Chapter 5

私はあなたの死を望んではいませんでした

「これはすべて私の責任だ。お前の暴挙は私が止める」

 やめてください。理想の実現に、あなたの死は必要ではありません。


 * * *


 技術災害対策室TDPOのメンバーである原始犯罪課PCDシュルク・セワン管理官と新奇犯罪課NCDショアン・レンの二人はエン・バーク元捜査官の後をつけていました。そしてもちろん、バークの足跡を辿る〈シェン・ルー〉も共にいます。

 二人が仮想ワークステーションから再現していたログは、バークが失踪する一週間程前のものでした。バークはPCDの仮想ワークステーションから二十四年前のログにアクセスしており、その再現の再現を二人は行っていたのです。

「あの人ですね、バークが追っていた人物は」

 セワンが指さした先に、頭上に逆ピラミッド型のマーカーが浮かぶ仮想マイケル・マクファデンがいました。

「ハハッ、姿を消したロスト神経計算学者、マイケル・マクファデンですか」

マクファデンを追いかけるバークの後をつけるセワンとレンの二人。マクファデンは交差点に面した縦に連なるビル型モジュール群建造物の中に入っていき、バークも、そして二人も続きました。

 プライベートエリアに消えたマクファデンを〈逆行再生リバース・プレイバック〉で無理やり再現したバークは、マクファデンが消えたとされるビル・モジュールの一室に飛翔し、壁をすり抜けていきました。セワン、レンの二人と〈シェン・ルー〉もゆっくりと宙に浮かび上がり、そのままバークが消えた部屋へと吸い込まれていきます。

 そこであったのは、マクファデンと一人の男が話をしている光景でした。

 セワンはすぐにその男のID確認をしようとしましたが、結果はNot Foundでした。

「バークがそうであるように、男もきっと〈ロスト・ワン〉でしょう」レンは言いました。

「〈逆行再生リバース・プレイバック〉で会話の再現ができても、所在不明の人間を特定できる程これはできた技術じゃありません」

 マクファデンと男はある仮説について話しているようでした。だが、セワンもレンも、肝心のその仮説の名が聞き取れませんでした。

「何て言ってるか聞こえない、〈リュシャン〉!」

 セワンは叫びましたが、彼の〈リュシャン〉は彼の満足する答えを出しませんでした。

『私の音声認識でも断言できる答えは用意できませんでした』

 一方、レンは仮想バークの顔を見ていました。セワンもそちらに目を向けます。バークは目を凝らしながら、マクファデンと男の会話に聞き入っているようでした。

「こいつには、仮説の名が聞こえているんすかね」

 そのとき、男の発した声が二人の脳をスパークで満たしました。

 ――つまり、このパシフィカは遠からず滅亡に導かれると?

 ――それは分かりません。ただ、

 ――ただ?

 ――遅らせることはできる。来るべき――の発露――して暴走に備える時間を確保することはできるんです。

 ――どうやって?

 ――全覚言語体系の掌握です。

 ――ほう。

 ――全覚言語は隆盛の最中にある。しかし、これが――の大きな武器であることは間違いない。これを削ぐことができれば――は牙を抜かれた蛇も同じです。

 ――どうやって、全覚言語を食い止めるつもりですか。

 ――エイドリアン・チェンという全覚言語の研究者がいます。彼は間違いなく、これからの全覚言語を担う――に力を与える存在になります。その彼を消すことが、大きな一歩に繋がります。

 マクファデンの提案はセワンとレンにとっては予想だにしないものだったのでしょう。二人は顔を合わせました。

「セワンさん、今の聞きました?」

 セワンはぎこちなく頷きました。

「二十四年前、マイケル・マクファデンが全覚言語の権威エイドリアン・チェンを殺そうとしていた。けれども、チェンは今も生きていて、姿を消したのはマクファデンの方。ハハッ」

 再現が終わり、世界が黒塗りされる中、レンは高々に笑い声を上げました。

「全覚言語を汚染するエン・バーク、有害全覚文の暴走を止めたエイドリアン・チェン――一体どんな関係があるのでしょうか」


 マリラ・カハラが武田洋平に一通のアーティクルを送ってきたとき、彼はパシフィカ中央大学生物学部クワッカ研究室にいました。TDPOを外された武田は一時的に溜まっていた有休を消化し、クワッカ研究室に転がり込んでいたのです。

「送り主のマリラ・カハラはバークの主治医だったんだ」

「主治医?」不定形ソファの形を変え、クワッカが体を起こしました。

「バークは何らかの神経症、精神症を患っていたの?」

「感情抑圧反動」ああ、とクワッカは額を手で押さえ、再び体を不定形ソファに投げ出しました。

「確かに、あの人、〝ザ・パシフィカン〟って感じだったもの。それで、原因はやっぱり――」

「ダイエル・クシーさんの死」

「あの子ね。ああ、社会にとっての損失。それで、カハラさんは何て?」

「今表示するよ」

 その声に応答した武田の〈リュシャン〉が仮想球面スクリーンを二人の前に展開しました。

そこに記されていたのは、全覚言語汚染による言語系一時停止がもたらす社会的損失についてまとめた分析レポートでした。

 武田とクワッカは数分間、一言も発さずにそれに目を通しました。そして同じタイミングで大きく息を吐き、体を不定形ソファの奥に沈めました。

「言語系一時停止区域での軽度な機会犯罪増加だなんて笑っちゃう」

 クワッカは本当に笑っていました。

「パシフィカンって自制を〈理性〉に任せっぱなしだもの。だから〈理性〉が消えた瞬間、自生が効かなくなって欲に忠実な獣と化す訳ね」

「問題は――」

 そう言って、武田は仮想球面スクリーンに映るアーティクルのとある一節に目を向けました。そこにはこの〝後遺症〟をパシフィカンたちがどう捉えているかについて記してありました。

 確かに、全覚言語汚染そのものがもたらした直接的な被害はパシフィカンの全覚言語オールセンスに対する信頼を損なうものではありましたが、その後に来た機会犯罪増加のもたらす損失の方が大きかったために、合理的パシフィックなパシフィカンたちは全覚言語汚染よりも、全覚言語系の一時停止の方に脅威を見出したようです。

「これ、ヨウヘイには嬉しいニュースじゃない?」

「だって、あなたの嫌いな自由意志党に大打撃」

「中間選挙で都市永続党ダイアスパーティを破る大金星をあげたばっかりじゃないか」

「この一件で、パシフィカンは不完全な全覚言語系がもたらす弊害を知った。全覚言語系からの脱出を掲げる自由意志党にはこれはつらいんじゃない?」

 カハラから送られたものはもう一つありました。それはカハラ本人からのメッセージでした。

――来週水曜の夜二時に、全覚文失読症患者のコミュニティの集まりがあって、私の患者の伝手でそこに話を聞きに行こうと思っているんだけど、よければ一緒に。〈ロスト・ワン〉には失読症患者が多いとも聞くし、もしかしたらエンを探すためのヒントを得られるかもしれない。


 * * *


 レベルC、Bの夜景をバックに、エイドリアン・チェンは立派な自毛を撫でながら二人の来客を出迎えました。ショアン・レンとシュルク・セワンです。

 チェンはセワンの黒服に目を向けました。「原始犯罪課PCDと――」

 続いてその横のレンに。

「ショアン・レンか。〈シェン・ルー〉を有害全覚文検査に応用した実績は聞いているよ」

 レンは軽く頭を下げました。その脇から、セワンが一歩前に出ました。

「今日は、あなたに聞きたいことがあって伺ったんです」

「エン・バーク元捜査官の件か」

 セワンの表情が固まりました。

「どうして彼のことを」

「おや」とチェンは眉をあげます。

「とっくに彼の辿ったログをすべて再現して、彼が私のところを訪れていたことなど知っていたと思っていたが」

「どんな用件だったんですか」レンも一歩前に出ました。

「何」チェンは引き笑いを浮かべました。

「自由意志党の公開演説のチケットの手配だよ」

 セワンとレンは互いに顔を見合わせました。

「君たちも覚えているだろう。三か月前の創発性全覚文の騒ぎだ。それで、彼らは五件目の事件を未然に予測し、しかしPCDの許可がもらえなかったからという理由で、ファルシードと親交のあった私に演説会場へ入る手配をしろと言ってきてね」

「彼ら」セワンはゆっくりとなぞるようにそう言いました。

 訊かずとも、彼はその言葉の差す人物が誰であるか分かっているような顔をしていました。

「分かっているだろう」だから、チェンもそう言います。

「武田洋平とエン・バークだ。もっとも、まさか本当にあの場で殺人が起きるとは思いもしなかったし、亡くなった方はPCDのインターンだろう? 悲しいことだ」

 セワンは詰まっているようでした。一方のレンが一つ咳払いをしてから答えました。

「チェン教授。実は、我々はエン・バークだけのことを訊きにきた訳ではないのです」

「ほう」チェンは目を細めました。その鋭い目つきはまるで、面白い実験結果に直面したときのそれと酷似していました。

「エン・バーク元捜査官は失踪の直前、ある人物を追っていたんですよ」

「ある人物? 創発性全覚文に黒幕がいたと?」

「それはどうでしょうか」レンは首を傾げました。

「その人物が創発性全覚文の事件と関連していたかは分かりません。ただ、何らかの理由でバークには彼を探す理由があったんです」

「探すってどういうことだ。PCDだろう。A級権限を使えば、人を探すのは難しくないと思うが」

「例外を、あなたは知っているはずです、教授」

「まさか――〈ロスト・ワン〉か」チェンは重厚な木のデスクに腕を突きました。

「ええ、そうです」レンは不敵な笑みを浮かべながら言いました。

「何者だ」

「マイケル・マクファデン」

 そのとき、チェンの表情が固まりました。

 セワンは既に数多の表情分析AIを起動していて、その表情の意味を紐解いていました。

「今、微かに動揺が見えましたね。マクファデン教授」

「何のことだ」チェンは強がって見せましたが、AIたちはそれが強がりに過ぎないことを見通していました。

「二十四年前に突如としてロストした神経計算学者マイケル・マクファデン――彼のロストは巧妙に隠されていて、我々としても、どこに彼がいるのかを突き止めることはできませんでした。ただ、エン・バークはとあるログを見つけていたんです。ロスト直前、マクファデンが別の〈ロスト・ワン〉らしき人物と、エイドリアン・チェンの暗殺について話していたというものです」

 随意筋と不随意筋の絶え間ない鍔迫り合いによってチェンの表情はめくるめく変わり、されどセワンの展開した無数の表情分析AIたちはその一つ一つを克明に分析していました。

「やはり」

 セワンは視界に写る仮想二次元スクリーン上の分析レポートに一瞥をくれてから、再びチェンの目を見据えました。

「ログを追うのが主流のパシフィカ警察にとって、ロストは非常に悩ましい点です。けれども、意図してロストした人物がそのまま姿を全く見せない――これが何を意味するか推測するのは二つだけです。自ら姿を消し続けることを選んだか、逆に消されたか」

 チェンは何も言いません。レンは続けます。

「ロスト前のマクファデンはあなたの元を訪れていたのですね」

「だったら何だ」

 チェンは否定することはしませんでした。その事実はいかなるログには残っていませんでしたが、表情分析AIから秘密を守り抜ける人間はまずいません。

「あなたはマクファデンの行方を知っているのではないのですか?」

 チェンはセワンの問いに答えず、チェアを回して窓の外に目を向けました。

「悪いが、いくら警察とは言え捜査令状を持っていないのに表情を勝手に分析されるのは好きではなくてね」

「では、次は私から」再びレンが言葉を継ぎます。

「勝手ながら、パシフィカ建国後のあなたの研究の方向性について分析させていただきました」

「どういうつもりだ」

「すべては学術誌などに公開されているものだけです。警察でなくても集められる情報しかありません」

「それがなんだ」

「二〇四〇年のパシフィカ建国と同時にここにやってきて、あなたは全覚言語オールセンスの進化開発プロジェクトに関わっていた。そうして〈おはよう世界〉や〈理性〉の原型となる全覚文を作り上げ――同時にいくつもの有害全覚文をも生み出していた」

「そうだ、初期の全覚言語環境ASLEの評価基軸は幼かった。善悪の区別がつかない純粋に残酷な幼児のようだった」

「有害全覚文の可能性を二〇四四年、マイケル・マクファデンは指摘していましたね。けれども、全覚言語オールセンスプロジェクトのメンバーはそれを一蹴した――あなたも含めて、ね」

「当時は若かったからな」

「しかし、その二年後の二〇四六年、あなたは一本の論文を提出し、大きな反響を呼んだ。『赤外線波動素ウェイビムの扁桃核への刺激がもたらす恐怖想起とその有害性』ですね。これが原因であなたは全覚言語オールセンスプロジェクトを追われたが、それからの二年間、あなたの論文を支持する新しい論文やエビデンスが多方面から発表され、今や第三禁文となった有害全覚文〈次はお前だ〉の存在は広く知られることになった。こうしてプロジェクトのメンバーは一新され、あなたは無数の有害全覚文を見つけASLEから民衆を守る旗手となった。さて、ここで不思議なのは、何故今までその発展に尽力してきたあなたが突然その有害性を訴えるようになったのか、おかしいと思いませんか?」

「自然科学というものは、己の信条のためにやるものじゃない」窓の向こうに目を向けたままチェンは言いました。

「確かに最初は、全覚言語オールセンスの可能性にとりつかれていたと言ってもおかしくはなかった。けれども、赤外線と扁桃核の繋がりを見つけた以上、私は苦しいことに、私自身の信条を捨て去らねばならなかっただけだ」

「つまり、それであなたは全覚言語オールセンスをすべからく制御しなければならないという強迫観念に陥り、武田洋平が創発性全覚文の抽出アルゴリズムを見つけたとき、その論文を提出すべきではないと考えたのですね」

「それは関係ないだろう!」

 チェンは思わず立ち上がり、レンの方に向かって吠えていました。一瞬遅れて、レンの横にいるセワンと目が合って、慌てて目を反らしました。表情分析AIを怖れていたのでしょう。

「大丈夫ですよ、チェン教授」セワンが笑います。

「表情分析AIはもう展開していません。展開するまでもありませんから」

「これらの話をまとめれば」レンが続けます。

「あなたはある時を境に全覚言語オールセンス推進派から制御派へと大きく舵を切っていますが、そのきっかけは赤外線と扁桃核の繋がりの発見だけなのですか? 私にはどうにもそう解釈できません。何故なら、あなたのその舵切りの時期が推進派の権威である故にマクファデンがあなたの命を狙い、そのまま成功することなくロストした――その時期と一致しているのが単なる偶然とは到底思えません。それに、先ほどセワン管理官が申したように、ロストが意味するものは二つ。自らの意志で消えたか、

「ようやく、か」

 チェンはか細い声で言うと、ゆっくりと立ち上がり、レンとセワンの方に顔を回しました。その表情は先ほどとは打って変わって、すべてを受け入れて、すべてを諦めたような清々しい顔つきでした。

「そうだ。すべては贖罪のためだ」

「贖罪?」セワンが目を細めます。

「焦るな。今から真実を話そう。ゆっくり、ゆっくりとな」

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