第64話 『いい小説を書く為にお金を払った話』 玄納守さん

〇作品 『いい小説を書く為にお金を払った話』

 https://kakuyomu.jp/works/16817139558602404756

 

〇作者 玄納守さん


【作品の状態】

 短編。完結済。


【セルフレイティング】

 なし。


【作品を見つけた経緯】

 以前、当作品で紹介しました『感想が欲しすぎて5万課金した話』の作者さんがレビューを書いていらして、そこから読みに行きました。


【ざっくりと内容説明】

 作者さんが経験した、添削の話です。


【感想】

 皆さんは、ご自身の作品を誰かに添削してもらいたいなと思ったことはあるでしょうか。もしかすると、すでに経験済みの方もいらっしゃるかもしれませんが、もしお金を払って誰かに添削を依頼したいとお考えならば、一度こちらの作品を読んでみてはいかがでしょうか。


 作者さんは松岡圭祐氏の『小説家になって億を稼ごう』をお読みになって、添削してもらおうとお考えになったようです。私もこの本は読んだことがあるので、「添削をしてもらうとよい」「ネットで添削を受け付けているところがある」というようなことが書かれていたことを覚えています。


 作者さんは、「褒めの上手い添削」と「厳しい添削」の両方を同じ作品で受けたようで、読んでみると両極端な印象を受けました。

 作者さんは時代小説を書いて添削をお願いしたのですが、前者は指摘箇所が多くありつつも褒められた部分もあったので嫌な気分にならなかったようです。また、これにより推敲のやり方を掴めたとのこと。

 後者はとても厳しく評価されたようなのですが、特に「時代に沿った言葉の使い方をしなさい」という指摘があったことで、作者さんは時代小説を書くのを諦めることにしてしまったそうなのです。


 どちらも利点と欠点がありますが……ここまで読んで、私が気になったのが「時代に合わせた言葉選び」のこと。

 これは私の一個人の考えなのですが「言葉遣いに関しては、作者さんの意向と出版するレーベルや出版社などによって許される場合と、そうでない場合があるのではないか」と思うのです。


 先日、私は明治時代にタイムスリップする女の子(Aちゃん)の話を読みました。その話の中で明治時代に生きる少女(Bちゃん)が「斜め上の考え方をされますのね」というようなこと言いました。

 しかし「斜め上」を「それまでの流れからは考えられないこと」という意味として使う場合、この時代で使っているのはちょっとおかしいのです。何故なら、21世紀になってから広まったものと言われているから(『三省堂国語辞典 第八版』に掲載されています)。


 ただ、言葉というのは口頭で使われていると残らない場合もあるので、実際に明治時代でも使われていた可能性もあるかもしれません(可能性としては低いと思いますが)。

 また作中であれば、その時代に生きていた少女(Bちゃん)が、タイムスリップしてきた女の子(Aちゃん)と接する間に知った可能性もあるので否定はできません。

 この辺りのさじ加減というのは、書き手の「自分がどの辺りに自身の作品を落とし込むか」という方針によっても変わって来るように思います。


 時代小説も歴史小説も、当時の状態を出来るだけ反映させようとすると言葉に制限がかかってくるのは当然です。時代小説家や歴史小説家を名乗る方の中には、緻密にその当時の状況を再現しようと試みる方もいらっしゃるようですが、いい意味で型崩れした方が読者が読みやすいと考えて、あえて今風な書き方をする方もいらっしゃるように思います。


 しかしどちらが正しいかというと、それはどちらともいえないのではないでしょうか。

 もちろん「時代小説はこうでなければならない」「歴史小説はこうでなければならない」という、読み手も書き手もいらっしゃるとは思いますが、現代の日本語からかけ離れていると読みにくいとか、あまり堅苦しいものは不得意だという方がいることも事実です。

 そのため、型にはめる……という言い方は好きではないのですが、書き手の表現方法などを縛りすぎるのもどうなのかなと私は思ってしまうのです。


 私自身色んな本を読んできて思うのは、結局のところ作品をどういう方向に持って行くかは書き手が決めていいのではないか、ということです。

 もちろん、出版社の意向などあればそれに従う必要はありますが、そうではなく自由なものとして外に出すのであれば、気にしなくてもいいのではないかと思うのです。


 親身になって作品を共に良くしてくれる編集者の方が傍にいるのであれば、その方の意見を聞くのは良いと思いますが、お金を払って一時的な関係での添削であれば、文章の良し悪しのことを自分なりに咀嚼そしゃくして、必要だと思った情報は受け入れ、そうでないと思ったのは受け入れないでいいのではないかなと思いました。……むしろ、他者の意見を取捨選択をするための方法を学ばねばならぬのではないかなと思います。


「時代にあった言葉」についてまとまりのないことを長々と書いてしまいましたが、添削を依頼することについて色々と考えさせられる話でした。


 また、作者さんが依頼した添削自体は、言葉のことだけではなく物語の流れについても指摘してくれるようなので、それは参考になるのではないかなと思いました。甘い添削でも厳しい添削でも間違いなく客観的な意見は聞けて、自分が知らなかった小説の知識を教えてもらえるのだとしたら有意義だとは思います。


 実際に編集者の経験をしたことがある方が添削をしている場合もあるようですし、作家がやっている場合もあります。仮に書き手の方が、右も左も分からぬ状態で書き進めているのであれば、「こうすると読みやすい」とか「人気が出る可能性がある」という方向性を持つためには役に立つような感じも受けました。


 ただ、やはりここでも、私の経験上ではありますが、それをそのまま受け取らない方がいいこともあるのかなと思います。

 私の作品のなかに『愛をはかる薬』という短編があるのですが、これを公開する前に国文学を学んできた友人に読んでもらい、直したらいいところなどを聞きました。友人は「文法」の部分と、「作者の意図とは違う風に捉えられそうな部分」のところを指摘してくれたので、その部分を直した状態で公開しました。


 この作品は多くの方に評価していただけたのですが、さらに読んでもらいたいと思って、カクヨムさんで作品の講評をなさっている方の意見を求めたことがあります。数年前の話です。

 その作品の出来栄えには多少の自信がありましたが、褒められることはほとんどありませんでした。しかしその講評をして下さった方は、突き放すだけではなく「こうした方が良い」ということを書いて下さっていたので、元の『愛をはかる薬』をベースに言われたことを反映させた作品を書いたのです。


 直した作品は暫く公開していたのですが、評価して下さったのは講評をした方だけでした。当時は読まれない要因がよく分からなかったのですが、私はその人の求めている方向へ自分の作品を向かわせただけだったのではないか、と思っています。


 作品への批評は他者の意見を聞けるという意味で有り難かったですが、そのなかのどの意見を手に取り、どれを取らないかはちゃんと考える必要があると学びました。また私自身、他者の作品を添削することがあるので、そうならないように心掛ける必要があるなとも感じた次第です。


 ちなみに、現在公開している『愛をはかる薬』は元々のものを推敲したものに過ぎませんが、今でも読んで下さる方がいて、評価をして下さる方もいらっしゃいます。私が公開しているなかで一番短い内容なので、手に取りやすいというのもあるのかもしれませんが本当に有難いことです。


 作品の中身そのものが最初から破綻しているものを修正するのは難しいですが、ある程度骨格があるものを直すときはその作風を活かす必要があるのだと感じます。どちらにせよ、自分に合った添削をしてもらうのは難しいなと思いますが、それをしてくれる人に巡り合えたら良い方向に作品が磨かれるように思います。


 取り留めないことを長々書いてすみません。いつものことでございますが、私の話は適当に聞き流して下さいませ(笑)

 でも、本当に色んなことを考えさせてくれる内容でした。


 お金を払って添削をしてもらうか否か。

 考えている方にはよい参考資料だと思います。


 今日は『いい小説を書く為にお金を払った話』をご紹介しました。

 それでは次回、またお会いしましょう。

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