対面

 武田洋平とエン・バークの二人を乗せた連結オートモービルはレベルFを縦に貫く水圧エレベータに乗り込んでいましだ。直径十メートル程の底面を持つエレベータは貿易層レベルDへと繋がるもので、武田らの乗る連結モービルの後に、荷物を積んだオートモービルはコンテナトレーラーが次々と乗り込んできます。

「武田、一つ訊いていいか」

 物理的なテクスチャに満ちたコンテナに囲まれた中、バークが神妙な顔つきで言いました。

「何でしょう」

「〈アイデンシティ〉って一体何なんだ?」

「それは――」武田は一瞬言い淀みます。

「何だ、教えてくれ」

 帯状皮質や内側前頭前皮質をくすぐる微かな全覚文が、あるいは潜伏全覚文がバークに囁きかけました。バークの脳内でスパークが迸り、次の瞬間、その右腕は逡巡する武田の襟を掴みました。

「人が五人も死んだんだ」

「分かりました」武田は渋々と頷いてから、バークの目をまっすぐと見返しました。

「これから僕が言うことは、荒唐無稽に聞こえるかもしれません。信じられないかもしれません。それでも、黙って最後まで聞いてください――そう、誓えますか」

「誓おう」

 バークは間髪入れずに強く答えました。

 その直後、水圧エレベータが緩やかに上昇を始めました。

 一つ息を挟んでから、武田は口を開きます。

「字面から予想できるかもしれませんが、〈アイデンシティ〉が示すもの――それはこの都市、パシフィカそのものです」

 バークはしばらく、表情を変えませんでした。全覚文失読症患者が脳波想起を起こさないように無反応なままでした。

「そして、〈アイデンシティ〉――このパシフィカそのものが、これらの離散殺人集合を起こした真犯人とも言えるのです」

「ちょっと待ってくれ!」

 バークは反射的に吠えました。「言っている意味が分からない」

「当たり前でしょう。都市が人を殺した――パシフィカンには、いや、パシフィカンだからこそこんな事実は受け入れがたい」

「どうやって、パシフィカが人を殺したってんだ」

「それは何故テロが起きたのか、何故戦争が起きたのか。――それと同じ次元の問題です」

「分からない」バークは左目を細めました。

「それはテロリストや政治家が己の狂ったエゴや、見栄や、狂信や、名誉のために下した誤った結論の末路だろ」

「それはきっと違うんだと思います」武田は静かに首を横に振りました。

「人間の自由意志というものは、科学の発展と共に何度も無様な敗北を喫して来ました。自由意志なんてものは端から幻想で、テロや戦争だって、引き起こした人の自由意志によるものじゃない。宗教や、イデオロギーや、世論――様々な集合体としての圧力が彼らをそうせしめたんです。今まで最も多くの人を殺したのは何だと思いますか?」

 その問いに、バークはすぐには答えられませんでした。答えを示したのはバークの〈リュシャン〉です。

『イデオロギーよ』

「それと同じなんですよ。人間の意志なんて、集合体の前に吹き飛ばされる塵に同じなんです。人を殺人者に導く社会的潮流、宗教、イデオロギー、あるいはは人間の預かり知らぬところで動いているんです。僕たち人間はその土台の上に乗っているだけ。全覚言語環境ASLEの――パシフィカの『意志』一つで、私たちは何にだってなるんです。英雄にも、傍観者にも、そして殺人犯にも。〈アイデンシティ理論〉とは、その集合体の意志を言語化するアルゴリズムのことです。つまり、〈アイデンシティ〉を見つけることは――パシフィカを見つけることは、この都市で起きていること、この社会で起きていることの真実と、大いなる意志と、そして未来と対面することと同じなんです」

 そのとき、武田とバークの三半規管は微かな重力の減衰を感じました。

「着いたみたいですね、レベルDに」


「お久しぶりです、タケダさん」

 ルタン・クライーヌは武田とバークを歓迎しました。

 二人はパシフィカ最大の貿易会社セントラル・パシフィック社の本社ビルの一室に通されていました。三つの不定形ソファは会議系に変形しており、バークと武田、二人と向かい合うクライーヌは皆整った姿勢で話し始めます。

「――不審なコンテナ、ですか」

 話を受けたクライーヌは首を傾げました。

〈アイデンシティ〉のプログラムが保存された端末はセントラル・パシフィック社の占有する倉庫街の一角にあるコンテナにある、とバークは言いました。マクファデンの遺族を訪ね、遺物の在処を辿ったところ、最後のログを残す直前、セントラル・パシフィック社に不自然な依頼先で送ったコンテナがあったのです。

「その可能性は低いと思います」

 クライーヌは表情を曇らせました。

「根拠は何だ」バークが詰めます。

「倉庫街を行き交うトレーラの運行アルゴリズムはビッグデータの波によって洗練されて、既に最適化されているからです」

 倉庫街を行き交う無数の運送トレーラーやモービルは自己進化する運送アルゴリズムによって走路決定がなされているとクライーヌは説明しました。そしてこの十年、アルゴリズムの進化はほぼ止まっていました。時間的なロス、運送総コスト、集荷時間、配荷時間などありとあらゆる面で最適化が完了したか、あるいは進化の袋小路に到達していたのです。

「コンテナのサイズはどれくらいですか」

 武田が横に座るバークに訊きました。

「今、マクファデンが最後に注文に出していたコンテナの実寸仮想模型を出現させる」

 その直後、クライーヌの真横にそれは出現しました。人がかがめば一人入れるかどうかの小型コンテナでした。だが、その土台は分厚く、武田の目を引きました。

「これは、振動発電機ですか」

「運送中に内部の機械類に電力を供給したいときに使われるものみたいだ」

「けれども、運送されることなく倉庫街に放置され続けていたものなんですよね」

「いや」クライーヌが口を挟みました。

「発電ならできます」

 バークと武田はクライーヌに目を向けました。彼は続けます。

「運送トレーラーがもたらす振動は僅かですが、それでも総体で考えれば無視できない程のエネルギーを秘めています。セントラル・パシフィック社では消費電力の平均五パーセントを振動発電に頼っています。トレーラーの運行で失ったエネルギーの一部を回収してそのまま利用してるんです」

「待て」バークが制しました。

「このコンテナの規模の振動発電機なら、どれ程の電力が賄える?」

「恐らく――」クライーヌは顎に手を当てました。

「コンピュータの一台くらいは常時走らせておくことくらいできるんじゃないでしょうか」

「バークさん」武田がバークに向かって言いました。

「コンテナの場所は分かっているんでしたっけ」

「いいや」バークは首を横に振ります。

「マクファデンはコンテナを購入し、その後セントラル・パシフィック社の占有エリアに運送をしたことまでは分かっているが、その後の出港記録がない」

「それは……」クライーヌは目を丸くしました。

「確かに、それは不可能ではありません。広大な倉庫街は時地点ではなく、流れで管理をしているからです。もし途中で流れを外れれば、そのまま倉庫の一角に放置させることはできるでしょう。でも、配送から漏れた、あるいは故意に漏らしたコンテナがあるとしたら、運送状況に悪影響を与えるはずですし、それは数値的に可視化されるはずですが――」

「いや、運送状況に一切の影響を与えない、空白のエリアが存在する可能性はあります」

 そう言ったのは武田でした。

「どういうことですか」

「セントラル・パシフィック社の運送アルゴリズムは進化的アルゴリズムです。進化はある意味で万能なヒューリスティックなアルゴリズムですが、無駄のまったくない効率的なアルゴリズムとは限りません。人間の腕とコウモリの翼が相同器官であるように、進化とはその時々で最良の選択を取るだけ。無駄が全くない確率は低いんです。つまり、運送アルゴリズムで使われていない空白のゾーンのどこかに、そのコンテナがあるはずです」

「ちょっと待ってください」クライーヌは立ち上がりました。

「仮に、そのコンテナを隠し置いた方が本当にいたとして、その人物は一体どうやってその微小な無駄な空間を見つけたって言うんですか」

「この運送アルゴリズムはニューロンの軸索形成を基にしたアルゴリズムなんですよ」

 武田が即答しました。

「何故……」クライーヌは声を詰まらせました。

「何故、それを知っているんですか」

「僕たちが探している遺物の開発者マイケル・マクファデンは神経計算学者です。そして、これがセントラル・パシフィック黎明期を支えた倉庫管理システムについて記したコラムです」

 武田は部屋の中央に、三人それぞれに対面する仮想二次元スクリーンを投影し、そこにそのコラムを投げました。

「考案者はマイケル・マクファデンか」バークは唸ります。

「ええ」武田が頷きました。

「考案者のマクファデンなら、自分の考えたアルゴリズムの穴を見つけることは難しくないでしょう」

 武田の〈リュシャン〉が分析を終えました。

 三人の足元に、セントラル・パシフィック社占有の倉庫街のミニチュア模型が出現し、その上が無数の無人トレーラーの縦横無尽な走路ログで赤く彩られていきます。トレーラーの走路はほぼ均等に空間を赤く染めていきましたが、その赤色と対照的に、ぽつりとぽつりと全くトレーラーの通過記録がない微小な空間が見えていきました。

 最初の数年間分のログを反映させた段階では、その微小空間は無数に存在していました。しかし、ログをどんどん遡って重ね掛けしていくにつれ、一つ、また一つとその微小空間は消えていきました。そして、マクファデンが失踪した二〇四六年まで遡ると、残った微小空間はたった一つだけでした。

「ここに、〈アイデンシティ〉が――」バークが言いました。

「パシフィカが


 倉庫街の街路を形成するのは白い直方体状の建造物ではなく、物理的テクスチャの主張の強いコンテナたちでした。ただ、コンテナは一見して無造作なパターンで並べられており、その合間を縫うように無数の無人トレーラーたちがコンテナを動かしています。その重厚な運行音が滞る一体はまさに機械の街で、作業員の声が聞こえることは滅多にありません。

 耳慣れないモーター音が一つ、トレーラーの運行音に紛れて地面を這っていました。人間が倉庫街を移動するときに使うオートモービルです。それがコンテナの前で止まると、二つの足音がコンテナから降りるのが聞こえました。

「振動発電機があります。確かにこのコンテナのようですね」武田の声が言いました。

「開けるぞ」バークの声が言いました。

 次の瞬間、コンテナの扉が大きく揺れました。程無くして、扉がゆっくりと開き、光が中に差し込んできました。その光を遮るように、武田とバークの二人がコンテナの中を覗き込みます。


 そしてようやく、彼らは私を見つけたのです。

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