第34話 預言の子

「アーシャ、あなたはね……帝国から来たの」


 時が、止まったような気がした。

 外はすっかり暗くなり、サラサラと葉が風に擦れる音だけが聞こえる。天井に下がる赤炭灯が暖かに照らす食堂で、私とダニーは呆然とママを見つめていた。


 ……どういうこと……? 思考が、回らない。


「教えてあげる。15年前、帝国に潜入したウィルが、あなたを連れて帰ってきたあの日のことを――……」



―― ◆ ――



 のことは良く覚えているわ。何しろ、樹士団に入るために樹都へ出たきり音沙汰が無かったウィルが、久し振りに帰ってきたんだもの。しかも小さな女の子――アーシャ、当時3歳のあなたを連れて。私、とっても驚いた……。


 秋も深まり、冷たい長雨の降る夜だった。あの日はダニー、何故かあなただけ寝付けなくてね。食堂で暖かいミルクをあげていた時だったわ。玄関のドアが開いて、あの人が食堂に入ってきたの。


「ミーナ、頼みがある」


 色々、衝撃だった。

 いるはずのない人の声がしたかと思えば、ずぶ濡れだし、小さな女の子を背負っているし、明らかにただ事じゃなかった。


 どうしたの、とか

 何で今まで連絡くれなかったの、とか

 活躍振りを聞く度に、危険な任務ばかりでいつも心配した、とか……。


 言いたいことは沢山あったけど、アーシャがすごく震えていて可哀想だったから、全部一回飲み込んだ。


「――頼みの前に、その子でしょ!」


 そう言って、急いでタオルや着替え、暖かいミルクを用意してあげたっけ……。


 そうそう、私がバタバタしてる間にダニーが話しかけててくれたのよね。戻ってきたらアーシャの顔が少し和らいでいたのを覚えてるわ。


 ウィルが深刻な顔をしていたから、ダニーとアーシャを寝室に上がらせて、2人で食堂に座ったの。そしたら、あのウィルが、頭を下げてね。


「あの子を、ここで普通の女の子として育ててほしい」


 なんて言うもんだから、私びっくりしちゃって。もちろん事情を聞いたわ。でもウィルはお決まりのセリフで、「聖女直命の極秘任務だ。教えられない」って。もう怒った怒った。「ひとりの人間を預けるのに、教えられないってのは無いでしょう!」……ウィルにあんなに怒ったことがあるのは、私くらいでしょうね。


 それで根負けして、教えてくれたの。あなたを連れてきた経緯――本来は話せない、トップシークレットを。……これまで内緒にしていてごめんね。でも、今のあなた達には話しても良い……ううん、話すべきだと思う。


 ウィルは、ある預言に従い、帝国へ潜入してあなたを探し出した。それは、初代深緑の聖女様が残した預言――


◆――……

 彼の地にて いずれ炎は流転する

 願わくは 次こそ 穏やかな生を

            ……――◆


 彼の地、というのが今の帝国領のことらしいわ。ウィルは帝国を探し回り、ある廃墟であなたを見つけた。一目見て預言の子だとわかったのは、あなたの周りが炎に包まれていたから。


 ウィルは預言の通り『穏やかな生』を送らせるため、あなたを争いから最も遠い西の果て――この孤児院に連れてきたの。そして――


『ちょっと待って! ママ!』


―― ◆ ――


「それって、それって……!」


 私は思わずママの話を遮った。私が、預言の子? いずれ炎は流転する……次こそは穏やかな……。ざわざわする胸をぎゅっと押さえ、声を絞り出す。


「私が、紅蓮の魔女の生まれ変わりだってこと……!?」


 視界がぐらついた。急に自分が自分で無くなるような不安感が体中をかき混ぜ、今にも吐いてしまいそうなほど気持ちが悪い。そんな私の手を、ダニーが心配そうにぎゅっと握る。


「それはわからない。でもね――」


 ママは真っ直ぐに私を見据え、きっぱりと言う。鋭く、力強く。歪む私の意識にきちんと届くように。


「あなたは私の大事な子です。それだけは確か」


 ママの言葉が、砕けそうになる私の自我を辛うじて引き留める。


「そして、ウィルの子でもあるのよ。あの人のフルネームは、ウィルブラッド・ストラグル。ウィルはね、あなたに自分の姓を授けた。自分の子として、あなたを連れ帰ったの」


 ママは首から提げた金のロケットをぎゅっと握り、言葉を続ける。


「それまで一切帰らなかったウィルが、あの日から何度も孤児院に来るようになった。多忙極まる英雄が何とか時間を作って来ていたのは、大事な子であるあなたの様子を見るためだったの」

「……でもそんなこと、トルネードは教えてくれなかった!」

「そこが、あの人らしい所ね。責任は持つ。だけどあなたにそれは感じさせない。今回の件もそうでしょう。一人で争いの元を断ちに行って……」


 ママの言葉に少しずつ動揺は落ち着いてきたものの、まだ不安は消えない。聞きたいことはいくつもある。


「その、預言は――」

「ごめんね。預言のことはこれ以上知らないの」


 ママは申し訳なさそうに目を伏せた。そっ……か。知らないよね……全部、トルネードから聞いた話なんだから。


「……私、やっぱり帝国に行く」

「おい、アーシャ!」


 ダニーが慌てて否定しようとしたが、私は構わず言葉を続ける。強い決意を持って。


「トルネードに聞かなきゃ。知ってること、全部」

「ダメだッ!」


 ――ガタンッ


 ダニーが急に立ち上がり、声を荒げる。


「行かせない。オレはトルネードに頼まれたんだ。アーシャを失いたくなければ、孤児院へ連れて行けって。オレはお前を失いたくないんだよッ!」


 一息に叫び、ハアハアと息を切らすダニー。ふうと小さく息を吐いて、心の声を漏らすように言う。


「オレと……ママ達と、ここで『穏やかな生』を送ればいいじゃないか。そういう預言なんだろ? ダメか? アーシャ……」


 ダニーは落ちるように椅子に腰を下ろし、すがるような目で私を見た。


「ねえ、ダニー……。『穏やかな生』って何かな」

「……そりゃあ、帝国や魔獣の脅威のない、平和な暮らしのことだ。ここなら帝国から遠いし、魔獣も多くない」

「でも私、今、穏やかじゃない」

「……っ」


 歯噛みして黙り込むダニーの手を取り、ぎゅっと握る。


「私、今までずっと、炎の力のことで悩んできた。どうしてこんな力があるんだろう、この力でどうすべきなんだろうって。昔トルネードが教えてくれたように、この炎で何を灼くのか、その結果で私が何者か決まる。そう思ってた」


 ママもダニーも、黙って聞いてくれている。一度呼吸を調え、言葉を続ける。


「でも、私が生まれ変わった紅蓮の魔女だったとしたら? 何したって取り返しがつかない。ママが大事な子だって言ってくれたのは嬉しいよ。だけど、やっぱりトルネードに確かめたい。私は何者なのか。じゃないと、私……」


 わずかな沈黙ののち、ダニーが良い提案を思い付いたとばかりに口を開く。


「じゃあさ、聖女様に聞くのはどうだ。初代様の預言なんだ、トルネードより詳しいかもしれない。砦まで行って聞いて、また帰って来れば良い」

「ううん、私はトルネードに聞きたい。だって、私を背負ってくれたのは、トルネードだから」


 確かに聖女様は、預言のことは詳しいかもしれない。でも、身を危険に晒して私を探し、すべてを背負ってくれたのはトルネードだ。辛いかもしれない真実を聞くなら、私はトルネードの口から聞きたい。


「ダニー……私、ずっと不安なままここで待つなんてできない。たとえ私一人でも、トルネードに会いに行く」

「一人でって……! ママ! ママからもアーシャを説得してよ」


 私もダニーも、ママをじっと見つめる。お願い、ママ、止めないで……!

 ママは相反する懇願の目に挟まれ、ふうと短く息を吐いてから、静かに口を開いた。


「……無理よダニー。こうなったら、アーシャはホントに一人で行くわよ。……そういうとこ、父親譲りなのかしらね」


 ママの言葉に、ダニーはがっくりと肩を落とす。


「……わかった。わかったよ。一人でなんて行かせられない」


 ダニーはそう言って、私の方を向く。私はダニーの手を取り、願うようにぎゅっと握った。


「じゃあ、一緒に行ってくれるの?」

「ああ。……その代わり! 絶対オレから離れるなよ!」

「ありがと……」


 うつむいた私の頬を、一粒の涙が流れる。

 無茶言ってごめんね。本当にありがとう、ダニー……。


 私が涙を拭って顔を上げると、ママが私とダニーの手を取った。いつもの、温かくて柔らかいママの手が、2人の手を優しく包む。


「アーシャ、帝国で何があろうと、あなたの家はここだからね。必ず、帰ってきて。ダニーもよ」

「もちろん! トルネードも連れて、ね」

「! ……ありがとう」


 ママのお願いに、私とダニーは大きく頷いた。ありがとうママ……絶対、帰ってくるから。


……


 ――それから私達3人は、柔らかなオレンジの灯りの下、ゆったりとした時間を過ごした。少しずつお酒を飲み、パーティーとはうって変わって落ち着いた会話を交わす。……激動の時が待っているのは、わかっている。せめて今夜だけは、穏やかなひとときを。英雄を待つ者と、追う者と。それぞれの明日が始まるまでは――……

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