第16話 深緑の聖女

「これが、緑十字教会……!」


 ユウリイに車で送ってもらった先は、私の身長より太い根が幾筋も隆起した世界樹のふもとだった。視界一杯に広がる天の御柱みはしらのごとき巨大な幹に教会を目にし、思わず感嘆の声が漏れる。


 永い歳月を経て、年々成長する世界樹に少しずつ飲まれていったのだろう。前面の石造りの外壁といくつかの尖塔を除き、そのほとんどが幹にうずもれていた。表出した外壁も、幹に巻き付くつたと苔で緑に覆われている。都の中心だというのに、まるで深い森に眠る遺跡のようだ。


「驚くのはまだ早い。中に入ってごらん」


 正門の前でうず高く隆起した根のアーチをくぐり、ユウリイがエスコートするように大きな木造の扉を開ける。


「うわあ、綺麗……」


 教会の中は、まるでだった。広く暗い空間中に柔らかに瞬く無数の光点――星海の只中に浮いているような、幻想的な雰囲気だ。


 そう思わせるのは、暗い部屋中に這うつたに生えた七色の葉が、星のように明滅しているせいだった。


 見回すとそこは天井の高い講堂で、入り口から延びる深緑の絨毯の左右にはいくつもの長椅子が並び、正面には金細工の施された大きな緑の十字架が掲げられている。床や壁は世界樹の幹そのもので、外壁のみならず内装まで世界樹に飲まれているらしい。


「ここは夜が一番綺麗なんだ。昼も森奥の陽だまりのような雰囲気で素晴らしいけどね。さあ、こっちだ」


 ユウリイが私の後から講堂に入ってくるやそう言うと、右奥の扉へ歩いていく。私はその暗がりに映える白いコートの背に続いた。


 扉の先は世界樹の幹をくりいたかのような廊下が延びていた。壁に這う蔦の葉が優しく照らすトンネルに、私とユウリイの足音が響く。


 いくつかの部屋を通りすぎ、突き当たりの部屋まで来た所でユウリイが立ち止まってこちらを振り向いた。


「言ってなかったが、今日聖女に会うのは僕達だけではないんだ。他にあと2人来る」

「え? そうなの?」

「じゃあ、入ろうか」


 ユウリイは唐突にそう告げると、私の心の準備も待たずに扉を押し開け、先に入るよう促す。


 その部屋は、10人も卓を囲めば満員になるような小さな会議室だった。講堂と同じく壁も床も世界樹の幹に飲まれ、でこぼこと波打っている。四方の壁には赤炭灯が提げられ、室内をオレンジに照らしていた。部屋の中央には床から生えたかのような一本足の木製の円卓があり、左右に2人の先客が座っている。


 そのうちの一人、見覚えのあるヨレヨレの緑のローブを着たお爺さんが私に声をかけた。


「おお嬢ちゃん、お主も来たか……げほ、ごほ」

「サニタスさん!? お久しぶりです……体調崩されたんですか?」


 その咳き込むお爺さんは、私が初めての依頼でお世話になった仙草堂の店主、サニタスさんだった。


「なに、ちょっとばかりこん詰めて薬を煎じとるところでな。心配いらんよ」


 サニタスさんはそう言って微笑んだが、先日より明らかにやつれ、ローブがさらにダブついている。本当に大丈夫かな……と心配していると、もう一人の先客も私に声をかける。


「今日は素敵なワンピースですね、よくお似合いですよ」


 穏やかに話しかけるその女性は、栗色の髪をアップにまとめ、上下黒のパンツスーツをビシッと決めたカッコいいお姉さんだった。眼鏡はかけてないし、ちょっと雰囲気違うけど、もしかしてトランクの受付の……


「……ティエラさん?」

「はい、お久しぶりです」

「眼鏡してないと雰囲気違いますね」

「あれは伊達眼鏡でして……」

「?」


 私が首を傾げていると、ユウリイがふふと笑いこぼした。


「眼鏡の受付嬢は仮の姿……彼女は教会の諜報部≪ルーツ≫の副頭だよ。こう見えて一流の隠密だ。変装は苦手みたいだが」

「ユリ――ユウリイ様、あんまりいじめないでください」


 ええ、そうなの!? 驚いた……でも、ユウリイにいじられ恥じらうティエラさんに、いつものトランクでの優しい雰囲気を垣間見て、私は少しホッとした。


 ユウリイが円卓手前の席に座ったので私も隣に座ると、部屋の外からゴツゴツと軍靴が鳴り、バンと扉を開け一人の女性が入ってきた。


「待たせたな。まったく大司教ジジイどもは話が長くて敵わん」


 黒革の軍服に深緑のマントを羽織り、世界樹の七色の葉巻を咥えたその女性は、ゴツゴツと大股で歩き、円卓の奥席にどかっと座った。ウエーブした長い白髪を左手で無造作にかきあげると、左額に大きなアザが見えた。


 これが、当代≪深緑の聖女≫エメラダ・グリンヴェルデ様――!


 見た目は50歳前後といったところか。女性にしてはかなり大柄で、聖女というより歴戦の女将軍といった貫禄だ。聖女様は葉巻を吸い薄煙を一吐きしてから、言葉を続けた。


「皆よく集まってくれた。早速だが、懸案事項について各自報告せよ。毒ガエルの異常発生、サンテラスの誘拐事件、デルタ灰海の盗掘の件を」


 その言葉に、私は初めてこの場の意味を知る。ユウリイがとったアポイントメントとは、個別の面会ではなく合同の報告会議に参加することだったのだ。


「はい。それでは私から、毒ガエルの異常発生についてご報告します」


 聖女様の指示に真っ先に答えたのは、ティエラさんだ。凛とした姿勢でハキハキと報告を始める。


「スースの森で発覚した毒ガエルの異常発生ですが、その後の調査により、近辺のほか4ヶ所の池で同様の異常発生が確認されました」


 ティエラさんの報告に、聖女様は葉巻を吸いながら傾聴する。一吐きする度に、薄煙が広がっては消えた。


「その4ヶ所全てにおいて、毒草ゲコヨモギが大量採取された跡が見つかっています。ゲコヨモギは蛙の毒液を吸い育つことから、蛙の異常発生はゲコヨモギ採取のため人為的に引き起こされたものと推察します」

「ふむ。大薬師だいやくしサニタスおうよ、この件どう思う」

「その呼び方はやめてくれんかの。そうじゃな……」


 突然話を振られたサニタスさんは、白いあご髭を右手で撫で付けながらやや考える。


「ゲコヨモギの使い道は2つある……毒か、薬か。じゃが、そやつの狙いはじゃの」

「何故」

「毒が欲しいなら蛙の毒液でもよい。蛙を放置するならば、目的は毒ではなく、ゲコヨモギから調合できる鎮静薬じゃ」


 いつも穏やかなサニタスさんが、疑うような顔つきで聖女様をねめつける。


「……聖女よ、もう犯人はわかっているのではないかの?」

「わかれば良いというものではないのだ。万事を制すにはな」


 問いかけるサニタスさんに、聖女様は葉巻を口から離し、真剣な顔で応える。煙が消え、部屋の空気がピンと張り詰めた気がした。


「さて、次はお前の報告を聞こう、よ」

「……おたわむれを。ですよ。では、報告しましょう――」


 聖女様は緊張した空気を崩すように軽口(?)を言ったが、むしろ空気は一層重くなった。ユウリイはにこりともせず、サンテラスとデルタ灰海の件を報告する。聖女様はもとより、ティエラさんとサニタスさんも冷静に報告を聞いていた。2人とも灰人やルクレイシアの話を聞いても驚かない……以前からこの件に関わっているようだ。


……


「――以上です。聖女よ、帝国の魔女ルクレイシアの毒がこの国を侵している。直ちに対応を――」

「決まりじゃの」

「何?」


 聖女様に進言するユウリイの言葉を遮ったのは、サニタスさんだった。


「貧民地区におる紫葉隊の若者達が、以前はうちによく来ておったんじゃ……ゲコヨモギの薬を求めに。もう来ぬようになったのは、自給しておるからじゃろう」


 その言葉に、私は仙草堂での一場面を思い出す。そうだ、たしかに虚ろな目の男が薬を求めに来ていた。あれは紫葉隊の隊員だったんだ。待てよ、あの男はたしか『うちの団じゃ粉がなきゃ着いていけねえ』って言ってた……それってつまり、隊員はもう――


「紫葉隊は盗掘した赤炭をもとに、灰人化の秘術を隊員に施した……その制御のため、薬の原料となるゲコヨモギを採取していたと。おそらくサンテラスでの誘拐も実験の一環。禁忌を犯してまで戦力を強化する理由は、普段のガヴリル王子の言動から察するに、聖女様への反逆でしょう」


 ティエラさんがそう結論付けると、聖女様は再び葉巻を咥え、気持を整理するようにゆっくり吸うと、ひときわ長く煙を吐いた。


「して、サニタス翁よ。当然、のだろう? どうだ、薬の効力は。ルクレイシアの≪粉≫をどこまで抑え込める」

「……恐ろしいかたよ。全て知っていて放置していたのじゃな。貧民がわしを頼ることまで計算に入れて……げほ、ごほ」


 サニタスさんは軽く咳き込み、答える。


「わしがところ、灰人化とは≪魂の変質≫じゃ。≪粉≫の摂取によりヒトならざる筋力を得、同時にヒトとしての魂は壊れていく」


 サニタスさんは恐ろしい考察を冷静に説明する。円卓を囲むものは皆、真剣に聞き入っていた。


「≪粉≫をやめるよう言っても誰も聞かんでな……所詮わしは薬を処方することしか出来ぬ。様々な薬を試した結果、ゲコヨモギは症状の緩和に有効じゃった。つまり、≪粉≫と併用すれば、筋力を増強しつつ多少なり魂を守れる。それが紫葉隊の狙いじゃろう。しかし……」

「しかし?」


 言い淀むサニタスさんを聖女様が促す。


「効くのはある段階まで……異形と化せばもう手遅れじゃ。死んで生まれ変わりでもせん限り、ヒトには戻れぬ」

「試したのか」

「貧民地区に一人、異形と化し寝たきりの者がおった。何を与えても改善せんかった……最期は、家族の望みで地に魂を還してやったよ」

「……そうか」


 サニタスさんは自分の無力さを悔やむようにうつむき、聖女様はゆっくりと煙を吐いた。


「ふー……ティエラよ。紫葉隊に寄付した貴族どもを調べておけ。ユウリイ、その施設を潰し王子を捕らえよ。生死は問わん……お前にはそのがあるのだから」

「承知しました」

「……はい」


 聖女様の指示に、ティエラさんとユウリイが頷く。とんでもない事になってきた……王子の生死を問わないって、殺してもいいってことだよね、王子様を……。ユウリイにその権利があるって、何の事?


 ここまでの話を聞く限り、聖女様はすでに確信していた――王子様がルクレイシアと手を組んでいたことを。王子様の反逆を知った上で、謀反者と灰人の情報を掴むため泳がせ、用が済めば処分する。……思っていたより、非情な人だ。


 でも、それじゃあ紫葉隊の樹士はどうなる? だって紫葉隊には、ダニーがいる……!


「あの!」


 思わず声をあげた私に、全員が注目した。鋭く私を見つめる聖女様の目にたじろぎながら、勇気を出して問う。


「樹士達はどうするんですか、紫葉隊の」

「異形に至らぬ者は助けよ。薬は用意しているのだろう、サニタス翁」

「やれやれ……そこまでお見通しとはおそれ入る。嬢ちゃん、今まさにローエンと手分けして煎じておるとこでな。紫葉隊員分程は用意できる」


 サニタスさん、根詰めて煎じてる薬ってそのことだったのか。きっと必要になるってわかってたんだな。


「じゃあ、≪灰人≫になってしまった人は……」

「魂を還してやるほかあるまい」


 聖女様の即答に、私は黙り込む。サニタスさんの話では、異形と化せばもうヒトには戻れないらしい。聖女様の言うとおり、私には魂を還してあげることしか出来ないのかもしれない……私の、炎で……。


 サンテラスではサニアを守るのに必死で考える余地も無かったが、今は色々と知ってしまった。しかも今度は誰かを守るのではなく、ルクレイシアの非道を止めるため、自ら攻め込むんだ。


……


 身の内の炎が、闇に揺らぐ。


 ゆらり、ゆらり。


 トルネードの言葉が響く――


『常におもい、果たせ。その炎で何を灼くのか』


……


「迷っているのか」


 聖女様の声が私の意識を現実に引き戻す。


「大いに迷え。そして揺るがぬ決意を得ることだ。選択が如何なる結果を招こうとも、絶望に身を灼かれぬよう」


 その優しくも厳しい口調に、私は思わず息を飲む。聖女様は、私の後ろの誰かを見るような遠い目をして葉巻を一吸いすると、灰皿に置いた。


「さて、私はもう前線へ行かねばならん。帝都に潜むから情報が入ってな、じきに大戦おおいくさが始まると。紫葉隊を除く六隊は全て国境防衛に専念させる。紫葉隊の件はお前達に任せたぞ」

「お任せください」


 ユウリイが応え、ティエラさんとサニタスさんも頷く。聖女様はガタンと席を立つと、深緑のマントをひるがえし、軍靴を鳴らして部屋を出ていった。


……


 その後は、ティエラさんもサニタスさんも黙って席を立ち、私とユウリイも部屋を出た。


 車で宿り木まで送ってもらうと、ユウリイは明日の朝10時に迎えに来ると告げ、走り去って行った。


 ユウリイの車を見送った時、通り沿いの街灯の下で、世界樹の落ち葉がくしゃっと踏まれているのが目に留まる。部屋に上がっても、それが何故だか気になって、もやついた気持ちを抱えたまま眠りについた――

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