第4話 消えた英雄
皆がまだ眠る夜明け前、薄暗いミーナの寝室でトルネードはミーナの包帯をほどいた。火傷痕もなく綺麗な肌に戻ったミーナは、永き眠りから覚めるようにゆっくりと意識を取り戻していく。
「……ウィル……?」
「目が覚めたか」
ミーナはベッドの横の丸椅子に腰かけるトルネードに気付き、体を起こそうとするが、うまく動けなかった。
「3ヶ月も寝ていたんだ、無理するな」
「3ヶ月も……!?」
トルネードはミーナに状況を話した。アーシャの炎で瀕死の状態だったこと、霊薬の麻酔効果により眠っていたこと、身体機能に問題はなく直に動けるようになること……それから、アーシャとダニーを鍛え上げたことを。
「そう、アーシャが……ありがとう、あなたのお陰で強く立ち上がってくれたのね。良かった……ダニーも頑張ったのね」
「あいつらは強い魂を持ってる。俺はホンの少し導いてやっただけさ。この先はあいつら次第だが……近い将来、きっとこいつが必要になる。成人の儀の時にでも渡してやってくれ」
トルネードは大きな袋をどさっとベッド脇に置く。
その時ミーナは、ベッドの脇机の上に、見覚えのある精巧な細工が施された空瓶が並んでいるのに気付いた。その瓶には、緑十字の紋章が彫られている。
「霊薬ってまさか……聖樹士を退役した時に聖女様から賜った恩賞じゃない! そんな貴重な物を私に……」
「気にするな、薬はまた必要になりゃサニタスの爺さんにでも頼めばいい……お前の命に代えられるものなどない」
「……ごめんなさい、ありがとう……」
トルネードはゆっくりとミーナの上体を起こし、優しく抱き締めた。
「……俺はもう行かなきゃならん」
「私のために、忙しいあなたを引き留めてしまったものね……。次はどこへ?」
「……聖女直命の極秘任務だ、行先は言えない」
「! ……帰ってきて、くれるのよね……?」
ミーナの問い――いや、切なる願いに、トルネードは答えなかった。
トルネードは黙ってミーナを寝かせると、立ち上がり、寝室の入口へ歩いていく。ミーナは嫌な予感がして、胸がざわついた。
「私、待ってるから……!」
――行かないで、とは言えなかった。万の命を救う英雄を、自分の我が儘でこれ以上引き留めることなど出来はしない。
トルネードは戸の前で立ち止まり、背を向けたまま呟く。
「もう、待つのはよせ」
――パタン
戸を閉めて出ていくトルネードを、ミーナは一筋の涙を流しながら見送った――
……
……
「――おはよう。皆、朝よ」
私は一瞬、耳を疑った。幻聴かな、今ママの声がしたような……。目を覚ますと、すでに日は昇り、部屋はすっかり明るくなっていた。眠い目を擦りながら体を起こし、女子部屋の入口を見ると――
「「ママ!」」
夢じゃない! 包帯を外し、すっかり元通りのいつものママがそこにいた。私があまりの驚きにショートしているうちに、皆が飛び起きてママに抱き付く。男子部屋にも私達の驚きの声が聞こえたらしく、ダニー達もドタドタと集まってきた。
「お待たせ、もう大丈夫よ。心配かけたわね」
「うわあああん、ママああ!」
「良かった、良かったよお!」
「本当にもう大丈夫? 痛くないの?」
皆に一斉に話しかけられ、ママはニコニコしながら皆を抱き抱える。
私は、ベッドから動けなかった。
ずっと、ずっと不安だった……! 私のせいでママが……もし治らなかったら、もし何か残ったら……トルネードを信じてはいても、怖くて堪らなかった……! 良かった、本当に良かった……!
一度溢れだした涙はもう止まらなくて、赤ん坊みたいに声を上げてわんわん泣いた。兄弟の中では最年長なのに、誰よりも泣いて、泣いて、泣いた。
私がママを焼き、そのことに苦しんでいたことを知らない兄弟達は、私のあまりの泣き振りに驚く。ただ一人、私の気持ちを知るダニーだけは、じっと私を見つめていた。
「……みんなごめんなさいね、ちょっと空けて?」
ママは兄弟達を下がらせ、私のもとに来てくれた。
「……アーシャ、ひどい寝癖よ。編んであげる」
「……ひっく……うん」
ママはポケットから半月形の櫛を取り出し、ベッドに座る私の長い灰髪を
ママはいつも通り一束の大きな三つ編みに編んでいく。そのことが堪らなく嬉しかった。日常が、やっと戻ってきたみたいで……。
「できたわ。今日も素敵よ、アーシャ」
ママが編んでくれた三つ編みは、この3ヶ月自分で編んだ不格好なそれとは違って、とても綺麗だった。整えられた灰髪が朝陽を浴びて、キラキラと銀に煌めいている。
「ありがとう、ママ……」
「どういたしまして」
私は振り返り、ママにぎゅっと抱き付く。ママは私を優しく抱き返し、しばらくそのままでいてくれた――
……
私の気持ちが落ち着いた後、兄弟達は全員ママにひとしきり甘えた。それから皆が朝の身支度をする間に、私は台所でママと一緒に朝食の準備を始める。その時ふと、トルネードの姿がどこにもないことに気付いた。
「ねえママ、トルネードは?」
「……」
ママは一瞬黙り、キャベツを切る手を止めたが、またすぐに手を動かし始めた。私の気のせいか、キャベツの千切りはそこから太くなっているように見える。
「もう出発したわ。まったく、皆に挨拶もしないで」
「……そっか」
何となく、それ以上は聞けなかった。何でそんなに急に出たとか、どこに行ったとか……。聞いてしまうと、ママが傷付くような気がした。
もう行っちゃったのか、ちゃんとお礼を言いたかったのに。ママを治してくれたこと、私を鍛えてくれたこと――次またトルネードが帰ってきたら、絶対お礼を言わなきゃ――
……
……
しかし、それから5年経っても、トルネードが帰ることはなかった。
それだけではない。
英雄トルネードは常に国民の注目の的で、こっちで魔獣を倒した、あっちで街を救ったと、その活躍振りが聞こえない日はなかった。
それが、5年前孤児院を出てから、ぷっつりと途絶えてしまったのだ。
世間では、トルネードはついに魔獣に殺されたのではないかと噂されていた。トルネードももう四十路前、体力のピークはとうに過ぎている、英雄は過去のものになったのだと……。
それを裏付けるかのように、樹教国中で魔獣の被害が増え、とうとう孤児院の周りでもしばしば現れるようになった。5年前、トルネードの言ったことは本当だった――
『世界では魔獣が日に日に増えている。もう魔獣に会うことはないなどと思わないことだ――』
私とダニーは、トルネードが去ってからも投擲や二刀流、炎の力の修行を続け、英雄譲りの≪
その実績に、もはや孤児院と麓の村には私の炎を怖がる者もなく、初めは≪紅蓮の魔女≫と畏れおののいた村人達も、むしろ私とダニーを≪英雄の秘蔵っ子≫などと呼ぶようになった。
その度に私はトルネードの言葉を思い返す。
『常に想い、果たせ。その炎で何を灼くのか――』
トルネードはあの日、どこまで先を見据えていたのか。私は今、トルネードのお陰で前を向いて生きている。
気付けば私とダニーももう17歳、成人の儀を迎える年になった。孤児院を卒業し、この力で何を為すのか。私はもう、行く先を決めていた――
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