第11話 雨に蠢く影
――ピチョン
「
天井から滴り落ちた水滴が顔に当たり、私は目を覚ます。後頭部がズキズキする……何か鈍器のようなもので殴られたみたいだ。頭をさすりながら体を起こすと、そこは石造りの地下牢の中のようだった。天井付近にある小さな窓から月明かりが差すほかに灯りはなく、とても暗い。
「……目が覚めた?」
突然部屋の角の暗がりの中から女性の声がした。闇に目を凝らすと、確かに人影のようなものが見える。
「うん。私はアーシャ、あなたは?」
私が返事すると、暗がりの中の女性はゆっくりと近付いてきた。そこで初めて私は気付く――その女性は両目を包帯で覆い、目が見えていないようだ。ひどくボロボロの布を纏い、体中が傷だらけ――これはまるで、拷問でも受けたかのような……!
「私はサニアよ。品出しが終わったから、また仕入れがあったのね……」
「し、仕入れ!? それってつまり――」
「そう。ここに連れて来られた人は、皆売られていく……おそらく、奴隷として。アーシャだっけ? あなたも、雨の中さらわれたでしょ?」
「うん、多分……。でも――」
私はショックを受けていた。奴隷だって……? そんなバカな……
「――奴隷なんて、この国じゃ認められてないじゃない! そんなの聖女様が許すはずが――」
「――この国じゃね」
「……! まさか、帝国に……!?」
私の推測にサニアは静かに頷く。
……とんでもないことになってきたぞ。私はただ人探しに来ただけなのに、敵国への人身密売に巻き込まれるなんて……!
「……ねえサニア、あなたも雨の中さらわれたの? あなたは、その……」
その先を聞くのを躊躇う私に、サニアが言葉を続ける。
「私もさらわれたわ……でも、見ての通り私は目が見えないの。奴等、きっと売り物になるかどうかも見ずに手当たり次第襲ってるのよ。売れ残った私はここで……まあ、
「そんな……!」
そんなことがあって良いはずがない……! 私の怒りに、内なる炎が反応しているのがわかる。今にも燃え上がりそうだ……!
その時、突然外でざあざあと雨音が響きだし、サニアが小さな窓を見上げ呟く。
「あら……彼、また歌ってるのね。悲しい詩を」
「悲しい詩って……サニア、聞こえるの!? レイニー=バードの詩が」
きっとレイニー=バードが歌っているとは思うが、ざんざん降りの雨音にかき消され、私の耳には一言も聞こえてこない。それが、サニアには聞こえるなんて。
「私、耳は良いのよ。彼……いつも哭いてるわよね。毎日ここで聞いてると、よくわかる……。ね、アーシャ。バカなこと言ってもいい?」
サニアは少し恥ずかしそうに問う。とても辛い目に合っているだろうサニアが話したいということを、断る言葉は持ち合わせていない。
「もちろん。何?」
「私ね……好きなのよ。彼の詩で踊れたら……って、ずっと想ってる。周りの誰に言ってもバカにされるんだけどね。誰もレイニー=バードの詩知らないでしょ? あんなに真っ直ぐで純粋な、とっても良い詩なのに」
サニアは心の内を吐き出すように続ける。
「私生まれつき目が見えないから、踊り方、知らないの。でも、とにかく彼の詩で踊りたい……ね、バカでしょ。こんな地下牢に閉じ込められて捌け口にされても、彼の詩が聞こえるから何とか私は……ふふ」
そう言うと、とても悲しく、乾いた笑いをこぼした。
「……全然バカじゃないよ。ありがとう。大事な想い、話してくれて」
「……自分でも不思議。あなたの声――いや、その奥にある魂が、とっても暖かいから。つい、ね」
私は思った。
レイニー=バードの探してる太陽の力を持つ異能者はいないかもしれない。
でも、サニアなら。
レイニー=バードの心の雨に寄り添って、きっと一緒に濡れてくれる。
そしてできれば、レイニー=バードにサニアの心を潤してあげてほしい――。
「……よし! サニア、一緒にここから逃げよう!」
「は? それが出来たら苦労しない――」
「大丈夫! 鉄の檻だろうが石の壁だろうが、私を捕まえられっこないもの。灼断するから」
「……何を言ってるの?」
サニアは呆れたように言う。
……正直、ここで炎の力を使ってしまうのは賭けだ。灼熱の刃で牢を破るのは容易い……でも、外に何があるかわからない。少なくとも見張りの一人ぐらいはいるだろう。体力を使い果たした私が、無事サニアを連れ出せるか――ええい、とにかくここを出ないことには! 腹括るっきゃないッ!
目を瞑ろうとしたその時、牢の外で突如剣戟が響く。
――ザンッ!
――ぐあぁッ!!
「――何!?」
「誰か戦ってるの!?」
誰かの断末魔が石壁に反響し、私とサニアは驚き、何事かと身構えた。ゴツゴツと石床を走る足音が、段々大きくなる――!
「誰ッ!?」
「――誰たぁひでえな。助けに来てやったのによ」
「あなたは……!」
鉄格子の向こうに現れたのは、真っ赤に血塗られた大剣を背負う黒尽くめの剣士だった。
「おら、下がってろ」
私とサニアが鉄格子から離れるやいなや、剣士は大剣を凪ぐ。
――ガギィンッ!
耳をつんざく金属音が鳴ったかと思うと、鉄格子は見事に断たれていた。
「すご……!」
「!? アーシャ、何が起きたの!?」
「助けに来てくれた人が、檻を斬ったのよ! 信じられない! ええと……」
そう言えば剣士の名前を知らない。そんな私の表情を読み取った剣士が名乗る。
「……ニド。呼ぶならそう呼べ」
「ありがとう、ニド! サニア、出よう!」
「え、ええ!」
私がサニアの手を引き牢を出ようとすると、ニドが何か袋を差し出した。
「見張り部屋にあったモンだ、お前んだろ」
「あ! ありがとう」
それは私の武器だった。牢に入れられる時に取られたのだろう。良かった、トルネードからもらった大事な短刀……失くしたら大変だ。袋から2振りの短刀と投げナイフを取り出すと、急いで装備した。
私はサニアの手を引き、剣士ニドと共に石造りの廊下を駆ける。しかし、無愛想で他人に関心無さそうなニドが、どうして面識の浅い私をわざわざ助けに……? 並んで駆けながらその疑問をニドに投げる。
「ニド、どうして私を助けに? それにどうやってここがわかったの?」
「そりゃ簡単よ、てめえが
「は!? どーいうこと?」
ニドはゴツゴツと足音を立て走りながら、にっと口角を上げて言う。
「俺は元々ヤツらを狙ってこの街に来た。そしたらちょうどいい餌がステーキの向こうに現れた……そんだけだ」
「な……! 私を囮にしたってこと!?」
「人聞き
ニドは悪びれる様子もなく言い放つ。
こ、こいつ……! 私が襲われるのを黙って見てたのね、ヤツらとやらのアジトを見つけるために! ……でも、ニドがいなくても私は捕まっていただろうと思うと、助けてくれた分文句は言えない、か。納得はいかないけど!
「ねえニド、その奴等って何者なの? サニアの話じゃ帝国に奴隷を売ってるって……」
私の言葉にニドは突然嗤う。それは背筋がゾクッとするような、乾いた狂気の声だった。
「くははっ、奴隷? ……そんな甘っちょろいもんじゃねえよ。今にわかる」
「……?」
そう言ってニドは顎で先を示す。その先には地上に上がると思われる階段があり、灯りが射し込んでいる。
「……てめえを助けたのは慈善事業じゃねえ。ワイルド・ボーを倒した腕前、見せてもらうぜ」
「何のことよ?」
「覚悟しとけってこった」
ニドは階段を駆け上がりながら背負った剣の柄に右手をかける。わかった、あの先に奴等が待ち構えてるってことね……!
「行くぞ!」
「ええッ!」
階段を上がりきると、そこは赤絨毯の敷かれた大広間だった。高い天井には大きなシャンデリアが下がっている……どこか大きい宮殿かのような、豪華な造りだ。危ない商売で大きく儲けているのだろう。
……が、問題はそんなことではなく、私達の前に立ちはだかる人、人、人だ。ざっと20人はいるだろうか。皆妙に年食ったような荒れた肌にサニアと同じぼろ布を纏い、虚ろに濁った目でこちらを見ている。どこかで見たことがあるような、嫌な目だ……。
その人垣の後ろのやや高いステージに立つ、見るからに悪どそうな太った商人が叫ぶ。
「かかったな≪鱗の男≫ッ! よくもこれまで我が同胞を消してくれた……お前もここまでだ! ダーッハッハーッ!」
こいつが頭だな! 地下廊下がやけに警備が薄かったのは、ここに戦力を集めて仕留める気だったんだ。しかし、鱗の男……? どういう意味だろ。
ニドは左足を後ろに引いて腰を少し落としながら、ズシリと重い大剣を背から抜く。中段に構えた剣先を商人に向け、挑発するように言う。
「何だ、低級ばっかりじゃあねえか……この程度の兵しか貰えないようじゃ、お前も捨て駒だな」
商人は見事に顔を赤くし、勢い良くニドを指差して声の限り叫ぶ。
「負け惜しみをーッ! 思い知れぇッ! 帝国の叡智をッ!!!」
そう言うと商人は大事そうに抱えた瓶を開け、中の灰のような粉をザアッと人垣に撒いた。何、あれ……?
――その途端、虚ろに濁った目の人々の体がメキメキと軋む音を立て、異形の怪物へと変化していく――!
「何ッ!? まるで魔獣みたい――!」
「――ありゃあ≪
驚く私にニドは呟き、ギリッと歯噛みする。瞳の奥に怒り恨みの炎が見えるかのように、明らかに苛ついていた。
さっきまで人だったその怪物――≪灰人≫達は、みな体格が一回り膨れ上がり、筋骨が
虚ろに濁った目は一層濁り、もはやどこを見ているのか焦点もわからない。歪に膨張した腕を
「こいつらは手遅れだ。もう人には戻れやしねえ……手を鈍らせんじゃねえぞ」
ニドは私にそう言うと、大剣を振りかぶり異形の怪物へ突進していく。私は短刀を両手に構え、サニアを庇うように立つ。
「せめてもの情けだ、一瞬で還してやるぜッ!」
ニドは叫び、豪快な風切音を上げて大剣を凪ぐ。
――ゴガガガガッ!!!
驚くべきことにその一振りはまとめて5人もの灰人の胴を水平に両断し、宣言通り一瞬で屠っていく。その斬撃音はまるで岩を割っているかのように鈍く、とても人の骨肉を斬ったとは思えない。
一方でそのまわりの灰人達は、仲間が斬られたことを微塵も気にした様子はなく、ニドに向け長い腕を振り下ろす。
ニドは重い大剣を振り切ったわずかな隙に襲われ、否応なく跳び下がりこれを躱す。
――ゴガァッ!
一瞬前までニドが立っていた床に大穴が空く。灰人達が振りおろした拳が石床をいとも容易く割ったのだ。なんて怪力、一発でも喰らえばただじゃすまない……!
サニアを庇いながら灰人を警戒していると、そのうちの一体がサニアめがけ飛び込んできた!
「危ないッ!」
――ガギィンッ!
灰人が飛び掛かりながら振り回した拳を、交差させた2振りの短刀で受け流す。まるで岩を弾いた様な感覚……! 受けただけで固さと重さに両腕が痺れ、とても普通には斬れそうにない。でもニドは他の大群を相手にしている、こいつは私がやらなきゃ……!
「アーシャ、大丈夫!?」
「大丈夫、サニアは私が守るからッ!」
私はサニアの手を引いていったん灰人と距離をとり、即座に心の内へ意識を潜り込ませる――
……
闇の中、すでに炎は轟々と燃え盛り、全てを赤に染め尽くしていた。
『燃やしてもよいのだろう?』
あれはさっきまで人だった……が、迷っている暇はないッ! 私には私の守るものがあるッ!
「ええッ!」
待っていたとばかりに炎は渦を巻いて私を包む。まるで暴れたくて堪らない巨龍のように。
……
「来いッ!」
目を見開いた私の灰髪は三つ編みをほどいてなびき、根本から燃えるように赤く染まっていく。両手の短刀に炎を纏わせると、迫り来る灰人を躱すように旋回する――
「炎刀の型、≪
短刀に纏う炎は剣先に乗った遠心力と共に火勢を増し、まるで火龍が拡げた翼の如く延びる! その翼は灼熱の刃となって、灰人を真一文字に両断した――!
――ゴォアッッ!!
切断面から激しく炎が立ち上ぼり、あっという間に灰人は火達磨になった。続いて迫り来る灰人がいないことを確認し、いったん炎を解くと、なびいていた赤髪はパサっと降り、燃え尽きたように毛先から灰色に戻っていく。私はサニアの震える手を握り、微笑みかけた。
「ふうーっ、もう大丈夫よ」
「ありがとう、アーシャ……!」
――その後、商人の指示か、灰人達はニドを集中的に狙い始め、こちらに襲い来ることはなかった。
ニドは大剣を一振りするたび灰人達をまとめて斬り伏せ、襲い来る怪力の一撃を見切り躱してはまた凪ぎ払っていく。巨大な鉄塊のごとき大剣を振り回しながらも、多数相手に隙のない身のこなし――明らかに1対多に戦い慣れている。いったいどれだけの修羅場を潜り抜けて来たのか……!
やがて灰人達は、みな両断され物言わぬ灰の彫像の如く大広間中に転がっていた。これがほんのさっきまで人だったとは、とても信じられない……。
そして残るは、ステージ端で怯え上がった商人だけだった。
「ひ……ひい……化け物め……」
「お前がそれを言うかよ……化け物を作る片棒を担いだお前がッ!!」
ニドは燃え上がらんばかりの怒りを込め叫んだ。その怒りに、大剣を構える両の手は、柄を潰しかねないほど強く握り締められている。
ニドはゴツゴツとブーツを鳴らし、商人に近付く。
「さあて……死にたくなけりゃあ教えろ。お前が拐った人間の送り先……≪
「わ……わかった……教え――」
商人が喋ろうとしたその時――
……――時が、凍りついた――……
――そうとしか表現できないほど、突然に静まり返った。
――コツ、コツ、コツ……
静寂の大広間に、ハイヒールの音が響く。
いったい何時の間にそこにいたのか、大広間の入り口から一人の女性が入ってきた。私と同じ長い灰髪をストレートにおろして左耳にかけ、大きくスリットの入った純白のロングドレスを纏っている。床中に転がる怪物の死体を意にも介さず、ガラスのハイヒールを鳴らし、真っ直ぐにニドの元へ歩いていく。
一方、商人は停止したまま、ピクリとも動かない。まるで
「てめえは――!」
ニドは剣先を女性に向け構える。どうやら知ってる相手のようだ。あれは一体誰? 商人はなぜ突然停止してしまったの――?
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