第1章 駆ける灰髪の少女

第6話 旅立ちの大陸円環鉄道

 ――……ゴオオオオオオオオ……――


 力強い黒煙と轟音と共に、黒鉄の蒸気機関車はレール上の灰を巻き上げながら東へと走る。車窓から灰煙越しに見える風景は色の無い荒野が広がり、時々まるで砂漠のオアシスのように、1000年の時をかけ植樹された局所的な森林が見えた。


 ――私は今、ダニーと共に大陸円環鉄道に乗って、西エウロパ大陸の中心やや北寄りに位置する≪樹都ユグリア≫を目指している。


 成人の儀から1週間が経ち、私とダニーはついに孤児院を発つことにした。兄弟達が泣きながら手を振るなか、ママは最後まで笑顔で私達を見送ってくれた――いや、もう一人泣かなかった奴がいたな、太っちょゴンスはいつもの調子で『お土産は若草買ってきてねー』と言っていた。そのマイペースさが少し嬉しく、私とダニーは笑顔で手を振り返し、麓の村へと降りた。


 それからベンおじさんの馬車に揺られること5時間、大陸円環鉄道の西果て≪希望の西風駅ステイション・ゼファー≫まで送ってもらい、今はガタゴト揺れる鉄籠の中、というわけだ。


 大陸円環鉄道は、樹教国の領土――東西に細長い西エウロパ大陸をぐるりと一周するように走る、魔獣の行き交う灰の大地を安全に、かつ最も早く移動できる交通手段だ。客車と貨車それぞれ6両ずつの計12両にもなる長い車両を、≪赤炭せきたん≫を燃料とした蒸気機関車が牽引している。


 私達がそれに乗車したとき、コンパートメントはどこも一杯だった。今、地方では増え続ける魔獣に耐えきれず、樹士団や≪ブランチ≫に守られた樹都に移住する人が増えている。着の身着のままで逃げ出した人や、家族総出で大荷物を運んでいる人など、様々な人が救いを求めてこの鉄道に乗り込んでいるのだ。


 私とダニーは、この鉄籠一杯に詰まった嘆きに、あらためて孤児院の外の世界が平和ではないことを思い知らされた。


 そんな中、なんとか2席空いているコンパートメントを見つけた。向い合わせの4人席の、窓側に大柄の剣士、その斜向かいに細身の優男が座っている。その2人は、どちらも只ならぬ雰囲気を放っていた――だから席が空いているのだろう。


 全身黒尽くめの服を着た窓側の剣士は、壁に大剣――その刀身は私の身の丈程もあり、もはや人の身でマトモに振るえるとは思えない、鈍く光る鉄塊――を立て掛け、腕組みをして眠っていた。目を閉じてもなお威圧感を放つ精悍なその顔付きは、かなりの修羅場を潜ってきたことが想像される。


 一方、その斜向かいの優男は、私達に気付くと優しく微笑みかけて窓側に寄り、席を空けてくれた。こちらは上品な白いロングコートを羽織り、サラサラの金髪に、同じ人種とは思えない程端正な顔立ち(つまり超がつくイケメン!)で、さながら白馬の王子様と言ったところか。優男は壁に長い筒のような物が入った革袋を立て掛け、膝を組み、右目の片眼鏡モノクルを通して分厚い本を読んでいた。


 ダニーは剣士の横に、私は優男の隣に座る。初めて乗る鉄道に興奮しながら、優男越しに車窓を眺めている私を、ダニーは何故か少し不機嫌そうな目で見ていた。


……


 それから幾日かの鉄道旅を経て、やがて機関車が≪スースの森≫の近くに差し掛かった時、事件は起きた。


 ――ドオォンッ!


「――きゃあっ!?」


 ――ギキィィィーーー!


 突如、何か衝突したような激しい揺れが起き、機関車は甲高い金属摩擦音を立てて急減速する。バランスを崩した私を、優男がさっと抱き留めた。か、顔が近い……うっわー、近くで見るとますます肌キレー……


「大丈夫かい?」

「あ……ありがと」


 ――グモォオオオ……!


 機関車が止まりきったかと思うと、今度は前方車両の方から魔獣の唸り声が轟く。黒尽くめの剣士はその声に目を開けたが、私達を見回すとすぐにまた目を瞑った。


「魔獣の声だ! アーシャ、行くぞッ!」


 ダニーは2振りの曲刀をひっつかむと、私を優男から引き剥がすようにグイと手を引く。


「う、うんッ!」


 私も2振りの短刀を掴み、ダニーと共に魔獣の唸り声がした方へ駆け出した――


……


 2人が出ていったコンパートメントで、優男が剣士に話しかける。


「……あの子達、大丈夫かな」


 剣士は目を開き、静かに答える。


「……わかってて言ってんだろう。ボウズはともかく、あの女は――」

使ね」


 優男は口角をわずかに上げる。


「少し調べておこうかな」

「……相変わらず喰えねえ野郎だ」


 剣士は再び目を瞑った。優男もそれきり口を閉じ、本の続きを読み始める……


……


「皆さん落ち着いてッ! 今≪鉄道付き≫のブランチが対応していますッ! 席でお待ちください――」


 私とダニーがコンパートメントを出ると、車内はパニックに陥っていた。そこら中から乗客の恐怖の叫び声が響き、鉄道員達は混乱を抑えようと必死に指示を出している。


「ダメだアーシャ、とても通れないぞ」

「――出ようダニー、降りて外から行こう!」

「おうッ!」


 私とダニーは客車の扉を開け、外に出る。すると3両前の車両横に、巨大な猪の魔獣が1頭とその子分と思われる複数の猪の魔獣、応戦する2人の≪ブランチ≫の姿が見えた。


「加勢するぞ!」

「ええ!」


 両手に短刀を構え、魔獣のもとへ駆けながら戦況を確認する。


 親分ボス猪は象ほどもある巨体で機関車目掛け突っ込み、それを重装槍士へヴィランサーが大楯で耐え凌いで乗客を守っている。その間にも5頭の子分猪――子分と言っても、サイズは大きな虎ぐらいはある――が攻め来るのを、片手剣士ソードマンが次々といなし、確実に傷付けていた。


 なるほど――2人のブランチは乗客の保護を優先してるんだ。巨大猪の突進に耐える重装槍士へヴィランサーの耐久力は目を見張るものがあるし、四方八方から迫る子分猪を同時に相手取る片手剣士ソードマンの機動力は見事としか言いようがない。


 客車には最初に猪が衝突したと思われる凹み以外に傷はなく、乗客への危害は全て防いでいたことがわかる。専守防衛は2人で多数の魔獣から乗客を守るには最善の方法だったろう。でも今は、私とダニーがいる――!


「ダニー、よッ! 子分は任せる、私はボスをやるわッ!」

「……任せろッ!」


 ダニーはスラリと曲刀を両手に構え、軸足を強く踏み込んで横回転しながら跳び、猪の1匹に切り込んでいく。


「――二刀の型、≪旋≫ッ!!!」


 ――……サンッ……――!


 ≪旋回≫による遠心力を乗せた刃は、銀の二重弧を描き、子分猪の顔から横腹にかけて深く切り込んだ。トルネードのくれた曲刀の切れ味は凄まじく、並みの剣なら軽々弾く強靭な猪の魔獣の筋殻を、音もなく断つ。


「助かるッ!」


 片手剣士ソードマンは一目でダニーの力量を見極めたのだろう、2人は互いに背を預けながら子分猪を殲滅していく――


 一方私は、一旦立ち止まって目を瞑り、内なる炎に語りかける……


……


 5年前のあの日から、幾度となく繰り返した光景だ。闇の中、私は赤々と燃え盛る炎に向き合う。


『我をもって何を灰とす』


 嗤うように揺れる炎の声に、迷わず応える。


「仇なす魔獣に、滅却の炎をッ!」

『よかろう』


 炎は火勢を増し、闇を朱に染める。

 さながら、世界を喰らう巨龍のように。


……


「――ッ!」


 目を開き親分猪目掛け駆け出す私の灰髪は、根本から燃えるように赤く染まり、三つ編みを解いて激しくなびいた。身の内から燃え上がる炎を両手に集め、その炎を短刀に纏わせる――!


「そこのランサー退いてッ! 一気に方を付けるッ!!」

「!? わ、わかった!」


 重装槍士へヴィランサーは両手の短刀に炎を纏う私に驚きながらも、一歩引き客車の守りに専念する。

 一方親分猪は私に気付くと、まるで象が豹の速度で走るように猛スピードで突進し、あっという間に私の視界を覆う――


 ――速いッ!! 重装槍士へヴィランサーはこんなものを受け止めていたのか、いざ自分に向かってくると威圧感だけで押し潰されそうだ……!


 もちろん私は受け止めはしない。ギュッと地を蹴り時計回りに旋回しながら一歩右横に身を躱し、向かい来る巨大猪めがけ炎刀を水平に凪ぐ!


「一撃でケリを着けるッ! 炎刀の型、≪灼断する火龍の紅翼ルブルム・アラ・コルターレ≫――ッ!!」


 短刀に纏う炎は剣先に乗った遠心力と共に火勢を増し、まるで火龍が拡げた翼の如く延びる! その翼は灼熱の刃となって、巨大猪を真一文字に両断した――!


 ――ゴォアッッ!!


 巨大猪の切り口から激しく炎が立ち上ぼり、あっという間に火達磨になる。


 燃え盛る炎塊から、断末魔の叫びが轟く――


 ……やがて呻き声が収まった頃、そこに在るのはもはや猪ではなく、炎に包まれ、2つに分かたれた黒い炭の塊だった。


「ふうーっ……」


 二刀を降ろし息を吐くと、短刀を包んでいた炎は煙となって消えた。内なる炎の熱気になびいていた赤髪もパサッと降り、燃え尽きたように毛先から徐々に灰色に戻っていく。


 同時に、全身がどっと疲労に襲われ、汗が滝のように流れ出した。炎の力をといつもこうだ……まるで息を止めて全力疾走でもしたかのように体力を使い果たしてしまう。私はゆっくりと息を吸っては吐き、呼吸を整える。


 周囲を確認すると、子分猪がゴロゴロ倒れていた。ダニー達が無事殲滅したようだ。ほっと一息つく私に、重装槍士へヴィランサーが話しかける。


「ありがとう、助かったよ。しかし、君はいったい――」

「――ぐ、≪紅蓮の魔女≫……?」


 重装槍士へヴィランサーの言葉にかぶせ、客車からひきつった疑念の声が上がる。それは小さな呟きだったが不思議とよく通り、ざわつきとなって客車中に畏れが伝播していく。


「燃えるような赤髪だった……」

「手から炎を出したぞ……!」


 来た……こう言われるのは覚悟の上だ。私の力を怖がる人がいるのは仕方ない――そう思ってはいても、怯えた目に曝されるのは心にくる……


……


『――……人間の本質は、相も変わらず……異質を指差し、拒絶する……――』


……


 ――あれ? 私は今、何を……?


「――アーシャ、大丈夫か?」


 ぼうっと立つ私に、ダニーが駆け寄ってきた。


「う、うん、大丈夫。何だかちょっとぼうっとしちゃって……」

「……気にするなよ、お前は間違っちゃいない。もうちゃんと使ようになったんだから」

「……ありがと」

「1発でお前を理解してもらえる訳ないんだから。よく知ってる村の人ですら、本当に信じてもらえるまで大分かかっただろ。さ、戻ろう」

「うん」


 そう言うとダニーは私の手をグイと引き、元のコンパートメントめがけて駆け出す。


「あ、おい君――」


 重装槍士へヴィランサーが後ろから呼び止める声も、客車からざわつく疑念の声も無視して、私とダニーは走った。


 ……またダニーに守られちゃったな。樹都に着いたら、もう一人で頑張んなきゃいけないのに……。


……


「お帰り。鉄道員によれば、もうじき再出発するそうだよ」


 コンパートメントに戻ると、金髪の優男が笑顔で話しかけてきた。剣士は相変わらず腕を組んで目を瞑っており、優男もそれきり本に目を落とす。


 外の騒ぎを知ってか知らずかわからないが、とにかく2人が何事もなかったかのように過ごしてくれるのは有り難かった。他の客車の騒ぎはいまだ収まらぬ中、私達のコンパートメントだけは静かに、優男が紙をめくる音だけが響く……


……


 ――……ゴオオオオオオオオ……――


 優男の言葉通りじきに機関車は出発し、再び力強い黒煙と轟音を上げ、大陸円環鉄道は東へとひた走った。私は車窓を流れるスースの森を眺めながら、自問自答する――今日、炎の力を使ったのは間違いだったのだろうかと。


 決して力を誇示したかった訳じゃない、ただ魔獣退治に最善の方法をとっただけだ。でも、いたずらに乗客を怖がらせてしまったんじゃ……。


 ふとダニーを見ると、ダニーは迷いなき真っ直ぐな目で外を眺めていた。樹士団に入るという≪誓い≫を胸に。


 それに比べて、私は……――


 迷う私を時間ときが待ってくれないように、大陸円環鉄道は高速で私を樹都へ運んでいく。……今度からはダニーも守ってくれない。何だかんだ言ってもいつも私をかばってくれるダニーに、どこか私は甘え、頼っていたのかもしれない。でも、いよいよ本当に独り立ちする時が近付いてきた。


 ……トルネードは力の使い方を教えてはくれたが、それで何を為すべきかは教えてくれなかった。自分で決めるんだ――いつ、何の為、誰の為に炎の力を使うのか。そして、それが招く結果を受け止める、心の強さを持たなきゃ……。


……


 スースの森を過ぎた頃には日もすっかり沈み、機関車は夜通し広大な灰野を走り行く。車窓から見える満天の星空に孤児院の皆を思い浮かべながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった――

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