第8話 静かに浸透する毒

「ん~っ、ここのオムレツ最っ高! ふわっふわのトロトロ、繊細な火加減と素早い手捌きの成せる技ね……むぐ」


 ――翌朝。


 ママからもらった櫛で灰髪を梳かし、一束の大きな三つ編みにした私は、トランクの隣に建つ食堂酒場≪酔いどれの幹ドランクトランク≫で朝食をとることにした。いかにも酒飲み向けっぽい店名だからあんまり食事に期待してなかったけど、このオムレツが美味いのなんの。朝からブランチっぽい人達で席が埋まってるのもわかるわ。


「……んぐ。さーて、早速トランクに行って認識票とやらを貰いに行きますかっと。ごちそうさま!」

「あいよ」


 カウンター奥の厨房から店主と思われる料理人が無愛想に返す。うわあ、超ごつい! こんな人が繊細なオムレツ作ってたの!? 大柄で筋肉質、顔も厳つい。そこらのブランチよりよっぽど強そうだ……案外、元ブランチとかだったりして。


 私は足元に置いていたリュックを背負い、席を立った。カランコロンと鐘の鳴る扉を開け外に出る。


「今日も天気いい……のかな?」


 見上げれば上空を覆う世界樹の葉が木漏れ日のように暖かな光を放ち、街を柔らかに照らす。樹都は世界樹に抱かれ、いつもこんな穏やかな晴れ模様(葉模様?)なのだろうか。とても過ごしやすく、これも樹都の魅力のひとつなのかな。


 酔いどれの幹ドランクトランクを出てすぐ隣、トランクの扉を開け中に入る。トランクは朝から盛況だ、今日の依頼を探す人でむしろ朝に混むのかも。


 奥へ進みカウンターを覗くと、昨日と同じく栗色の髪の眼鏡お姉さん、ティエラさんが話しかけてくれた。


「アーシャさん、おはようございます。認識票の受け取りですね?」

「おはようございますティエラさん! はい、取りに来ました」


 ティエラさんはごそごそとカウンター下から認識票を取り出す。それは小さな楕円形の鉄プレートの付いたブレスレットだった。プレートには私の氏名と認識番号らしきものが彫られている。


「こちらが鉄等級アイアンの認識票です。ブランチの身分を証明する証ですので、常に携帯してくださいね」


 認識票を受け取り、早速左手首に着ける。


「これでブランチとして活動いただけます。依頼はあちらの壁にある鉄等級アイアン向け掲示板から探し、受けたいものがあればまたこちらまで提示してください。その後直接依頼人と会っていただく流れとなります」

「わかりました、色々ありがとうございます!」


 ティエラさんに一礼し、鉄等級アイアン向けの依頼書が貼り出された掲示板へ向かう。どれどれ、どんな依頼があるのかな……?


 毒草摘みの護衛(報酬:傷薬)、

 人探しの手伝い(報酬:自作の詩)、

 荷運び(報酬:500シード)、などなど……


 最下級の鉄等級アイアン向けの依頼だからか、どれも単発の短期依頼だ。報酬が現物(詩って報酬になるの?)の依頼は受け手がなく何日も貼り出されているのか、依頼書が少し古びている。さて、初仕事どれにしよう。


 私の力が活かせそうなのはやっぱり魔獣退治の類いだから、最初はそういいのがいいかなあ。となれば、受けるのは……


 決めた依頼書を持って、再びカウンターのティエラさんに話しかける。


「これ、お願いします」

「毒草摘みの護衛依頼ですね。ここ樹都ユグリアの西部エリアにある薬屋≪仙草堂≫からの依頼です。枝の巻の地図に載っていますので、確認の上向かってください。アーシャさんに深緑の聖女様の御加護の在らんことを」


 十字を切って祈るティエラさんに一礼した後、近くの卓に荷物を置いて装備を整える。ベルトの後ろ腰に交差するように2振りの短刀を差し、両太股に巻いた細い革のベルトには3本ずつ投げナイフを差した。


「……これでよし、二刀流と投擲の≪旋廻剣投装備トルネード・スタイル≫完成っと」


 トランクを出て、昨日もらった手帳≪枝の巻≫の地図を見ながら、天から葉が降り積もる石畳の脇道を歩いていく。


 西へ行くに連れ、メイン通りにあったような小綺麗な建物が減り、歩く人も少しやつれた人が多くなっていく。あまり裕福じゃない人が住むエリアなのかもしれない。道も狭く、集合住宅が密集している。


「あった、ここのはずだけど……」


 それはよく言えば老舗、素直に言えばボロ屋敷といった構えの小さな店だった。見るからに古い建物で、少しカビ臭い。客も店員の姿も無く、今も営業しているのか怪しい。


「……ごめんくださーい」


 恐る恐る店に入り、カウンター奥に声をかける。店内の壁にはこれまた年期の入った棚が並び、よくわからない小瓶が乱雑に置かれていた。


 ――じっちゃん、客だよ!


 奥から少年の声が聞こえ、のそのそと老齢の男性が出てきた。一体いつから着ているかわからないぐらいヨレヨレの緑のローブを着ている。


「はいよ、いらっしゃい。む……! 嬢ちゃん、何の用じゃ」


 お爺さんは私を警戒しているのか、細い目を見開いて問う。若い女の子が来たがる店では無さそうだから、珍しいのかな。

 

「ブランチのアーシャと言います。毒草摘みの護衛に来ました」

「おお……来てくれたか。もう何日も前に頼んだんじゃが、だーれも受けてくれんでの。ずっと待っとったんじゃ」


 依頼を受けに来たことを伝えると、お爺さんは柔らかい表情になって喜んだ。報酬が傷薬だもんね、手っ取り早く一稼ぎしたい荒くれが多いブランチにとって、需要の高い依頼でないことは間違いない。やっと受け手が現れてほっとした、というところか。


「それじゃあ早速――」

「――じいさん、いつものヤツくれ……」


 行きましょう、と私が言いかけた時、後ろからふらふらと男が入ってきた。その男は若いようだが肌は妙に年を食ったように荒れ、目が虚ろに濁っている。何考えてるかわからなくて、ちょっと怖い……


「やれやれ、またか……ほい、これで在庫は最後じゃ。金はいらんから、もういい加減にやめんか」

「すまんな、やめれねえんだ……うちの団じゃ、≪粉≫がなきゃ着いていけねえ……」


 お爺さんが白い粉の入った小瓶を渡すと、男は礼を言って店を出ていった。


 え……何今の。何かの中毒っぽかったけど、もしかしてヤバイ薬……? 私、とんでもない店に来ちゃったんじゃ……。そう言えば依頼内容は、薬草じゃなくて毒草摘みだ……。ううん、勝手に偏見を持っちゃダメだ、お爺さんは悪い人には見えないし!


「それじゃあ嬢ちゃん、早速行くとするかの。おーいローエン、ゲコヨモギ採取に行くぞ、ついて来い」


 私が戸惑っているうちに、お爺さんは店の奥に声をかける。奥からドタドタと出てきたのは、お爺さんとお揃いのブカブカのローブを着た、私より少し年下くらいの少年だった。


「じっちゃん、やっとブランチが来たのか!……て、如何にも経験浅そうな小娘じゃんか、大丈夫かよ」


 ローエンと呼ばれた少年は、私を見るなりバカにした目で言い放つ。小娘だって!? いや確かに経験浅いけど、あんたの方が小さいじゃん! 生意気なヤツ、まるで昔のダニーを見てるみたいだ。


「これローエン! せっかく来てくださったのになんじゃその言い方は! 見た目で判断するなといつも言っとるじゃろう、そんなじゃから何年経っても薬の目利きも出来んのじゃ」

「何ィ! 薬の目利きは関係ねえだろじっちゃん!」


 お爺さんはローエンを叱りつけ、私に頭を下げる。


「失礼した、不出来な孫で……」

「いえ、私もこれが初仕事で、経験が浅いのは確かですから……」

 

 お爺さんは何も悪くないのに謝られて、むしろ申し訳なくなったので正直に話す。しかしお爺さんは笑って返した。


「これは謙遜を……わしゃでの」

「どういう意味だ、じっちゃん」

「ローエン、お前はもっと本質を見る目を養え。そんなことじゃわしの跡は継がせられんぞ」

「いらねえよ、こんなボロ薬屋。俺はもっとデカイ店建てるんだ」

「まったく……」


 謙遜じゃなくて本当に経験は浅いんだけど……とりあえず依頼は受けさせてくれそうだから、まあいっか。


 あらためてお爺さんが私に向き直り言う。


「さて、嬢ちゃん待たせたの。目標はスースの森の中心部、≪蛙ヶ池かわずがいけ≫に生える毒草ゲコヨモギの採取じゃ。こちらはとうに準備して待っておったが、嬢ちゃんも良いか」

「はい、よろしくお願いしますっ! それじゃあ行きましょう!」


 私は元気よく返事をし、店から出た。が、お爺さんが反対側を指差し注意する。


「嬢ちゃん、駅はこっちじゃぞ」

「す、すいません」

「本当に大丈夫かよ……」


 謝る私を、ローエンは呆れかえった目で見ていた――


……


 それから私とお爺さん、ローエンの3人は樹都ユグリアの駅から西回りの大陸円環鉄道に乗り、スースの森を目指した。丸一日の汽車旅の後は、徒歩でスースの森を進み、蛙ヶ池に向かう。


 お爺さんは何度も来たことがあるようで、深い森のなか木々の間を縫って、道なき道を迷うこと無く進んでいく。私とローエンは、足元に繁る草を踏み分けながらお爺さんの後に着いていった。


 しかし、護衛を頼むぐらいだからもっと危ない森かと思ったら、魔獣の一匹も出やしない。いつもこんな平和な森なのかな……。


「……おかしい」


 お爺さんが森を見回しながら突然呟く。


「何がですか?」


 辺りは静かで特に怪しい気配は無い。強いて言えば遠くから蛙の声が聞こえるくらいだが、蛙ヶ池というくらいだから蛙の群れぐらいはいるのだろう。


「静かすぎるんじゃ。いつもなら猪の魔獣がそこら中で暴れよるんじゃが」

「猪の魔獣……? あ、こないだ森から出てきて、ブランチが討伐しましたよ。親分みたいなでっかいヤツと、子分を5頭ほど」


 私は一昨日の出来事を思い出し、話す。そう言えばあれはスースの森のすぐそばだった。自分が倒したと言うとローエンがバカにして来そう(嘘つけ、と言われるのがオチ)なので、そこは黙っておこう。


「なんと……スースの森の主≪ワイルド・ボー≫が森を出たじゃと? しかも連れがたったの5頭……ますます怪しい。何かが起きているようじゃ、用心して向かわねば」


 お爺さんは厳しい顔をして注意深く森を進んでいく。木々は鬱蒼と繁り、少しずつ辺りが暗くなっていくうち、やがて蛙の鳴き声がだんだんと大きくなり、うるさいほどに合唱が響いてきた。


「「……!」」


 じきに蛙ヶ池に着くという時、私達3人はある光景に出会い絶句する――


「何これ……!」

「おいじっちゃん、こりゃあ一体……!」


 ――目前に現れたのは、夥しい数の動物の死体だった。


 草木繁る地面に猪の魔獣の群れが横たわっており、その数は優に20を超えている。どれも外傷は無いように見えるが、血ではなく何やら緑色の液体に塗れていた。


 お爺さんは狼狽えながらも緑色の液体を見、考察する。


「これは蛙の魔獣≪ラナンクルス≫の毒液……とはいえ、こんなに大量死することは……。ワイルド・ボーに恐れをなし、猪の魔獣を襲うことなど無かったはずじゃが」


 確かにあんな巨大猪に蛙が敵うとは思わない。ワイルド・ボーが森を出たから、子分猪を襲ったのだろうか。それとも順番が逆で、あの巨猪ワイルド・ボーが逃げ出すような何かが起きたのか……!


 私達は猪の魔獣の死体を避けながら、一層用心して蛙ヶ池に向かう。蛙の合唱だけがゲコゲコと響き渡る暗がりの中、息を潜め、少しずつ……。そしていよいよ、ひしめく木々の間から緑色に濁る小さな池、≪蛙ヶ池≫が見えてきた――

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