第15話 運命の分岐点

 翌朝、いつものように酔いどれの幹ドランクトランクで朝食をとるも、絶品オムレツを堪能する気にはなれなかった。ダニーのことが心配で、ポタージュだけグイと胃に流し込む。


 店を出ると、上空を覆う世界樹の葉が朝陽の代わりに柔らかに光り、街を照らしていた。まだ夜の冷えが残る石畳の通りを、早足で東へと進んで行く。


……


 胸にざわつくモヤモヤを抱えながら歩いていたせいか、気づけば樹士団基地の正門に到着していた。


 基地は高い石塀にぐるりと覆われており、その全容はわからないが、小さな街がそのまま入ってしまいそうな程広く見える。

 大きな木製の正門は固く閉ざされており、どうしたものかと立ち止まっていると、正門横に建つ事務所の中から声が飛んできた。


「樹士団に何か御用ですか?」


 守衛室の窓を開け、見るからに真面目そうな青年が顔を出す。職氏名とダニーに会いに来た旨を告げると、青年は守衛室内の通信樹つうしんじゅ――子供の背丈程の小さな広葉樹――に話しかけ始めた。


 通信樹は、聖女様の奇跡により造られた遠隔会話を可能にする樹だ。幹丈から想像できない程長いその根は、地中で大陸中の通信樹と繋がっているらしい。


「こちら正門前守衛室。訓練場、応答願う」


 すると通信樹の葉が震え、音を発した。


『こちら訓練場。受話確認、どうぞ』


 私はその様子に、ついまじまじと守衛室を覗き込む。へえー、不思議……樹が喋ってる……! まるで壁の向こうに人がいるんじゃないかってくらいリアルな声だ。


「紫葉隊所属三等樹士、ダニエル・アミキータに面会希望。来訪者はブランチのアーシャと名乗る女性。直ちに正門前談話室に来られたし」

『了解』


 あれ? 今≪三等樹士≫って言った? ダニー、もう見習いじゃなくなったのかな……言ってくれたら良かったのに。


 樹士は強さや功績に基づき一等、二等、三等の級が与えられ、その等級に応じて戦地に赴く。三等は一番下の等級だが、それでももう戦力として駆り出される、一人前の樹士だ。


 会話が終わると、通信樹の葉はピタリと震えが止まった。止まってるとどう見てもただの小さな樹なのになあ、聖女様の奇跡ってすごい。


「すぐ参りますので、そちらの談話室でお待ち下さい」

「はい、ありがとうございました」


 青年は守衛室の横にある談話室を手で示した。私は青年にぺこりと頭を下げ、その部屋に入る。


 部屋の中には4組のテーブルと椅子が置かれており、先に1組の男女が座っていた。身内の樹士団員に会いに来た街娘といった所だろうか、何やら重い雰囲気で静かに話している。私は先客と対角線の卓に座り、じっとダニーを待った。


 ――ねえ、ホントに青葉隊やめるの?

 ――ああ、紫葉隊から召集があって……


 盗み聞きするつもりはなかったが、談話室には私達3人しかいないため、先客の会話が耳に入ってしまう。紫葉隊のワードに、また胸のモヤモヤが濃さを増す。


 ――紫葉隊から?

 ――最近どんどん人を集めてるんだよ、中には貧民地区の奴等もいるぐらいだ。上手く行けば王貴族に評価されて人生一発逆転も夢じゃない。ただ……

 ――ただ?

 ――隊員の訓練が尋常じゃないんだ。魔獣にも勝る異常な怪力で――


 ――ガチャリ


 話に集中していたその時、扉が開き、懐かしい顔が現れた。激しい訓練の最中だったのか、全身汗だくで湯気が立ち上っている。


「お待たせ。どうしたアーシャ、いきなり来て。皆にからかわれたよ、彼女か!ってさ」


 ダニーはポリポリと頭をかきながら、私の正面に座る。照れた時に頭をかくのは昔からの癖だ。変わりないダニーの様子に、ほっと息をく。


「ごめんね急に。変わりなくて安心した」


 力なく微笑む私を、ダニーが心配そうに覗き込む。


「……ホントにどうした? 何かあったのか」


 ママを焼いてしまったあの日以来、ダニーはいつも私を気遣ってくれる。きっと、私がダニーを心配してここに来たなんて、1mmも思ってないだろう。私の事は聞く癖に、自分の事は話してくれた試しがない……三等樹士になったことも教えてくれなかったし。


「うん、ちょっとね……それより、もう三等樹士になったんだって? 教えてくれたら良かったのに」


 少しイジワルに言うと、ダニーはバツが悪そうに答える。


「いや……それが、なんだよ。俺も実力で三等になったなら隠すつもりはなかったんだけど」

「どういうこと?」


 ダニーは一呼吸置き、白状するように言う。


「入団テストの日、ガヴリル王子がいらっしゃってさ。オレの模擬試合を見て『たぐまれな魂をしている。即三等に上げ、民に奉仕すべし』っておっしゃったんだ。その一声で入団即昇格ってわけ。異例も異例、特例さ。普通は少なくとも1年は見習いとして修行するもんだからな」


 王子が、……? さっき漏れ聞こえた人集めと何か関係があるのだろうか。


「何それ、どういうこと? でも、ダニーの力が認められたのは間違いないんだよね?」

「多分、な。ともあれ、すぐ任務に出られるようになったのは嬉しいよ。それに、あの方は素晴らしい方なんだ。自ら兵を率いて魔獣に臨む王族なんて今まで他にいやしない。本気で民を想っていらっしゃる。そんなガヴリル王子に認められて、オレ嬉しくってさ」


 ダニーは目を輝かせてガヴリル王子の事を語る……心から尊敬してるようだ。まさかその王子が帝国と手を組んでいるかもしれないなんて、思わないもんね……私自身、まだそれを信じてはないし――信じたくもない。


「いま紫葉隊に所属してるんだ。ガヴリル王子に呼ばれて。直々にだぜ?」


 ダニーが嬉しそうに語れば語るほど、私の胸は苦しくなる。ガヴリル王子を信じたい気持ちと、拭えない疑念がモヤモヤと込み上げてくる……。


 しかし、さっき盗み聞きした話と合わせると段々見えてきたぞ。ガヴリル王子は積極的に樹士団に関わり、戦力を見繕っては紫葉隊を強化しているんだ。


「……すごいじゃん。紫葉隊ではどんな任務に就いてるの?」


 私は何とか平静を装って聞く。昨日謎の施設の門番をしてたのは知ってる……でも、ダニーの口から聞きたい。


「ん……まあ、雑用なんだけどな、ただの門番。訓練にも参加してるけど、先輩達が強えのなんの。技は通じても力が段違いでさ……もっと強くならなきゃなあ」


 恥ずかしそうに言うダニーには悪いが、その言葉に私はほっとする。良かった、ダニーは少なくとも悪事には関わって無さそうだ。


「つーかさ、オレの話ばっかしてるけど、何か用があったんじゃないのか?」

「ああ、うん。その事だけど――」


 さっきから紫葉隊の話をしている私達を、対角線の先客が何度も見てはヒソヒソ話している。これ以上深い話をここで聞くことは出来そうにない……


「――大事な話があるんだけど、ここでは話せないの。今日、私の部屋に来れない?」

「えっ!? ……アーシャの部屋に? 大事な話って……」


 ダニーは慌て驚く。ダニーにはルクレイシアの事も話しておきたい……となれば外はマズい、私の部屋がベストだ。


「もう見習いじゃないから街に出れるでしょ? 部屋はトランクの併設宿≪宿り木≫の201号室だから」

「……わかった。今日はこれから巡視任務だから……何事も無ければ夕方6時くらいには行けると思う」

「ありがと! 待ってるね」

「あ、ああ。じゃあ、また」


 私達は席を発ち、談話室を出る。ダニーに手を振って別れを告げると、ダニーは何度も頭をかきながら基地内へと戻っていった。


 さて! 相手がダニーとはいえ、一応部屋を片付けておこうかな……


……


 樹士団の基地を出て宿り木に帰る頃には、既に昼を回っていた。少し安心したからかお腹も空いてきたので、酔いどれの幹ドランクトランクで昼食を取ってから宿り木に戻ると、入り口の前に見覚えのある屋根なし蒸気自動車ジープが止まっている。


「やあ、ちょうど良かった」

 

 運転席から白いロングコートを羽織った男――ユウリイが降りて私に声をかける。


「どうしたの?」

「君に用があってね」


 そう言うとユウリイは私の耳元に顔を寄せた。誰かに聞かれないようにするためとはいえ、これドキっとするからやめて欲しいんだよなあ……


「今夜8時、聖女のアポが取れた。ただし、君も連れてこいとのお達しだ」

「えっ、私!?」


 私は驚いて、つい顔を離し声をあげる。ユウリイはまた私の唇に人差し指を当てた。


「シッ」

「ご、ごめん。でもなんで……」


 ユウリイは指を離し答える。


「さあね、直接聞いてくれ。とにかく、今夜8時前にまた迎えに来る。わかったね」

「あ、ちょっと――」


 ユウリイは私の返事も聞かず、ロングコートをひるがえし車に乗り込むと、運転席の扉をバンと閉めすぐに走り去っていった。


 何なの、一体……聖女様が私に何の用があるっていうんだろう。そもそも、何で私のことを知ってるんだ? ま、考えてもわからないか。ユウリイの言う通り、聖女様が教えてくれるだろう。8時ならダニーと会ってから行けるな。


 走り去るユウリイの車を見送り、宿り木の2階の部屋へと上がる。


「さあて、まずは部屋を片付けてと。コーヒーくらいは用意しとこうかな。そうだ、聖女様に会うならそれなりの格好もしなきゃ」


 一人暮らしだからと、つい投げていた服や小物をバタバタとクローゼットにしまい、箒で床を掃く。空気を入れ換えようと窓を開ければ、心地よい風と共に舞い散る世界樹の葉が数枚紛れ込んできた。


「あっ、せっかく掃いたのに。樹都はこれが嫌だなあ」


 葉をゴミ箱に捨てた後、クローゼットを眺め謁見に着ていく服を見繕う。


「んー、ちゃんとした服なんかこれ一着しかないよね」


 私はママに持たせてもらった白のワンピースを手に取る。パーティーにも着て行けるようなシルクの一張羅だ。ブランチの活動にこんなの着ないって言ったんだけど、樹都に行くならこれくらい持っておきなさいって言われたんだっけ。まさかこんなに早く着ることになるとは……


 早速着替えて姿見の前に立つと、サイズもぴったりで我ながら良く似合う。さすがママ、センス良い!


……


 そうこうしている内に時は過ぎ、6時前には早めの夕食を取った。宿り木にある共用の給湯室でコーヒーを沸かし、部屋の円卓にコーヒーカップを2つ並べてダニーを待つ。


 が、約束の6時を過ぎてもダニーは現れなかった。


 ……待てども待てども来る気配がなく、保温ケトルに入れたコーヒーも段々と冷めていく。


「ダニー、何かあったのかな……もう8時になっちゃう」


 私は部屋を出て、宿り木の前でダニーを待った。上空はいつも通り世界樹の葉が星のように瞬き、石畳の通りはオレンジの街灯に照らされている。昼は引っ切り無しに行き交う蒸気自動車も、この時間になると姿はない。


 ……いや、1台だけこちらに迫る蒸気自動車がある。あれは――


「お待たせ」


 宿り木の前に車を停め運転席から降りてきたのは、やはりユウリイだった。ユウリイは白のワンピースを着た私を見て微笑む。


「おや、似合うじゃないか。僕のコートとお揃いだね」


 そう言ってユウリイは手を差し出し、助手席に乗る補助をしようとした。


「ちょっと待って、私ダニーと会う約束してて……」

「もう時間だ、またにしてくれ。聖女に会うチャンスは今夜しかないんだ」


 ユウリイの言うことはもっともだ。ダニーにはきっとまた会える、よね……? でも――……。


 ユウリイは惑う私の手を取って助手席に乗せると、すぐに運転席に乗り込んだ。


「さあ、行くよ」

「うん……」


 蒸気自動車は走り出し、樹都の中心部にある緑十字教会へと進んでいく。私はダニーと会えなかったことが気掛かりで、後ろ髪を引かれる想いで聖女様のもとへ向かった――


……


……


……


 

「はあっ、はあ……。アーシャ……?」


 息を切らし駆け付けたダニーは、見た。


 自分には見せたことのないお洒落をしたアーシャが、お揃いの白のロングコートを着た優男にエスコートされ、車に乗り込むのを。


 一方ダニーはと言えば、血と汗の滲む汚れた革服を着ていた。巡視任務中に魔獣の群れに遭遇してしまい、その対処に手間取ったダニーは、着替えることなく走って宿り木に駆け付けたのだ。


 約束の時間は大分過ぎていたが、必ず会わなければと思っていた。今日のアーシャの不自然な様子に気付かないダニーではない。長く共に育った、最も守りたい相手ひと――無理に平静を装い、力なく微笑むアーシャが、心配だった。


 もう少しで宿り木に到着するという頃、横を蒸気自動車が追い抜いていく。そして、その車から降りた男はアーシャを連れ去ってしまった。


「……何だ、あいつ……話って何だったんだよ、アーシャ……」


 柔らかに明滅する世界樹の葉が、石畳の通りに雪のように舞い落ちる。ダニーはオレンジの街灯の下、降る葉を払う気も起きないほど呆然と立ち尽くした。アーシャが消えた先の闇を、じっと見詰めたまま。


 葉の一枚が、ひらひらと主人のいない部屋に舞い込む。円卓で客人を待つコーヒーは、誰に飲まれることなく、ケトルの中ですっかり冷めきっていた――……

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