第2話 燃える夕陽と後悔の中で
目を覚ますと、そこは孤児院の2階の女子部屋だった。私は一人、自分のベッドに横たわっている。窓からは西陽が射し込み、部屋を朱に染める……いつもは綺麗な夕焼けも、今は嫌な色に見えた。
私の体は火傷ひとつなく、髪もいつもの灰色だ。何が起きたか、うまく思い出せない……。
――うわああん、ママ!――
――トルネード、大丈夫なんだよね!?――
……! ママの寝室の方から兄弟達の泣き声が聞こえる。そうだ、ママはどうなった!? ダニーは!?
ベッドから飛び起き、女子部屋の隣のママの寝室に駆ける。寝室の戸は開けっ放しで、兄弟達はみなそこにいた。
「……アーシャ! 起きたの!?」
「良かった! でも、ママが、ママが……!」
兄弟達は泣き腫らした顔で私とママを交互に見た。私もママを見、絶句する。
「――!」
ママは皆に囲まれたベッドの上で、頭から足まで、全身を包帯に巻かれていた。ピクリとも動かない。窓から顔を覗かせる夕陽に朱く染まった包帯は、まるでまだ燃えているような気がして、余計に私の心を締め付ける――。
ベッドの横で丸椅子に腰かけたトルネードの手には、精巧な細工の施された空の瓶が握られていた。何かの薬だろうか。トルネードは瓶を脇机に置き、ママに薄い毛布を掛けると、静かに立ち上がった。
「皆、落ち着け。霊薬を飲ませ、さらにその霊薬に浸した当て布と包帯を施した。これでミーナは大丈夫だ、死にはしない」
トルネードは含みを持たせた言い方をした。それって、無事ではないってことだよね……ああ……!
私の脳裏に火の海が浮かび、ママの声、ダニーの叫び声が響く……私がやったんだ、私が……!
「アーシャ、大丈夫?」
引きつった顔で呆然と立つ私を、ゴンスが心配して見つめる。その後ろに、ダニーがいるのが見えた。
……! ダニーは知ってる……私がしたことを。皆はまだ知らない……? ダニーが私のことを話したら、皆はどう思うだろう。私のせいでママがこんなことになったと知ったら……。
! 今私は何てことを考えたんだ……こんな状況で一瞬でも保身を考えてしまった自分が最低で、最悪で……もう全部が嫌だった。
私は、ダニーの顔を見ることができなかった。
「……皆、食堂に降りて待っていてくれ。ダニーとアーシャから話を聞かなきゃならん。一体何が起きたのか」
トルネードの言葉に、兄弟達はしぶしぶ部屋を出て階段を降りていく。あとには、私とダニー、トルネード、そしてベッドに横たわるママだけが残った。皆が降りたのを確認すると、トルネードは戸をパタンと閉める。
きっと、怒られる……私とダニーさえ外に出ていなければ……いや、むしろ怒ってほしい。私は今、自分が嫌で嫌でたまらない……。
しかし、戸を閉めて振り返ったトルネードの表情は、柔らかかった。
「……さて、まずはお前達、よく生きて帰った」
トルネード……!
その言動があまりに予想と正反対で、私の抑えていた想いが涙とともに溢れだす――
すごくすごく怖かった、
吐き出してしまいたい、
許してほしい、
いや、許さないでほしい……
ごちゃまぜになった感情が込み上げる。
「トルネード、私――」
「――全部オレが悪いんだッ!」
私の言葉を遮り、ダニーが叫んだ。ダニーは拳をギリギリと握り締め、悔しさと怒りに顔を歪ませている。ダニーのこんな表情は、今まで見たことがない。でも、私も気持ちが抑えられない!
「違う! 悪いのは私ッ! 聞いて、トルネード……!」
「ダニー、アーシャ。お前達が悪いかどうか、聞かなきゃわからん。教えてくれるか」
トルネードは私達を落ち着かせるよう、ゆっくりとした優しい口振りで促した。私とダニーは顔を見合せる。オレが話す……そう言っている顔だった。私は頷く。ダニーは3度深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着かせてから語り始めた。
「……今日オレは、朝から一人で秘密基地で遊んでた。それがいけなかったんだ」
「それで?」
「それで……しばらく遊んでたら、村の方から狼の遠吠えみたいな声や、叫び声が聞こえた。オレは怖くなって、秘密基地の中で隠れてた。今思えば、その時に急いで帰ってたらこんなことにはならなかったのに……!」
ダニーは再び拳を強く握り締める。
「でも、何だか嫌な予感がして、基地の外に出たんだ。そしたら、アイツがいた」
「アイツ?」
「でっかい狼の魔獣だった」
「! 群れから一匹はぐれていたのか……」
トルネードが顔に悔しさを滲ませる。
「そこに、ママとアーシャが来たんだ。オレたちは狼の魔獣に襲われて、正直、もう死ぬと思った。そしたら……」
ダニーは一度言葉を切り、私の顔を見た。話していいか迷っているようだ。
「ダニー、話して。私も本当は何が起きたのかよくわからないの。聞かせて」
私の言葉にダニーは頷き、再び口を開く。
「アーシャの髪が、いきなり真っ赤に染まって逆立ったんだ。それで、アーシャの体からゴオッと炎が立ち上った! 本当なんだ、本当に炎が……!」
「……」
トルネードは真剣な目で黙って聞いている。私の体から炎が出たなんて突拍子もないダニーの話を、一分の疑いもなく受け止めていた。
「……アーシャが、まるで別人に見えた。オレ、怖かった……ごめん、アーシャ。それでアーシャが魔獣に手を突き出して、その手から炎が出たんだ」
「そうか。アーシャが、炎を……」
「その炎は、あっという間に魔獣を焼き尽くした。黒焦げになったよ。でも、それで終わらなかった」
ダニーはだんだん呼吸が荒くなる。辛いのはここからだ、そんな気持ちが伝わってくる……。
「アーシャの炎は、魔獣だけじゃなく辺りの木々も焼き尽くした。まるで、まるでぐれ――」
「――やめろダニー、事実だけ教えてくれ」
……? トルネードが鋭くダニーの言葉を遮った。ダニーは今、何を言おうとしたの……?
「! うん……ママ……ママは……アーシャを止めようと、して……」
「――私を抱き締めてくれたの。私の、炎ごと……!」
ダニーが詰まらせた言葉を代弁する。ここは私が言わなくちゃダメだと、そう思った。
「私、ママの声で意識を取り戻した。それまで意識がなかったの。でも、そのせいでママは……」
「ミーナの状態はわかってる。皆まで言う必要はない」
「うん……」
再び深呼吸したダニーが、続きを話す。
「……アーシャが急に叫んだと思ったら、髪が元の灰色に戻って、そしたら周りの炎も全部消えたんだ」
「そこに、俺が到着した……というわけか」
トルネードはしばし黙り、何かを考えているようだった。私とダニーはトルネードの言葉を待ち、唾を飲む。
「……まずひとつ、言っておこう。お前達は悪くない。何も気に病むことはない……よく話してくれた」
トルネードはそう言ったが、私はその言葉をそのまま受け入れることはできなかった。ママを焼いたのが私の炎なのは、間違いないのだから。
「でも、ママが……!」
「……ミーナには俺の持ちうる最高の薬を使った。死の淵の向こう側からすら呼び戻すと言われる薬だ。3ヶ月もすれば包帯が外せるだろう」
「! ありがとう、トルネード……!」
ママが生きてくれること、それだけが唯一の救いだった。
「次に、アーシャの炎のことだが……今回の件は、魔獣が炎を吐き、それを俺が倒した。そういうことにしてくれ」
……トルネードは、私を庇ってくれてるんだ。ダニーもそれがわかったらしく、私を見て小さく頷いた。私もトルネードを見て頷く。
「よし。それじゃあ2人とも食堂に降りろ。疲れてるだろうが今晩はお前達がママの代わりをするんだ。皆、ショックで疲れきっているだろう……夕飯を食わせてやれ」
「うん! 私、やる」
「オレも!」
「俺はここでミーナの看病をしながら、これからのことを考えなきゃならん。頼んだぞ、最年長コンビ」
……
それから私とダニーは、兄弟達の夕飯を用意して、順番に風呂に入れ、幼児組を寝かしつけた。体は疲れていたが、バタバタ動き回る方が心は楽だった。止まると、後悔に押し潰される気がして……。多分ダニーも、同じ気持ちだったと思う。
家事が全部終わる頃には、もう何も考えられない程に疲労しきっていた。私はベッドに倒れ込み、泥のように眠った――
……
……
深夜、蝋燭の灯りに照らされたトルネードは、丸椅子に腰掛け、包帯に巻かれたミーナの手を両手で握りながら、懺悔するように呟いた。
「すまない……お前ひとり守れず、≪英雄≫が聞いて呆れる……。問題は火傷より魂の燃焼……霊薬≪世界樹の雫≫がなければ危ない所だった」
握った手に額を当て、しばし黙る。その後、顔を上げ、ちらとアーシャが寝ている部屋の方を向いた。
「……≪流転の炎≫が、再び目覚めたか。普通の女の子として生きさせてやりたかったが……覚悟を決めさせなければ」
孤児院の夜は静かに更けていく。トルネードは、自らがあの日背負った重圧と、これからアーシャに起こるであろう悲劇に抗うべく、ひとり思考を巡らせた――
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