第2章 大樹に巣食う闇
第13話 灰海に跋扈する者達
「ん~ッ! これよ、この味ッ! やっぱりここのオムレツは最ッ高!」
樹都に帰った私は、お馴染みの
「いい食べっぷりだね、お嬢さん」
細長い革袋を背負い、上品な白いロングコートを羽織った金髪の優男が、正面の席に腰掛けた。この人は……前に大陸円環鉄道で相席したことがある、ザ・白馬の王子様じゃない。本を読まない時でも右目に
「……むぐ……どうも。あなたも朝食を食べに?」
賑わっているとはいえ、他に空いてる卓はいくつもある。わざわざ私の卓に来たのは、何か用があるんだろうか。しかし……周りの女性客達の視線が痛い。チラチラとこちらを見ては、ヒソヒソ話す声が聴こえてくる――
――ねえねえ、あの
――うわ、超イケメンじゃん! 何? あの女。
――さあ、親戚かなんかじゃない? 少なくとも彼女じゃないでしょ、全く釣り合ってないもん。
……なんで私がこんなこと言われなきゃいけないんだ。金髪の優男はそんな周りの視線を露も気にせず、私の手を握る。
「いや、君に会いに」
「えっ!?」
ななな、何!??? ナンパ???
そんなことすると……ほら、女性客達がすごい形相で睨んでるよー! こわいこわい!
私は顔を真っ赤にして、慌てて手を離す。
「な、何ですか、急に!」
すると優男はテーブルの上に身を乗り出し、私の耳元で囁く。
「……君があのルクレイシアに一矢報いたと聞いた。その件で話がしたい」
「……! どうしてその事を――」
驚いて思わず声を上げた私の口唇に、優男が人差し指を当てた。
「――シッ。静かに」
その件は私とニド、サニアとレイニー=バードしか知らないはず……待てよ、そう言えばルクレイシアは『金髪の坊やが嗅ぎ回ってる』って言ってたな……もしかしてこの人のこと……?
優男は指を離し姿勢を戻すと、席を立ち、私に右手を差し出す。
「じゃ、付き合ってくれるかな」
「ええ……わかった」
優男の差し出す手を無視して、私も席を立ち、店の外に向かった。
「おや、連れないね」
優男はやれやれとでも言うような仕草をして、後を着いてくる。周りの女性客達が嫉妬やら恨み節やらまたヒソヒソ言っていたが、私はもう聞こえない振りをして店を出た。
「……で、どこで話す?」
「一緒に≪デルタ灰海≫に行ってくれないか。訳は道中の汽車で話す」
「わざわざ灰海に?」
「……これ以上はここでは話せない。君も知りたいだろう? 彼女のことが」
私はまだこの優男のことを何も知らない。正直怪しい……が、ルクレイシアのことが知りたいのは確かだ。ルクレイシアは私の炎について何か知っているような口振りだった。気にならないと言えば嘘になる。
「……わかった、行く」
「ありがとう、理解が良くて実に助かるよ」
優男は、まるで理解の悪い誰かにいつも困っているとでも言いたそうに苦笑いを浮かべた。
……
それから私と優男は西回りの大陸円環鉄道に乗り込み、樹都とスースの森の中間に位置する≪デルタ灰海≫へと向かった。
デルタ灰海は、かつてデルタ湖と呼ばれた3角形の大きな湖が、「炎の百日」により灰に埋まったものだ。大陸には同じように一面灰に埋まった湖がいくつもあり、それらを灰海と呼んでいる。
レール上の灰を巻き上げて走る機関車は、灰海に近付くとより一層激しい灰煙を上げた。多くの人が樹都ユグリアで降りるため車内は空いており、私と優男で4人がけのコンパートメントを占用し、窓側に向かい合って座る。
「――まず、あなたは何者か教えて。まだ名前も聞いてない。それと何故サンテラスの件を知っているのか」
「僕はユウリイ、ただのブランチだよ。サンテラスの件はニドから聞いた……彼と僕は、目的こそ違えど道を同じくすることが多くてね」
ニドと道を同じくするということは、やっぱりルクレイシアの言っていたもう一人の男はこのユウリイのことだったんだ。サンテラスの件を知っているのも、ニドから聞いたのなら納得できる。
しかし、ただのブランチ……ね。そこはまともに教えるつもりがないらしい。まるで貴族が着るような上等な白のロングコートは汚れ一つなく、とても荒事を生業としているようには見えない。少なくともただのブランチではないことは確かだ。
ユウリイはそれが嘘であることを隠す様子もなく、平然と笑みを浮かべている。そっちがそう来るなら、こっちも警戒するまでだ。
私は腕組みをして背もたれに体重を預ける。
「……そう。私はアーシャ。私もただのブランチよ」
「ふっ……そうかい」
ユウリイは口元に軽く手を当て、笑いをこぼす。その様子に私は確信した……この男は、私のことを相当知っている。どう答えようが関係ない……そういう笑いだ。
「君が警戒するのも無理はない……が、立場上話せないことが多くてね。ただ、これだけは信じてほしい。僕は誰よりもこの国を愛している。害する者は容赦しない……たとえ相手が誰であろうとも」
ユウリイは真剣な顔つきでそう言った。その目には、ルクレイシアと相対したニドの燃えるような怒りの目とは対照的な、冷たい憎しみが宿っている。
「その相手が、ルクレイシアというわけ?」
「……だけじゃない。君は不思議に思わなかったか、なぜ敵国の将が平然と入国しているのか」
「誰か手引きした者がいるってこと……?」
「その通り。そしてそんなことが出来るのは、この国の上層部の人間……」
この国の上層部だって……!? 王族、貴族、教会、あるいは樹士団……そのいずれかに売国奴がいると、そう見てるわけだ。もし事実だとすればサンテラスの人身密売どころじゃない。もっと大きな……!
「つまり彼らはあてに出来ない。……結論を言おう。アーシャ、君の力を借りたい。あの≪時を凍らせる魔女≫ルクレイシアに届き得る、君の炎の力を」
「……」
突然の衝撃的な話に黙っていると、ユウリイが微笑みかける。
「……いきなりこんな話をしても、すぐには受けられないだろう、一旦話を変えよう。君はこの汽車がどうやって動いてるか知ってるかな」
「……急に何の話? それぐらい子供でも知ってる。
「じゃあそれはどこで採掘される?」
「もちろん、灰海」
……常識だ。灰海の底――灰積層から採掘される凝縮灰≪赤炭≫は、石炭よりも遥かにエネルギー効率の良い燃料として、鉄道のみならず自動車、灯りなど様々な用途に使われている。紅蓮の魔女が遺した忌むべき灰は、皮肉なことに現代の生活になくてはならない資源にもなっているのだ。
「それが今何の関係が?」
「……今向かっているデルタ灰海は、その採掘鉱の一つだ。ところが先日魔獣の群れが突然現れ、現在は鉱夫の立ち入り制限がかかっている」
何が言いたいのか話が読めず
「魔獣は灰から生まれ出ずるからね……それ自体はよくあることさ。さて、後は着いてからにしようか。百聞は一見に如かずと言うし」
ユウリイがそこまで話した所で、大陸円環鉄道は減速を始めた。間もなくデルタ灰海前の駅……そこで何があるというのか、隠し事の多い男を前にして、私は灰
……
デルタ灰海前の駅に私とユウリイは降り立つ。ここは街もなく、赤炭を積み込むための物流用の駅であるため、他に降りる客はいなかった。一面に広がる灰海を前にして、私は不思議な光景を目にする。
「どういうこと? 立ち入り制限がかかってるはずじゃ……」
「盗掘だよ。赤炭は金になるからね。魔獣が出れば正規の採掘者がいなくなる……格好のチャンスってわけさ」
「……でも、魔獣は? 群れが出たって……」
灰海を見回しても、どこにも魔獣の姿はない。工作車とツルハシの打音が響く中、私の長い三つ編みの灰髪と、ユウリイのロングコートが風になびく。
「ポイントはそこだ。普通盗掘は、人の目を盗み魔獣の目を盗んで、コソコソと行うものだ。ところがここでは魔獣の姿はなく、大胆に盗掘が行われている……」
「群れを殲滅したってこと?」
「すぐに殲滅出来る程度の魔獣なら、灰海付きのブランチが対応して正規の採掘者が戻ってくる。……つまり、都合の良い魔獣の群れがいたのさ、正規の採掘者だけを襲い、盗掘者を襲わない魔獣が。……君は見たはずだ。人の言うことを聞く、都合の良い魔獣――≪
「……!!」
サンテラスで見た、もとは人だった異形の怪物――あれがここにも現れた……と言うことは、この盗掘者達はルクレイシアの手下……!?
驚く私の顔を見て、ユウリイが真剣に頷く。
「……さあ、どうする? 僕はこれからあの運搬車の後を追う。事前の調べでは、行先は灰人実験場――≪
≪
ユウリイの問いに、私は考える。
……私がブランチになった理由は、ただブランチの仕事を生業としたかったからじゃない。炎の力で何が為せるのか、何を為すべきかを見付けるためだ。サンテラスでの惨劇は、おぞましいものだった――人をさらい、化け物に変える――あの惨劇を止めるために、私の炎が役に立つのなら……!
そう思った時、闇の中に潜らずとも私は感じた――炎が嗤うように揺れるのを。同じ気持ちなんだ、私も、炎も。私の体は内側から燃えるように火照る――!
「わかった、私も行く。正直、私の力がルクレイシアに敵うかは分からない。……でも! 私の炎が、魂がッ! アイツを灼けと燃えているから……!」
「……ありがとう」
拳をぎゅっと握り宣言する私に、ユウリイは優しく頷いた。
その時、駅の影から大柄な男が歩み寄り、声をかける。
「――遅えぞユウリイ。準備は出来てる」
「やあ、すまないね」
ユウリイが返事を投げたその相手は、私の身の丈程もある大剣を背負った、黒尽くめの剣士――
「――ニド! 無事だったのね!」
「当たり前だろうが。ヤツを殺すまで、俺は死にゃあしねえ。……お前も来るのか」
ニドは本当にいいのか、とでも言いたげに私の目を見た。私はその目に対し力強く頷く。サンテラスでは成り行きで巻き込まれた戦いだった――でも今回は違う。自分の意志で向かうんだ、たとえ相手がどんなに強大であろうとも――!
「うん……! ところで、準備って?」
「てめえは走って
そう言ってニドは駅舎の影に向かい、私とユウリイも後に続く。そこには布で覆われた大きな物体があり、ニドがその布をはぐと、布の下から4人乗りの
「運搬車の荷台は満杯……そろそろ運び出す頃だ、乗るぞ」
ニドは後部座席にどかっと座った。私は助手席に座り、ユウリイは運転席でハンドルを握る。
「さて、掴んだ尾は虎か蛇か……。願わくば魔女のドレスの裾であってほしいものだね」
「ああ。連れて行ってもらおうじゃねえか、憎き魔女の≪
ニドの予想通り運搬車はすぐに動き出した。私達は尾行がバレないようやや時間を置き、視界ギリギリで見失わぬ距離を保ちながらその後を追った――
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