第37話 強まる炎
……
どこまでも晴れ渡る青空を、銀の翼が翔んで行く。
突風に煽られたあと、私とダニーは逃げるように東へと飛んだ。眼下に広がる雲海は徐々に灰色が濃くなっていく。帝国の領土は、樹教国よりも灰が深い。そのため灰塵が空まで舞い上がり、常に厚い灰雲が天を覆っているのだという。
「……見つかってないかな」
「見つかったと思った方が良いかもしれない。ここはもう帝国の領空だ。気を引き締めていくぞ」
どれくらい飛んだだろうか。雲海はすっかり濃灰色に変わり、地上の様子は全く見えない。
「今どの辺なんだろう」
「それはオレに考えがある。噂が確かなら、そろそろ現れるはずだ」
しばらく飛ぶうち、やがて遥か前方の雲から何か大きなモノが突き出す。まさか、あれは――!
「龍!?」
「出たな、噂の金龍が」
大蛇のような長龍が、金色の鱗を輝かせながら雲から出ては潜り、一定の範囲を悠然と飛び回っている。距離が遠く、まだこちらには気付いていないようだ。
「金龍?」
「樹士団内の噂じゃあ、20年くらい前から何かを探すように飛び回ってるらしく、今は帝都の上空を巡行してるって話だ。つまり、あの下が帝都ってこと。バレないうちに降りるぞ」
ダニーがそう言って高度を下げようとした瞬間――
「ほう、金龍ヨルムンナーガを知っているとは」
「!?」
後方からの突然の声に、ダニーは振り向きながらバッと羽ばたいて距離をとる。こんな遥か雲上の空に人!? 真紅のローブに身を包んだ紳士風の細身の男が、当然のように直立不動で宙に浮いているッ!
「お待ちしておりました、麗しの灰被姫」
「誰ッ!?」
私は思わず叫び、ダニーにしがみつく。ダニーは左手で私を抱えながら、右手でスラリと腰から曲刀を抜いた。
全く気配を感じなかった……一体いつの間に背後に? 今も目の前にいるのに生きた気配を感じない。しかも、ダニーのように翼があるわけでもないのに、どうやって空中に浮いているの……!
「申し遅れました。私は帝下四仙将のひとり、《幻光》のジュダと申します。ダラライから『鳥が一羽迷いこんだ』と知らせがありましたゆえ、お迎えに上がりました」
ジュダは真紅のハットを脱ぐと、丁寧にお辞儀をしながら挨拶をした。ダラライからの知らせってことは、やっぱり見付かってたんだ! でも、敵なのにお迎えってどういうこと?
「帝下四仙将が、どうして私を迎えに?」
「私は《紅蓮の魔女》を崇拝していましてね。全てを焼き尽くす炎……古き世を断ち、新たな世を創るその力、まさに神の如し。なればこそ、憧れ、羨み、愛し、崇めているのです」
ジュダは両手を大きく横に広げ、恍惚と語った。昂りを抑えられないようで、声が上ずっている。
「それって、つまり――」
「聞くなアーシャ! 敵の言葉だぞ!」
惑う私を守るように、ダニーはぐいと私ごと左半身を引き、ジュダに右手の曲刀を向けた。ダニーの言う通りだ、私はトルネードに聞きに来たんだ。信用できない相手の言葉に戸惑っている場合じゃない。
「おやおや、その様子では真実を聞かされていないようだ、おかわいそうに。さあ、そこのナイト気取りの獣。大人しく姫を渡しなさい」
「誰が渡すかッ! それに、オレは獣じゃねえッ!」
丁寧な物腰から一転、ハットを再び被りダニーに冷たく言い放つジュダ。ダニーは怒りを込めて曲刀を横に凪ぎながら叫んだ。
「手荒なことはしたくないのですが……仕方ありませんね」
ジュダがサッと右手を挙げると、灰雲から翼の灰人が5体飛び出してきた! 私達を遠巻きに囲むように現れた5体は、両刃剣を手にこちらを睨んでいる。まるでダニーがそのまま灰色になったような見た目で、体格もほぼ互角だ。
「やれ。くれぐれも姫を傷付けるな」
ジュダの低く脅すような命令に灰人達は無言で頷いた。私を抱えるダニーの左腕に力が入る。
「大丈夫、オレが絶対守るから」
「うん」
ダニーの力強い言葉を受け、私はぎゅっとダニーの胴にしがみついた。瞬間、5体の灰人がバッと羽ばたいて私達に迫る!
「しっかり捕まってろよ、回るぞッ!」
ダニーは空中で器用に羽ばたき、その場で勢い良く時計回りに旋回した。激しい遠心力が私の体にかかり、ふっ飛ばされそうになるのを懸命に堪える。
「一刀の型、《
ダニーはミシミシと筋骨が軋むほど右腕に力を込め、旋回の勢いのままに一刀を振るう。陽に煌めく刃は
――ザンッ――!
「なるほど、ただの獣では無いようだ。しかし、これではどうかな」
ジュダが再び右手を挙げると、今度は灰雲から翼の灰人が次々と飛び出す。私達を取り囲むように、どんどん数を増していく。その数、10、20、30……100、もっと……! いったいどこまで増えるの!? 取り囲む灰人の輪が、何重にも重なっていく!
「ルクレイシアがよこした《翼》の灰人、総勢580体。貴様ひとりならいざ知らず、姫を抱えたままでは守りきれまい。しろがねの獣よ、諦めて姫を渡したまえ」
ジュダは愚かな抵抗はやめろと言わんばかりの見下した態度で、右手を差し出す。ジュダの言う通り、ダニーひとりなら、この数相手でも逃げるなり何なり出来るかもしれない。でも、私を抱えて、片手でこの人数を相手に出来るとは思えない。だったら……
「ねえダニー、私――」
「それ以上言うな。オレは諦めないぞ。お前のことだけは、絶対に」
ダニーは私を説得するように力を込めて言い放つ。しかしダニーが構える剣先は、力み過ぎているのか、微かにぶれて定まらない。
「ならば、その命いただこう」
ジュダが差し出した右手をバッと払うと、翼の灰人群が一斉に飛び迫る。私のせいだ、何か私に出来ることは……! ダニーにしがみついたまま、私はぎゅっと目を瞑り意識を潜らせる――
……
闇の中、いつもなら大きな炎塊がある位置に、赤髪の少女が直立していた。これまでは揺らぐ炎で
『……近い』
赤髪の少女は、伏し目がちにどこか悲哀のこもった声で呟く。
「何が?」
『あなた達が《神炭》と呼ぶものよ』
少女はその存在を口にしたくないのか、吐き捨てるように言った。
「それが近いのは知ってる。でも今はそんな話をしてる場合じゃないの。このままじゃダニーが!」
『なら、ただ手を振りなさい。良い? 軽くよ。でないと後悔することになる』
急かす私に、少女はため息をついて軽く手を横に払った。瞬間、振った手の残像から炎が吹き出し、闇を赤に染め尽くした。私は少女の意図を問う間もなく、炎に押し出されるように意識を起こされる。
……
「軽く、手を振る……」
目を開けると、翼の灰人達が全方位から壁のように押し迫っていた。私の三つ編みの灰髪はほどけて赤く染まり、少女と同じ様に体表からチリチリと火花を散らしている。少女の言葉を復唱しながら、右腕だけでダニーにしがみつき、離した左手をそっと横に払う。
瞬間、
世界が、
燃えた。
そう思えるほど、目に見える全てが赤く染まった。軽く払ったはずの左手から噴出した炎は、轟々と燃え盛る螺旋を描き、何百もの灰人達を一瞬で焼き尽くした。炎が触れた刹那、叫びをあげる間もなく焦げた残像だけが炎に映り、跡形もなく消えていく。まるで、始めからそこに何も存在しなかったかのように。
巨大な炎渦は周囲数kmにも及び、眼下の灰雲すらも焼き尽くした。上下左右、周りの全てが燃え尽きて消え、ただそこにあるものは赤々と燃え廻る炎だけだった。いったい、どういうこと……。軽く手を払っただけなのに、本気を出したって起こせないほど大規模な炎が、どうして……!
炎が燃え盛っていた時間は、実際にはわずかだったかもしれない。でも私には、まるで時が終わり、永遠にこのまま進まないかのように感じられた。
やがて一帯を包む炎は消え、私の髪も毛先から燃え尽きるように灰色に戻っていく。あまりの炎の激しさに、これまでになく強い疲労がどっと全身を襲う。汗が吹き出し、ぜえぜえと息を吐く。いけない、意識が持っていかれる……。
薄れ行く意識の中、霞む視界の先に平然と宙に浮いている真紅の男が映る。 ……? おかしい、なんで……だめ、考えられ……ない……
―― ◆ ――
「アーシャ! おい、大丈夫か!」
ダニーは突然力の抜けたアーシャをしっかりと抱き寄せ、声をかける。左腕の中でぐったりしているアーシャは、ひどく汗をかき、呼吸も浅い。意識は無く、何度声をかけても反応がない。
「おおお……ホーリィネス……!! これが《流転の炎》! 残火に過ぎぬ力でこの威力、実に素晴らしいッ! 是非とも私のものにしたい。いや、もう私のものだッ! 守られるだけで役立たずの獣、私の姫を早く寄越しなさいッ!」
わずか数m先の宙に浮くジュダが、狂喜の表情でダニーに呼び掛ける。ダニーは激昂し、曲刀を構えて飛び迫る!
「てめえのじゃねえ! オレのだッ!」
あっという間にジュダの目前に詰め、目にも止まらぬ速度で振るう曲刀は、ジュダの胴を両断した――
――はずだった。
「!?」
まるで空を切るように、何の手応えもなく曲刀は胴をすり抜け、ダニーは驚きに一瞬動きを止める。その瞬間、何かが後ろからダニーの胴をずぶりと貫いた。
「!!! がはっ! な……ぜ……?」
ダニーは腹から込み上げる血を吐き、激痛に耐えながら振り返る。そこには、今斬ったはずのジュダと同じ顔、いや、服装も背丈も、全てが同じ人物がいた。その人物は小型の翼竜に跨がり、手に持つ槍でダニーの胴を貫いていた。
「それは光で生み出した《幻》……私が本物のジュダです。やはり獣は獣。実に愚か」
翼竜に跨がる本物のジュダが槍を引き抜くと、ダニーは腹部に空いた穴から激しく出血し、断末魔の叫びをあげて気絶した。同時に、ジュダの異能『光を操る力』により生み出された幻影が、音もなく消える。
意識を失ったダニーは白銀の羽毛がパラパラと消え、翼を失った。ジュダは、落下し始めるアーシャとダニーをすかさず受け止め、翼竜の背に乗せる。
「この小僧、姫とただならぬ関係のようだ。人質にすれば姫を意のままに出来るかもしれん。後は《神炭》のもとに連れて行けば……くく、くはっ、ハーッハッハッハァー!」
ジュダは抑えきれぬ高笑いを空に響かせながら、戦火の上がる帝都へと降下していった――……
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