第9話 力持つ者の魂
「着いたぞ、これが蛙ヶ池じゃ」
スースの森の中心部にぽっかりと空いたその池は、周囲200mほどの小さな池だった。その水面は緑色に濁り、池の向こう側に群生する草が見える。
「ゲコヨモギは向う岸に生えとる」
お爺さんがそう言って池の周りを進もうとした時、突如池の水面から小さな緑色の塊がお爺さんに向かい飛び出す!
「――危ないッ!」
私はとっさに右太もものベルトに差した投げナイフを抜き、その緑の塊めがけ投げる――
――ドッ!
ナイフに貫かれた緑の塊は爆散し、緑色の液体を水面に撒き散らす。投げたナイフはその勢いのまま対岸の幹に突き刺さった。
お爺さんは驚いてよろよろと尻餅を着く。幸い、毒液はかからなかったようだ。
「今のは
お爺さんがほっと一息ついたのも束の間、液体が飛び散った辺りから、緑色の水面がざわざわと蠢き出す……!
「何!?」
「――! 水じゃない、これ全部≪
驚く私の横で、ローエンが叫んだ。池の水だと思っていたものはボコボコと波打ち、無数の緑蛙の群れとなって今にも這い出んと蠢く――
多いッ!!! こんな群れに襲われたら、さっきの猪と同じ目に――!
「2人とも池から離れて!」
お爺さんとローエンに指示を出しながら私はぎゅっと目を瞑る。急げ、急げ……!
……
闇に潜ると同時に、私は目の前で轟々と燃え盛る炎に叫ぶ。
「全速で燃やすッ!」
炎は『待っていた』と言わんばかりに嗤うように揺れると、火勢を増し、闇を赤に染め尽くす。
さながら、全てを呑み込む大蛇のように。
……
「来いッ!」
カッと目を開いた私の灰髪は根本から燃えるような赤に染まり、内なる炎の熱に三つ編みが解けて
「!?!?」
ローエンが私の逆立つ赤髪と轟々と燃え盛る両手の炎に驚き、何やら口をパクつかせている――が、今は説明する暇はない!
――ボッ!
蠢く水面が爆発したかのように、ラナンクルスの群れが砲弾の如く飛び出し、緑の弾幕となって襲い来る。
「ひいいーッ!」
「隠れるんじゃ!」
慌てふためくローエンをお爺さんが後ろへ連れていくのを横目で確認しながら、私はその場でギュっと地を蹴って旋回し、炎の二重弧を森に描く。
「炎投の型、≪
旋回の遠心力を乗せ、翼の如く炎を伸ばす2振りのナイフを、向かい来る緑の弾幕に放つ――
――ゴォオッ!
炎の双燕は緑の弾幕を一瞬で赤に染め、毒液を撒き散らす間もなくその身を焼き尽くす。が、弾幕は一陣で終わるはずもなく、水面が再びボコボコと波打つ。
「させるかッ! 飛び出す前に焼き尽くすッ!」
私は残る3本のナイフを抜きながら池沿いの木に向かって駆け、勢いよく幹を蹴って宙に翔んだ。精一杯の高高度から、炎を纏わせた3本の投げナイフを、蛙の蠢く池を囲むように投げる。
「炎投の型――≪
池を取り囲むように刺さった3本のナイフから、立ち上る炎が螺旋状に奔り、池ごと
――ゴォオアアッ!!!
炎の渦は天を衝かんばかりに轟々と燃え盛り、その内に飲み込んだ
――ズダッ
炎の渦の手前で着地した私の逆立つ赤髪は、燃え尽きたように毛先から灰色に戻っていき、ぱさっと降りる。
「お、おま、火……! あ! もも、燃えちまうッ! ゲコヨモギ!」
隠れていた幹から出てきたローエンは、突如燃え上がった周囲200mもの巨大な炎塊に慌てふためきながらも、採取目標のことを思い出して叫ぶ。
「ふうーっ……」
私は両ひざに手をつきながら、ゆっくりと息を吐く。いつの間にか両手の炎は消え、滝のように噴き出す汗と共に全身をどっと疲労が襲った。森を赤赤と照らす巨大な炎塊も、私の脱力にあわせ段々火勢が収まっていく。
「はあ……、はあ……。大丈夫、ちゃんと範囲は絞ったから……」
息を切らし額を流れる汗を拭いながら、私はローエンに話しかけた。もちろん採取目標を燃やさないよう、ましてや森ごと大火事にならないよう、炎はナイフで囲む中で燃えるよう範囲を絞ってある。山の一角を焼き尽くしたあの日の過ちを二度と起こさないよう、範囲制御の
やがて炎が煙となって消えた頃には、池の水も蛙の姿もなく、ただ黒く窪んだ焼け跡だけが残った。呆然と立つローエンが、恐怖の目で私を見る。
「お前……一体何者だよ……こりゃ、まるで――」
「――これローエン! まずは礼を言わんか! 嬢ちゃんありがとうの、お陰で命拾いしたわい」
お爺さんがローエンの言葉を遮って叱ると、続けて私に頭を下げた。
「いえ、これが仕事ですから……」
私は少しだけ照れながらお爺さんに返す。護衛依頼を果たしただけだけど、きちんと礼を言われると嬉しいな。
「じっちゃん、でも今のは……」
「嬢ちゃんが炎の異能を使ったからと言ってそれが何じゃ、助けてくれたんじゃろうが」
「……わかったよ」
ローエンは渋々私の方に向き直り、頭を下げる。
「……ありがとう、助かった」
「どういたしまして」
しかしローエンは納得してはいない様子で、すぐ目をそらしゲコヨモギの群生地へと向かう。私とお爺さんも後を追った。
ラナンクルスと同じ緑色の毒草ゲコヨモギを屈んで摘みながら、お爺さんがローエンに語りかける。
「……のうローエンや。嬢ちゃんが恐いか」
ローエンは図星を突かれたように手を止める。私もその言葉にどきっとした。
「……ああ、恐いよ。オレも異能者を見るのは初めてじゃない。≪吟雨詩人≫レイニー=バードや、≪歩く災厄≫カラミティ=ワンダーとかさ。でも、あの赤髪に炎……どうしたって、最恐最悪の異能者≪紅蓮の魔女≫を意識しちまうじゃねえか。そりゃやっぱり別格だよ」
ローエンはばつの悪そうに、しかし素直に吐露した。私は聞こえない振りをして、少し離れて毒草を摘む。……いい加減、慣れなきゃ……
お爺さんは手につかんだゲコヨモギをローエンに見せた。
「ならローエン、わしはどうじゃ。ラナンクルスの毒液を吸い育つこのゲコヨモギをわしが煎じれば、一飲みで人が死ぬ強力な神経毒薬が作れる。恐くはないか」
「いや……じっちゃんがそんなことに使うわけないだろ。こいつは煮立てりゃ真っ白な鎮静薬になる――いつもヤク中の客に出してるような。……あ……」
そこでローエンはお爺さんの言葉の意味に気付き、言葉を切った。代わりにお爺さんが続ける。
「薬も異能も一緒じゃよ。恐いのは力そのものではなく、それを使う者の≪魂≫……嬢ちゃんの輝く魂を知ることが出来れば、何も恐れることはない。本質を見る目を磨け、ローエン。さすればいずれわしをも超える薬師になれる、まだお前は若いのじゃから」
「……」
……それからしばらく、ローエンは黙ってゲコヨモギを摘み続けた。その言葉は、ローエンに語っているようで、私にも大切なことを教えてくれているような気がした。
力を恐れるのでなく、使う者の魂を知れ――。それは逆に言えば、力を使う者は自らの魂を示さなければならないという事だ。それがどういう事なのかはよくわからないけれど……今の私に出来るのは、常に
私はトルネードの言葉を今一度胸に刻み、毒草採取を手伝う――
……
「約束の報酬じゃ。ほんに助かったわい」
麻袋一杯にゲコヨモギを摘んで、私達は仙草堂に戻ってきた。お爺さんが差し出したのは、青みがかった綺麗な液体の入った、精巧な飾り細工の施された瓶だった。私はこの瓶に見覚えがある。
「これって……死の淵の向こう側からすら呼び戻すと言われる薬じゃないですか!?」
「おお、よく知っとるの。その通り、霊薬≪世界樹の雫≫じゃ」
「そんな……私、受け取れません!」
確かに報酬に傷薬とあったけど、こんな貴重な薬は明らかに過剰な報酬だ。
「そりゃじっちゃんが1年かけてやっと1本精製した薬じゃないか、何でそんな高価な薬――」
「――ローエン、お前は黙っとれ。薬を金で測るなといつも言うとるじゃろが。そりゃ命を金で測るのと同じことじゃぞ! ……今日のラナンクルスの群れは、明らかな異常発生、想定外の状況じゃった。本来駆け出しの
「……ありがとうございます」
お爺さんの強い押しに、私はおずおずと霊薬を受け取った。これはいつか必要になった時のために、大切に取っておこう……
「また薬が必要になったらいつでもおいで。この薬師サニタス、あらゆる薬を揃えて待っておるでな」
「こちらこそまた護衛の依頼お待ちしてます! 飛んで駆け付けますので!」
「ほほ、なんと心強い……まるで昔のあやつを見るようじゃ。キラキラした魂で、何度わしを護ってくれたことか……」
「?」
「いや、ただの老いぼれの思い出話じゃ。すまんすまん」
遠い目をして何かを懐かしむサニタスさんの顔は、とても柔らかい表情をしていた。誰のことか知らないけど、きっと良い人だったんだろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します!」
「おお、気を付けてな。嬢ちゃんの未来に、深緑の聖女の加護のあらんことを」
「じゃーな」
サニタスさんとローエンは店の前で手を振り、見送ってくれた。そのローエンの目に、恐怖の色はもうない。私も大きく、大きく手を振って、仙草堂を後にした――
……
こうして、私の初めての仕事は無事終わった。
その後トランクに戻りティエラさんに依頼報告として一部始終を説明すると、申し訳ないくらい謝られてしまった。
「我々トランクの調整不足でした、まさかそんな事態が起きているとは……直ちにスースの森へ調査隊を派遣します。……皆さんが無事で本当に良かった」
ティエラさんの話によれば、近年魔獣の群れが増えてはいるものの、池を埋め尽くすほどの異常発生は例が無いという。作為的な何かが潜んでいる可能性がある――ティエラさんはその何かに心当たりがあるかのように、そう言った。
報告を終えた後は、再び
星のように瞬く世界樹の葉に覆われた街で、まだ見ぬ誰かを救う明日を夢見て――
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