第12話 いつか虹が架かるまで

「――≪ルクレイシア≫ァッッ!!」


 ニドは血管という血管が切れそうな程怒りを爆発させ、ステージから飛び降りる。


 ≪ルクレイシア≫……! その名は私でも知ってる――帝国の最高戦力≪帝下四仙将カルテット≫の一人! あんな細身の20代くらいの女性が!? それにこんな堂々と入国して来れるものなの……!?


 私の頭は一気に混乱した。しかしその混乱を収める間もなく、理解しがたいことが目の前で次々と繰り広げられていく。


 ステージから飛び降りルクレイシアの元へ駆けるニドは、メキメキと筋骨の軋む音を上げて全身が漆黒の鱗に覆われていく……! 大柄なニドの体格はさらに一回り膨れ上がり、顔まで鱗に覆われ、黒鋼の全身鎧フルアーマーを纏っているかのようだ。ゴツゴツと床を鳴らしていた足音は、今や一蹴り一蹴り石床を踏み砕く程重さを増している。


 ――その姿は、紛れもなく異形――!


 これじゃまるで……さっきの怪物達みたいじゃない……!


「ぶッッ殺すッッ!!!」


 ニドは怒りに任せ大剣を振りかぶる。その風圧だけで広間中の窓ガラスはビリビリと震え、天井のシャンデリアが大きく揺れる!


 ――……キンッ……――


 ――が、甲高い金属音のような響きがしたかと思うと、再び時が凍りつくように、ニドの動きが突然に固まった。憤怒の形相を浮かべ大剣を振りかぶったまま、ピクリとも動かない。


 ルクレイシアは純白のロングドレスをなびかせ歩み寄る。動かぬニドの黒鱗に覆われた頬を、雪のように白く細い指先でそっと撫で、呟いた。


「いきなり斬りかかるなんて……可愛いコね」


 ――!!! 背中がゾクゾクする……! 何て冷たい声……!


「アナタといい金髪の坊やといい、私の≪庭≫をチョロチョロと嗅ぎ回って……アナタにはを与えてあるでしょう?」


 ルクレイシアが視線はニドに向けたまま、さっと商人に手を向けると、商人はざあっと灰になり崩れ落ちていく。何、いまの……! わかんないけど、ニドが危ない、何とかしなきゃ!


 私が目を瞑り意識を闇に潜り込ませようとしたその時、全身からごうと炎が立ち上る! 同時に灰髪は激しく逆立ち、根本から一瞬にして赤く染まった。


 ――どうして!? 炎が勝手に溢れ出す……!


「アーシャ!? 大丈夫なの!?」


 私の炎に驚きサニアが後ずさる。


 感じる……炎が、燃やしたがってるんだ――ルクレイシアを! ――それならッ!


 私は太ももから両手に3本ずつ投げナイフを抜くと、炎を纏わせ旋回する。轟々と燃え盛る炎は大きな弧を描き、6つの剣先に炎と旋回が生む全てのエネルギーを乗せる――!


「ニドから離れろッ! 炎投の型――≪灰燼に帰す火龍の咆哮イグネイタル・ロアー≫――ッ!!!」


 ――ゴォアッッ!!


 旋回のエネルギーを乗せて投げ放った6本の炎のナイフは、ひとつの極大な炎塊となってルクレイシアのもとまで射線上の地と空を灼く。


 ――……キンッ……――


 炎塊がルクレイシアの目前に迫った時、甲高い金属音が再び響くと、ナイフは宙に停止した――


 ――が、炎はそれを押し留めるを豪と灼き、ルクレイシアを灼かんと迫る!


「あら、まさか――? ふふ……イイじゃない」


 しかしルクレイシアは炎が一瞬停止した隙に事も無げに躱す。炎塊はルクレイシアとニドの間の空を虚しく灼き、ルクレイシアが腕を一振りすると煙となって消えた。宙に残る6本のナイフは、さあっと灰となり崩れ落ちる。


「そんな……!」


 渾身の炎だったのに……! 滝のような汗がどっと流れ、膝に手をつきゼイゼイと肩で息をする。続けて2度の炎は体力を限界まで消耗させ、もはやナイフを1振りする力さえ残っていない。


 しかし勝手に溢れ立ち上る炎は留まることを知らず、赤髪も激しく逆立っている。このままじゃ、炎が……またしちゃう……!


「なあんだ……≪アニマ≫と≪アーク≫がまるで釣り合ってない……これじゃあ台無し」


 ルクレイシアが呆れ果てた目で言い放ち、白く細い指先をこちらに向けると、私の炎は煙となって消えた。逆立っていた赤髪も毛先から燃え尽きたように灰色に戻っていく。


 ……助け……られた……?


「がっかりね。ま、一応アイツに教えてあげようかしら――って」


 ルクレイシアはまるで飽きた玩具を見るように手をひらひらさせ、くるりときびすを返し去っていく。


 ――コツ、コツ、コツ……


「待て……!」


 まだ、聞きたいことがたくさんある……! でも、もう……体が……――


 必死に手を伸ばすも足は動かず、体力の限界を迎え膝から崩れ落ちた。薄れ行く意識の中で、振り返ることなく静かに立ち去っていくルクレイシアの後ろ姿が見えた――


……


……


……


「……ん……」

「大丈夫かい、アーシャ」


 どれだけ意識を失っていたのか、目を覚ますとレイニー=バードの顔が見えた。


 私はどこかの宿の個室のベッドに寝かされているようで、私の顔を覗き込むように≪吟雨詩人≫レイニー=バードが座っていた。その横にはサニアの姿も見える。


「驚いたよ。昨夜月に歌っていたら、この女性が気絶した君を背負ってきたものだから」

「アーシャ……私何が起きたのかわからなくて……とにかくあなたを助けなきゃって、彼の歌を辿って助けを求めたの。無事で良かった」


 どうやら、気絶した私をサニアが助け出し、レイニー=バードのもとへ運んでくれたらしい。目が見えぬサニアにとって、人気のない夜雨の中、探れる頼り先はレイニー=バードしかなかったのだろう。


「ここは……?」


 上体をゆっくり起こしながら問うと、レイニー=バードが心配そうに言う。


「無理しないで、丸1日寝込むくらいひどく消耗していたのだから……ここは宿り木さ。トランク併設の宿の」

「丸1日も……」


 窓の外を見ると、既に日は落ちているようだ。連続の炎の発動で、思った以上に疲労していたらしい。そうだ、あの後どうなった……!?


「ねえサニア、ニドは? それに、ルクレイシアは……」


 サニアは首を横に振り、申し訳なさそうに言う。


「ごめん、わからない……アーシャを助けるので精一杯だったから」

「そっか……ううん、ありがとう」


 ルクレイシアは、ニドには役割があると言っていた。きっとニドは無事なはず……そう信じたい。


 考え込む私を心配してか、レイニー=バードが深刻そうな顔をして話す。


「……サニアから聞いたよ。ボクの夢のために奔走したせいで、大変な目に会ったようだね……ごめんよ」


 私は首を横に振る。


「ううん、拐われたのは私の不注意だし……それに、私が探してあげたかったんだもん、太陽の踊子。だからレイニー=バードが気に病むことないよ」


 私は懸命にレイニー=バードをフォローするも、レイニー=バードの顔は浮かないままだ。


「それに……ボクの降らす雨に紛れ、恐ろしいことが行われていたなんて……」

「それはあなたのせいじゃないわ!」


 サニアが胸に手を当て、強く声をかけた。私も全く同じ気持ちだ、レイニー=バードは何も悪くない。


 レイニー=バードはやや沈黙し、何かを考え込んでから口を重く開く。


「……ボクさ、もう歌わない方がいいのかな……この街の人がボクの歌を聞いてないことぐらい、とっくに気付いてたんだ。みんな、ボクの雨を利用してるだけさ。……それがとうとう人攫いまで……」

「……そんなこと、言わないで」


 レイニー=バードが膝の上で悔しそうに握る両拳を、サニアが手探りで優しく握った。


「他の誰が聞いていなくても……私は聞いてた、あなたの歌を。暗く冷たい地下牢で、ざんざん降りの雨の中聞こえる、あなたの歌だけが私の心の支えだった……だから、歌わない方がいいなんて言わないで……」


 サニアの両目を覆う包帯が涙に滲み、雫が頬を伝う。居た堪れない……私もサニアの想いを伝えてあげたい。


「ねえ、レイニー=バード。私、太陽の踊子を見つけることは出来なかった……だけど、あなたの歌をちゃんと聞いて、一緒に踊りたいって心の底から思ってる女性ひとは見付けたよ。……ね、サニア」

「ええ。レイニー=バード、私……あなたの詩で踊りたい。……ダメかしら」


 サニアの包帯の下の心の目が、レイニー=バードを真っ直ぐに見つめている……それがわからないレイニー=バードではなかった。


「……ありがとう。こちらこそ、頼むよ」


 レイニー=バードは立ち上がり、壁に立て掛けていた大きなリュートを掴む。その顔は、『これで最後にしよう』――そんな風に思っているように、私には見えた。


……


 レイニー=バードは私とサニアを連れ、サンテラスの中央広場へと向かった。そこは大きな円形の舞台があり、舞台中央にはお祭りに使う巨大な営火台が設けられている。もちろん今日はお祭りではないので、舞台に人はなく、周囲の屋台で飲食する人がいる程度だ。


 星月が照らす中、サニアとレイニー=バードは石床の舞台に立ち、私はそれを舞台の下でただ一人の観客として見守っている。周囲の屋台は、リュートを構えるレイニー=バードを見て、庇を伸ばし雨に備え始めていた。


 レイニー=バードはサニアと向かい合い、語りかける。


「それじゃ……いいかい。濡れてしまうけど」

「もちろん。あなたと一緒なら……」


 レイニー=バードは歌い出す。

 リュートをジャンジャン掻き鳴らし……


◆――――……

 星に願うは 君のうた

 会うに会えない 君のうた

 溢れる雨は 影を呼び

 許されざるは 僕のうた

     ……――――◆


 あっという間に夜空に灰雲が立ち込め、ざあっと雨が降りだす――。昨日から何度も雨を降らせているせいか、その雨は豪雨という程には強くなかった。


 サニアは、詩に合わせ踊り出す。

 それは、とても酒場で見るような踊子のそれではなかった。おぼつかないステップで、パシャパシャと水を踏む、拙い踊り。

 しかしサニアの顔は真っ直ぐにレイニー=バードを見つめ、真剣に彼の魂の叫びに寄り添っている――


 レイニー=バードもそれが伝わっているのか、愛しそうにサニアを見つめ返し、一層空に歌い上げる。


◆――――……

 たれの涙か 降る雨は

 2人を濡らし 身を冷やす

 されど 心の内の

 歌え踊れと 身を焦がす

 いつか 虹が架かるまで

 いつか 虹が架かるまで

        ……――――◆



 今2人は、雨の中ともに泣き、願い、もがいている――その悲しくも優しい願いに、私は衝動的に舞台に上がり営火台の前で目を瞑る――


……


 闇の中、いつもと違う想いを胸に炎の前に立つ。


『我をもって何を灰とす』


 炎は私の想いを感じ取っているかのように、優しく揺れている。


「2人を濡らす悲しい涙を」


 私の願いに、炎は小さく揺れた。


『……好きにするがいい』


……


 目を開くと、右手に暖かな炎が宿っていた。灰髪は根本からゆっくりと赤く染まっていく。魔獣を灼くためのものじゃない、優しい炎……私、こんなことも出来たんだ……。


 右手を営火台に掲げ、火を焚べる。


 すると炎は轟々と燃え上がり、舞台上空の雨を蒸発させていく――!


「これは――!?」


 レイニー=バードが驚き、こちらを向いたが、私はそれを制止する。


「気にしないで、2人はおもいッきり歌って、踊っていて! 私は私に出来ることをするからッ!」

「ああ……ありがとう!」


 街中に雨が降り続く中、舞台上空だけは営火台の炎に雨が消え、2人は歌い、踊り続ける。その踊りは拙いながらも、レイニー=バードの詩で踊れることを心の底から喜んでいる様子が伝わってきた。


 周囲の屋台で飲んでいた人達は、突然の炎に驚きながらも、その余りに愛しそうに踊るサニアを見て、段々と舞台の周りに集まってきた。いつもなら雨音にかき消される歌声も、雨の落ちない舞台によく響いている。


「今日はお祭りだったっけ?」

「何でもいいや、ナンだか楽しそうじゃないか! レイニー=バードの歌声、初めて聞いたぜ」

「いいぞー、姉ちゃん! いよっ、レイニー=バード!」


 盛り上がり始めた観客に、私は嬉しくなりレイニー=バードに話しかける。


「ねえレイニー=バード! 皆見てるよ! 今度は雨に感謝してるんじゃない! 2人の詩と踊りに集まってる!」

「ああ……ホントだ! サニア、聞こえるかい。皆の声が……!」

「ええ! ちょっと恥ずかしいけど……もっと、もっと歌い踊りましょ!」

「もちろんさ!」


◆――――……

 たれの涙か 降る雨を

 友の炎が ぬぐい去り

 みなの 心の内の

 歌え踊れと 身を焦がす

 いつか 虹が架かるまで

 いつか 虹が架かるまで

      ……――――◆



……



 それから一晩中、2人は歌い踊り明かした。


 いつの間にか舞台の周りには、街中の人が集まったのではと思うほど人集りができ、やれ飲めや歌えやの大騒ぎになっていた。皆雨に濡れるのも気にせず、晴々とした笑顔で……。


 そして、やがて営火台に焚べた私の炎も尽きた頃――奇跡は起きた。


 誰ともなく、広場に声が響く。


「ねえ……空を見て! ほら――」


 一晩中降り続いた雨に、とうとう雨雲は上空の水分を使い果たしたのか、うっすらと切れ間ができている。その雲間から、いつの間にか昇っていた太陽が顔を出す。


 キラキラと差すその陽光は、上空の小さな雨粒に反射し、七色の橋を大空に架ける――


「――虹だ!」


 皆が上空を見上げる。


 レイニー=バードも歌を止め、帽子のつばをクイと上げ、空を見上げた。その顔はやりきった満足感に溢れている。


「ああ……何てんだ……! ≪呪い≫で≪呪い≫を晴らそうなんて、ボクは愚かだった。やっとわかったよ、≪呪い≫に打ち克つすべが。……サニア。君が、君こそがボクの――……」


 万雷の拍手と大歓声の中、レイニー=バードの頬に一筋の涙が流れる。その涙は、太陽の柔らかな光を受け、キラリと輝いた――……



……


……


……



「アーシャ、ホントにもう行くのかい。もう少しこの街でゆっくりしていけばいいのに」

「そうよ、やっぱりしばらくサンテラスにいたら?」


 翌日、私は樹都ユグリアに戻ることにし、駅のホームでレイニー=バードとサニアに別れの挨拶を告げた。


「サンテラスはとっても良い街だったけど……私、もっと色んなとこに行ってみたいんだ、だから、行くね」


 レイニー=バードが私の手をぎゅっと両手で握る。


「約束の報酬うた、必ず書き上げるから。君がどこにいても届くように、何度も何度も歌うよ――サニアと一緒に」

「ありがとう、とっっても楽しみにしてる!」


 その時、大陸円環鉄道は大きな汽笛を鳴らし、私は急いで客車に乗り込んだ。


 コンパートメントの窓から身を乗り出し、ホームに立つレイニー=バードとサニアに手を振る。


「じゃあね、レイニー=バード! サニア! 元気でねーっ!」

「君も元気で!」

「アーシャ、またいつでも会いに来てね!」


 やがて大陸円環鉄道はガタゴトと動き出し、ホームに立つ2人が段々と小さくなっていく。私は2人の姿が完全に見えなくなるまで、いつまでもいつまでも大きく手を振った――


……


 それからしばらく後のことだが、太陽に愛された街サンテラスは、枝の巻にこう書かれるようになった。


 サンテラス――吟雨詩人と太陽の踊子が織り成す、虹に愛された街――と。

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