CASE.34 一つの信念を、理想を掲げて生きた人間のその人の残したものを否定されることを、もしかしたら私は許容することができなかったのかもしれない。 by.ユウリ

<Side.影澤悠里/一人称限定視点>


 一度だけ、松蔭寺辰臣という男に会ったことがある。

 地元堺のおでん屋台。そこで久しぶりに家に帰ってきた照夫お兄様と夕食を食べながらお兄様の話を聞いていた時だった。


「やあ、影。久しぶりだね」


 三つある椅子のうち、空いていた一つに後から座ったのが松蔭寺だった。

 高校時代の同級生で、風紀委員であった彼はよく校則を破る照夫お兄様に注意をしていた、と松蔭寺は自分と照夫お兄様の関係について話してくれた。


 真面目一辺倒で、規則に実直。まるで規則が服を着て歩いているような、四角四面な雰囲気が感じられる男だった。

 規律正しい風紀委員として高校で恐れられていた彼は、今は首都警察の捜査一課長にまで上り詰めているという。


 酒を一滴も飲まなかったその男は、お兄様と過去の思い出話を話したり、近況報告をし合って「まだそんな危険なことをしているのか」とか「それは法律違反だ」などとガミガミ説教していた。……お兄様は耳を塞いで知らぬ存ぜぬを決めていたから、全く応えていなかったんだと思うけど。


 松蔭寺の言葉の矛先は私にも向いた。「未成年の飲酒は厳禁だから絶対に飲むなよ」と注意するこの人に反感を覚えた。……飲む訳ないでしょ!

 松蔭寺は「飲酒運転は法律違反だ」とタクシー代を置くと、三人分の支払いをして去っていった。

 「いきなり来てなんなのよ、あの人」とその時は思っていたのだけど……。


 松蔭寺が自宅で何者かに殺害されたと知ったのはそれから二日後だった。


「あいつはあいつで自分の信じるものを守って死んでいったんやな」


 お兄様は通夜にも葬儀にも参列せず、墓に献花をしてそのまままたどこかに行ってしまった。

 お兄様とは生き方の違う松蔭寺……何故、水と油のような関係に見える二人が、友人のような関係になったのかは分からない。


 だけど、お兄様はお兄様なりに松蔭寺のことを認めていたし、その素行に文句を言いながらも松蔭寺は松蔭寺でお兄様を認めていたんだと思う。


 松蔭寺が自分と同じ世界に転生していたと知った時は心底驚いた。

 そして、あの人はやっぱり転生してもあの人だったんだなと……彼の真っ直ぐに正義を貫く姿にどこか安心する自分がいた。


 私と松蔭寺の思想は相容れない。お兄様と松蔭寺が相容れなかったように、あの正義感の塊が今の私を見たらガミガミと説教をしてくると思う。


 私は正直、松蔭寺のような人間が嫌いだ。

 でも、私は松蔭寺が掲げた理想を、正義を追求する信念を否定……いや、冒涜するような今の王国刑事部門の在り方には激しい憤りを覚えている。


 一つの信念を、理想を掲げて生きた人間のその人の残したものを否定されることを、もしかしたら私は許容することができなかったのかもしれない。

 それは、信じるもののために命を捧げてきた一人の人間を否定することに他ならないのだから。



 ◆◇◆◇◆



<Side.神の視座の語り手/三人称全知視点>


 至高天エンピレオ教団の総本山、その礼拝堂は教会には似つかわしくない淫気に満ち溢れていた。

 何人もの薄絹を纏った女達――高級娼婦が、裸の男達と目合っている。その裸の男達は枢機卿以上の上級聖職者達だ。


 信徒達が貧しい中でも納め、協会が必死にやり繰りをして捻出された、莫大な富。

 その富を酒池肉林の宴で湯水のように消費する。礼拝堂でそのような退廃的な宴を催すからこそ背徳感があって堪らないと上級聖職者達はその程度のことに感じているようだが、女神ベアトリーチェを象った像の前で行われるこの卑猥な宴そのものが女神ベアトリーチェと至高天エンピレオ教団に対する冒涜になっていることに彼らは気付いていない。


 この怪しげな宗教儀礼にも似たものが至高天エンピレオ教団という組織内部で行われていると果たしてどれだけの者が知っているのだろうか?


 この娼婦達に対しても所詮は快楽のための道具としか考えていない、女は男に媚びへつらい、跪き慈悲を請い、傅いて従っていれば良いと当たり前のように思っている男尊女卑の塊。

 そんな彼らが女神を、その現し身である聖女を果たして本気で崇めているのだろうか? 否、そのようなことは決してないだろう。


 結局は巨万の富と利権を生み出す都合の良い装置――それが、至高天エンピレオ教団の本質なのだ。


「もし、仮にその流出が王国刑事部門のように一つの揺るぎない信念だったのならまだ救いはあったんだけどね。……まあ、首尾一貫している訳だしある意味清々しいのか」


 喘ぎ声が谺し、怪しげな異国のお香と汗と体臭、その他諸々の臭いが混じり合い、その強烈な臭いで吐き気を催しそうな淫靡で生々しい空間で、影は心底呆れたという表情を浮かべていた。


「お晩です。いやぁ、皆様血気盛んでございますね」


「「影道化ジョーカー」か……折角の宴の邪魔をするとは、案外空気が読めないタイプようだな。それとも、お前も抱かれたいのか?」


「いえ、自分は清らな身でおったいので、手折りたいなら力尽くで手折ったらどうやねん」


「あはは、冗談だよ。私達と「影道化ジョーカー」の仲ではないか」


 筆頭枢機卿のベルナルドゥスはそう言いつつも、内心では仄暗い欲望を渦巻かせていた。


 大きなカバンを背負った、不思議なほど存在感のない黒髪糸目の帽子を被った行商人風の出で立ちの少女――女でありながら全ての犯罪組織を纏め上げ、その頂点に君臨する「影道化ジョーカー」をベルナルドゥスは内心不快に思っていた。

 その服を剥ぎ取り、女の悦びを身体に教え込んで従順な婢女にしてやりたい……そんな歪な欲望を枢機卿の地位を手に入れ、初めて「影道化ジョーカー」と出会ってからずっと抱いていた。


 女が男の上に立つなどあってはならない。女は男の側に控えて、男に媚びていればいい、そう考えるベルナルドゥス達にとって、「影道化ジョーカー」という女は女の身でありながら息子に愚かな考えを吹き込んだあの『魔女』と同じ許し難い存在だったのだ。


 ベルナルドゥスはあの『魔女』を捕まえたら、火炙りにする前に心ゆくまで犯してやろうとさえ思っていた。いや、他の上級聖職者達もまた似たような思いを抱いているだろう。

 あの女は性格はともかく美女である。その艶やかな身体を一度も抱かずして燃やしてしまうのは惜しい。

 彼女がその身を捧げることを誓ったなら、娼婦として生かしてやってもいいだろう……などと、ベルナルドゥス達は考えてすらいる。


「「影道化ジョーカー」、お前に依頼したいことがある。ロベリアを生け捕りにして我らの前に連れてこい。金ならいくらでも払う」


 快楽に身を委ねながら、ベルナルドゥスは「影道化ジョーカー」に一つの依頼を出す。

 その依頼を「影道化ジョーカー」は確実に遂行すると、ベルナルドゥスは信じて疑わない。


「いえ、本日は皆様に取引の停止をお伝えしに参りました次第やで。その依頼は受けられまへんな」


「――なんだとッ!?」


 だからこそ、「影道化ジョーカー」にその依頼を断られたことをすぐに理解できなかった。


「お前は俺達の依頼を幾度となく受けてきた。今回の依頼も同じな筈だ。金はいくらでも用意してやる! 依頼を遂行しろ、それがお前の存在価値だ! それができないというのなら、その服をひっぺがして俺の上で喘がせてやるッ!」


 ベルナルドゥスの激昂に対し、「影道化ジョーカー」は自分の身体が犯される危険に晒されてなお涼しい顔。小さな白い指でほらほらとベルナルドゥスの首近くを指差す。

 そこには細い糸が張られていた。いや、ベルナルドゥスだけではない――この場にいる教皇も含め、全ての男達の首の近くに糸が張られていた。


 更に、退路を塞ぐように器用に糸が部屋全体に張り巡らされている。

 娼婦達には一切被害が出ないように狙い澄まされて張られた糸はまさに職人芸。


「ジブンら、まだ理解ができておらへんようやね。そもそもその立場も戦時下じゃ砂上の楼閣、いつ無くなってもおかしないもんでっせ? まあ、謎の自信でそのことにも気付いておらへんようやけど。……ロベリアさんは自分の親友や。その親友の命をジブンらの依頼を遂行して奪うとでも、本気で思うたか?」


 糸目の少女の瞳が鋭く見開かれる。その双眸に込められた殺気にベルナルドゥス達は心の底から恐怖を抱いた。


「自分はよく知っとります。この至高天エンピレオ教団が、かつて神聖魔法をもって生まれた村娘ベアトリーチェの優しさにつけ込んで聖女の役割の中に押し込み、彼女に聖女として生きることを強制したこと、その果てで過労死したベアトリーチェを今度は女神として崇め奉り、大聖女ビーチェと分けて信仰させることで、大聖女ビーチェを模範として無償の奉仕をさせとったことを。まるで骨までしゃぶり尽くすハイエナやね」


 この事実が暴露されてしまえば、至高天エンピレオ教団は間違いなく崩壊してしまうだろう。

 これまで至高天エンピレオ教団の上層部の中で隠された真実――それが「影道化ジョーカー」に知られてしまったことを理解し、ベルナルドゥス達の絶望は最高潮に達した。


 高級娼婦達が蜘蛛の子を散らすように我先へと逃げていく。

 背徳の宴は完全に崩壊し、「影道化ジョーカー」を凌辱するという取らぬ狸の皮算用で身の程知らずな淡い夢も跡形も無く消え去った。


「さて、この真実はリナリアさんを第二のベアトリーチェにしぃひんためにも是非とも広めなんだらなりまへんね。まあ、それはええとしぃ、問題はジブンらの処遇や。……このまま真実を知った教徒達に裁かれるってのがアダマース王国に蔓延る貪の欲望を浄化するには一番なんやろが、ほならロベリアさんをえらい目に遭わせたジブンらに対する自分の気持ちが収まりまへん。――悪なりに悪の世界の規範を守る者達よりも、貴方達善人面した外道の方がよっぽどタチが悪いものやね。下手に言い逃れされて逃げられても困りますし、取引相手でもあった自分が特別に終わらせて差し上げましょう」


 その瞬間、無数の張り巡らされていた糸が一斉にベルナルドゥス達の首を切り裂いた。

 教皇を含む上級聖職者達二十名はこのようにして変死を遂げた。


「さて、この至高天エンピレオ教団の秘宝の「霹靂千鳥」は駄賃代わりにもろておくとしまっか」


 「影道化ジョーカー」は教皇の側にあった「霹靂千鳥」を拾うと、一枚の紙を残して礼拝堂から姿を消した。


 後日、凄惨な殺戮の現場で至高天エンピレオ教団の衝撃の事実が書かれた紙が発見され、その真偽不明の告発が至高天エンピレオ教団の屋台骨を大きく揺るがすことになる。

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