第36話 開戦、猛る樹根と震える大地

……


「良い? ダニー。打ち合わせ通りに行くよ」

「ああ、わかってる」


 孤児院を出て一週間。私とダニーは、大陸円環鉄道に乗って、国境砦前の駅まで来ていた。しかし、砦に戻るわけにはいかない。トルネードの言い付けを破ったことがバレないよう、こっそり帝都へ行かなければならない。もちろん、帝国軍にもバレずにだ。


 そこで私とダニーが考えたのが、『開戦の騒ぎに乗じて、空から帝国に侵入すること』だった。すでに樹士団は砦を出発し、もうじき三途の谷の東端、帝国側の砦に着く頃だ。待ち構える帝国軍と戦闘が始まったのを見計らって、ダニーの翼ではるか上空から帝国に潜入してしまおう、というわけだ。


 砦前に積まれた大きな木箱の陰で、白銀の翼人に変身したダニーに、私はぎゅっとしがみつく。ダニーは私の腰に腕を回し、しっかりと抱き寄せた。


「捕まってろよ」

「うん」


 静かに両翼を広げると、思い切り地を蹴って飛び立つ。重力がぐんと体を襲い、私はいっそう強くダニーにしがみついた。


 上空へと一直線に昇る白銀の閃光は、天を覆う雲へあっという間に飛び込んでいく。白いもやを突き抜けると、真っ青に澄んだ空に飛び出した。眩しいほどに日が差し、ダニーの白銀の鋼毛がキラキラと反射している。


 ダニーはゆったりと翼をはためかせて勢いを殺し、中空で停止した。眼下一面に広がる雲海をぐるりと見回して、私に話しかける。


「ツイてるな。最高の天気だ」

「そうだね、これなら地上から見えない」


 いくら開戦の騒ぎに乗じて潜入するとはいえ、ダニーが飛べることは樹士団と帝国軍にとって周知の事実。空を見上げられたらバレる可能性がある。でも、幸いなことに今日は厚い雲が遮ってくれている。絶好のチャンスだ。


「よし、このまま一直線に帝都へ行くぞ!」

「うん!」


 ダニーは力強く羽ばたき、東へと飛んでいく。しばらく雲海の広がる青空を飛び、このまま何事もなく帝国の領空へ入るかと思われたその時――


 ――ドオオオオォォンッッ!


 突如地上から激しい轟音が響く!


「なに!?」


 何が起きているのかわからず戸惑っているうちに、続けて地上から激しい風が吹き上げる! 眼下の雲は風圧で円状に吹き飛ばされ、大気の振動がビリビリと体に響く。


「うおっ!?」


 いきなりの突風にダニーの翼は煽られ、よろめく。晴れてしまった雲海の下では、まさに樹士団と帝国軍が衝突していた所だった。何か激しい攻防が起きたに違いない。が、それを推察してる暇はない! 私達は今、地上から丸見えだッ!


「ダニー、まずいッ!!」

「ああ、急いで逃げるぞッ!」


 ダニーはすぐに体勢を立て直し、白銀の両翼を羽ばたいて、再び東へと飛んだ。私は祈るようにいっそう力を入れてダニーにしがみついた。お願い、見つかっていませんように……!



―― ◆ ――



 やや時を遡る。アーシャ達が砦前から飛び立った頃、深緑の聖女エメラダ率いる樹士団は帝国砦前に到着していた。対する帝国軍は、帝下四仙将のひとり《地神》ダラライを先頭に、砦前に陣を張り待ち構えている。


 灰が積もりゴツゴツとした岩場から成る険しい谷底で、万と万の両軍がわずか数百mの間合いで睨み合う。


「どぅわはははは! 待ぁっておったぞ、深緑の魔女エメラダよ!」

 

 身の丈2m50cmはあろうか、熊のような短髪の大男が、これまた同じ丈の大戦斧の柄尻をゴンと地に着き、大声で笑った。楽しみが抑えきれないかのように大口を開け、身に纏う重鎧がガシャガシャと震えるほど腹の底から笑っている。


「背を向ければ追ってくると思うとったわ! 狙いどおりよ!」

「ふん。それがどうした」


 ――ザッ


 エメラダは、深緑のマントをなびかせながら樹士団の先頭から数歩踏み出し、余裕の表情で世界樹の葉巻をふかす。エメラダも背丈は決して小さくないが、ダラライの前では大人と子供のようだった。が、その放つ威圧は互角。両軍から数歩ずつ出た互いの将の間に、張り詰めた空気がはしる。


 一陣の風が吹き、舞い上がる灰煙が互いの視界を遮った瞬間――


「どぉりゃああッ! 《大地斬裂波グランド・クリーヴ》ッ!」


 ダラライは大戦斧を振り上げ、当たるはずもない間合いから、思い切り地に振り下ろす! 隕石でも落下したかのような衝撃で扇状に地割れが走り、地響きを上げながら割れた地盤が激しく隆起する!


 ――ゴゴゴゴゴゴッ!!!


 辺り一体の大地は激しく揺れ、左右の斜面からガラガラと大岩が崩落する。いっそう激しく舞い上がる灰煙の中、両軍の一般兵は足を取られ立つこともままならない。


 樹士団に向かって、尖塔のように隆起した岩柱や、巨大な岩盤、砕け散る岩石流が押し寄せる。さらに左右斜面から迫る崩落岩――! このままでは一瞬にして全団が潰れてしまう。


「やれやれ、いつもながら呆れた威力の異能だ」


 視界を覆うほど谷底いっぱいに迫る隆起岩にも動じず、エメラダは右手を突きだし、パラパラと数粒の種を蒔く。地に落ちた種は、瞬く間に樹齢1000年の巨木の幹ほどもある太い根をいくつも生やし、絡み合う蛸足のようにうねり地岩波を迎え撃つ!


 ――ドオオオオォォンッッ!


 猛る樹根と大地が衝突して鼓膜を破りそうなほどの轟音が響き、ビリビリと大気が振動する! 衝撃風があたりの灰煙を吹き飛ばし、さらには上空の雲までも風圧で吹き飛ばした。


 両軍の間で、隆起した地盤と、延びた巨大な根が互いにその動きを止めている。左右の斜面から崩落した岩石は、樹士団の隊長達がそれぞれ砕き、団を守っていた。


「これを止めるか! そうでなくてはッ! どぅわーっはっはっは! ……ん?」


 振り下ろした大戦斧を担いだダラライは、大笑いをあげて上を向いた瞬間に、雲の晴れた上空でキラリと光る小さな点に気付く。エメラダもまた、日を反射した白銀の煌めきに目を留めていた。


「あれは……まったく、あいつら……」


 エメラダはアーシャ達2人を見上げながら、左手に持った世界樹の葉巻を一吸いし、ふうと空に煙を吐いた――……。

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