灰髪のアーシャ

星太

序章 英雄の導き

第1話 そして日常は灰と化す

 燃えてしまえ、何もかも。

 迸る炎に焼かれてしまえ。

 この世の全てを灰に帰し、

 私も燃えてしまいたい。


 闇の中、赤髪の少女は燃え盛る炎を見つめ――


――炎もまた少女を見つめた。


『我をもって何を灰とす』


 炎の問いに少女が言う。


「何もかも」


 炎は嗤うように揺れ、火勢を増す。

 さながら、世界を喰らう巨龍のように。


『よかろう、ならばお前から』


……


 これは「炎の百日」のはじまり。

 そして、世界の断絶の時。


 豊かな自然に恵まれた大地は、

 燃え続ける炎に焼き尽くされ、

 後には灰に覆われた荒野だけが残った。


 赤髪の少女はいつしか"紅蓮の魔女"と呼ばれるようになり、畏怖の象徴として永劫に語り継がれていく。


 それから1000年……


 自然の力と人々の努力で、灰海に浮かぶ飛び島のように緑が戻った頃。


 物語は、とある山奥の小さな孤児院から始まる――


……


……


……


「やーい、≪灰かぶり≫ーーっ!」

「なぁにィーッ!? こら待て、ダニーッ!」

「うひゃーっ、アーシャが怒った、逃ッげろー!」


 私の灰髪をからかうダニーを追いかけ、朝っぱらからドタドタと食堂を駆け回る。長卓の周りをぐるぐる回る私達を、弟妹達は「12歳コンビがまーたやってる」と呆れた顔で見ていた。


 私は生まれつきの灰髪――と言っても、白髪混じりなのではなく、本当に全部灰色なのだ。光の当たりようでは銀に輝く綺麗なこの灰髪を、私は気に入っている。


 でも! 小さい頃からダニーにいっつもからかわれるんだよなあ~! まったく! 自分だってチビでくりんくりんの天パのくせに!


 ――がしっ


 私はダニーの体を後ろから両手で抱き締めた。どーだ、私の方が大きくて足も速い! 逃がすもんか!


「ほーら、捕まえた――」


 そう言うが早いか、ダニーはするりと腕を抜けて逃げていく。


「っべー、だ! 未来の聖樹士せいきしダニー様がそう簡単に捕まるか! バイバーイッ」


 ダニーは私にあっかんべーをすると、木の扉をバーンと開けて食堂から駆け出していった。あンのやろ~、なーにが聖樹士だ! はあ……ため息が出るわ。


 ダニーが開け放った扉から、栗色の長髪を一束の三つ編みにした女性――ママが入ってきた。ママは、駆け出していったダニーと、ため息をついている私、呆れ果てた弟妹達を見て、状況をすぐに把握したらしい。


「……またからかわれたのね? アーシャ」

「そーなのッ! ママ、言ってやってよ!」


 私はママに抱きつき甘える。ママは優しく私を抱き返し、灰髪を撫でてくれた。ママの手は水仕事で荒れているが、柔らかで暖かくて、大好き。いつでも優しいママは私の憧れ、いつか私もママみたいになりたいなあ……。


「ダニーはね、あなたに構ってもらいたくてしょうがないのよ」


 ママは少し困ったような笑みを浮かべ、諭すように言った。


「わけわかんない、じゃあ普通に遊べばいいのに。男の子のそーいうとこ嫌い!」

「あらあら……アーシャ、髪編んであげるから、お座り」

「うん!」


 私は食堂の隅にある鏡台の前に座った。ママが後ろから、腰まである私の長い灰髪を半月形の櫛でとかし、ママと同じ一束の大きな三つ編みに編んでいく。


 毎朝のこの時間は、私にとって至福の時だ。下は3歳から上は私とダニーまで、8人もの兄弟を1人で見るママは、いつもとっても忙しい。でも、私の髪を編んでくれるこの時間だけは、ママを独り占めできる。ママが髪を編む度に、ぐちゃぐちゃとしたダニーへの苛立ちはほどけていった。


「……よし、出来上がり。今日もとっても素敵よ、アーシャ」


 立ち上がり、鏡台の前でくるっと一回りすると、三つ編みの灰髪はふわりと舞い、窓から入る朝陽を浴びてキラキラと銀色に輝いた。えへ、ママと一緒の大きい三つ編み、我ながら可愛い!


「ありがと、ママ!」

「どういたしまして」


 笑顔で礼を言う私に、ママも笑顔で応える。その時私は、ママが首に金のロケットペンダントを提げていることに気付いた。飾り気のないママが唯一持っている、大事なアクセサリーだ。


「あ! それ着けてるってことは……今日来るのね? トルネードが!」


 ママは少し照れたようにロケットを握る。


「そうよ、もうじき来る頃だと思うけど……」

「――呼んだか?」


 噂をすれば何とやらだ。食堂の入り口から、高身長に引き締まった体、ミディアムショートの茶髪の男――元聖樹士せいきし≪英雄≫トルネードが入ってきた。


 トルネードは、≪ブランチ≫――いわゆる何でも屋として様々な依頼を請け負い、樹教国中を飛び回って活躍している凄腕の剣士だ。幼い頃、この孤児院でママと一緒に育ったらしく、仕事の合間を見てはここを訪れて来る。


「「トルネード!」」


 兄弟達が気付き、沸き立ってわーっと駆け寄る。


「おかえり! 今度のお土産何!?」

「今回はどんな依頼だったの、また魔獣退治? それとも遺跡発掘? お話聞かせて!」

「私は聖樹士の頃の英雄譚が聞きたいな、砦を襲う帝国軍を退けた話!」

「なあ今度こそ俺に剣を教えてよ! 俺もトルネードみたいな白金等級プラチナの≪ブランチ≫になりたいんだ!」


 トルネードの周りはあっという間に押しくらまんじゅうになった。まーったく、みんな子供なんだから。ママが一番話したいだろうに、ママはニコニコしながらその様子を見守っている。


「おーし、落ち着けお前ら、いーもん持ってきてやったぞ。樹都ユグリアの銘菓、若草だ! ほれ食え」

「わー! うまそーッ!」

「ありがとうトルネード!」


 トルネードは大きな袋をどさっと長卓に置いた。弟妹達は我先に飛び付き、袋から出した若草色の饅頭を次々に頬張っている。食いしん坊の太っちょゴンスなんか、一度に3つも口に入れたみたいで何だかモゴモゴ言っていた。


 やっと弟妹達から解放されたトルネードは、私の方――というより、ママの元へ歩いてきた。


「変わりないか、シスター・ミーナ」

「お陰様で。今回も無事に帰ってきてくれて嬉しいわ、ウィル」

「……俺のことをいまだにその名で呼ぶのは、お前くらいだ」

「それ、ちょっと嬉しいかも」


 ママは頬をほんの少し赤らめながらトルネードを見つめている。早く結婚したらいいのに、と私はいつも思うんだけど、そうもいかない理由があるらしい。大人ってムズカシイ。


「アーシャ、お前も変わらず元気そうだな。若草食ってこい、ウマイぞあれは」

「ありがと! ねえトルネード、若草もいいけど、今度はママにもお土産買ってきてあげてよ。例えば、指輪とか!」

「こら、アーシャ!」


 ママにぺしっと軽く叩かれながら、私も若草を食べにタタッと長卓へ向かう。2人のお邪魔しちゃ悪いしね。


 長卓に着き袋の中を見ると、もう中は空っぽだった。


「あーっ、私のやつないじゃん!」

「来るのが遅いよアーシャ、僕の食べる? 半分食べたやつだけど」


 ゴンスが丸々とした腕で、歯形のついた若草をずいと差し出す。


「……いらない」

「そ、じゃー食べちゃうよ。あーん、もぐもぐ……」


 その時だ。


「トルネードはいるか!!」


 大声で叫びながら、麓の村のベンおじさんが息急ききって駆け込んできた。ゴンスはあまりの剣幕に驚いて若草を喉に詰まらせ、ドンドン胸を叩いている。ベンおじさんはトルネードを見つけるなりすがり付いた。


「ああ良かったッ! 今日がトルネードのいる日で……! 村が魔獣の群れに襲われてるんだ、助けてくれ!」

「何ッ! すぐ行く。――ミーナ、ここを頼む。俺が帰るまで誰も外へ出すな」

「ええ! ウィル、気をつけて。深緑の聖女の加護の在らんことを」


 トルネードはベンおじさんと一緒に麓の村へ向かった。ママは十字を切って心配そうに見届けてから、兄弟達に指示を出す。


「みんな! ウィルが帰るまで食堂にいなさい。私の見える範囲にいてね。怖がらなくて大丈夫、ウィルは英雄よ。心配ないわ」


 そういうママの手は、震えながらロケットを握り締めていた。この山の周辺は魔獣が現れることなど滅多にない。いつもトルネードの魔獣討伐譚を聞いていても、どこか遠い場所の話のように聞いていた。それがまさか、群れになって麓の村を襲うなんて……。


 弟妹達の反応は様々だった。恐怖に震えママにしがみつく者もいれば、トルネードがいるから大丈夫と楽観している兄弟もいる。私を含め7人の兄弟はみな思い思いにトルネードの帰りを待った。


 ……7人? ――あッ!


「ダニーは!?」

「「えっ!?」」


 私は孤児院を上へ下へ駆け回りダニーを呼んだ。一階の台所にも二階の寝室にもいない、返事もない。あのバカ、私をからかった後、外に出たんだ……!


「ママ、私ダニーを探してくる!」

「ダメよアーシャ、中にいなさい!」


 私はママの制止も聞かず外に駆け出した。いつも私をからかうダニーだけど、ずっと一緒に育ってきた兄弟だ。放ってはおけない! ダニーのことを一番わかってるのは私だ、行き先も想像がつく!


「アーシャ、待ちなさい!」


 後ろからママが追ってくるが、私は構わず山を駆け降りる。ダニーはきっと、孤児院と村の中間にある≪秘密基地≫にいるはずだ。ママも知らない私とダニーの遊び場に。


 麓の村の方から獣の咆哮や人の悲鳴が聞こえる。……早くダニーを連れ戻さなきゃ……!


 下山道を行く暇はない。秘密基地まで最短ルート、木々の間を縫って草を掻き分け、獣道を駆けていく。この山は私の庭だ、迷いはしない。葉が手足の皮膚を切るのも厭わず、私は必死で走って、走って、走った。


 ――見えた! 木々の間に枝葉を集めて組み立てた大きな秘密基地、そばに小柄な人影も見える、ダニーだ! ダニーもガサガサと音を立て向かうこちらに気付き、ちらと振り向く。


 私が呼ぼうとしたその時、先に声をあげたのはダニーの方だった。


「来るなッ!」

「えっ……?」


 ダニーの必死の形相と叫びに、私は思わず足を止めた。が、後ろから私を追っていたママはダニーの制止が聞こえなかったのか、または聞いた上で何かを察したか、私の横をダッと追い抜きダニーの元へ飛び出した。


「ダニー!」

「ママ、来ちゃダメだッ!」


 手を突き出して制止するダニーの元に駆け付けたママは、秘密基地の影に何かを見つけ、ダニーを守るように抱えたその瞬間――


 ――ドガァッ!!


 突如大きな衝突音がして、ママは抱えたダニーごと宙に吹き飛んだ!


 ――ズシャアッ!


 ママはダニーを守るように背から墜落し、激しく地を擦る。


「ママッ! ダニー!」


 ママとダニーの元へ駆ける私は、見た。秘密基地の向こう側から、巨大な黒い狼がのそりと姿を現したのを。


 ――ま、魔獣……!


 初めて本物の魔獣を見た……! 普通の狼の5倍はありそうな巨躯だ。大顎から鋭い牙を剥き出し、私の胴よりも太い前足は、爪を地に食い込ませている。あの見るからに強靭な足で踏み込み、ママとダニーを吹き飛ばしたに違いない。


「ダニー! アーシャ! 逃げなさい!」


 ママが立ち上がり、魔獣と私達の間に立ち塞がる。ママの修道服は破れ、手足も擦り切れて血が出ている。気丈に振る舞っているが、ママの足も恐怖に震えているのがわかった。


「ママ……!」


 私達が逃げた所で、ママはどうなる? ……ああ、私にもトルネードみたいな力が、アイツを倒す力があれば……!


「――何してんだアーシャ、逃げるぞッ!」


 ダニーが私の手を引き逃げようとしたその時、狼の魔獣が突進してきた!


――ズドガァッ!


 私達3人は巨狼の体当たりにまとめて吹き飛ばされ、散り散りに木々に激突し――そこで私は、気を失った――


……


……


 闇の中、呆然と立つ私の前に、巨大な炎が轟々と燃え盛っている。周囲にはただ漆黒が広がり、私の体は炎に赤赤と照らされ、火照る――


 ……夢……? まさか、あの世……?


『我をもって何を灰とす』


 唸るような低い声が、炎の揺れに合わせ心に重く響く。これは、炎の声……?


「何のこと?」

『燃やしたいのだろう?』


 炎は嗤うように揺れる。私には、問うた炎自身が何かを燃やしたがっているように見えた。


 私が何かを燃やしたいだなんて……


 ……


 いや……燃やしたい……そうだ、私は……


 ――体だけでなく、心まで熱く火照るのを感じた。その熱は、私の心のを燃え上がらせていく――


 守るんだ……大好きなママを、生意気だけど大切な兄弟のダニーを……! 焼き尽くす……! 何を……? だ……アイツを……




 ――――燃やし尽くしてしまえッッ!!




『よかろう』


 炎は火勢を増し、闇を赤に染め尽くす。

 さながら、世界を喰らう巨龍のように。


……


……



 ――アーシャ……


 誰……? 誰かが呼んでる……


   ――アーシャ……!


 優しい声……大好きな声だ……


      ――大丈夫、もう大丈夫だから……


 ……?……何のこと……?


「――アーシャ!」

「!」


 誰かの声に私は目を覚ます。私を抱き締める誰かの肩越しに、驚くべき光景が広がっていた。


 それはまるで――見渡す限りの火の海だった。


 周囲の木々は激しく燃え上がり、メキメキと音を立てながら焼け崩れていく。辺りには濛々と黒煙が立ち込めていた。そして目の前には、最早何者かわからぬほどに黒く焼け焦げた大きな塊が横たわっている。


「アーシャ、お願い、もう大丈夫だから……!」

「え……?」


 その時初めて私は自分のに気付く。三つ編みの灰髪はほどけ、燃えるような赤髪に染まって天に逆立ち、私の全身から猛る炎が轟々と立ち上っている。そして、そんな私をなだめようと、ママが膝をついて私を抱き締めていたのだ。


「大丈夫よ、アーシャ、大丈夫……!」

「ママッ! アーシャから離れて! ママが焼け死んじゃうよ! アーシャ、止めて、止めてくれよッ!!!」


 ダニーが泣き叫びながらママの服を引っ張り、私から引き離そうとしている。


 何が起きてるの……?


 私は、一体何をしたの……!


 あ……あ……


「――ああああああああああ!」


 その先は覚えていない。私はそこで、再び気を失った――

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