CASE.36 痛みがあるからこそ幸せが尊いものになる。その苦しみから逃げた先に――解脱に――果たして価値はあるのでしょうか? by.身体臭穢

<Side.リナリア/一人称限定視点>


 木の枝一本であたし達全員を相手取るとデルフィニウムが宣言した時には衝撃を受けた。


 だけど、これがハッタリな訳がない。

 きっと、棒切れ一本で高い魔力を持つ攻略対象や鬼斬の力と「鳴刀・鏡湖」を持つロベリア相手に本気で勝てると確信しているんだと思う。しかも、それは根拠のない自信とかじゃなくて、彼女にとっては水が上から下に流れるような至極当然なことなんだと思う。


 あたしもようやく転生特典に行き着いた。

 「好きな人の力を限界を越えて引き出す力」――心から愛する相手のあらゆる能力を限界を超えて強化することができる乙女ゲームの主人公らしい力と言えなくはないけど、このあたしの大切な人を強化するあたしらしい・・・・・・力でロベリアやラインハルトのことを強くしてサポートすることができる。


 この力で強化されたロベリアとラインハルトが負ける筈がない……そう思いたいのに。

 全くと言って良いほど勝てるビジョンが見えない。


 ガチガチの戦闘系じゃない、なんちゃってバトルありの乙女ゲームのヒロインに転生したから弱い……という訳ではないと思う。

 それなら、相手だって土俵は違わない。同じ物理法則の上に立っているのだから。


 なのに、全く勝ち目がないように思えるのは、その厚みの次元が違うからだと思う。

 まるで最初の村で裏ボスが現れたような、そんな感覚――この人とは絶対に戦ってはいけないと本能が訴えかける。


「そうですね。条件を更に追加しましょうか? 俺はここから一歩も動きません。一瞬にして地面を十回以上蹴って移動する俊身やその力で空中を歩く空歩、緩急をつけることで残像を生み出す歩法の幻身、音と気配を絶つ歩法の絶音、などは使いませんので、更にやりやすくなると思います。警戒する特殊武能は身体を鋼鉄を凌駕する硬度に変える鋼身だけですから。もし俺を一歩でも動かすことができれば、或いは降参させることができれば、今回の任務からは手を引きましょう」


「随分と舐めてくれるな。……焔王の宝剣イフリート・エクスカリバー!」


 灼熱の炎をミスタリレ製の剣に纏わせ、地を蹴ったラインハルトが真っ先に攻撃を仕掛けた。

 本来護衛されるべきラインハルトが戦陣を切ったのを見て、慌てたザフィーアが剣を抜く。


 水の魔力を纏わせたザフィーアがラインハルトに続くような形でデルフィニウムに攻撃を仕掛けた。

 近衛隊長の息子で攻略対象のザフィーアと、あたしの転生特典の青い輝きに包まれて強化されたラインハルト――このメンバーでは上位の戦闘力を持つ二人が同時に攻撃を仕掛けたのだけど……。


「お話になりませんね」


 デルフィニウムの枝の残像すら見えない無音にして不可視の一撃が二人の剣を一瞬にして打ち砕いた。

 その衝撃で二人は遥か後方まで飛ばされ、反対側の建物の壁に激突する。


 ラインハルトの方は壁に激突した瞬間に気を失い、得物の剣を砕かれた程度のダメージで済んだけど、ザフィーアの方は身体に真剣で切り裂かれたような袈裟斬りの傷が深々と刻まれていた。……あの木の枝でこれほどの傷を刻み付けられるなんて。


「慈悲深き癒しの女神よ、聖浄と癒しの力を我に与えよ! 聖光治癒陣ヒーリング・フィールド


 ザフィーアの周囲に治癒の力を持つ聖魔法の魔法陣を生み出し、その力でザフィーアの傷を高速修復する。これで一命は取り留めた……だけど、あたし達の戦力が減ったままあの化け物と戦わないといけないという現状は何も変わらない。


「ロッテンマイヤーさん。デルフィニウムさんの剣って見えたかしら?」


「残念ながら残像を捉えるだけで精一杯でした。クヮリヤート家は様々な状況に対応できるように並外れた戦闘訓練を行ってきましたが、あれほどの強さなど想定外です」


「確かに、密偵として活動してきたクヮリヤート家は各国と比べてもその練度はかなり高い位置にあります。しかし、最低でも全ての筋肉を本来意識して操作できないものを含めて完璧に操作する程度まで到達しなければオハナシにならない俺達「天人五衰」の基準で言えばまだまだです。例えば俺達は仮に心臓を止める異能によって即死させられても、ペースメーカー細胞を自力で動かすことで自己心肺蘇生が可能です。異端仏教などと言われた俺達の考え方はあらゆる仏教宗派から嫌われ、暗殺者を派遣されてきましたから。まあ、煩悩を捨てて解脱するなど逃げに過ぎないと考え、人間の持つ欲こそが前に進む原動力であり、仏教が長年否定してきた五感を絶対視する仏教的愚かさこそを礼讃する俺達の思想は彼らとは相容れないものですからね。苦しむからこそその先に待つ楽しみが素晴らしいものになる。痛みがあるからこそ幸せが尊いものになる。その苦しみから逃げた先に――解脱に――果たして価値はあるのでしょうか? まあ、そんな抽象的な話をされても困りますよね? さて、どうしますか? どうやらリナリアさんが転生特典を行使したようですが、その力を以ってしても結果はこの通りです。このエネルギーロスのない無音の一撃に、果たしてお嬢様は喰らい付けるのでしょうか? それとも、魔法で俺を倒しますか?」


 直接剣を交えたらさっきの二の舞になる。あの剣は恐らくこのメンバーの中で一番強いロベリアでも耐えられない。

 ならば、まだ魔法の可能性に賭けた方が勝ち目はあるように思える。


「日畑さん、ナーシサスさん。二人は下がって……回復役の二人が倒れたら戦線が崩壊するわ。……デルフィニウムさん、まさか回復役を先に狙うような卑怯な真似はしませんよね?」


「まあ、それが一番合理的でしょうが、俺はお嬢様達をここで足止めすれば勝ちですから何も問題はありません。さて、お次は誰が仕掛けてきますか? 仕掛けた方にしか俺は攻撃しませんよ」


「次は俺達が相手だ。……行くぞ、炎の巨人フレイムジャイアント!」


「次はこのエリートのスピーリアがお相手しましょう。凍える八岐大蛇フリージング・ハイドラ


 ヴァリアンとスピーリアの火と水の魔力が解放され、聳えるほどの高さを持つ炎の巨人と九つの首を持つ氷のハイドラが姿を現す。

 二人とも造形系の魔法の使い手なのね。流石は一等捜査官――魔法のレベルはそのポテンシャルを生かしきれていない攻略対象二人よりも遥かに高い。


「なかなか壊し甲斐のありそうな敵ですね。それでは、仕掛けさせてもらいましょうか?」


 自分の前で数度無音にして不可侵の木の枝を振るって準備運動を終えたデルフィニウムが、そのまま斬撃を放つ。

 今度はあたしの目でも見えるほど軽く振るっただけなのに、放たれた剣圧は氷のハイドラをバラバラに打ち砕いた。


「それではお休みなさい。自称エリートさん」


 再び不可視の速度で斬撃が振るわれ、時間差で無数の傷口が開いて血が吹き出し、スピーリアが頽れた。

 すぐさま、あたしは「聖光治癒陣ヒーリング・フィールド」を使って治療に当たる。……致命傷を喰らっても傷を完治させる聖属性の回復魔法は確かに凄いけど、今回も徒らに脱落者を増やしただけ。


 ……本当にどうすればデルフィニウムを突破できるというの!?

 あの細い脚の二本で立つ彼女がまるで泰山のように思えてくる。あの不動を動かさなければ、あたし達は事件を解決できないのに。


「スピーリアに気を取られたな! ガラ空きだぞ!」


「やはり脳筋は所詮脳筋ですね。何も仕掛けていないと本気で思ったのですか? ド阿呆」


 デルフィニウムが無表情なまま可愛らしく罵倒した瞬間、ヴァリアンの炎の巨人が無数の斬撃に斬り裂かれて消滅した。


「俺の剣は大気が斬り裂かれたことに気づかないほど鋭いので、こういった芸当もできるのですよ? それでは、貴方が大っ嫌いな自称エリートと同じ道を辿りなさい」


 不可視の速度で斬撃が振るわれ、時間差で無数の傷口が開いて血が吹き出し、ヴァリアンはスピーリアと同じ末路を辿った。

 「聖光治癒陣ヒーリング・フィールド」ですぐさま治療に当たる。……このままだと全滅は免れない。


「……ロベリアさん」


「これは本当にダメかもしれないわね。ヴァリアン様とスピーリア様が敗れた以上、ディル君やリーブラさんのの魔法で歯が立つとも思えないし、脱落したメンバーが仮に目を覚ましても再び挑んで勝てるとは思えない。幸い、リナリアさんのおかげで死人が出ていないからマシなように思えるけど、状況は絶望的だわ」


「ロベリアお嬢様、次は私達が仕掛けます」


「ロッテンマイヤーさん、みなさん、無理はしないでね」


 次はロッテンマイヤー達クヮリヤート家の護衛三人が仕掛けることになった。

 これで敗北すれば、あたし達の望みはロベリアだけになる。転生特典の力を使って強化してもなお、勝ち目がないように思える壁……強過ぎるわ。


 ロッテンマイヤー達は三方から同時に仕掛けた。ロッテンマイヤーが背後を取り、残る二人が右前と左前から挟撃を仕掛ける。


「なかなかいい動きをしますね。特にロッテンマイヤー執事長は流石です。あらゆる局面に対応できるよう人間の限界、もしくはそれを突破するよう徹底的に鍛えられているということだけあって、ロベリアお嬢様の次くらいには強いですね。ただ、その限界は本当の意味での限界ではありません。気配を完全に消しているつもりでしょうが、俺には丸見えです。その素早いと思われる攻撃も、俺には止まって見える」


 まるで背後に目でもあるかのように振るった木の枝がロッテンマイヤーの胸を突き刺し、引き抜くと同時に前二人に向かって剣圧を飛ばした。

 あっさりとクヮリヤート家の護衛も全滅して後が無くなった。


「慈悲深き癒しの女神よ、聖浄と癒しの力を我に与えよ! 聖光治癒陣ヒーリング・フィールド


 ロッテンマイヤー達の周囲に小さな聖魔法の魔法陣を展開して遠距離から治癒する。

 これで、三人も命を落とすことはないと思うけど……これで残るはロベリアただ一人。


「一つ確認していいかしら? 攻撃を仕掛けた人にしかデルフィニウムさんは攻撃しないのよね」


「……はい、確かに俺はそう言いましたね。俺は決して約束を違えません」


「日畑さん、ナーシサスさん、ディル君、リーブラさん。絶対にこれから攻撃を仕掛けたらいけないわ。……これからわたくしは最後の望みをかけてゾンビアタックを仕掛ける。致命傷を負ったら回復させてくれないかしら? 気絶しているなら叩き起こして欲しい。……もうそれしか勝つ方法はないわ」


「……月村さん」


「ロベリアさん、やめてください! そんなことをしたら……」


「いいのよ……みんながここまで頑張ってくれたのに、わたくしが命を張らないなんて、そんなこと許される筈がないのだから」


「素晴らしい! その心意気、実に素晴らしいです! 月村さんはそうでなくては! さあ、桃太郎の浄化の力を受け継ぎながらも、長い時を経て血が薄まる中で没落した桃上百上流の鬼斬の継承者よ、お前にこの俺、身体臭穢を止められるのか? やれるものならやってみろ!!」

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