第5話 父と母がくれたもの
ある日食堂で夕食の片付けをしていると、横はもちろん、最近縦にも伸び盛りのゴンスが声をかけてきた。
「アーシャはさあ、これからどーするの? いよいよ今日は成人の儀、それが終わったらもうここは卒業だよね」
成人の儀――この辺りの古い風習で、17歳になった子の成人を祝う儀式だ。と言っても堅苦しいものではなく、親子で酒を酌み交わしながら、子は親に生き様を誓い、親は子に贈り物をするというちょっとした宴だ。今晩、私とダニーは合同でこの成人の儀を行うことになっていた。親役は、もちろんママだ。
「うん。卒業したら、私ね――」
「――アーシャ、ママが呼んでる。成人の儀、ママの部屋でやるって」
私が答えようとしたその時に、ダニーがママの指示を伝えにやって来た。ダニーは続けてゴンスにも指示を出す。
「ゴンス、今日はお前がチビ達を寝かしつけてやってくれ。オレ達が卒業したら最年長はお前だからな、頼むぞ」
「カタいなあダニー、今生の別れじゃないんだからさー。さーて、『しんりょくのせいじょさま』の絵本でも読んでやろーかなー」
ゴンスは下の弟達を寝かしつけに2階へ上がっていく。私は急いで片付けを終わらせてから、ダニーと一緒に2階へ上がりママの部屋へ入った。日はすっかり沈み、部屋は蝋燭の灯りでぼんやりとオレンジに照らされている。
「いらっしゃい、座って」
ママの部屋の中央には小さな円卓が置かれ、それを囲むように丸椅子が3つ並んでいた。奥の椅子にママが座り、私とダニーは手前の椅子に座る。円卓の上には3つの杯と一升瓶、それからチーズが盛られた丸皿が置かれていた。
「さ、杯を持って。注いであげるから」
私はコップの半分もない、小さな青い杯を手に取る。随分年期の入った焼き物だ。両手で持ち、ママに注いでもらう。
――トットットッ……
生まれて初めて注いでもらったそのお酒は、綺麗に澄みきっていて、まるで水みたいに見える。が、つんと鼻をつくアルコールの香りが、それをお酒だと認識させた。
ママは続けてダニーと自分の杯にもお酒を注いでいく。
「このお酒はね、麓の村のベンがくれたのよ。立派なチーズはベンの奥さんから。2人の成人のお祝いにって」
「そうなんだ、お礼言わなきゃ」
「他にも村の皆から色々いただいてるわ……村を守る≪英雄の秘蔵っ子≫に、日頃の感謝だって」
「へへ、照れるな」
ダニーは頭をポリポリとかく。
「さあ、成人の儀を始めましょう。2人とも立って、杯を高く掲げて」
立ち上がるママにあわせて私とダニーも席を立ち、なみなみとお酒の注がれた杯を右手で高く掲げた。ママは杯を掲げたまま目を瞑り、凛とした声で祝福の言葉を紡ぐ。
「ダニエル・アミキータ、アナスタシア・ストラグル。ここに汝等の成人を認め、星を巡る
ママは言い終わった後も、黙って何かを祈っているようだった。私とダニーは、杯を掲げたまま静かにママの次の言葉を待つ。
やがてママは目を開け、杯を下ろした。
「……カタイのはここまで! さあ2人とも、今日は飲むわよー? 私、この日を楽しみにしてたんだから」
ママは少しニヤッとして、席につく。私とダニーも杯を下ろし丸椅子に座った。ママが何時になくハイテンションで、ちょっと楽しい。ところで、ひとつ気になったことがある――
「ねえママ、さっきの言葉、どういう意味? 成人を認め、のあと」
ママは早速クイとお酒を口に入れながら答える。
「コク……あら美味しい、これ。2人も飲んでごらん、お祝いのお酒だから。一気に飲んじゃダメよ、少しずつね……えーと、さっきの言葉はね、ご先祖様もお祝いしてるから、これからも頑張ってねってことよ。古くから伝わる成人の祝いの言葉なの」
「へえ……」
何故かわからないが、その言葉は私の胸に引っ掛かった。何だか、とても大事なことのような気がした。
「しかし時が経つのは早いものね……あのダニーとアーシャが、もう成人だなんて……特にダニー。本当に大きくなったわ」
「そうかな?」
「私もそれ思った! ダニー、私より背低かったのにー」
「昔の話だろ! オレ結構気にしてたんだから」
私より一回り小柄だったダニーは、この5年で私を追い抜き、今ではママより頭1つ分背が高い程だった(ちなみに私は、ちょうどママと同じくらいだ)。成長したのは背だけでなく、引き締まった体にウエーブがかったショートの茶髪はトルネードを彷彿とさせる。チビでくりんくりんだったイタズラ小僧は、今や立派な頼れる男に成長していた。
ママは話しながら、昔を懐かしんで遠い目をしている。私もダニーも、笑いながらお酒を口にした。初めてのお酒は、一口で頭がカーッとして、でも気持ちが良くって、私はほんの少しずつ味わいながら飲んでいく。ベンおじさんの奥さんのチーズがこれまた絶品で、お酒によく合った。
「ダニーが二刀を振るう姿、ホントにあの人そっくり。大きくなった姿、見せてあげたいわ……」
ママはそう言いながら首に提げたロケットペンダントを握る。昔はトルネードが帰る日だけ提げていたそのペンダントは、いつしか毎日見るようになった。もしかしたら今日こそ帰ってくるのでは――そんなママの気持ちが透けて見え、時に可哀想だった。
ママはグイと杯を飲み干し、2杯目を注いだ。もう酔いが回ったのか、顔が赤くなっている。
「それじゃあダニー、あなたから聞かせてもらおうかしら。誓いの言葉を。難しく考えなくていいの。自分の言葉で、これからどんな風に生きたいのか、言ってごらん」
ママは優しい目でダニーを見つめる。ダニーは少し考えて、クイとお酒を一口飲んでから口を開いた。
「……オレ、昔から憧れてたものがあるんだ」
「なに?」
聞かなくてもわかる。ダニーは小さい頃から無理矢理ゴンスを引き連れては、
「樹士団を率いる樹士の中の樹士、
「帝国から国を守る聖女直属の最高戦力――通称≪
「うん。でももう、憧れじゃなくなった」
「あら……どうして?」
これは意外だった。私はてっきり、今も聖樹士に憧れてるものだと……
ダニーは杯を円卓に置き、真剣な目でママに語る。
「……オレ、あの日何も出来なかったのを、ずっと悔やんでた。聖樹士になるなんて言って、何の力もないくせにいきがって……」
「まだ子供だったんだから。今はもうとっても強くなったじゃない」
ママは変わらず優しい目で、悔やむダニーをフォローする。
「いや、まだまだなのは自分が一番良くわかってる。もっともっと強くなりたい……! いざという時に、今度こそ守れるように」
ダニーは、そう言いながらちらと私を見た。
「オレ、樹士団に入って自分を鍛えようと思う。そしてその鍛えた力で、国ごと大切な人を守りたい――前の聖樹士トルネードのように。それは、≪憧れ≫じゃなくて≪誓い≫なんだ、ママ。だからオレ、樹都に行く。入団テストを受けに」
言い切ると、ダニーは僅かに残った杯を飲み干し、タンと円卓に置いた。
「そっ……か。立派な考えをするようになったわね」
それはママの心からの、巣立つ子への寂しさと頼もしさから来る言葉だったと、私はそう感じた。
ダニーの誓いは、ママには少しキツイものだったと思う。ママは、かつて同じように樹士団に入るトルネードを見送り、そして帰りを待ち続けているのだから。ダニーもそれがわかった上で、でも正直に、素直な気持ちを話したんだ。ここを旅立つ前のケジメとして。
しっかし、ダニーも樹都に行くのか、腐れ縁ってやつかな……。
「じゃあ、アーシャ。あなたも聞かせて?」
「うん……」
コクとお酒を喉に流し込んでから、口を開く。
「私も、樹都に行こうと思う」
「え……?」
ダニーが驚く。ダニーは、私が昔からママに憧れていたのを知ってる。だから、私のこの言葉は意外だったと思う。でもママは、やっぱりという様な顔をしていた。
「行って、何をするの?」
「私はダニーみたいに、樹士団に入って国を守る、なんて大きなことは考えてないんだけど……私、≪
「初代聖女様が創設した互助組織≪
ママは、私もトルネードの後を追うものとわかっていたのだろう。聖樹士か、ブランチ。そのいずれかを。
「うん。私、色々考えたの。昔はママになりたいなって思ってたし、ベンおじさんとこみたいに夫婦で牧場経営するのも楽しそう。ダニーと一緒にここを守っていくのもありかな、とか。でも、思っちゃう。私には、向き合わなきゃいけないものがあるって」
「何?」
ふうっと一息吐いてから、私は言葉を続ける。ダニーは何だかわかった風に私を見ていた。
「それは、≪炎の力≫。昔、そのせいでママに――」
「アーシャ、それは大丈夫だから、いつまでも縛られないでいいのよ」
「――ありがとうママ、でも、縛られてるわけじゃないの。炎の力は、とても強い力……自分より遥かに大きな魔獣も焼き尽くす程に。何で私がこんな力を使えるのか、きっと何か意味があることだと思うんだ」
ママは心配そうに私を見つめている。大丈夫、ママ。私はもう、力に振り回された5年前の私とは違う――
「だから私、その意味を探したい。≪
正直、こんな誓いはカッコ悪いかなとも思う。はっきり目標を定めたダニーに比べて、私は……。でもこれが、今の私の素直な気持ちだった。
「うん、とっても良いと思う。まだ17歳、時間はたっぷりあるんだから。焦ることないわ」
「ありがとう、ママ……」
するとおもむろにママは席を立ち、クローゼットから大きな袋を取り出した。
「あなた達の誓い、確かに受け止めました。しかし2人ともウィルの後を追うのね……ウィルはあの日、こうなることがわかってたんだわ……いや、そうなるように導いたのかしらね。まったく、罪な
ママはそう言いながらゴソゴソと袋の中身を取り出す。それは、2振りの長い曲刀と、2振りの短刀だった。
「ママ、これは?」
「ウィルからあなた達への贈り物よ。5年前、置いていったの。成人の儀の時に渡してくれって。曲刀はダニー、短刀はアーシャに。それぞれ名前が彫ってあるわ」
「トルネードが……! ママ、触ってみていい?」
「もちろん」
私とダニーはそれぞれに刀を持ち、鞘から抜いてみた。曲刀と短刀のそのどちらもが、余計な装飾は一切ない、シンプルな拵えだった。しかしその刀身は、素人の私が見ても惹き込まれる程美しく、冴え渡っていた。
試しにチーズを切ると、刀身の重さだけで何の手応えもなくストンと切れ、円卓に刺さる。恐ろしい切れ味だ。
「すごい……きっとこれ、相当な業物だよ」
「オレの曲刀も……まるでトルネードのと同じ物に見える」
「多分、ウィル御用達の鍛冶師、アランさんの作だと思うわよ。あの人、アランさんが打った武器しか信用しなかったから。可愛い≪秘蔵っ子≫のためだもの、きっと最高の物を用意してくれたはずよ」
「嬉しい……!」
「ああ、最高だよ!」
今日、トルネードから何かもらえるなんて思っても見なかった。しかもこんな素晴らしい贈り物を!
続けてママは、今度は小さな袋を取り出した。
「じゃあ、今度は私から。ダニー、あなたにはこのグローブを。アーシャ、あなたにはこの櫛をあげるわ」
「ママ、ありがとう! これぴったりだよ!」
ダニーはママお手製の革製指ぬきグローブを早速つけて喜んだ。剣を握るための滑り止めまで施された丈夫なグローブだ。そして私にくれた半月形の櫛は――
「ママ、これって毎朝ママが使ってる大事な櫛じゃ――」
「そうよ。私の成人の儀の時に、私のママからもらった大事な贈り物。もう私が梳かしてあげられなくなるから、せめてもと思って」
「そんな……とっても嬉しい! 私、大事にするね……!」
「そう言ってもらえて嬉しいわ」
泣きそうなほど喜ぶ私に、ママは優しく微笑んだ。
「これで成人の儀は一通り終わったわね。……ダニー、アーシャ。あなた達がどこに行っても、どんなに大きくなっても、ママはあなた達のママだからね。いつでも帰っておいで……!」
「「うん……!」」
孤児である私とダニーにとって、母と言えばママしかいないし、父と言えば、それはトルネードだと思う。
成人の儀に、2人は素晴らしい贈り物をくれた。でもそれ以上に、私達は2人から沢山のものをもらった……ママからは限りない愛を、トルネードからは生きる上での道標を……。
応えなきゃ、その贈り物に。今日の誓いを胸に、私とダニーはそれぞれの道を行く。母に見送られ、父の背を追って――
……
成人の儀が終わってからも、私達3人は延々と飲み続け、ひたすら想い出話に花を咲かせた。ダニーがお漏らししたことや、私がママの大事な花瓶を割ってしまったこと、ママに内緒で秘密基地を作ったこと……。私達は、涙が出るほど笑った。笑って、笑って、泣いて、笑った。まるでここでの想い出と感情を全部吐き出すように。
これがきっと、3人で飲む最初で最後の夜になる――そんな気がしたから。
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