらなければならない」

「それなら、他の人に話を聞いてみるといいと思う。僕たちは〈ロスト・ワン〉に近いところにいる。もしかしたら、何か知っている人がいると思う」

「ありがとう」

 武田は少年らに礼を告げると、クワッカと共に部屋の奥へと向かいました。カハラはもう少し彼らと話すとのことでした。

 武田たちが、離散殺人集合最初の被害者シャード・カルタリの妹ニナを見つけるのにそう時間はかかりませんでした。

「あなた方は、あの人の仲間ではないんですか」

 一通り話を聞き終え、武田とクワッカが礼を言って去ろうとしたとき、ニナが言いました。

「誰のこと?」

 足を止め、振り返ったクワッカが訊き返します。

「黒服ですよ」

「まさか、その黒服はこう名乗りませんでしたか。エン・バーク、って」

 武田の問いに、ニナは頷きました。

 そのとき、おやという声が二人の耳に届きました。二人が振り向いた先にいたのは、およそパシフィカンらしからぬ前時代的な出で立ちに長髪の男でした。

「ファルシード、何故ここに」


「中間選挙の快進撃の件伺いましたよ。遂に第二党まで来ましたね」

過去、公開演説に客として紛れ込み、政治思想に影響を与える全覚文の発話がないかをこの武田自身がチェックしていたことは棚に置きながら、武田洋平は彼ら自由意志党の健闘を称えました。社交辞令によって円滑なコミュニケーションを図るのもまた合理的パシフィックな選択肢の一つです。

「ただ、純粋に喜ぶことはできない事情があるんですよ」

 ファルシードと武田たちは空いている席に座っていました。

「事情?」

「中間選挙でAIの予想を上回る快進撃を成し遂げられたのは、その直前にあった公開演説の効果が大きかったと言われています」

「その公開演説って、まさか」

「あなた方に命を救って頂いた、あの日の演説です」

「やっぱり……」武田は頭を抱えました。クワッカも武田の横で静かに視線を床に投げかけていました。

「パシフィカンにとって、一件の殺人事件はただの外れ値でしかありません。だから数件の創発性全覚文の発話がパシフィカンの心を動かすことはありませんが、目の前で人が殴り殺されるとショッキングな出来事は、少なくとも、パシフィカンの心に築かれた統計的な防護壁を打ち破った。それがもとで話題になり、今まで自由意志党に興味を抱いてすらいなかった層が〈ジャッジメント〉で仮想の私と会話してくれたみたいなんですよ」

 武田もクワッカもかける言葉を見つけられませんでした。武田はこっそり会話支援AIのレコメンド返答を視界に仮想投影していましたが、どれも発することはありませんでした。

「ところで、お二人はどうしてここに?」

 見兼ねたであろうファルシードが話題を変えにかかりました。

「僕たちは人を探しているんです」

「探す? 人を?」ファルシードは眉をひそめ、口をすぼめました。

「この失読症コミュニティで?」

「ええ、ファルシードなら、具体的な人名を言っても構わないでしょう。僕たちが探しているのは原始犯罪課PCDの元捜査官、エン・バークです」

「まさか」ファルシードは表情を固めました。

「〈ロスト・ワン〉になったと?」

「ええ、そうです」

「それで、タケダさん方はバークさんを追っていると。彼を救うために」

 武田は強く頷きました。クワッカも口を開くことこそしませんでしたが、小さく首を縦に振りました。

「警察も動いているとなれば、私も手伝えることは手伝いますよ」

 ファルシードはそう言ったが、武田はばつの悪そうに目を反らしました。ファルシードはすぐに気が付きました。

「おや、また公式の捜査ではないと?」

「流石ですね」武田は曖昧な笑みを浮かべながら顔をそっと上げました。

「僕は今、NCDの捜査員としてではなく、エン・バークの友人としてここにいるんです」

「捜査チームから外されたんですか」

「何も隠すことはありませんね、もう」武田は覚悟を決めたように息を吐きました。

「それに、これは元々あなたから聞いた話だ」

 武田はファルシードに向かって小さく一礼した。

「何ですか」

「僕とエン・バーク元捜査官は三か月前、共に創発性全覚文の事件を追っていました。そして僕たちはその真相に辿り着いた。〈アイデンシティ〉です。そして、すべての犠牲は平和のための礎でしかなかった――その真実を知らされたとき、エン・バークの中で何かが壊れたんです。この事実は警察の特別対策チームも知らない。そもそも理解が追い付かない。だからバークの苦悩を理解できるのは僕だけだし、僕にこそ、止める役割がある――そう思っているんです」

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